ツヒノスミカ

 

山本起也 監督作品

クロスフィット/こたつシネマ作品
芸術文化振輿基金助成事業
2006年/16ミリ/カラー/80分

10数年前にじいちゃんを亡くし、ずっとひとりで住んでいたばあちゃんが、寂しいと言った・・・
その家に、ばあちゃんは、ひとリで住んでいた。毎朝、2枚のパンと納豆、それにリンゴを絞ったジュース。何十年も淡々と続けられた、変わらない暮らし。その家が取り壊される。家中に山積みになったガラクタ。それは、この家に流れていた時間の証。「それを捨てられちゃ困る。死んでも捨てられない」と、ばあちゃんは呟く。解体される家。ひとつ物を捨てる度に、ひとつの時間が消えてゆく。ささやかだけれど、慈しむように営まれたひとつの歴史の終わり。前作『ジム』では、多摩川沿いの小さなボクシングジムの若者たちの姿を見つめ続けた山本起也監督の新作は、ばあちゃんの家の終焉を愛おしむように見つめた、ひと夏の小さなレクイエムとなった。


DVD(パンフレット付き)発売中。通信販売をご覧ください。


 

山本起也 監督作品

音楽-------------------谷川賢作
ナレーション---------寺島進
プロデューサー-------伊勢真一 岩永正敏 米山靖
撮影-------------------内藤雅行
音響構成--------------渡辺丈彦
出演-------------------山本マツ 山本耕三
アルトサックス演奏--宮野裕司
タイトル--------------津田輝王
撮影応援--------------山田達也
ネガ編集--------------三陽編集室
現像-------------------東京現像所
テレシネ--------------ソニーPCL
リ一レコ--------------東京テレビセンター
協力-------------------株式会社ヨコシネディーアイエー 報映産業株式会社 株式会社ピクト TAMoffice スローラーナー
製作・上映協力--------いせフィルム ヒポコミュニケーションズ

クロスフィット/こたつシネマ作品
芸術文化振輿基金助成事業
2006年/16ミリ/カラー/80分


静謐な映画--------------------------------------------佐藤真(ドキュメンタリー映画監督)

近年稀に見る静謐な映画である。
それは90才を越えてなお達者なひとりのバアさんの、長年住み慣れた家が壊されるひと夏を淡々と映し出すだけで、最後まで何事も起こらない静けさばかりではない。逆にこのバアさん、いつも思い出話とも愚痴ともつかぬ繰り言をひとり呟き続けているしかないのだろう。それに答える家族の誰もが、耳の遠い年寄りだからと、声をはりあげて応じる。だから、この映画は、ガラクタの山を片づける物音に混じって賑やかな遣り取りに満ちている。しかし、そうした賑賑しさが、なぜか静かに心に滲みてくるのだ。
ひとはこうやって家の隅隅に思い出をパンパンに詰め込んで生きてきた。その思い出の品々がこの世から消えていこうとする時、ひとはあらぬ彼方にむかって、ただ呟き続けるしかないのだろう。だからその呟きは、時に生と死の境を軽々と越えて、不思議な透明さをもって心を静める。
見終わって目を閉じた後に、その静けさがジワジワと甦って、胸をしめつけるような映画である。

 

ドキュメンタリーの〈あさき夢〉--------------------伊藤俊也(映画監督)

生が死への道程なら、日々の暮しは肉親や伴侶との日々に刻み行く別れである。山本起也の「ツヒノスミカ」は、長年一人住まいの90歳の祖母が長男夫婦(父母)との同居のために家を建て替える過程を追って、その坦々たるがゆえにかえってかけがえのない人生の時を指し示す。いや、そればかりではない。老年は夢と現(うつつ)の境界(あわい)に人を導く、たとえこの祖母のように達者でしっかり者であってもである。クライマックスの家の取り壊しの描写のなかに、そのあわいの在りかがほの見えてきたと言ったら、褒めすぎであろうか。だから、ツヒノスミカは遂に現れない。仮住いの宙ぶらりんの中で、老主人公はまるで時を打つ柱時計そのもののように仔む。この余韻がいい。