短い手紙
00年1月1日より
「芋焼酎」「しのぶさん」「ヤイリギター」「バス停にて」
'00年1月16日(Sunday深夜 晴れ)
雪が降るかもなんて杞憂でしたね。目覚めてみると陽気もいいし。嬉しいような残念なような。
昼すぎにベッドを抜け出して熱い風呂をいれる。湯がたまるまでの間に珈琲を沸かしメールをチェックする。
最近は新聞をとっていない。配達のお兄さんが勝手に契約継続にしてくれているものだと思っていたら
一月から来なくなった。読みたいときは買えばいいので困らないけど。NEWSサイトも見に行ってみる。
いつだったかの小学生無差別殺人の犯人はまだ捕まらない。近所の人間の犯行にしても特定は難しいのかね。
珈琲は熱々のものにミネラルウォーターを入れる。以前胃をおかしくしてから薄めにするようになった。
スタジオ漬けの日々が続いていた頃、毎日ポット二本分ほどの珈琲を飲んでいたら胃痛が酷くなった。
煙草のタールと煮詰まった珈琲が胃壁に良い訳がない。でも紅茶より珈琲が好き。丸々としたマグカップも好き。
風呂上がりに髪をバサバサ拭きながら鏡を覗く。髭を剃ろうかと思ったけど結局止める。時間がないのに気付く。
バタバタとクローゼットの引き出しを荒らして着替える。結局いつものカーキのコートとジーンズの組み合わせ。
ギターとエフェクターケースと譜面やらが入った鞄を持つ。マフラーを首に巻きつつ毛糸の帽子をかむる。
惜しむように珈琲をすすり、消えそうな煙草を一口大きく吸い込む。煙を吐き出しながら階段を降りる。
国道沿いのバス停に急ぐ。今日は両手がふさがっているのでマウンテンバイクには乗れない。
冬の日のバス停から見る空は高い。渇いた空気のせいだろう。街の印象は灰色。空は薄い水色。太陽は濁った白。
痩せた並木のてっぺんからまっすぐ上、高度何千メートルかの空を銀色の飛行機が行く。北に向かって行く。
ぼんやりとここでバスを待っていると時間を感じるよ。刻む音の聞こえない時間。生身の時間を感じるのだよ。
裸の時間は僕をモノクロの画面の中に閉じこめる。耳には風の音。通り行く車の雑音がゆっくりと遠ざかる。
思考は夢見るときと同じ速度。僕しか知らない時間軸。赤子の僕と白髪の僕が同時にバス停に立っているような。
どこから来たのですか。それは長い時間でしたか。僕は時間の一番先頭「此処にて」バスの時刻表を見ている。
これから何処に行くのですか。時の溜まり場を抜けて。何千本もの煙草をくわえて。いつか全てを閉じるときが来る。
片手にはほら、いつものギターケース。一緒に行こう。一緒に行きましょう。もうすぐ緑色のバスが来るよ。
それに乗ったらまた少しだけ進み出す。そんなミュージックライフ。そんな冬のある日の始まり。
'00年1月15日(Saturday深夜 小雨)
午前3時頃からまた「ぽたぽた」と雨がふり始める。空気が冷えているので明日は雪かも知れない。
ところで昨日↓の文章はいい加減ですねぇ。よいよいで書いてるのがバレバレ。グラスの氷の音が聞こえてきそう。
雪が降るのは嬉しいけど、書いたように荷物の多い片岡としては「何もリハやら遠征のあるときに降らなくても」
と思うわけだよ。明日のリハーサルは機材を減らして行こうかな。雪になったら困るもんなー。
14日金曜日は「CGIプログラム」とひたすら闘った。昼から夜更けまで延々と。画面との睨めっこで目の奥が痛い。
今年は事務所にホームページを設立しようと考えている。しかし考えているだけでは誰も実行しないので
僕がやることになった。業者に任せるって手もあるんだけど、どうもそれは後々のことを考えると宜しくない。
初歩程度のページ設置なら僕でもできるので「任せとけー」と大見得切って引き受けた。それが間違いだった。
さすがに簡単なHTML程度なら理解できるようになったのだが、CGIというとさっぱりチンプンカンプン。
CGIというのはさ、よく「CGI掲示板」とか「CGIチャット」とか見かけたことがあると思うんだけど、
要するにサーバにCGIという命令を送ってInternetを便利に利用しましょう、というプログラムだ。
巷のHPには「アクセスカウンター」とか「ゲストブック」とかありますね。アレもCGIプログラムの一種ですね。
その初歩の「カウンターの設置」に昨日から挑戦。初心者向けの参考書サイトを調べつつ、あれこれ試す。
悪戦苦闘の末、初日はギブアップ。何だよぉ。全然わからない。専門用語の嵐。見たことのない数式と英語の羅列。
しかし試していくうちに徐々に理解しつつある。やっぱり何事も失敗しないと覚えないものなのだよ。
作業開始からウン十時間後、知人の助けを借りてついにカウンター設置に成功!この喜びは同じ苦労をした者にしか
わからないだろうなー。第一関門を突破したので後はこの応用で何歩かは進めるだろう。割と面白い。
作業中はひたすら未開封CDを聴く。普段の仕事中は音楽を聴きながらではできないので有難い。
詞やメロディを考えながら他の曲は聴けないものね。文章も同じく。邦楽を聴かなくなる。言葉に気をとられるから。
同じ創作家でも絵描きの人とかが少しだけ羨ましい。音楽を聴きながらできるもの。実情はわからないけど。
ところで今夜はフランスのPOPSを何枚か聴いたけど、どれもArrangeが大ざっぱ。国民性なのだと思うと笑える。
でも言葉の発音がとても情緒的だと思った。耳に優しい。何だか喋るように唄う歌手が多かったなー。
追記。KO-JIの連載を更新。それから「maryインストアイベント告知」の訂正。来月は札幌がある。嬉しい!
'00年1月14日(Friday深夜 雨)
寒い日が続く。止んだ途端に思い出したように雨が降る。ぽつりぽつり。
夕刻の雨上がりの空気は水分の混じり方が丁度良い。おいしい煙草が吸える。すーっと吸ってふわりと煙を吐く。
ところでは僕はいつも荷物が多い。自分でも呆れるくらい大きく膨らんだリュックを持ち歩いている。
僕は出先で「あ、アレを今日は持って来ていない」という事態になるのが嫌なので必然的に荷物が多くなる。
特に最近はPowerBookを持ち歩く機会が多いので、使用するのもリュックに限られるようになってしまった。
肩掛鞄にパソコンを入れてマウンテンバイクに乗ると、膝に鞄があたって運転しにくいし、
パソコン自体が結構な重さなので肩も疲れる。いつだったか試しに空港でリュックの重さを計ったら7Kgほどあった。
もちろん周辺器具や常備している荷物を合わせてだけどね。常時大きめの乳児をおんぶしているようなものだな。
これが地方へ行くときなんかはもっと大変なことになる。毎日分の着替えも入れるしGuitarもある。
エフェクターケースも重い。止せばいいのにエフェクターは最低でも3つは入っている。予備の機材もしっかり用意。
譜面等もファイルで2冊は持ち歩く。用心深いというよりも、単に小心者ってことかも知れないなー。とほほ。
しかしながら利点もたくさんある。何処にいてもいつもの環境で仕事ができるというのは気持ちがイイ(A型)。
突如としてあれこれ思いついても慌てない。どんな状況下でも即座に対応。おかげで気持ちは休まらない(逆効果)。
ああ、そのうちに長〜い休暇を取って離島に行ってやる。第一希望小笠原諸島。携帯も繋がらないような果ての果て。
不可抗力でHPも更新できないので、きっと諦めがつくに違いない。考えてみれば半年もの間更新をサボっていない。
我ながら驚いている。あんなに怠け者だったこのオレが....。ここでまたひとつ、この世の摩訶不思議の発見。
「怠け僻」と「几帳面」は共存する。決められたこと以外は実行を回避して巧みに言い訳をする、の意。
何処にいても仕事ができるようパンパンのリュックは持ち歩くが、そんなときに限って何もしない、の意でもある。
煙草の予備も大抵3個常備している。ライターもしかり。ハミガキも持ち歩いている。時々は髭剃りもある。
旅に出るときには10枚単位の未開封CDと数冊の文庫本を用意する。しかし新幹線や飛行機では爆睡。ホテルでは即寝。
手袋、マフラー、毛糸の帽子を用意して持ち歩いていても「鞄から出すのが面倒」なので装着しない、とかね。
うーむ、この妙な几帳面さと怠け僻を克服したい。せめて呑み屋で「すごい荷物ですね」と言われない
ようにしてみたい(時々「登山の帰り?」とか言われる)。買ったはいいが使い道のない小ぶりの鞄で出歩きたい。
ホントは手ぶらで有能な美人秘書(鈴木京香似希)にあれこれ世話してもらいたい。阿呆だと笑ってやって下さいネ。
'00年1月13日(Thursday深夜 雨)
冷たい雨が降っている。東京ではあちこちで雪が降ったらしい。
湾岸の僕の街はずっと雨。海が近いと温度が下がりきらないのかもしれない。パタパタとやまない雨の音。
ところで2000年問題。僕の身近で起こりましたねぇ。扉ページとNEWSPageに日付が出るようにJAVAScriptを
設定してあるのだけど、現在は「西暦100年1月13日」ということになっている。Netscapeのみのバグだ。
InternetExplorerは正しい表示をしている。昨日の時点ではバグは出ていなかったのにな。
Netscape派の僕としては何となく悔しい。ちなみにCommunicator4.5です。Winだと大丈夫なのかな。
電気ストーブを焚いた仕事部屋にはBeatlesの「YellowSubmarine」がかかってる。素敵なAlbumです。
そういえば昨日はいつもの店で大音量でRollingStonesを聴いていた。WithKENGOと伊良皆誠。
久しぶりに聴くと改めて彼等の偉大さがわかる。とにかくアンサンブルが!凄いのだよ。演奏の呼吸がね。
まったくチャーリーワッツのDrumにはため息がこぼれる。絶妙なTime感。タメ具合といい疾走感といい。
そしてキースリチャーズですよ。あの人の右手には一体どんな魔法がかかっているのだろう。唸るテレキャスター。
StonesとBeatlesならば僕はStones派だ。20代を迎えるまでBeatlesのAlbumは買ったことさえなかった。
StonesはほとんどのAlbumを聴いたけどね。一番好きなのは「Love you Live」かな。2枚組のLIVE盤。
Beatlesも今では大好き。Albumはどれも「ロックの教科書」のようだよ。ロックがある限り未来永劫のね。
ついでに今机に積んであるCDを紹介すると、Ron Saxsmithの「Whereabouts」、Rickie Lee JonesのLIVE盤、
StyleCouncilの「Cafe Bleu」、Saint Etienneの「Good Humor」、Meredith Brooksの「deconsthuction」。
最後のメレディスブルックス嬢は初めて聴いたけど良かったです。シンガーソングライターだな。ロックです。
何だか心に訴えてくるものがあったよ。自分のCD棚に「歌姫」が増えるのは何とも嬉しいものです。
と、ここまで書いて「YellowSubmarine」が終了。昔のAlbumは収録時間が短い。聴きやすくてありがたい。
70分収録とかだとね、聴き込むのが大変だな。結果最後まで聴かないパターンが多い。もったいない。
ひと月にサンプル盤等も合わせると2,30枚ほどはCDが増える。CDの山の整理が追いつかない。未開封だらけ。
今月は新しい棚を買うつもり。聴かないものは捨てなくちゃなぁ。捨てるのは嫌な作業だけどなぁ。
さてさてKENGOの連載が更新されています。彼の春にかけてのLIVEScheduleも掲載。ぜひどうぞ!
'00年1月12日(Wednesday深夜 曇り 事務所にて)
事務所にYAIRIからギターケースが届いていた。年末にケースが破損していたので頼んでおいたのだ。
中身を開けるとグリーンのボディにホール縁が花柄のミニギターが入っていた。手紙も付いている。
「只今売り出し中の"Lady Bird"です。宜しく御愛用の程を」と書いてある。やった!年賀プレゼントだよ。
早速つま弾いてみる。ずいぶん小さい。ウクレレの1・5倍ほどの大きさだ。しかしネックは僕のメインGuitarの
「YAIRI-KYF-1」と同じ太さだ。弾きやすい。とっても軽い。こりゃいいや。YAIRIさん、ありがとうー。
"Lady Bird"の詳しい姿はこちらで見れます。「ちょっとGuitarを始めてみたいんだよな」とか
「あちこちに気軽に持って行けるGuitarが欲しい」と言うヒトにはピッタリだよ。値段も手頃だしね。
で、さっきからずっとポロポロと弾いている。鼻歌も唄う。誰もいない深夜の事務所。フロアに響くSingSong。
僕はYAIRIを使い始めてもう10年以上になる。初めて手に入れたYAIRIはフォーク界の大御所小室等氏のお古だった。
10代の後半に小室氏にあれこれとお世話になっていた時期があった。いつだったか小室サンの自宅で御飯を御馳走に
なった夜のこと。深夜近くに僕は小室サンのGuitarを物色していた。何しろ歴の長い大御所様。Guitar持ちである。
ケースを端から開けて「すごいナァ」だの「良い音だナァ」だの言ってはしゃいでいたら、小室サンは
「12弦ギターを弾いたことはあるか?」と部屋の奥からマーチンの12弦を出してきた。とても高価なGuitarだ。
僕はおそるおそるそのマーチンをつま弾いてみた。シャラシャラと美しい音色が響く。「おお、すごいぃ!」と
少年片岡は大感動。その様子を見て小室サンは御機嫌になったのか、もう一台の12弦ギターを出してきた。
「YAIRI-LEO12thString」だった。ツヤ消しの焦げ茶色のボディ。ボディに合わせた各パーツの落ち着いたデザイン。
僕はマーチンよりもLEOの方に魅せられてしまった。音色が暖かい。触り心地が柔らかい。夢中になって弾いていた。
「ダイシ、それ欲しいか?」と小室サン。「欲しいッスよぉ!」「ふむ。やる」「ええ?」「やる」「おおお!」
自分にはマーチンがあるので、お前が使った方がGuitarも幸せだろう、と小室サンは言ってくれた。
もう飛び上がりたいくらいの喜びでさ、小室サンの気が変わらない内にと大急ぎで持ち帰った覚えがある。
それからは何をするにしてもLEOと一緒だった。12弦は弾くのが難しいのでずっと6弦仕様にしていたのだけどね。
5、6年ほど使い倒したある日。名古屋でのTVの仕事で偶然YAIRIのギター工場に訪れる機会があった。
工場は岐阜県可児市にある。収録の合間に営業担当の方に「12弦のメンテナンスをして欲しい」と頼んだところ
快く引き受けて下さった。後日東京から岐阜の工場にLEOを送ると、即座に電話で連絡があった。
「とても懐かしいGuitarを御持ちですね。これは80年中期の試作品でほとんど作られていない機種ですよ」
「丁寧に調整しておきましたので、これからも大事に使ってあげて下さいね」。かくして愛機LEOは帰ってきた。
しかも完全復活。とてもとても嬉しかったよ。それを機会にYAIRIさんとはずっと付き合いが続いている。
以来僕はアコースティックギターはYAIRI社製しか使っていない。この会社のGuitarでないと落ち着かない。
僕がいつも使っているのは「KYF-1」。柔軟な音色。触り心地の良さ。素敵なデザイン。僕の3本目の腕。
今週は名古屋に行くのでそのときにスタッフの方と会えればいいな、と思っている。
そのついでにKYF-1も入院させようと思っている。使用頻度が高いのであちらこちら傷んでいる。休息が必要だ。
何度も書くけどね。舶来ものも良いけどさ、国産じゃYAIRIのGuitarが一番です。とっても御薦めしますヨ。
追記。KO-JIの連載が更新されました。東京で迎える新年は初めてだったんだって。ぜひどうぞ!
'00年1月11日(Tuesday深夜 晴れ)
久しぶりに科学雑誌を買ってくる。「Newton」。表紙の「解明されるブラックホール」に惹かれた。
一般相対性理論というのはまったく興味深いものです。光と重力と時間。宇宙という概念。
ブラックホールというのは死んでしまった星の成れの果てなのだそうだ。
例えば太陽の老後。赤色超巨星なるものに成長した恒星は超新星爆発を起こす。
太陽ほどの大きさのものは中性子星になる。中性子星は中性子が反発する星内部縮退圧と重力が吊りあっている。
星が重力に耐えられなくなると自らの圧力で縮み始める。これがブラックホール。
太陽以上の大きさのものは超新星爆発を起こしたときにすぐに縮小を始める。永遠に縮み続ける。
書いてる記事によるといつかは宇宙中の星はブラックホールになってしまうそうだ。そして「無」が訪れる。
例えば地球なんかも太陽がブラックホールになると吸い込まれて無くなってしまう。
ブラックホールには特異点という中心があるらしい。これを抜けると吸い込まれた「物質」は9次元に
行くという考えもあるそうだ。しかし「永遠」「ゼロ」という概念自体が曖昧なものなのでそれも理解に至らない。
中心(消失点)を見定めるのに「ゼロ」という概念に縛られていては「中心」はありえない。
限りなく「中心に近い」はありえるけど。僕ら「ヒト」の常識では「ゼロ」はあるけど「ゼロ」は存在しない。
数字という「ヒトの考えた」概念がある限りはね。「ゼロ」が「ゼロ」であるのが矛盾なのだからして。
「ゼロ」という消失点を探そうとして「1mm」を「10分割」する。その「1ミクロン」を更に「10分割」する。
単位がなくなるまで10分割する。無限の言葉を用いて10分割する。しかし「ゼロ」には決して至らない。
永遠に10分割し続けることができる。「ゼロ」という概念は無限だ。同様に「最大」も同じ。無限に単位がある。
所詮ヒトの考えた概念だ。ヒトは「概念の産物」だと言える。「ここにいる」のが前提の「ゼロ無き概念」。
果たしていつか宇宙は無くなるのだろうか。でも前述を踏まえると「無くなる」という事象事態が曖昧だ。
色々考えていたら頭が混乱してきた。宇宙ってムツカシイ。でも自分が「ここにいる」のは明らかなのに。
「自分は無くなる」のだろうか。永遠って何なのだろうか。知りたいような知りたくないような。
「物質」的な自分はいつか分解されて星屑になるのだろう。分子も原子も粉々になって散り散りになる。
太陽がブラックホールになったら、きっと今ある地球上全ての魂は分解されて一緒に消失点へ向かうのだろう。
君も僕も一緒に太陽の消失点に向かうってわけだ。何だかそれなら寂しくないかもな。
そんなことをぼんやりと考える湾岸東京の深夜27時。机の上に10年貯蔵の泡盛様氷割。ゆらゆらと煙草の煙。
僕はきっと宇宙の真理を知らずに死んでいくのだけど、今、ここにいるのは間違いがない。それでいいのだよ。
「生きている」。どうしても生きている。だって指が動くもの。足も動くもの。頭は考えるもの。これは何?
手のひらを「ぐーぱー」と動かして。声を出してみて。「おーけー更新終了。おやすみなさい」届いてるでしょ?
追記。maryの連載が更新されました。company執筆陣新年一番乗りです!
'00年1月10日(Monday深夜 曇り)
インストアライブ二日目。池袋WAVEにて。
寒空の下でも休日とあってか人出が多い。久しぶりの池袋。馴染みの深い街なので心も和む。
僕とmaryの二人は高校時代の同級生だ。その高校は池袋始発の西武電車の終点、埼玉県は飯能市にある。
なので西武電車は生活の一部でもあった。環状山の手線の入り口池袋。遊び場兼通学路途中の街。
池袋に来る度に当時の様々な場面を思い出す。それはmaryの二人も同様らしい。今日のMCでも話していたな。
僕の池袋のイメージは西武電車の黄色。そして当時のひいきの野球チーム西武ライオンズのカラー、白と青。
黄金時代の西武ライオンズ。森監督、清原、秋山、デストラーデ、平野、石毛。東尾、塩崎、渡辺久、工藤、郭。
ため息が出るようなラインナップ。車内広告には西武ライオンズのニュースが吊られていたし、
野球開催日には駅の改札横の黒板に試合の途中経過が書かれていた。夏になると西武球場に野球観戦に出かける。
その頃の西武は負け知らずだったので、僕が出向いた試合後には必ず「勝利の花火」が上がっていたものだ。
池袋サンシャイン60。水族館、プラネタリウム。10代初めてのクリスマスデートはこの日本一高い建物だった。
あれこれと想いにふけつつ、今はすっかり雰囲気の変わった地下道を抜けて駅前の明治通りに出て西武百貨店へ。
本日のイベント会場WAVE池袋店。ワタナベはそこでローリングストーンズのアナログを買った記憶があるそうだ。
昨日はちょいと演奏がラフすぎだったので少しばかり反省した3人。リハーサルはとにかく慎重に。
本番の時刻になって仮設ステージに出向くと、見物客が多数集まっていた。良い予感を3人とも感じる。
昨日に引き続き「TUIB」の読者の方々も多数様いらして下さいましたネ。ありがとう。嬉しい限りです。
例によって今日も演目も曲順も決まっていない。ワタナベが様子を見ながら曲を決める。呼吸を合わせて演奏する。
maryの二人は昨日のインストアライブで気持ちがほぐれたのか、終始リラックス。演奏がやわらかい。
鶴谷のkeyboardがいつになく冴えていた。フレーズが唄ってる。僕も気持ち良いのでChorus以外も歌を口づさむ。
ワタナベは相変わらず「妙に律義」なMCで笑わせてくれたけどね。唄は良かったよ。感情の入れ方が涼しい。
とても楽しいインストアライブでした。いつもこんな調子で演りたいもんだねー。来週は名古屋だ。ガンバロウ。
'00年1月9日Sunday(深夜 曇り)
8日はmary-go-roundのインストアライブシリーズ第1弾in大宮WAVE。サポートGuitarで参加しました。
朝寝坊してしまったので東京駅から新幹線に飛び乗る。13時に待ち合わせのはずが20分の遅刻。あ〜あ。
機材を皆でドカドカ運び込み慌ただしくサウンドチェック。Guitarの弦を張り替えると即本番。
ワタナベのカワイイ襟足を眺めながらの演奏。何やら心が和む。今日は曲順はおろか演目も決まっていなかった。
鶴谷と目配せをしながらGuitarを弾く。僕らのトリオはお世辞にもアンサンブルが整ってるとは言い難いので
3人のうちの誰かが「やらかす」と3人同時に苦笑する。今日は苦笑が3回で済んだ。しかしながら苦笑も
「演奏中の笑顔」にすり替えてしまうのがプロと言った次第。秋山(ギタリスト)には見せたくない場面だねぇ。
ワタナベのMCは毎度のことながら「律義」。敬語丁寧語バリバリ。新年の挨拶をしたかと思ったら
「ええ、旧年中はお世話になりました」とか言い出すし。わはは。会議の席じゃないんだからさぁ。
「TUIB」の読者の方々も多数様見物にいらっしゃって下さいましたね。遠方来場に多謝。よければ9日もどうぞ。
マネージャーの本多氏と東京まで車で戻る。渋滞。週末の大宮〜東京間は毎度のこと。ゆっくりとドライブ。
目黒で晩ご飯を頂きました。本多氏推薦「とんかつ専門店とんき」。入店すると30人近く(!)も待っている。
しかもどんどんお客さんがやって来る。しかも店内の混雑ぶりを見ても帰ろうとする人がいない。
僕だったらこんなに並んでいたら「今日は他の店に行くか」とか思ってしまうのだが、
誰も帰らないところをみると日常茶飯事なのだろう。家族連れも多い。皆この店のとんかつが大好きなようだ。
期待に胸をふくらませて待つこと30分。カウンターテーブルに登場した「ヒレかつ定食」。
衣が「竜田揚げ」のようにちょっと固め。御味はというと「んまい!」ビチャビチャとソースをかけなくても
「とんかつ」そのものが美味い。ついでに漬物も美味い。なるほどね。癖になるよなぁ。幸福な晩ご飯でした。
さてさて9日もインストアライブです。今度は池袋WAVE。西武百貨店の中。お昼の14時に始まる予定。
演奏中にニヤニヤしていたら指さしてやって下さいませ。寝坊に注意>オレ。10時に起床厳守。早いなぁ。。。
'00年1月8日Saturday(深夜 曇り)
6日は事務所で深夜まで机仕事をしていた。誰もいないガランとしたフロアー。
今月の仕事の段取りやScheduleの調整。年賀状のresponse、頼まれ原稿と編曲の準備あれこれ無数。
有能な美人秘書(鈴木京香似希望)がほしいと思うこの頃。チーフマネージャの本多もおそらく同意見だろうナ。
夕方に始めたにも関わらず片づいたのは深夜26時。御褒美が必要だといつもの店に新年の挨拶がてら顔を出す。
伊良皆誠とKENGOがいた。無精髭で登場したら、KENGOが「ペテン師みたいな髭やなぁ」とゲラゲラ笑った。
新年一週目の木曜とあって店は閑散としている。それをいいことにミニ新年会。
野郎共ばっかりが酔い口調でとりとめもなく喋る。KENGOは8日、新宿はマローネ(03-3352-7751)でLIVEを
やるそうだ。暮れにLIVE告知を掲載した原稿をコンビニFAXで送ったらしいが、届いていなかった。
「うっそ?マジィ?あ〜ぁ、気合い入れて書いたのにぃ」と悔しがっていた。だから早くネットをやりなってば。
誠は「正月はひたすら寝てたよ。。。」と言っていた。メールすら開けなかったらしい。おかげで顔色が宜しい。
明け方まで呑んで帰り着くと泥のような眠り。昼には起きてmaryのインストアライブのリハーサルに出かける。
ワタナベが髪を短く切っていた。その襟足の揃い方がおかしくて「モンキィ?」とか言ってからかってやった。
5時間近くも椅子に座ってGuitarを弾いていたらお尻が痛くなった。今も座り心地が悪い。何度も足を組みかえる。
夜には秋葉原にて一件打ち合わせ。何やら忙しい。正月テンポのままの脳味噌が追いつかない。困ったもんだ。
しかししかし体は本来の体内時計を取り戻しつつある。髭も剃ったし。髪は相変わらず鳥の巣だけどねぇ。
僕はひどい癖毛なのだよ。外に向かってくりくり跳ねている。一時間ほどドライヤーと格闘すれば直るのだけどね。
最近はそれも面倒で諦めた。直毛のサラサラ髪に憧れちゃうね。ビダールサスーンのCMみたいなヤツね。
明日の大宮maryインストアライブにてそのバサバサの髪が見れるでしょう。ワタナベのモンキィヘアもね。
これを書いてる間に3本ハイネケンが空いた。とろりとろりと眠くなる。おやすみなさーい。
'00年1月7日Friday(深夜 事務所にて)
昨日の続き。
小さなアパートメントを借りて翻訳業を始めた主婦「片岡しのぶ」さん。
中学生の頃、親父様と二人暮らしになった僕は、しばしば彼女の仕事場に遊びに行った。
アパートの扉の前で耳をすますとタイプライターの音が聞こえてくる。バシバシバシッ。青色のタイプライター。
小気味よく指をキーに叩き付ける音。呼び鈴を鳴らすと決まって30秒ほど遅れて僕を出迎えた。
8畳一間の仕事部屋。昼間でも分厚いカーテンが引かれている。オレンジ色のスタンドライト。ゆれる煙草の煙。
その部屋はかつて彼女が暮らしてた実家の匂いとはまるで違っていた。新しい家具の匂い。珈琲の匂い。本の匂い。
彼女が新しい人生を踏み出そうとして、自分ひとりで何もかも選んで、好きなようにレイアウトして作り上げた空間。
それは初めての航海に出た新品の船のようだった。僕が知らなかった母君の姿。それを知るのは新鮮だった。
僕の記憶が正しければ、彼女の本格的な翻訳家への足がかりとなったのは「日本語版NEWSWEEK」の創刊だった。
毎週ごとに幾つかの記事の翻訳。その仕事を引き受けたときの彼女の喜びようを今でも覚えている。
「とても世界的な雑誌なのよ」と詳しく教えてくれた。ある週彼女は音楽批評欄の翻訳を担当することになった。
紹介したのは「シャーデー」の「ダイヤモンドライフ」。「スムースオペレーター」という楽曲がグラミー賞に
ノミネートされていた。そしてティナターナー。こちらも奇跡的なカムバックを果たしたグラミー賞歌手。
洋楽のヒットチャートに夢中だった僕は、母君に「この人はこんな歌手で」とかあれこれ説明した覚えがある。
少しづつ仕事の依頼の量が増えて、仕事部屋も何回か引っ越すごとに次第に大きくなっていった。
やがて彼女は仕事のパートナーとして「キム先生」と出会ったというわけ。何だか長い話だったな。
そして二人は「翻訳工房パディントン&カンパニィ」を創設して今に至る。小さな翻訳教室も運営している。
社員は二人だけ。一年に幾度も会う訳じゃないけど、二人がドタバタと工房をやりくりしてる様はいつでも
容易に想像できる。時々電話をかけると「まったく忙しくて目が回りそうなのよ」と口癖のように言う。当年62歳。
本の虫だった彼女は天職を楽しむ日々だ。それは見てるこちら側にも元気と勇気を与えてくれる。
ほとんど放任主義だった彼女はその生き方だけで、僕に多くの大事なことを学ばせてくれた。一番の師匠なのです。
この頃会う都度思うことは、とにかく健康でいてほしいということ。まだまだ教えてほしいことは幾らでもある。
でもね、顔付きあわせて話していても、なかなか言葉が続かないのだよ。まったく親子ってヤツはね。
いつまでも僕の現役の師であってほしいものです。次回の作品を楽しみにしているよ!
追記。今週末のmaryのインストアの詳細が彼等のPageに掲載されています。時間の合う方は是非どうぞ。
'00年1月6日Thursday(午後 曇り)
久しぶりに母君に会う。半年ぶりほどの再会だったが変わらず元気そうだった。
いつものように伴侶の「金光利氏」と御一緒。金氏は在日韓国人翻訳家。僕は「キム先生」と呼んでいる。
母君と二人で「翻訳工房パディントン&カンパニィ」を主宰している。時々僕も当HPで紹介している。
二人は本当に仲が良い。仲が良いと言うよりも「良いコンビ」という表現がピッタリだ。
母君は昭和の14年生まれ。キム先生はそのひとまわりほどお若い。そのためかわからないが、話すときには
丁寧な敬語をお使いになる。柔らかくてとても自然な敬語。人に安心を与える物腰。
母君が結婚を決めたときには、兄妹で大賛成をしたものだ。キム先生なら素敵な伴侶だとね。それから10余年経つ。
母君はあわてもので心配症。仕事のこととなると他のことが目に入らなくなる。頑固な典型的A型。
キム先生は穏やかで物事を大らかに見ることができる。バタバタと忙しくする母君を優しい切れ長の目で見守ってる。
何だか上手く話せないけど「二人でひとつ」という感じがするのだよ。ほのぼのと。
母君は最近「サウンドオブミュージック」という映画に主演していた俳優さんの著書を翻訳しているのだとか。
相変わらず忙しそうだ。翻訳という仕事は一冊の本を書き上げるのと同等のエネルギーを使うにも関わらず、
実際の実入りはそれほど多くはない。ある程度の量をこなさないと収入には繋がらないらしい。
ここ最近は主に「あすなろ書房」という出版社の訳書を手掛けている。この会社の本はとっても評判が宜しい。
僕も母君が訳した本を何冊も持っているけど、どれも素晴らしい本ばかりだ。
なので彼女は商売もある程度は繁盛しているようだ。
母君は「翻訳家は英語ができるだけではできない、何よりも日本語に通じていないと駄目ね」と言う。
彼女の仕事場には英語の蔵書と同じほどの量の邦蔵書が山積みになっている。まるでミニ図書館のようだ。
彼女は元々の職業が翻訳家だという訳ではない。当初、僕が小学生くらいのときまでは普通の主婦だった。
昭和の30年代に国際基督教大学を出てトヨタ自動車に就職。大学時代の恋人の親父様と結婚。
4人の育児に追われながらずっと「自分には何かができるんじゃないか」と考えていたのだそうだ。
幼少の頃、母君が深夜に何やら勉強していたのを覚えている。原稿用紙に万年筆。使い込まれて縮んだ数冊の辞書。
下訳の仕事を少しづつ始めると評判が良かったのか、定期的な仕事も舞い込んで来るようになる。
ほぼ子育てが終わった頃には、小さなアパートを借りてそこを仕事場にするようになった。(明日に続く)
'00年1月5日Wednesday(深夜 曇り)
昼過ぎから淡々と机に向かう。陽射しが気持ち良い。雲ひとつない快晴。
3時にはどら焼きを食す。暮れの頂き物の賞味期限がせまっていた。日本茶が美味しい。和風な日々を暮らす。
夕刻、駅前本屋まで自転車でちゃりちゃりと。手袋をつけると暖かい。マフラーもしている。7色の印度綿。
久しぶりに漫画の単行本を購入。「夕焼けの詩」。全巻とはいかなかったけど、どっさりと。
それからコンピューター雑誌。気になるMacintoshG4。そしてiBook。新しいMachineが欲しいなぁ。
DisneyVideo収集の一環として「Lion King2」。5日分の競馬新聞。煙草3箱。無精髭のまま。髪は鳥の巣。
何だかさ、浪人生みたいだぜ。しかも10回目くらいの。これで買い物袋を下げたままパチンコ屋で時間でも潰せば
立派な世捨て人っぽいね。まったく髭モジャの手前はガラが宜しくない。鏡を覗き込んでそう思った。
しかししかし気分は2000年の新しい俺様。今日は大変気分がよろしい。何かとても良いことがありそうな。
そんな戯言をつぶやきつつ夜は更けて、短い手紙は続く。どんな夜だとしても淡々と。伝えたいHeartBeat。
MacPeopleという雑誌で中尊寺ゆつこさんが「プラダのバックを持ってるよりもMacを使いこなせる方が格好いい」
というような事を言っていた。大賛成!プラダのバックとやらは、ある種のステイタスなのだろうがね。
Mac(Winでもいいけど)や複雑なアプリケーションを「趣味」でバリバリ扱える女の子なんて格好いいよ。
多分彼女はiBookというapple社の新製品が鞄のように持ち歩けるので、それにひっかけて言ってるのだろうけど。
街行く可愛い女の子は皆大好き。でも、ある種の不自然な執着心で流行傾向を身にまとっている方は御遠慮の対象。
彼女のコラムを読んで「なるほど、オレが好きになれない白い唇をしていても、片手にプラダじゃなくてiBookを
持っていたら考えを改めそうだな」と思った。iBookというところがポイント。事務用って感じがしないのが良い。
ついでに言わせてもらえば、クラシックな洋楽に詳しい娘も最高に魅力的。ポイント10個分進呈しちゃう。
白い口紅でも、異常な高さのブーツでも、お婆さんのような銀髪でも、ボロボロの日焼け顔だとしても
「ランディニューマン?あれは1stがサイコーね」なーんて言われたりしたら、即座に考え改めちゃう。あっはっは。
何だかおっかしいね。馬鹿なことばっか考えてないで仕事しなさいって。ハーイ。了解。プシュッ。ゴキュゴキュ。
'00年1月4日Tuesday(朝 快晴)
銀色の爪痕のような細い三日月が浮かんでる。東の空。今日も快晴。
三が日に摂取したアルコールの分解作業を終了させて、今日あたりからあれこれ始動するつもり。
週末には早速maryのインストアライブも控えてるし、今週中にやっつけねばならない仕事もあるのだよ。
ところで3日は浅草寺まで出かけてお参りをしてきた。すごい人出でね。歩くのも大変だった。
浅草という街は「ダウンタウン」という言葉が本当に良く似合う。下町そのもの。雑多で活気があって。
その雰囲気は東京の山の手沿線西部のそれとはまるで違う。今回久しぶりに出向いて思ったことだけど、
大阪の通天閣は新世界あたりの風情に通ずるものがある。「昭和」という時代の面影があちらこちらに残ってる。
雷門の前は参拝の人でごった返していた。そこから仲見世を延々と歩く。人が多くて足元が見えない。
仁王様の頭が見えるとようやく本堂に到着。デカイです。とにかく大きいお寺だ。
いったい屋根の端から端まで何メートルあるんだろう。真っ青な正月のお空を視界いっぱい遮る朱色の本堂。
観音様にお逢いして「さて賽銭でも投げて」と思う暇もなく、押しあいへし合いの人に流される。
ようやく5百円玉を遠くまで投げて「健康第一」と願うのが関の山。本当は「競馬全勝」だの「商売繁盛」だの
あれこれお願いするつもりだったのですがね。足を幾度も踏まれ汗をかきながら本堂を追われる。
昼ご飯は雷門脇の「三定」にて天ぷらを頂く。こちらもすごい行列だった。3階まで人が並んでる。
「江戸前天ぷら伝統の味、創業150年」なのだそうだが、これは雰囲気ものだね。気分だけ味わう、と。
昼から入ったビールのせいでホロ酔い気味の足取り。テクテクと浅草を散歩してみる。
「東武電車」の看板。ここから日光、鬼怒川あたりまで電車が走っている。ローカル線で行く温泉の旅。和みます。
すすけた店構えのパチンコ屋には懐かしい機種のオンパレイド。爺ちゃん婆ちゃんが腕まくり。これも浅草の風情。
そして水上バスに乗り荒川を下る。蔵前橋をくぐり、永代橋をくぐり、勝鬨橋を抜けて日の出桟橋へ。
サンサンと照るお日様を拝みながら、ゆらゆらと船上の缶ビール。やがて東京湾が開けると海猫共のお出迎え。
東京のこちら側。川沿い葛飾墨田江東あたり。なかなか楽しめるものですよ。一度訪ねてみてはいかがですかね?
'00年1月3日Monday(深夜 雨)
月曜日ですが世の中はまだお休みですかね。僕も割とのんびりとしている。
昼からちびりちびりと傾けているお酒も残りが少なくなってきた。外はポツリポツリと雨垂れの音色。
乾いた空気が潤されていくのがわかる。今夜は寒いけど過ごしやすい。ひんやりとして息が白い。
2日は正月恒例の初風呂を頂きに、午後から近所の銭湯へ出かける。
昼間から銭湯がやっているなんてこの日だけです。のれんをくぐると案の定、結構な賑わいでした。
時々利用するこの銭湯、脱衣場には馴染みの顔もちらほらと見える。特に親しい訳じゃないのだけどね。
馴染みなのは立派な「彫り物」。「あの鯉の彫り物のお爺ちゃんだ」とか「竜の入れ墨なんて今年的に縁起モノだな」
とかね。時々湯につかりながらお話することもありますが、皆様はお忘れになっていることでしょう。
45度の湯につかること10秒で僕は茹でダコ。我慢が利かないので出たり入ったり。半分のぼせて退散すると
冷蔵庫から「コーヒー牛乳」を頂く。腰に手をあててね。ごきゅごきゅ、ぷはっー。これが最高。
濡れたバサバサの髪で自転車を走らせる。その帰り道に思ったこと。空が何か物足りない。何が足りないのか。
「凧」ですよ「凧」。幼い頃の正月の空は、凧が必ずと言っていいほど揚がっていたものです。
ゲイラカイト。目玉の模様のついた凧ね。上手く揚げられなくて親父様に幾度も揚げ方を伝授してもらった。
電線に絡みつくとお慰み。ようやく高く揚げたのはいいけど、途中で糸が切れてオサラバ。面白い遊びだった。
今の子供達は凧揚げなんてしないのかな。なかなか風情があって良いものですけどね。
羽根つきなんてのも見かけなくなったね。後は何だろう?竹馬?僕の世代あたりが最後なのかもね。'71年生まれ。
そう考えると合点もいくな。僕の幼少なんてのは20数年前の話。あ〜あ20年か。そんな気もしないのだけどね。
それともそれは東京故のことですか。この街の空は本当に狭い。只のお空なんて何処にも見当たらない。
街の子供達はいったい何処へ行ったのだろう。自転車で群れをなす風景が懐かしいなんてトシのせいだと苦笑い。
裏路地でそんなことを思いつつ早くも陽は暮れて。僕は長い夕寝をむさぼりました。それはそれはとても正月的な。
'00年1月2日Sunday(深夜 曇り)
お正月の空は高い。しかも毎年快晴。雨の日の元旦って覚えていない。
この印象は物心ついた時からかわらないな。透明度の高い空気がぴしっと張っている。風の当る頬が引き締まる。
夜の冷え込みもキツイね。今夜はこの冬で一番の寒さのようにも感じる。
何故だか今宵は雪が恋しいです。雪、降らないかな。そういえば雪どころか雨もずいぶん降っていない。
傾けているお酒は鹿児島産芋焼酎「魔王」。今年の始まりのお酒選びに近所の大きな酒屋に行って購入してきた。
ワインにしようかリキュールにしようか、ウイスキーもいいけど国産ならば焼酎かな、と。
焼酎は特に芋焼酎が好きです。これを嫌いな輩を「酒呑み」とは認めません。I love Shouchu!
芋焼酎の薫りで僕が思い出すの九州長崎は思案橋。そして大分は都町。鹿児島天文館。博多は中洲。
皆各地の繁華街の名前です。言葉の響きが心地良い。浮世の安らぎ。情緒の極み。九州に想いを馳せる。
麦焼酎にはお湯と梅。これは基本中の基本。そば焼酎もまたしかり。特別に美味い焼酎はまず「生」で頂く。
では芋焼酎にはというと、僕はカボスを浮かばせて頂くのが大好き。絞っちゃダメ。あくまで浮かばせる程度に。
カボスの爽やかな薫りと芋焼酎の癖のある風味が折り重なると「極上」デス。もちろんロックでどうぞ。
焼酎をお湯で割るときには仲間連れや恋人連れがよく似合う。ロックで頂くときには腹を割った大事な話。
水割りで頂くときにはサッと軽く呑みたいとき。焼酎には色々な呑み方がある。大好きです。
遠い日に大切な人と天文館で味わった芋焼酎が忘れられない。今ごろどうしていらっしゃるのだろう。
大分ではとても寒い日に野外でLIVEをやった。あの日の打ち上げの席での湯割りの芋焼酎。
思案橋で雨の夜、恩人を連れ回して頂いた芋焼酎。檸檬の浮かんだタンブラー。気がつけば夜明けだった。
中洲中洲泣かす。いつの日も僕を抱きしめてくれる町。想ひ出は洪水のように。これからも一粒づつ増やして。
夜は更ける。もうすぐにいつも通りの朝になる。だからもう少しこんな気持ちのままでいさせておくれ。
'00年1月1日Saturday(深夜 晴れ)
土曜日です。サタデーナイト。2000年は無事に始まったようです。とりあえず。
僕は台所のテーブルに「'99年中央競馬総特集」を開いたまま壁時計を眺めつつ新年を迎えました。
久しぶりにTVをつけるとずいぶん賑やかでしたね。特番のオンパレイド。
あちこち眺めていたら「石川さゆりサン」が「天城越え」を歌っていらっしゃいました。
彼女の大々ファンなカタオカはTVに釘付け。ため息が後から後からこぼれます。
張りつめたAメロ。徐々に感情をあらわにしていくサビ前部分。振り付けが入り絶妙なニュアンスでサビ。
何処をとっても名人級です。キメの「あまぎぃ〜ごぉえぇぇぇ〜ぇ〜」には気絶するかと思いましたよ。
しかも綺麗な人だしね。半径10メートル以内にいた日にゃコロリと「致命的な恋」に落ちることでしょう。。。
まあとにもかくにも年は明けて、新しいスタートとかナントカ、口にしたくなる訳ですが。
今年の僕を取り巻く環境は'99年の積み重ねの上にある訳で、同じように来年も再来年も同様な訳で。
良い感じでやったものは更に良い感じに。不適当で終わってしまったものは、時期を見てまず適当に。
まだ見知らぬ自分の可能性は、魔法のように手のひらに落ちてくる訳じゃないので、フットワークを軽やかに。
Live。Release。Produce。Compose。Player。I am a singer song writer。
音楽は「音を楽しむ」と書きますね。初歩の初歩を忘れずに。何よりも楽しく。どんなときもそれを忘れずに。
自分を輝かせることができるのは自分だけです。自分を支えてくれるのは自分が愛をささげた人だけです。
僕はずいぶんひねくれているけど、そのくらいのことは知っている。愛は本当に素敵。Oh! Yeah!
そしてそしてA Happy New Year!今年もよろしく。素敵な音楽、創っていきたいデス。From Daishi Kataoka。
Copyright(c) 1999.Daishi Kataoka.All Rights Reserved.