長い手紙その5 「冬をこえる」
やあ大志です。夜がどんどん短くなってきた。
久しぶりに君に手紙を書いている。
花の匂いがあちこちから夜の空気に入り込んできている。
煙草の煙が充満した部屋の窓を明けるたびに、ゆっくりと呼吸をしている。
ねぇ、花の匂いが気になるなんて何だか犬みたいだろう?
八重桜の前を通ると「桜餅の匂い」がするなんて自分だけだろうか?
部屋のすぐ外には3階建てのマンションがあり、その花壇にはツツジが咲いてる。
ツツジは種類が多いんだな。大きいのやら小さいのやら。
香りが強いのは大きくて紫色の方のツツジだと勝手に思ってる。
どんな花の匂いでもそうかも知れないけどさ、
ちょうど25時過ぎたくらいの夜の空気と混ざると良いみたいだ。
例えば終電車に乗った家路で大通りから裏路地に入る瞬間、
家々の生活の匂いにひんやりと馴染んで香ってくる。
何かがキュウッと音をたてて胸を掴む。胸を掴むものが何だったのか思い出す。
思い出すけれどわからない。ちょっと歩くと部屋だから、煙草でも口にすればすぐに忘れる。
ココロは単純だ。いつも目の前にあることが優先される。
同じように草の匂いも気になる。くんくん。
部屋の前のポストの下にも花壇があって、そこにはドクダミの葉が茂ってる。
去年、貰い物のチューリップの球根を植えるときに大方抜いてしまったのに、
またあちこちに生え始めた。ドクダミは生命力も然ることながら片づけていると匂いもすごい。
触れるだけで鼻が青臭くなって「つん」としてくる。
夏が来る頃にはポストの下は真緑色の葉っぱで埋まっているに違いない。
ドクダミだって花をつける。だけど、どんな匂いだったろう?何月だったろう?
いつもそこにあるのに何もわかってないみたいだ。
僕が気になってるのは、なかなか花を咲かせてくれないチューリップの方なんだ。
沈丁花の花は香ってる期間がとっても短い。
近所に一軒だけ、軒先で沈丁花を植えてる家があった。
明け方に自動販売機でコーヒーを買ったときに気付いた。
この街に住みはじめて、もう何年も経っているのにな。
「あ、咲いてる」。それは東の空が青紫に染まる時刻を、心待ちにしてるみたいだったよ。
そして実際に明け方が朝に変わる瞬間をたぐりよせているみたいだ。
おかげで朝はどんどん早くなる。
沈丁花とか金木犀って何だか漢字が綺麗だ。厳粛な感じがする。今書いててそう思った。
木犀といえば春になると白い花をつけるらしい。桜の華やかさに隠れてあまり目立たないけどね。
木犀の木に詳しい訳じゃないんだ。多分、あの木が木犀だろうといつも思ってる木が、
駅までの通り道にあるだけなんだけど。
一週間ほど経った朝、沈丁花はボロボロと首をもたげてしぼみはじめた。
そんなに期間が短いものだと知ったのも初めてだったな。
雨降りが何日か続いて、落ちた花びらが車道の泥にまみれて無くなってしまう頃に、
TVのニュースでは桜前線の話題が始まった。
沈丁花の木は緑色の葉を広げて「その辺の軒先の庭木」に戻った。
また3月が来るまでの間に僕は忘れてしまうような気がする。
ここ何年かの間に冬があまり好きじゃなくなった。
冬っていうのは情緒的なものっていう個人的な印象が、
歳を重ねるにつれ変わってきたんだろう。やはり活動的な季節じゃないしね。
でも結局は気分の問題なのだ。また11月が来るとわからない。
この何ヶ月か冬眠中の熊みたいに背を丸めたまま、炬燵机に足を入れて窓ばかり見てた。
冬の冷たい空気はピシリと凍りついて動かない。
伝達能力のない空気は直角にアスファルトに根を下ろし、窓の冊子から向こうを遮断してしまう。
夜更けに誰かに電話することも少なくなった。
頬杖で煙草をプカプカ吸ってる時間が長い。
冬の夜は白い街灯の隙間隙間に人々の寝息がひっそりと横たわっている。
僕は誰も知らない時間に絨毯の冷たさで目を覚まし、コーヒーにウイスキーを入れる。
暖かい間に溜め込んだ様々な想いを少しづつ食べて、
眠くなると眠り、灰皿いっぱいの唄を書いては捨てた。
何にも残らないような気がしてきたものだから、
暖かい季節が来たことを素直に喜んでる自分にちょっと救われたりもする。
最近は人前で唄を唄うのが良いと思ってる。
何も残らないだとか、何やら大袈裟だね。そんなことばかり考えるのにくたびれてしまったみたい。
僕が昔に書いた唄は、こんな28歳になる自分を予測していたような唄ばかりだ。
くたびれたときに自分が頼りだなんてね。ずいぶん几帳面な話だな。
何はともあれ唄を切らしちゃいけないね。
そうやって暮らすことでしか、君にきちんと会える自分じゃいられないような気がしてるんだ。
長い手紙その6 「桃井さんと」
さてと、話をしよう。長い話だ。
コーヒーとかお茶なんかが必要になるかも知れないな。
この仕事を始めるまでに色々な種類のアルバイトをしてた、とは前にも話したね。
どれくらいの職種をやったことがあるのか試しに数えてみた。
居酒屋、床屋、八百屋、図書館、交通量調査、コンビニエンスストア、雀荘、パチンコ屋、
引っ越し、土方、第2電電の営業、テレフォンアポインター、ガラス工場、イベント搬入搬出、
遊園地の売り子、コカコーラ、結婚式の音響係、ええっとそれから何だっけ? うむむ、思い出せないな。
もっと他にも色々何かやってたような気がするけどな。でもざっとこんな種類のバイトをしてた。
苦学生の「やったことがあるアルバイトBest10」みたいだな。
どの業種も働いてる期間は短かった。
ひとつのアルバイトを長く続けていると、それはやがて生活の中に入り込んできて、
自分が掲げている目標だとか夢やらが、暮らしに流されてしまうんじゃないか、と感じていたんだ。
もちろん、一年近く続けたアルバイトもあるけどね。
「バイトがあるからバンドの練習に出れない」なんて、本末転倒だもんな。
でもおかげで、ほとんど毎月違う現場、業種だったから飽きることがなかったな。
新しい仕事先に行く度に、新しく誰かと知り合いになれるのも楽しみのひとつだった。
ノートが並んだ部屋の棚には白紙の履歴書がいつもあって、
引き出しには何枚もの証明写真のストックが入っていた。
毎週火曜日の早朝には、その日発売のアルバイト雑誌を買ってきて仕事を取る為の電話をかけた。
日雇いの仕事や、短期間の割の良い仕事は競争率が高いんだよ。
当時、埼玉の外れの街の3万7千円のアパートで暮らしていて、親父様が家賃だけは出資してくれていた。
だから大体ひと月で10万円も稼ぎ出せば生活は成り立った。
2,3日に一回働くペースだね。アルバイトのない日には部屋で曲を作ったり、バンドの練習に明け暮れた。
高校を出てから22歳くらいまでの間のことだから、'88年から'92年頃だね。
そうか、ずいぶん時間が経ったんだな。通りで簡単には思い出せないわけだ。
珍しいアルバイトをしたことがある。女優の「桃井かおりさん」のケータリングのアルバイト。
ケータリングっていうのは「世話係」かな?コーヒーを出したり煙草を買いに行ったり、
その他もろもろ、要するに雑用だね。何でもやらされる。機材の搬入搬出から、ちょっとした買い物まで。
「桃井かおりさん」はその年のクリスマスにディナーショーを、
大きなホテルで催すことになっていて、アルバイトを募集してたんだ。
知り合いから「面白いアルバイトあるけど、やってみる?」と言われたのが10月の終わりのこと。
彼はいつもイベント性の高い仕事を色々とまわしてくれた。
その前の月にはCMでコーラスをやる仕事を、紹介してくれたばかりだった。
簡単な仕事内容を聞き、即座に「やりまーす」と二つ返事をすると、
「とにかく先方は急いでるらしいんだよね」とのこと。
その日のうちに主催者(イベンター)の事務所を訪ねることにした。
渋谷の、今は大きなGuitarショップのある坂道を登り、
入り組んだ住宅街(どんな種類の人達が暮らしてるんだろう?)を何度か曲がると、
マンションの一室に事務所はあった。「もしかしたら桃井さんがいるかも知れないぞ」
なんて期待とは裏腹に、室内に入ると背広姿の20代後半の男性が一人、机に向かって何やら仕事をしていた。
「ああ、アルバイトの人ね、今さ、コーラスの人達が打ちあわせに来るから丁度良かったよ」。
簡単に自己紹介を済まし、煮詰まった酸っぱい味のコーヒーを頂きながら仕事の説明を受けた。
極端にかいつまんで言うと「イベント雑用係兼桃井さんの即席付き人」らしい、という事がわかった。
間もなくコーラスの人達が来た。4人組の男性のコーラスグループだった。
コーラスグループと言っても「黒いスーツに蝶ネクタイ」といった雰囲気のそれではなくて、
テンプテーションズとかみたいにゴスペル、ブラックコンテンポラリーをファンキーに演奏するグループだよ。
彼らはそれぞれ色とりどりの洋服を着ていて、ドアが開いた瞬間に目がチカチカするほどだった。
見た感じでは20代後半から30代前半。でも皆、音楽家特有の年齢不詳な容姿だった。
そしていかにも「プロです」「玄人のミュージシャンです」という雰囲気を放っていた。
キャップのかぶり方ひとつ取っても、「見られる」という職業に慣れた感じだった。
プロの歌い手っていうのは必ずどこか、「見られる側」の雰囲気を持っているものなんだ。
それは今なら、音楽の仕事を何年かやってきたお陰でわかるようになった。
かと言って、他人から見られる心得が、自分にあるかどうかなんて全くもってわからないけどさ。
余談だけど、初めて今世話になってる音楽事務所を訪ねて行った時のこと。
よっぽど「アカヌケテ」いなかったのか、「フンイキ」がなかったんだろうね。
ドアを開けて「こんにちはぁー」と挨拶するなり「あ、宅急便ね、ちょっと待ってて」
とデスクの女の子に勘違いされてしまったんだよ。
「あ....い、いや、その実は....」とたじろいでいると奥から社長が出てきて、
「あ、コイツはね、違うんだ。今度ウチでやる新人だよ」
すると女の子は「ええ!? す、すみませーん」とか驚いちゃってさ。
考えて見れば穴開きの安っぽいジーンズに首の伸びたTシャツ、上着に印度綿のヨレヨレのジャケット。
デスクの女の子にしてみれば「ホントにこの子なのぉ?」って、ずいぶん不安な気持ちになっただろうな。
すごい勢いで応接机にお茶が出てきたのを覚えてるよ。
いわゆる「アカヌケテル」ということ。これは仕事をする上で結構大切な事柄だと知ったのはもっと後だった。
そのコーラスグループの彼らはコーヒーを飲んで話をしてるだけで十分に「アカヌケ」てた。
何だかね、それまで閑散としてた事務所の中がパッと明るくなったな。
先程応対してくれた男性がこのイベントを仕切っているらしく、
世間話から徐々にスライドして、淡々と打ち合わせは始まった。
ディナーショーの全体の構成とか、桃井さんが唄う予定の曲のこと、舞台監督は誰、とかね。
話を聞いても解らないことだらけだったけど、好奇心がココロをくすぐった。
彼らの話ぶりは、何か大きな上陸作戦でも練っているかのようだった。
リーダーらしき人物は時折、指を鳴らして鼻歌を口づさみ周りに話しかけた。
それに合わせてメンバーが即座にハーモニーで応えてみせると、
「そうか、じゃそうしよう」と頷き、手帳に何やらペンを走らせた。
脇に座って僕は大きく首を振って、「うんうん」と頷いていたように思う。
これから始まるショウが、とてつもなく素晴らしいものになりそうな期待で胸がふくらんだ。
その話の中で僕の仕事の割り振りも簡単に決められた。
僕は何だか緊張して、「ハイッ」ばかり繰り返していたような気がする。
そうだな、大袈裟に言えば「アポロシアターの舞台の幕内でアレサフランクリンに
マイクを渡す大役を任されてしまうバイト少年の図」だな。ありゃ長い!しかもわかりづらいか。
とにかく、プロの舞台制作に関わるのは初めてのことだったし、
重大な仕事に携わろうとしてる事にドキドキしていたんだよ。
でも想像もしたこともないくらいの緊張で胸が苦しくなったのは、
やはり「女優桃井かおり」がリハーサルに来るようになってからだった。
その日はその後の日程などを確認して打ち合わせは終わった。
1週間後、僕は渋谷の某EPスタジオの入り口でPA屋さんを待っていた。
「桃井さん」が歌の練習をするらしい。桃井さんのスタジオ入り時間は15時からだったけれど、
僕は14時に来るように言われた。機材の搬入があるのだ。
ところが時間になっても誰も現れない。仕方ないのでロビーで煙草をプカプカ吸って待つことにした。
EPスタジオはとても大きい。通路を奥まで入っていくと6畳くらいのレッスン用ブースから、
20畳近くのバンドリハーサルブースまで幾つも部屋がある。
レコーディングスタジオもあって、以前スティービーワンダーが来日した際に使用した事もあるらしい。
大手の音楽財団が経営してたこともあって(過去形なのは移転したからだ)様々なアーティストが、
レコード制作で利用していた。もちろんリハーサルスタジオならアマチュアだって利用できる。
たった一人の僕の「歌の師匠」などはアマチュア相手の唄のレッスンに頻繁にEPスタジオを利用していた。
レコーディングスタジオの階段の入り口は関係者以外立ち入り禁止になっていて、
その暗い階段の向こうに憧れの世界があるのだと思うとドキドキした。
それにしてもプロからアマまで、何と出入りの多いスタジオだろう。
3本目の煙草を吸いながら、座る場所もなく灰皿の前でウロウロしていると、いきなり声をかけられた。
「おい、お前バイトか? ん。そうか、ちょっと来い」。PA屋さんだった。
ひょろりと背が高い30代後半、黒縁の眼鏡、裏方職人の匂いがムンムン漂う短髪。痩せた頬に無精髭。
「あ、ハイッ、行きます」。彼は黒いベルトポーチを腰で揺らしながらスタスタと歩き出した。
後ろを追いかけて来るバイトの少年には興味がないらしく、駐車場に着くまで一言も発することはなかった。
彼は2トントラックの運転席から大切そうに銀色のアルミのトランクを出すと、
またスタスタとスタジオへ戻り出した。
「あれ? あのぅ、搬入する機材は? 」と尋ねてみた。
すると「ばっかやろ。もう終わっちまったよ」と、彼はようやく眼鏡をこちらに向けた。
「いいか、お前な、搬入をスタジオの正面玄関でやる訳ねぇだろ」。
「あ、ハイ。そうですね」と僕。
「お前、何処から搬入すると思ってたんだよぉ」。
「あ、ハイ。やはり搬入口からっスかね? 」。
「入り口にいればPAさんが迎えにくるから」と言われてはいたんだけどな。
でもね、その時なるべく笑顔を絶やさないよう心がけながら、
「すみませんでした、以後気をつけまーすっ」と一言謝ることにしたんだ。
この手のタイプの人は言い訳されるのが何よりも嫌いなんだ。グダグダ言うよりも頭を下げてしまうに限る。
その一言で空気が和らいだようだ。
彼は「オレはな、鴨川っていうんだ」と、自己紹介をしてくれた。
でもホントの名前は「鴨川」じゃない。残念ながら名前を忘れてしまったんだよ。
千葉の鴨川に住んでる知り合いにそっくりだったので、ちょっと名前を借りることにします。
「お前、いくつだ? 」鴨川さんは煙草に火をつけながら聞いてきた。
「ハイッ、ハタチになったばかりっス」
長い一日の始まりだった。
鴨川さんは10畳ほどのレッスンブースに、自前のモニタースピーカーを2個持ち込んでいて、
それをマイクスタンドの前に慎重に配置した。
そして先程の銀色のアルミのトランクから大事そうにマイクを取りだしてEQチェックを始めた。
「はっはー、ちっちっ、わん、つー、ちぇっく、わん、つぅ」。
鴨川さんはフリーのPA屋さんだった。
PA屋さんというのは、要するにコンサートイベントなんかで音響を担当する職業の人を差す。
鴨川さんの2トントラックには自前の機材が常に積まれていて、
全国何処へでも一人で出かけるのだ、と言う。
一匹狼な匂いのする人だったな。職人気質な口調も何だか格好良かった。
「カタオカ、お前EQわかるか? 」「いえ、ほとんどわかりません」「じゃ、教えるから覚えろ」「ハイッ」。
鴨川さんはPAミキサーの前で、EQについて説明をしながら作業を進めた。
彼は僕が音響関係志望のアルバイトだと思ったのだろうか?
素人の僕にもわかるように、ゆっくりとブースのセッティングをしてくれていたみたいだ。
きっと親切な人なのだ。口調はぶっきらぼうで面倒そうだったけど。
「これがちゃーんとしてないと、歌い手さんは良い気分で唄えないんだよ」。
「はっはー、つっつっー」色々な発音をしながら、ハウリングポイントを落としていく。
マイクとスピーカーと部屋の関係で音場は異なってくる。それを調整しているんだ。
鴨川さんはテキパキと指示を出した。僕は言われた通りにEQのツマミを上げたり下げたりした。
「桃井さん直々の御指名の仕事だからな、失礼があっちゃいけないしな」。彼は誇らしげに言った。
どうやら桃井さんとの仕事は、これが初めてという訳ではないようだ。
今振り返ると、桃井さんの歌唱法の特徴に合わせたEQを予め施していたのだと思う。
10分ほどの間にEQチェックを終わらせると「カタオカ、お前、このEQの状態を書いておけ。
書くことで覚えが早くなるんだ。次回同じスタジオに入る時には、このセッティングにしといてくれ」。
たかが歌の練習なのにスタッフはとても丁寧に準備をする。きちんとしたプロの仕事だ。
その気概に軽い緊張を覚えた。ここはプロの現場なんだ。
「それからよ、」と鴨川さんは続けた。
「このマイク、落とすなよ。ぜぇーーったいに落とすなよ。お前の給料じゃ払えんぞ」
なるほど、ピカピカのそのマイクは高価そうだった。
よくリハーサルスタジオに転がってる類いのマイクとは威厳が違う感じがした。
「桃井さんはこのマイクが気に入ってるんだ」鴨川さんは嬉しそうだった。
彼がトイレに立ってしまうと、僕はリュックの中からメモ帳を取り出してEQを写した。
全てを書き写すのはちょっとした作業だった。せっせとメモ帳にペンを走らせているとブースの扉が開いた。
桃井かおりさんだった。
彼女は「ふんわり」とブースに入って来た。
最初僕を見て、それからゆっくりとブースを見渡すと「どーもぉ」と小声で会釈をした。
ドキッとした。桃井さんはテレビや映画で聞く声と同じだった。当たり前か。
僕は挨拶を5秒ほど躊躇してしまった。
「エエット、アノ、オハヨーゴザイマス」。
メモ帳にペンを構えたまましどろもどろで答えた。急に場違いな場所に自分がいるような気がした。
いっぺんに頭まで血が昇り両耳が熱くなった。自分がそんな風に動揺してるのに驚いたほどだ。
彼女はスッキリと全体を黒で統一した服を着ていた。足首まで長めのスカートに黒のブーツ。
肩からは明るい紫色のショールを柔らかく羽織っていた。もう、何と言うか「桃井かおり」さんだった。
彼女は化粧っ気がほとんどなくて、つるんとした綺麗な肌をしていた。
ぽけっと見とれていると、後ろから女性のマネージャーさんが現れた。
「あ、ドモ。お疲れさまです。桃井のマネージャーをやってるタカノです。よろしく」。
「タカノさん」。この名前も借り物なんだ。やはり彼女に印象が似ている知人からお借りします。
タカノさんはとても早口だった。
挨拶を言い終わるやいなや、肩掛け鞄から名刺入れを「ひゅんひゅん」と音が聞こえるほどの速さで取り出し、
お辞儀をしながら差し出した。僕は即座に現実に引き戻された。
そして事務的に「桃井かおりです」と、桃井さんを手のひらで紹介した。
「どうも。よろしく」。桃井さんがゆっくりと言った。
「あ、あ、あの、カタオカです、○×△事務所からバイトで来てます」。舞い上がってる場合じゃないのだ。
すると鴨川さんがトイレから戻って来た。
「どうもぉ、お久しぶりですー」鴨川さんと彼女達はにこやかに世間話を始めた。
殺風景なスタジオが突然、華やかになった。タカノさんだって相当な美人だった。
ジーンズにジャケット、シンプルなワークスタイルだったけど、細身の体の線を綺麗に引き立たせていた。
切れ長の目は育ちの良い外国の猫のようで、整った鼻や小さな顎は一昔前のアイドルタレントみたいだった。
僕は世間話に耳を傾けながらメモの続きを再開した。もちろん緊張がほぐれる訳もなかった。
スタジオは二人の美人のおかげで、ほのかに香水の香りが漂っていた。
時々、桃井さんの笑い声が耳をくすぐった。
それは何だか特別な魔法の声のように思えた。
話をするテンポも大きく口を開けて笑う仕草も、どれもメディアで見る「桃井さん」そのままなのだけど、
当の本人はもっともっと女の子っぽくて、年齢を感じさせない「やんちゃ」な感じの人だった。
とにかく何をするにも可愛いのだ。「可愛い」なんて言い方は失礼な気もするけど、他に表現が見当たらない。
彼女についてもっと気の利いた言葉で賛美をしたいけれど、どうにも陳腐なフレーズしか思いつかない。
はっきりと言えることは、初対面からたった十分程の間に20近くも年下のバイト少年を、
恋の奈落に突き落とすほどの「オトナのイイオンナ」だったということだ。あ〜あ。
歌の練習はカラオケテープを使って行われた。
タカノさんは鴨川さんと僕に曲目を書いたレポートとカセットテープを渡した。
あらかじめバックバンドに頼んでカラオケを録音しておいてもらったようだ。
僕の仕事はレポート通りにテープの頭出しをして、カセットテープを再生することだった。
桃井さんは右手にコーヒー、左手に煙草を持ってスタンドマイクで唄った。
桃井さんはリハーサルの時に大量のコーヒーを飲む。ポット2杯ほどの量を2、3時間の間に飲んでしまう。
タカノさんは「桃井がリハーサルをするときは、始める前に必ずコーヒーを用意してね。喫茶店から
配達してもらって領収書をもらっておいて。時間の長いときは2時間ごとに注文するようにしてね」、と
僕に頼んだ。桃井さんの両手からコーヒーと煙草が離れることは、ほとんどなかった。
煙草は一口か二口吸われるとすぐに灰皿に消された。チェーンスモーカーなのだ。
タカノさんは煙草のストックを常に二箱は携帯していた。
口紅の跡も何も残っていない真っ白な吸い殻は、消された順番で綺麗に灰皿へ並んだ。
僕は頃合いを見計らって何回も灰皿を取り換えた。
桃井さんは世間話をしている時と同じ表情でマイクに近づくと、話しかけるように、そっと唄った。
「Sing like talk」という言葉があるけど、まったくそんな感じの歌唱法だった。
ハスキーでウィスパーな歌声は、声量や音域がとても豊富と言えなかったけど、
むしろそれが官能的な雰囲気を際立たせていた。
特に言葉の語尾のニュアンスが色っぽくて、僕はドキドキした。
油断をすると歌声に聞き入ってしまって、次の曲のテープの頭出しが遅れてしまうこともあった。
その度に鴨川さんは僕のことを睨んだ。仕事に集中しなくちゃいけないのはわかっていたけれど、
慣れない作業と桃井さんの歌声で、とても平常心ではいられなかった。
知恵熱にでも浮かされたように、体中が「ぽわん」として力が入らなくなるのだ。
桃井さんはブルースからフォーク、歌謡曲まで、とても気持ち良さそうに唄った。
どうやら日本のブルースやシャンソンがルーツにあるみたいだ。
しかしどんなジャンルの曲を唄っても、彼女が自然に声を乗せるだけで「桃井かおり風の音楽」になった。
気負いも力みもなく、淡々とメロディーを「語る」と歌詞の世界がスタジオ中に広がった。
考えてみれば映画やドラマでの桃井さんは、演技をしているという感じがほとんどしなくて、
「素のまま」という印象が強い。
桃井さんは圧倒的な完成度の高さで作品中の「登場人物」になる。
にも関わらず「桃井かおりのような女性」が、その物語にずっと以前から実在していたような気がしてしまう。
一流の役者さんともなれば、その辺の貫録というか存在感は当然あるものなんだろうけどさ。
彼女は作品中の人物でありながら「桃井かおり」であるという付加価値が、
登場人物に説得力や奥行きを与えるのを知っているみたいだ。
そして「桃井かおり」という媒体が作品(物語や楽曲)にどんな効果をもたらし、
それを何処へ導けば最良なのかを熟知しているに違いない。
「素のまま」に見える彼女も、実際には幾つもの「顔」を使い分けているのだろう。
百通りの作品があれば、桃井さんの「顔」も百通りあるはずだ。
しかし見ている側は、彼女が彼女自身の言葉で自然に話しかけてきているような錯覚に陥ってしまう。
それは「歌」においてもまったく同じだった。
どの楽曲も彼女というフィルターを通すと、それは彼女の為に丁寧に仕立てられたスーツのように、
しっくりと彼女のものになった。「桃井かおり」が唄うのを前提に作られた楽曲のようになるのだ。
何と奥の深い女優さんだろう。彼女は彼女であるというだけで、すでに類い稀な「芸術媒体」なのだ。
バラエティー番組等に出演している彼女より、映画等の作品中での彼女の方が断然情報量が多いのに、
(つまり「演技をしてない桃井かおり」が広く認知されてる訳ではないのに)
「桃井かおりはこんな人」という共通認識が大衆側に存在すると言うこと。
これは「桃井かおり」という芸能ジャンルが、確立されているということに他ならない。
彼女の芸風というか存在そのものが、「Only One」であるという事の証明なんだ。
後から調べてわかったことだけど、彼女は沢山のレコードやCDを出している。
そのうちの何枚かを購入して聞いたけど、どれも雰囲気の良い素敵なアルバムだった。
何故「歌手桃井かおり」が女優業のそれほど認知されていないのか不思議なほどだよ。
やれやれ、何だか「桃井かおり賛美」のコーナーになってしまった。
でも仕方がないな。今だにCMなんかで彼女が現れると「ドキッ」として見とれてしまうほどなんだよ。
10数曲ほどのレパートリーを唄い終わったところで練習時間が終わった。
桃井さんは登場したときと同じように「ふんわり」と帰って行った。
僕と鴨川さんが「お疲れさまでーす」と言うのに対して、
「またねー」と親しげに応え、その存在感だけをマイクスタンドの前に置き去りにしていった。
扉が閉まった後で僕は大きくため息をついた。「ふぅ」。
「何だ、カタオカ、このくらいの仕事で疲れちまったのか。仕方のないヤツだな」
「いやいや、鴨川さん、桃井さんって素敵ですねぇ。
「うん、そうだな」鴨川さんは唇の右端を少し上げて微笑んだ。
「半端じゃないネ」
全ての片づけが終わると、鴨川さんとスタジオの近くの定食屋で夕食を食べた。
鴨川さんは口は悪いけれど気さくな人だった。
僕はその一日の仕事でいっぺんに好きになってしまった。
「カタオカよ、お前、将来ナニになんの? 」
鴨川さんはビールを僕に勧めた。
もう陽も暮れて、最後の夕陽が定食屋の窓を赤茶色に染めていた。
「あのー、歌を唄ってるんです」
「ほぉ」。
鴨川さんは以外そうに僕を見た。「歌ねぇ? お前が? 」「はい」「ちゃんと唄えるのかよぉ」。
「唄えますよー、曲とかも自分で書くんです、いつか武道館でコンサートをやる時はお願いしますネ」
「わはは、ばっかやろ、お前が? ムリムリ、できるモンならやってみな」。
その時の会話をとてもよく覚えている。鴨川さんも僕に好感を抱いてくれたようで冗舌だった。
前回桃井さんと仕事をした時の話や、最近の仕事について話してくれた。
僕はプロの現場が身近にあるようで好奇心をそそられた。
フリーの仕事の気楽さや厳しさが話題の端々に表れ、
鴨川さんの人柄と仕事に対する姿勢が、ちょっとだけわかったような気がした。
時間は注がれたビールの泡が消えるのと同じ速度で過ぎていった。
僕は気分が良くなって、少しお喋りになっていた。
将来のことや自分のバンドの話題を面白おかしく話した。
鴨川さんはバイト少年の話を、煙草片手にケタケタと笑いながら聞き入ってくれた。
そして、僕が下らない冗談を言うたびに「ばっかやろ」と何回も応じてくれた。
帰り道、彼は「家の途中だから」と池袋駅までトラックで送ってくれた。
運転席の脇にはカセットテープが何本も入ったカゴが置いてあり、
そのうちの一本を選ぶと、無造作にカーステレオに挿入した。ローリングストーンズだった。
「〜You can't always get what you want〜」
ほんのり赤い顔で鴨川さんはテープに合わせて唄いだした。
僕も一緒になって窓を開けて唄った。「〜But if you try sometime〜」
この歌が大好きだ。特にサビの最後の部分がいい。
「〜だけど、ひょっとして上手く行くこともあるかも知れないな〜」
明治通りを吹き抜ける風が冷たくて気持ち良かった。
「〜You might find You get what you need〜」
クリスマスの本番までには結構な回数のリハーサルがあったように思う。
コーラスグループを混ぜたカラオケでの練習もあったし、
実際にバックバンドをつけてのリハーサルは12月に入った頃から始まった。
僕は他のアルバイトと平行しながら現場に通った。
リハーサルが始まる一時間半前にはスタジオに到着し、近所の喫茶店にコーヒーを注文したり、
鴨川さんの機材の準備を手伝った。スタッフやバンドのメンバーにお茶を出し、譜面のコピーを取ったりした。
桃井さんのマイクスタンドの脇には、小さなテーブルを出し灰皿とコーヒーポットを置いた。
実際に音が出始めるまでは忙しくて煙草を吸う暇もなかった。
コーラスグループとの合同リハーサルでは、振り付けの練習も行われた。
と、言っても振り付け師がいる訳じゃない。桃井さんと彼らで考えた簡単な振り付けだった。
速いテンポの曲ではステップを合わせ、クラップや小さなターンが組み合わされた。
どれも歌の負担にならない程度の、ちょっとした振り付けだった。
時々、舞台監督がアイディアや意見を述べ、それによって弱冠の変更がなされた。
踊っている彼女は本当に楽しそうだった。笑顔がキラキラと眩しくて見とれてしまうほどだった。
素人っぽくもなく、しかし決して大袈裟でもない、軽やかで素敵なダンスだった。
まるで菜の花畑で如雨露(じょうろ)片手に水をまいて歩く少女のようなダンスだよ。
そして一度覚えた振り付けは、決して間違えることがなかった。
以外なことにMCは、きちんと台本になっていた。おそらく彼女と舞台監督で作成したのだろうと思う。
MCの曲間が来るごとに、同じ内容の台詞をきちんと話し始めた。
台詞は桃井さんが自然に話しかけている内容のものや、物語仕立てのものまで様々だった。
もちろん、その時の気分で言い回しが変ることはあったけど、大抵は正確に台本通りだった。
そして台詞中のある部分が語られると、それをきっかけにバンドが次の楽曲の演奏に入る段取りになっていた。
バンドはsynthesizer、A・piano、guitar、bass、drums の五人編成で、
一番歳上で梅宮辰夫似(以下梅宮氏)のギタリスト氏はバンドマスターで、編曲も担当していた。
梅宮氏は名前の通った大御所のセッションミュージシャンで、70年代には色々な現場で活躍していたらしい。
四十代後半、親分肌で体格もがっしりとしていて、話っぷりも豪快だった。
桃井さんとも旧知の仲らしく、二人でよく冗談を言っては笑いあっていた。
バックバンドも彼が招集をかけたらしく、ピアノ奏者を除く全員が彼の門下の若手ミュージシャンだった。
中でもベース担当の眼鏡の青年は現場の経験が浅いらしく、ちょっとした演奏上の間違いをする度に、
梅宮氏に頭を小突かれていた。いや、小突くなんてもんじゃないね。
梅宮氏は演奏中でも間違いに気付くと、ツカツカとベース君のところまで行って、
「てめぇはよぉ!」「スミマセンデシター!」「スッパーン!」と鉄拳制裁を加えるのだ。
その平手(拳骨だったりもする)の音はスタジオ中に響くほどだった。
その都度、可哀相なベース君は「皆さん、申し訳アリマセンでしたぁ」と大きな声で謝るのだ。
後にも先にも、あんな体育会系のバンドって見たことがない。
「そこまでやらなくてもなぁ...」と周りを見渡すと、驚いたことに誰も動揺している雰囲気がない。
おそらく、梅宮氏のバンドの時はこれが普通なのだろう。鴨川さんなんかはニヤニヤしていたほどだ。
「プロってスゴイんだなぁ」と、逆に変な感心をしてしまったほどだ。
僕はPA席の横にしゃがんで、鴨川さんの行動に注意を払い(すぐ手伝えるように)、
桃井さんの脇のテーブルの状況を度々確認した。必要以上の事は喋らず気がついたことは即座に実行に移した。
もちろん、鴨川さんや梅宮氏という「おっかない親方衆」の前では、
気を抜こうものなら、何を言われるか判ったもんじゃなかった。
おかげで雑用係としての地位が向上したらしい。現場のスタッフは気軽に頼み事をしてくるようになった。
時々だけど桃井さんも、直接用事を言いつけて来るようになった。
もちろん、失敗や不手際はそれなりに何度もやった。
そしてその度に愛情のこもった「ばっかやろ」という鴨川節を頂戴した。
僕は現場で「馴染み」になりつつあるのが嬉しかった。
何より、桃井さんに「カタオカクーン」と名前を呼ばれるのが嬉しかったんだ。
時々、名前を忘れられて「バイト君」とか「バイトの坊や(坊やなんて格好良すぎ)」とか
呼ばれたりもしたけどね。
声をかけられる度に、甘ーい気持ちになったものです。
その年のクリスマスイブには、一緒に過ごしてくれる「女の子」がいなかった。
だからディナーショー本番の12月24日の予定は当然、アルバイトだけだった。
12月というのは僕にとって高いハードルなのだ。大抵のクリスマスは独りで過ごしているような気がする。
僕は昼の11時前には新宿のホテルに行き、鴨川さんの搬入の手伝いをし様々な雑用をこなした。
当日はいつもの倍の数のスタッフが来ていて賑やかだった。
鴨川さんもゲネプロ(本番通りのリハーサル)と当日には、音響のアルバイトを雇っていた。
何故だか本番が始まるまでのことは、ほとんど覚えていない。
記憶があるのは、とにかく相当な量の仕事を頼まれ、
楽屋からステージ、ホテル中を駆け回っていたことばかり。
桃井さんに挨拶をしたのも買い物に急ぐ途中、駆け足をしながらだった。
ホテルという場所は本当に迷路のようだ。
各フロアに従業員用の通路が、網の目のように張り巡らされていて、
ショーが行なわれる催事場の舞台裏で何度も迷子になりかけた。
本番中の僕の仕事はビデオ撮影だった。
8mmのビデオカメラを、会場が見下ろせるピンスポット用のスペースに設置した。
この時も同じ場所にたどり着くのに四苦八苦した。狭い通路は何処も似たような作りだったし、
準備を終えた後では誰も出入りしない、隠し部屋のような場所だったんだ。
おかげで本番中は煙草プカプカ、寝っ転がって仕事ができたけどね。
ディナーショウは一時間ほどのディナータイムの後、
コーラスグループが唄うメロウなアカペラのゴスペルで始まった。
男性コーラスのハーモニーが静かに途切れると、バンドが演奏を始めた。
一曲目はスローなブルースナンバーだった。
梅宮氏がフルアコースティックギターでjazzyなフレーズを何回か繰り返すと、
降り注ぐようなスポットライトが淡く桃井さんを照らし出した。
「〜かるく息を吸い込んで 吐きだした煙の向こう〜」会場から一斉に拍手が起こった。僕も拍手をした。
桃井さんは煙草もコーヒーも持たない両手を、腰のあたりで揺らしていた。
そして初めて聞いた時と同じように、耳元で話すような声で柔らかく唄った。
黒の胸まであいたドレスが、ぴったりと体に馴染んでいて艶やかだった。
僕は張り出したスポット台の手すりに顎をのせて、
明かりが漏れないように煙草に火をつけると、うっとりと聴き入ってしまった。
気がつくと居眠りをしてたらしい。
ほんの20分くらいだろうか、ショーはすでに後半部分だった。
反射的に僕は辺りを見渡した。ビデオは固定設置して回したままだったので、特に何も問題はなかったようだ。
ステージ上では桃井さんが台本通りにMCをしているところだった。
見下ろした会場は、クリスマスディナーショーだけあって中高年のカップルばかりだった。
時々カチャカチャと食器の音がする。ウエイターはワインを注いでまわるのに忙しそうだった。
クリスマスソングを含む二回のアンコールでショーは終演した。
僕は大急ぎでカメラを撤去すると舞台裏に降りた。
桃井さんは楽屋の前の通路で幾つもの大きな花束を抱いて、招待客やスタッフに囲まれていた。
僕はバンドのメンバーさんに挨拶をしながら、桃井さんを横目に通り過ぎた。
とてもバイトの分際の僕なんかが声をかけられる状況ではなかった。
僕は自分が与えられた分の片づけを終えてしまうと、すぐに手持ち無沙汰になった。
当日要員のアルバイトが、ほとんどの片づけをやってくれるのだ。
僕は鴨川さんのところへ行き、搬出を手伝うことにした。今日が最後の仕事だと思うと何だか寂しかった。
鴨川さんが雇ったアルバイトに混じり、せっせと機材を運んでいると、雇い主のイベンター氏がやって来た。
「カタオカくんお疲れさまー。これ今日までの分のバイト代ね、ハンコと領収書と....」。
封筒の中身には、働いた時間より少し多めの金額が入っていた。
「少し多めに入れといたからね。カタオカくん、終電大丈夫? 11時過ぎたよ」。
埼玉の部屋に戻るには、もうホテルを出なければ間に合わない時間だった。
僕が急いで自分の荷物をまとめていると、
鴨川さんがと機材を運びながら遠くで僕を呼んだ。
「カタオカー、またなー」。
「ありがとうございましたー、武道館、約束ですよー」。
「ばっかやろー」。鴨川さんは手をふっていた。
僕はとっても嬉しくて、とっても寂しくて、きっとおかしな顔をして笑っていた、と思う。
僕は鴨川さんに見えるように大きく手を振った。
それ以後もう会うことがなくなるなんて考えつきもしなかったな。
僕は帰ってしまう前に桃井さんに挨拶がしたかった。イベンター氏にそれを伝えると、
「そうだね、地下のバーで打ち上げをしてるから、顔出していけば?」彼は快く案内してくれた。
ホテルはクリスマス一色だった。大きなツリーがあり、あちらこちらでカップルが腕を組んでいた。
地下のバーも賑やかな雰囲気だった。幾つもの蝋燭が灯り、飾り付けの電球が瞬いていた。
バーの一番奥の大きなテーブルでは、ディナーショーの簡単な打ち上げが行われていた。
桃井さんはその更に奥の席で、梅宮氏やら舞台監督、事務所のお偉いさんやら身内の人に囲まれていた。
僕はテーブルの前で、桃井さんに聞こえるように大きな声で挨拶をした。
あんまり大きな声だったので皆一様に驚いた顔で振り向いた。
「皆さんお疲れさまでしたぁ。カタオカ、今日でバイトが終わりなのです。お世話になりましたぁ」。
ペコリと頭を下げると、お酒が進んで盛り上がっている最中だったのか、
「おつかれさーん」と皆が口々に言ってくれた。
まばらな拍手がすぐに止み、奥の方から桃井さんが僕を呼んだ。
彼女は僕の目を見て、映画やドラマの台詞を読み上げるような声でこう言った。
「坊やぁ、しあわせになるのよー」
最高のクリスマスプレゼントだった。
さてさて、これを書きながら色々なことを思い出していた。
その年にあった出来事、付き合っていた友達、ガールフレンド、ロックバンド。
様々なアルバイトの現場で知り合った人達は、今頃どうしているんだろう?
僕はずいぶん沢山の人達に出逢い、そして忘れてきた。
結局、その後ディナーショーを主催したイベンター事務所のアルバイトをやる機会は、
二度と巡ってくることはなかった。
鴨川さんにも梅宮氏にも、もちろん桃井さんにも再会することはなかった。
これから再会することがあったとしても、たかがアルバイトだ、皆忘れてしまっているだろう。
僕だって顔をはっきりと思い出せる自信はない。どの記憶も曖昧でひどく印象的だ。
だけど、あの年にどんな気持ちを抱いて暮らしていたのかはすぐに思い出せる。
憧れや出逢いやそれらを育む暮らしは何度も何度も繰り返され、どんな形であれ「ここ」にある。
それがきちんと地続きになっているような気がして今、少し嬉しい。
遡れば正確にそこに辿り着き、この手で触れられるような気さえする。
鴨川さん、元気でやっているのかな。当面武道館なんて大きな仕事は来そうにないけど、
九段の坂を通りかかると時々思い出す。
桃井さんは相変わらず魅力的だ。もう本当に彼女が出演している映画を見る度に涙目になる。
「何も残らないような」気がするなんて、やっぱり大袈裟かな。
熱はまだ冷めないし、夢から覚めてしまったような気持ちになったとしても暮らしは続いていく。
いつだって「ここ」にいるんだ。
君にもまたすぐに会えるね。
99.5.10 片岡大志 runt@pop17.odn.ne.jp
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