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第16話 玉子割り顛末記

 玉子割りは、子どもが最初に身につける調理技術である。初めての料理といえるかもしれない。

 3歳、ギャングエイジの子どもの好奇心が、玉子に注がれたとき、私は、ついに来たか、と固く目を閉じた。玉子1パック、無駄にするのか。勿論、教材費としては安いものである。問題は「食べ物を粗末にしてはいけない」と躾られた、私の忍耐力なのだ。

 腹をくくって子どもと向き合う。まず、玉子を触らせる。重さ、手触り、固さ。子どもの顔が、パッと輝く。そう、玉子ってかわいいよね。
 次は、持ち方である。片手でしっかり。子どもの小さい手は、緊張でこわばり始める。台に、コン、コンと何度かぶつける。力の加減が分からないので、なかなか殻が割れない。子どもは真剣そのものである。
 「もう少し強く」と言った途端に、1個目の玉子は叩きつぶされる。そんなもんだ。ショックで固まっている子どもに「大丈夫、もう一回やってみよう」と笑顔で声を掛ける。

 2個目の玉子をもつや否や、子どもは台に打ちつける。くしっと音がして、小さなひびが入った。子どもは、すぐさま両手で横に引っ張ろうとする。とんだ浅知恵こざるである。「まだまだ」となだめ、再度、台に打ちつける。
 玉子は徐々にひび割れていくのだが、困ったことに、内側の皮が破れずに殻だけ割れて、玉子の一部が、モザイク状にブニブニするというへんてこな状態になる。しかたなく、ブニブニの真ん中辺りに親指を当てさせ、突き破ろうとすると、ブシャ。2個目の玉子は、握りつぶされる。
 子どもは声もなく、憮然としている。しかし、途中で投げ出させるわけにはいかない。「ざ、残念だったねえ。」と笑ってみせるが、顔のこわばりは隠せない。

 3個目。最初の一撃が肝心だ。思い切りよく、コン!うまくいった。「そこに親指を当てて、ぱかっと割るんだよ。」
 子どもは、全神経を両手に集中させている。中から、ハトでも飛び出してきそうだ。力みきって、子どもの指は、玉子にめり込んでいく。ガシャ。子どもの手の中で玉子が割れる。子どもは、納得できない顔で無残な玉子を見つめている。

 4個目。「こういう風に、ぱかっとね」と手つきで教える。子どもの手つきは、見るからに危なっかしく、見ているこっちの肩まで凝ってくる。カシ。お、割れた?「やったね!」とほめると、子どもは不満そうである。黄身が、壊れてしまったのだ。

 5個目。さあ、右手に持ってコン!両手で持ってパカ!できた。完璧である。丸い黄身に、子どもは得意満面。「きれいにわれた!」と目を輝かせ、嬉しそうに笑っている。ほっとした私は、幼い頃のある情景を思い出していた。
 田舎育ちの私は、早朝の道端で産み立ての玉子を拾ったことがある。私の手のひらに包まれた玉子は、人肌よりも温かく、とても神秘的だった。私の手のひらは、その中にひよこがいるのを知っていた。それは、生命そのものだった。
 いま、子どもが手にするのは、冷蔵庫から出された冷たい玉子である。この玉子から、ひよこを連想するのは難しいに違いない。子どもの成長に、少し哲学的な気分になった私なのだった。

教訓

 仏の顔も3個!

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