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第42話 サバの目

 どろんとした精気のない目のことを「死んだ魚の目」というが、我が家では限定的に「サバの目」という。なぜサバかと言うと、より腐りやすいイメージがあるからである。サバに個人的な恨みがあるわけではない。青魚、光り物、と嫌う人も多いと聞くが、我が家では定食屋にあるメニューで食べられない物はないように食事指導をしているので、好き嫌いは許されない。
 塩サバを焼いて、ポン酢や大根下ろしで食べたり、ショウガを利かせて味噌煮にしたり・・・安価な大衆魚はやっぱり庶民の味方だと思う。

 ある日、娘がサバの味噌煮をつつきながら、「この魚、何?」と聞くので、「サバ」と答えると、反射的に眠そうな、どろんとした目をした。サバって、そんな顔してないよな、と苦笑してふと気が付いた。サバは、尾頭を落として内蔵を取り、2枚に卸して売られていることが多い。鮮度を保つためなのだろう。そして今ここにも、娘に見せられるサバの目はない。
 それにしても・・・「サバの目」という局地的な方言で育ってしまった娘の将来に一抹の不安を覚えた。

 そもそも娘の言語環境は複雑である。父は青森、母は山形出身、伯父伯母は千葉、宮城で土地の人を伴侶にしている。しかも教育に熱心でない親たちは、娘の言い間違い、妙な造語を訂正することなく家庭内で流行らせて遊ぶというけしからん体質を持っている。
 例えば、柔らかい物にすっぽりはまりこむ様を「つっぽむ」、お風呂でゆっくり暖まることを「ぬっくりする」などなど、娘の造語はオリジナリティーにあふれている。このままでは、いずれ娘は世間で恥をかき、親を恨むようになるのではないだろうか。この辺で一つ、教育的指導をしておこう。魚屋に行くぞ。

 娘は、パートナーと一緒に、サバの目を見に魚屋に出かけた。帰って来ると、得意げにぱっちりと目を見開いて、「サバの目!!!」と言ってみせる。そうだよなあ、と思いながら、さてこれから娘は、日本語の慣用句と、我が家の局地的な方言と、科学的現実と、どう折り合っていくのだろうと興味をそそられた。
 娘は、ぱっちりした「サバの目」と、どんよりした「サバの目」をネタにしてしばらく遊んでいたが、そのうちに、「元気なサバの目」、「怠け者のサバの目」と名付け、使い分けるようになった。もちろん「怠け者」が、「死んだ魚の目」のほうである。・・・これで良いのか、不安は拭いきれないが、それなりに何とかなるモンだと、妙に感心してしまった。

 そして今朝も我が家では、
「あ、おとうさん、目がサバ!しかも目の下にクマさんがいる!!」
などという怪しげな会話が繰り広げられるのである。

教訓

 言葉遊びは程々に。

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