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第44話 二人の教師

 この夏、私は二人の教師に出会った。
 一人目の教師は、叔母である。帰省したとき、「中華ちまき」の料理教室を開いてくれたのだ。手に入りにくい竹の皮は、京都から宅急便で送る気合いの入れようであった。そして私は、彼女のキャリアとスキルに打ちのめされることとなった。
 彼女は非常に手際よく、てきぱきと指示を出していく。けれども私たちの前に、計量カップ、計量スプーンの類は一つもない。材料を適量、適当に切り、適量のゴマ油で適当に炒め、一晩水に浸けていた餅米をいれ更に炒め、水と調味料を適宜加えて煮、適当なところで火を止め、竹の皮で包んで蒸す。
 私は調味の時点ですっかり諦めていた。自分で作ることは生涯ないだろうと。私たちの世代がマニュアル世代と言われて久しいが、なぜ私たちがマニュアルに頼るかというと、失敗を恐れるためである。とにかく、失敗するのがいやなのである。苦労して作った物が、不味かったときほど哀しいことはない。目分量で作って、失敗しないほどのスキルがあれば話は別だが、炊き込みご飯と言えば、「釜飯の素」、ちらし寿司なら「すし太郎」と言う私にとって、要求されるものは、あまりに高度に思われた。

 もう一人は、手打ちうどん道場の講師のおばちゃんである。道場と言っても、ファミリーキャンプ場の催し物で、いわば家族連れのお楽しみイベントである。しかし、小柄で厳しい顔をしたおばちゃんは、「私が教える道場で、半端なものを作られちゃ困る」という気迫にあふれ、いっさいの妥協を受け付けなかった。
 分量の粉と塩と水を混ぜ、こねて、のして切ってゆでるだけなのだが、おばちゃんは、こね方、のし方、きり方を懇切丁寧に実践して見せ、どんな些細なアレンジも許さない。隣のグループのおとうさんが、うどん生地を裏返して伸そうとしたら、おばちゃんがすっ飛んできて、「裏返しにしたでしょ、見てたよ!!」と叱りつけた。「素人なんだからさあ、そこまでしなくても・・・」と、私は不愉快であった。けれども叱られるのはごめんなので、言われたとおり、従順に作業をこなして行くしかなかった。
 そんなおばちゃんの表情がゆるんだのは、各グループのうどんがゆで上がり、試食が始まった頃である。あちこちから「おいしい!」という声が挙がり、おばちゃんはほっとしたようだった。また、めんつゆが、しっかり出しの利いたおいしいつゆだったので、素直にそう誉めると、「自家製なんですよ」と、はにかんだような笑顔を見せた。その時、「おばちゃんは、われわれに、おいしいうどんを食べさせたかったんだ」と気が付いた。

 おいしいものを食べさせる喜び、「おいしい」と言って貰う喜び、それを知らない人は、きっと教師にはなれない。蒸し上がった中華ちまきを「おいしい、おいしい」と皆で食べたときの、嬉しそうな叔母の笑顔はとてもステキだった。
 作るからには、やっぱり、おいしいって言われたい。料理本で分量をチェックしてから、子どもの運動会に、中華ちまきを作った私であった。

教訓

 応用は、基本が出来てから。

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