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第46話 菜の花畑の炒り玉子

 菜の花畑に入り日薄れ見渡す山の端霞深し

 母の愛唱歌であった。東北地方の遅い春は、園芸本を無視して、梅も桜も水仙もチューリップも一斉に咲きそろう。四月末、ぬかるんだ田圃のあぜ道で犬を放して散歩した。夕暮れにも暖かくまろやかな春風は、人の心も優しくする。母が口ずさむ唱歌は、文語調で難しかったが、見渡せば歌詞そのままののどかな風景が広がっていた。山の麓の黄色い菜の花畑。
 「炒り玉子だ」
 二十数年前の光景である。

 炒り玉子は、子どもたちが大好きだったにもかかわらず、日常の食事の中では、あまりお目にかかれなかった。そのせいで、炒り玉子には、他の玉子料理と一線を画す趣があった。炒り玉子はもっぱら、お弁当やちらし寿司の彩りとして作られた。とりわけ、桜田麩や鶏そぼろやサヤエンドウと色分けされた、鮮やかな三色弁当は、当時、もっともうれしい弁当のひとつだった。母の愛のいっぱい詰まった、特別な、豪華なものだと思っていた。・・・良い時代であった。

 長じてから台所に立つようになり、玉子焼きに失敗しては、炒り玉子と称していたが、母の作る、ちゃんとした炒り玉子とはどうしても異なる、それは「玉子焼きを失敗した炒り玉子」にすぎなかった。まず、焦げ目が目立つ。乾いてぼそぼその部分があり、粒がそろっていない。シンプルでありながら、作り方で全く違う顔を見せる、玉子料理の奥深さを見せつけられた思いがした。
 母の炒り玉子を再現できるようになったのは、調理器具の画期的な技術革新のおかげである。テフロン加工、フッ素コート、「こびりつかない」技術は、炒り玉子づくりの強い味方なのだ。
 炒り玉子を作るときに、私は油を使わない。冷たいミルクパンに玉子を割り入れ、砂糖、塩を加えて割りほぐす。そして、弱火にかける。箸でゆっくりかき混ぜていると、しばらくして、側面から玉子が固まり始める。それをはがして玉子汁に落とし、底からかき混ぜ、周りからかき混ぜ、徐々に徐々にそぼろを形作っていく。火が強いと、すぐ固まるので、忙しくなったら火から下ろし、かき混ぜながら余熱で固まらせる。箸で掻いて、鍋底が見えるようになったら、もう少し。ちょっと火にかけ、すぐ下ろし、細かくかき混ぜながら、ふわふわのそぼろを作っていく。私は八分通りのしっとりした玉子が好きなので、この仕上げには、たっぷり時間と神経を使いたい。
 こうして作った炒り玉子は、もちろん、娘も大好物。自分のが少ないだの、お父さんの方が多いだのと、大騒ぎである。

 娘は炒り玉子から何を連想するようになるのだろう。そこには私とは全く違う心象風景があるのかもしれない。それでも私は、菜の花を見れば炒り玉子を連想し、炒り玉子を見れば、子どもの頃の優しい情景を、懐かしく思い出すのである。

教訓

 弁当は彩りである。

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