2018年 牧師の週間日記
 今年も、つれづれなるままに、牧師の日常を
週間の日記として記録します。
 ブログではないですが、ブログの様式の
つもりです。目標は同じ苦闘をしている
情報が余り無い田舎牧師の共有の場
です。ここから信仰を得ようとか、キリスト
教とは何ぞやを汲み取ろうとされても
困りますが、そういう面もあるのかも知れません。
 できるだけそのままの姿で書くつもりです。
よろしくお願いします。 
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2018年12月13日
 昨日は久し振りに、バルトの和解論
Uの4を読んだ。
 何かほっとするものがあって、
やはりクリスマスが、私達の生きる根拠で
あり、生きる喜びである。
 また教会は、イエス様の後に従う
時に、教会である。
 ヨハネ14章19節
「私が生きているので、あなた方も生きる
事になる」全くである。
2018年12月10日
 教会は日曜登園にて多かった。
中山はいつもの5名であった。
 作日は、こどもの話しは、アルタバン物語
をした。(4人目の博士の話し)
 これはおそらく、それぞれの地域で、博士の
共有が行われる物語であろうと話しをしながら
改めて思った。
 土着化とは、物語化ということだったのである。
今頃気づいたかと思う。


2018年12月4日
 ユング著『自我と無意識』の2章の中に
「ペルソナ(社会人格)と一体化している夫は、
妻が、神経症になる」を見付けた。
 なるほど、書かれたのは戦前らしい。
戦前においてこんなことまで書いているのか。
 日本は今頃である。
  今まで何をしてきたのだろうという
思いである。

2018年12月3日
 さあ、いよいよクリスマスである。
これから保護者会クリスマス、幼稚園クリマス会、
児童クラブクリスマス、中山伝道所クリスマス、
教会クリスマス、最後のクリシスマス・イブ礼拝とざっと5つが続く。
 毎年のことであるが、ただただ、
1つ1つをこなすのみである。

 河合隼雄著『神話の心理学』を読み始めた。
これまでのまとめのような本である。
私は、だんだんユングの心理学の無意識は
聖霊論の焼き直しのような気がして、読んで
いる。無意識が指示し、無意識にとらわれる
とは、まさにそのようなことでないか。
 罪の問題とユングはどこまで戦っただろうか。


2018年11月26日
 教会、中山共に、連盟のバプテスト誌の取材を
受ける。
 よく付き合って下さる方である。
 連絡会まで取材くださった。

 執事会では、会堂建築を協議した。
神様の御心をもとめつつなんとか方策を
願うのみである。
 
 それにしても、教会はやはりお金でない。
神様が準備されるとは本当である。しかも
人間の計画に無かったところであり、とうてい
無理と思っていたところであった。
 そこがなかなか分からなかった。
62才で今頃気付いているのであるから、
本当に、何をしてきたのであろうか。
時があるとしか言いようがない。 

2018年11月24日
 昨日、南九州連合伝道部研修会が終わった。
71才の先生の実践的伝道の勧めになった。
 メモとしてここに書いておく。

 1,伝道に特効薬はない。地道に。
 2,先回りしない。証しに徹する。
 3,急がば回れ、訓練の必要。
 4,新来者歓迎のムード造り。(してもらったら褒める。)
 5,教会が疲れているときは、ぼやっとした説教。
 6,誰もが元気、誰もが意気消沈はない。
 7,1人の背後に多くの人がいる。
 8,地域限定伝道でいい。
 以上である。

2018年11月23日
 今日は、南九州連合の伝道研修会が国分教会
である。私が主事であるので、昨日は、交通費や
領収書やお菓子、コーヒーの準備にかかった。
 レジュメの印刷は先にしておいた。
今回は30名の出席になる予定である。
 弁当の手配は、国分がしてくださる。
 よい研修会を願うのみである。
 レジュメをみるとモルトマンからの話しが多い。
私は、一冊もモルトマンを読んでいない。
 何をしてきたのだろうか。
 暫くユング関連と付き合ったきたので、
また神学に移らないといけない。
 明日は、バプテスト誌の訪問を受ける。
 明後日は、執事会の準備もある。

2018年11月19日
 連盟総会が終わった。2泊3日であるが、62才のものには、
大夫きつい。88才の先生が元気で参加されていたのには、
ただただ頭が下がる。
 朝の早天祈祷会が楽しかった。証しの交わりは、
本当に主に感謝ある。
 ただ、理事会の主張はいいのであるが、
きちんと反対したり、その意を汲む方が少ないように思った。
そう、感じるのは、私の思い過ごしであろうか。
 
 自分に与えられたところで精一杯するしかないので
あるが、10年にわたる教会員、バプテスマ、礼拝数の減少は、
何かひとこと有るべきと今も思う次第である。


2018年11月8日
 ようやく風邪が治まりつつある。
どこかで書いたが、60を超えると直りが極端に
悪くなるようである。免疫力が落ちているのであろう。

 河合隼雄の現代心理療法セレクションの
6巻本をいよいよ読み終わろうとしている。
 ユング心理学入門、カウンセリングの実際
 死と生の接点、心理療法序説
 心理療法入門、心理療法と仏教である。

 この内、学術的に書いてあるのは、ユング心理学入門、
心理療法入門である。
 私が思うには、この2つは牧師もよんだ方が良いかも
しれない。
 説教に使えるのは、死と生の接点、心理療法と仏教である。

 後は、余力があればでないかと思う。
しかし、河合の提唱する、6点、
イメージ、身体性、イニシエーション(儀式)
物語、転移・逆転移、個人化、社会化の視点は、
牧師の牧会の視点でもある。かなりの親和性が
心理療法と牧会はあるように思われてならない。
 
 スポルジョンが、「聖書に最高の権威をおいたら、
全ての学問を使いなさい」、は、けだし名言である。

2018年11月7日
 4〜5日と種子島の伝道隊(牧師3人組)
に行ってきたが、なんと風邪を引いてしまい
病院に行った。
 咽頭炎らしく、暫く声を出さないように
いわれた。暫く更新もできす、ここに
来てくださる方には、申し訳ない。
 説教ももう少し待ってください。
2018年11月3日
 河合隼雄先生の岩波現代文庫の
心理療法の入門の6冊本を結局
全部読む羽目になったが、最後
に読んでいる『心理療法序説』において
「生兵法は怪我のもと」がでてきた。
 全くである。自分ははやり一介の牧師でしか
ない。私は、やはりカウンセリングもまた、
神の言葉の元にするしかないのである。
 心理療法の方法論と考え方を
少しだけ垣間見て良かったと思うが、
使う分けにはいかない、と思う。
 しかし神様が私達を導き、イエス様が私達
の根底にあって、導かれていることがまた
しっかりと示された。

2018年10月29日
 昨日は、熊本愛泉教会の山鹿伝道所の
教会組織会議であった。
 執事会をして行ったために、1時間おくれで
あった。
 54年前に伝道され、54年間で4組の牧師が
牧会され、はれて昨日、教会となられた。
 息の長さに驚くと共に、その教会の信仰を
教えられる。
 信仰告白の審議の現場にいたかったが、
それは仕方のないことである。


2018年10月27日
 金子先生の葬儀を外して、平田仮設に23日は行って来た。
教会の方と2手に分かれたのである。
 先生は、60にして天に行かれたが、若いとはいえないが、
考えさせられる。
 ライフサイクルではないが、もう少しこの地上での仕事が
あったのでないか。しかし、イギリスのバプテストの牧師
スポルジョンも58才で亡くなっていた。
 主の自由の召しにお任せするしかない。

 ところで、ある方が言われていたが、私達は
永遠の前の時間と永遠の後の時間があり、
地上の時間は余りにも短いのであるかが、
どうしてだろうか。(厳密に言うと初めと終わりがある)
 永遠の今を考えると、長い短いは、余り関係ないのかも
知れない。主にあって、今を必死に生きることであろうか。

2018年10月22日
 昨日は、児湯教会、高鍋伝道所の就任式であった。
6名で行ってきた。40名くらいであろうか。
 小さい会堂で、ギリギリの詰め込みであった。

 礼拝は10名行かないと言う。先生の給与もないに
等しいらしい。先生は68才で、典型的な年金牧師である。
 主の守りと導きを思う。連盟は320の教会伝道所に
なっていた。副理事長の挨拶からであった。
いよいよ、縮小の時代である。

 河合隼雄さんの『死と生の接点を』読み出す。
老いと死の問題である。2章に社会的に相当の仕事を
されて、老夫婦が互いを全く理解せず、形ばかりの
結婚を続けているの例がある。
 身につまされる事例である。
 身を正し、祈るのみである。それにしても
イエス様の隣人愛の教えの重さをひしひしと感じる。
イエス様の教えは、やはり神様の教えである。
今さらで申し訳ない。

2018年10月20日
 このところ私と同じかプラスマイナス1,2年の方の
大きな病気や死亡の連絡が来る。
 将にこれからと言う方の死亡の連絡を聞くと、
 さすがに、もうそんな年になったのかと
不思議な気持ちになる。
 62才になったのであるが、やはり自然の力と
いうか、その中で生きるしかないのである。
 生かされている中を、生きて行くしかないの
である。河合隼雄先生の本からインドでは、
4つのライフサイクルがあるということである。
学生期・・・学ぶ時期
家住期・・・家業を継いで子供と共に祭儀をする。
森棲期・・・森に棲んで、修業の準備をする(時々家に帰る)
遊行期・・・完全に修業の体制に入る。この世との縁を切る。

 ここで、インドではこの遊行期に重きをおいて人生を
組み立てるらしい。今はインドはICの国として大夫様相が
違うかもしれないが、根底にはこれがあるらしい。なかなか面白い。
 フロイトのライフサイクルは壮年で終わる。
 エリクソンは、40代以後の成生期と
 65代からの成熟期を分けて、死ぬまでの発達を考えている。
ユングの影響を受けたと言われている。
 ユングが壮年期で人生を終わらせないのは、
統合失調症の患者さんを見ていて、人生が最後まで成熟を
目指して発達していることに、気づいたからであり、人生は、
発達でなくて、共時的に今と過去と未来を生きるからと
なっている。これは宗教哲学の永遠の今の問題である。
 教会も、ただ発達、成長でなくて、また違った観点を
持っていることが大切になってくる。あらためて示されること
である。

2018年10月19日
 昨日は、河合隼雄さんの『心理療法入門』岩波書店を
読了した。
 時があると思うが、もっと早く気付くべきであった。
 イメージ、身体性、イニシエーション、物語、
 因果律、転移・逆転移、個人化、社会、
の8つの部門は、まさにこれは牧師の観点でもあることに
驚いた。
 余りのこれまでの学びの不足にまた驚いた。
しかし、気づいたところから直す
しかない。主よ、お赦しください。

2018年10月15日
 葬儀が終わり、普通の日々になったが、
まだ整理が続く、霊園の方である。
 火葬許可書の整理等があるのである。

 河合隼雄さんの『心理療法入門』というのを
又読んでいる。初めに、で「この本は心に関わる
仕事をしている方はすべて読んでほしい」とある。
確かに、自分はあまりにも無意識の力や影、
アニマ、マナについて不勉強に過ぎたように思う。
 根本的には聖霊なのだと思うか、聖霊と
自己Ich(自我selfでない、ユングの自我)の関係も
きちんと整理して置く必要があるのかも知れない。

2018年10月11日
 書込が遅れた。葬儀があったためである。
88才で、肺炎であった。良い方であった。本当に
教会を良く支えてくださった。
 神様の祝福を、私に示してくださる方であった。

 主は主を慕う者を、決して見捨てられない。
「私は私を重んずるものを重んずる。私を軽んじる
者を、私は軽んじる」1サムエル2:30は、
本当だと思う。そういう生き方を証ししてくださった方
であった。
 奥さんやご家族の守りと平安を祈るのみである。

2018年10月5日
 昨日は、アレントの『エルサレムのアイヒマン』を最後まで
読めた。読み始めから4ヶ月係っていた。
 最後に「複数性を否定する者は、死刑に価する」というが
アレントのアイヒマンに対する判決であった。
 ナチス・ヒトラーだけでなく、ユダヤ人評議会の罪をも
暴く、完全なパーリア人となったアレントのメッセージで
あった。しかし、同時これはアレントの『全体主義の起源』
3巻本の結論でもあるらしい。
 これからの人生の信仰の指針となるであろう。
それにしても、アイヒマンという下級官僚に焦点をあわせた
記録は、飛んでもない事実を突きつけたものである。
 改めて、事実を知る、事実から離れない。現象から離れない。
以上を、教えられる。
 また、大阪の財務省の方の自殺の事実を
追いかけようとしめされる。

2018年10月3日
 この週間日記は、苦闘している地方の牧師の支えになれば
と書いているが、その務めは全く果たしてないと思っている。
 ただ、このところ突然であるが、つまり不思議な導きで、
河合隼雄著『カウンセリングの実際』岩波現代文庫1,100円を
読んでいたら、これは牧会のカウンセリングにも、というか
牧会カウンセリングのことでないと示されているのである。
 牧師は、やはり訪問無しではなりたたない務めと思うが、
しかし、どうしても行きたくないところ、気が進まないところ
もあるものである。
 そこで動機付けが、本当に苦労するのである。
 しかし河合隼雄先生のこの本を読むと、カウンセリングとして
受けることもあるのでないかとこの年になって
示されている次第である。
 牧師もすでに終わりかけて、こんなことに気付くのも
話しにならないが、もし、若い先生で、どうにも牧会がうまく
できないと思う方は、一読の価値があるように
思い、ここに書くことにする。もちろん聖書に最高の価値をおいた
後であることは当然である。老婆心であるが・・・・・。

2018年10月1日
 昨日は、台風24号が鹿児島をかすめた。
奄美地方を除くところは、ほとんど被害はなかった
ようである。
 教会の瓦も、飛ぶとかほとんどなかった。
ただ、近畿や北陸、東北の方は慣れておられないので
どうだったろうか。
 ただし、礼拝の時間と通過時間がかさなったので、
教会は3名の礼拝、中山は4名の礼拝となった。
これは鹿児島に来て初めてである。

 礼拝を休みにしようとも思ったが、聖書には礼拝中止は
ないようである。ユダヤ人は、戦争中も礼拝を休まず、
安息日に武器をとらずに、殺されていったことが、
 マカベヤ書(外典)にある(第1マカベヤ2:29-38)。
ある意味で、とんでもないことであるが、
そういうのもあるのかも知れない。

 しかし、新約教会のイエス様の礼拝は、
 自分で考えて、大丈夫と思えば礼拝に来ればいいし、
危ないと思えば、家で礼拝するしかないのであろう。
つまり自由である。
 おそらくここで「教会は休みます」というとなんか、全体主義に
なるのであろう。信仰は良心の問題であり、教会は、指針を示すが、
決めるのはやはり個人である。
 確か昔、大嘗祭であったか、警察が会場近くの教会に礼拝を
休んでほしいと言われて、休んだのがあった。
賛否両論あったが、たぶんバプテストでは、礼拝休みますとは
ならない。どこの団体だっただろうか。
 ただ、その教会もただ休んだだけでないかもしれない。
家庭集会に分かれたかもしれない。どこかの集会所を臨時礼拝所に
借りたかもしれない。そこだけしか覚えていないので、なんとも
判断するのは無責任かもしれない。

 特にバプテスト主義とはそうなるように思える。
しかし、きちんと考えたことがないので、本当のところは
わからない。礼拝に来るかこないか。教会が決めるのか。
個人が決めるのか。聖書が言うのか。教団本部がいうのか。
 どういう議論があるだろうか。

追伸 
 昨日、玉城デニーさんが、沖縄県知事選に勝利された。
終わってみれば、8万票の差がついていた。本土での報道では、
正直、危ないと思っていた。佐喜眞さん有利と思っていた。
 NHKの報道も何をしているのか。平等という名の、不平等がある。
平等もまた理念化して、現実を見させないのことが起こるのである。
平等が忖度になるとは悲しい現実かもしれない。

 しかし私は、6年間の沖縄生活があるので
本当に、沖縄の生活をされた方なら、
つまりあの基地の沖縄を知っている方
なら、とても辺野古基地新設は受け容れられない。
 どんなに普天間基地移転のためだ、との屁理屈をつけても、
あの広大な嘉手納基地を見ただけで、
まだ基地がいるのですか。と言いたいのは、沖縄の方
だけでない。正直に沖縄の基地を見て、正直にものが言える
自民党の人がいてほしい。沖縄に行かれたら是非国道58号線を
走ってほしい。那覇から名護まで走ってほしい。
なんとでかい嘉手納基地。あれを見て、まだ基地が必要です、
とは、普通は言わないのでないか。
 玉城さんが知事になると沖縄は、中国に侵略されると
というデマが走ったそうだ。
 そう言っても、もともと沖縄は中国と
仲が良かったのです。中国から沖縄に留学して
それから本土に来た方を知っています。中国の方にとって、
沖縄は、やはり安心なのだと思います。


2018年9月24日
 教会はいつもの通り、中山は4名であった。

 まだ中味を詳しく書けないが、最近はつくづく主の
恵みを思うことが多い。先輩の先生方が、
「主のめぐみを思う」と言われるのを聞いても、
前は、そんなものかと受け流していた罪を反省すること
しきりである。
 私の記憶によれば、スポルジョンだったと思うが、
アブラハムのイサクの誕生の天使の約束を
笑ったとあるのを、これは軽蔑の笑いでなくて、
もう十分です、の笑いであると書いていた。
 私はスポルジョンがようやく分かる気がする。

 充分すぎる恵みにまた主は恵みを足されるのである。
なぜか分からない。主の自由である。
 ただただ、その恵みを受ける信仰を、私達は、願うのみである。
 聖書ある通り、本当に、主は恵みに恵みを与えて
おられるのである。私達は気づかないのである。
 主よ、あなたの御計らいを感謝します。
 それに答えて歩ませてください。
 ただただ、感謝の人生を歩ませてください。

2018年9月18日
 昨日は久し振りに時間がとれたので、
矢野久美子著の『ハンナ・アーレント』を読みおわる。
アレントの大体の著作の流れが分かった。
 やはり、『全体主義の起源』1,2,3で、方向性を出し、
『エルサレムのアイヒマン』でその理論を、確証したと
いえる。アレントは、マッカーシズムにも、
現代の情報化世界にも、なお、全体主義がひそむとする。
 『暴力について』がある意味で、アレントの最後の
作品群の一つである。

 単純な「市民の自由と権利を守る。」アウシュビッツの
ユダヤ人を考えるとよく分かる。
 当時のユダヤ人は本当に一瞬にして財産を
奪われた。その見事な収奪は本当に見事である。
 少数者、法の前の平等と全てが、壊されたのである。
改めて読み直ししている。

 信仰とは何か。深く考えさせられる。理想による現実からの
逃避があるのかもしれない。現実を見る信仰を思う。
聖霊の信仰である。

2018年9月14日
 11〜12日まで、石川の加賀市で、全国牧師研修会が
あった。久し振りに参加した。
 隔世の感があって、とうとう常務理事から「牧師の給与格差に
関しては、互助支援をなしていかないと小さい教会の
維持が難しい」との話であった。
 25年前の様々な互助支援案がすべて廃案にされたことを
思い起こす。
 案としては、もちろん本当の生活補助には全く足りないが、
しかし弱小教会牧師に、思いがあるということを、共有することができる
であろう。また、バプテスト主義という一つの理想で、
現実を見ない、現実を避けるということがなくなったということで、
私としては、一歩前進と思う。

 鹿児島から加賀市は、新幹線とサンダーバード号を乗り継いで
7時間くらいであった。

 アレントの『暴力について』を新幹線で最後まで、読めた。
これは、アレントの最後の部類の著作にはいる。
 改めて、財産の保証、自由と権利の保障、自由とは異論をいう保証
であることを、確認している。同意でなくて、強制に成るとき、
全体主義が始まる。 今の安倍さんの手法である。
 全体主義とは、人間性の剥奪であり、これは、アウシュビッツに起こった
が、今も、一人ひとりバラバラにされる情報、孤立世界では
同じ事が行われているとする。
 相模の障害者施設のヤマユリ園の殺された方の名前が
公表されなかったことを思い出した。
 死ぬときも個人として死ねない時代に入っている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記
 アレントの『暴力について』に触発されて、
安倍さんを見ると
1,大阪の土地払い下げ問題において、国民の財産権を犯してしまった。
2,放送局に、平等に放送せよということで、放送の自由を犯してしまった。
3,国民に政策の同意でなくて、忖度という隠れた強制力を
  使ってしまった。

 やはりアレントの全体主義の方向に向かっているのは
まず間違いなかろう。後は、祈って戦うしかないのである。
 アレントは、ハイデッガーがナチ党員になった時、学者としての
道をあきらめたとある。
 アレントは、最後までパーリア(賤民)として、歩もうとした。というか、
アレントは、家庭教育がどうもそうだったようである。
 ユダヤ人でありつつ、ユダヤ人にもの申し、仲間を
失った。しかし、それでも自分の生き方を貫いた。それが、
アウシュビッツを2度と起こさない生きた方だったからである。 
イエス様も同じだったのである。

2018年9月3日
 先週は西南神学部の学生が、夏期伝できてくれて、
HPの更新は出来なかった。
 昨日の礼拝は振起日礼拝であって、幼稚園の
先生が下半期の抱負を述べる礼拝もであり、
久し振りに45名礼拝となる。
 中山は何年ぶりであろうか、新来者があった。

 今、自分の学びをやめて、連盟主催の教役者研修会の
準備をしている。その準備の課題で『日本バプテスト連盟
70年誌』を読んでくることがある。
 
 久し振りに連盟の歴史を読んでいるが、知らないことばかり
今まで何をしてたのか、申し訳なさで一杯になる。
 今連盟が議論している、パラダイム転換とう名の宣教方策(伝道戦略)
転換のことは、すでに改めて先輩達が議論に議論してきたのである。
 機関誌の統合に関しても、すでに何度も連盟総会の議案に
なっており、バプテスト誌、聖書教育、世の光をどうするかは
議論に議論を重ねてこうなっていたのである。
 提案者は過去の経緯を話して、提案してくれたらもっと議論が
深まったかもしれない。
 また、連盟機構改革も、最初は宣教団との関係でなされており、
1971年(第25回総会)の自立の時に、総主事が常務理事となり、
委員会制度が、主事会制になり、信徒部門(壮年会、女性会、青年会)が
切り離されている。
 この経緯の議論を元にして、前々回の総会も提案してくれたら大夫
様相が違ったのでないか。

 後、大井教会は昔からのバプテストであるとバプテスト教会の
代表みたいに思っていたが、よくみると最初の結成時にはいない。
つまり、1949年に加盟した新参教会であった。バプテスト教会とは、
もとももとが、小さい教会がごそごそしている教会だったのである。
知らない事ばかりである。

 最後まで読めるかどうか。研修会に間に合うであろうか。

2018年8月21日
 昨日はまたアレントの『エルサレムのアイヒマン』を
読み始めた。はやりアレントの頂点の様子がある。
 しかしこれはアレントが57歳の時の作品であり、
1960年にアイヒマンが捕まり、ここからであり、
1962年には絞首刑になっているので、2年間の
裁判を見ながらまとめている。
 1963年に『暴力について』と共に出版している。
1950年に『全体主義の起源』を書いている。
 よく分からないが、『全体主義の起源』で暖めて
いた理念的なものが、『エルサレムのアイヒマン』の裁判傍聴に
よって、実践的に確かめられたような流れである。
メモとして、ここに書いておく。
 つまり実践と理論の関係というか、
理性と感情の関係というか、
感覚と直感の関係というか、
ルターとカルバンの関係というか、
ユングが、内向性と外向性を
人間の型の根底においたように、類比があるのかも知れない。
ユングは20年間の精神医学のお医者としての歩みが
類型の構想に導いたようなことを書いている。
 ユングもまた、学究の人でなく、全くの臨床の
人であったようである。

2018年8月20日
 教会はいつものごとく。中山は4人礼拝であった。
 明日の食料デーの準備をした。警察署にもっていく街頭
募金の申請書である。
  今日はPCの状態が悪く、ファイルを消して閉まった。
そろそろ交替かもしれない。ファイルを消すといやにきつい。
年であろうか。
  木曜から夏期伝の神学生が来る。
準備が必要である。
台風が2つも来る。慣れているがやはり困るなあ。

2018年8月17日
 帰省が終わる。私の親戚は、初盆が4人もあった。
叔父叔母達が、時期なのであろうか。

 この休みはフロイトとユングを読んでいた。
少し休憩である。ユングには、精神の安定を
教えられる。自分のアニマと影をどう処理するかを
改めて示された。60になって、考えさせられる
とはどういうことであろうか。

 今から週報作りである。

2018年8月10日
 昨日は久し振りに何もなくて、
アレントの『暴力について』と『革命について』
をなんとか、読んだ。
 暴力については、権威の正当性jusutificationと
正統性legitationが問題になること。
 権威が落ちたときに、権力に走り、暴力に
なること。
 自由とは、今日的には、結社の自由でないと
意味がないこと。
 力が落ちたときに、暴力になることが、覚えた。
独裁政権でも根底には、正当性は大切だそうだ。

 革命については、6月8日にも書いているが、
革命よりもその先、革命をして政治体制をつくる時に
一番、大変なのだということが、暴力について
でまたでてきている。フランス革命の不評と
アメリカ独立戦争(アメリカ革命)の評価はそこに
ある。

 現在の暴力論は動物学や生物学の見地がはいり、
肯定的に展開されているそうだ。しかしアレントは、
全く評価しない。そんなことはギリシア哲学以前の問題
とする。問題は、言語を用いる人間が、どう暴力を
用いるのか、用いないのかである。
 ホッブスは「暴力(権力)をもたいない政府は、弱体である」
「政府は、残虐性によっては滅びず、弱体化したときに滅びる」
「数や力があるかから暴力が強いとは限らない。」とか言う。
 アレントは徹底的に、ベトナム戦争や自民族(ユダヤ人)
のホロコーストを踏まえているので、そう簡単に倒れない。
 特に、人種問題の暴力は絶滅
までいくので、アレントは、特に注意を喚起している。

2018年8月9日
 長崎原爆の日。翁長知事召天の日。
 ラジオで言っていたが、長崎は、体験の継承が高校生を
中心に広まっているそうである。余りむずかしいことでなく、
できることからするということで、高校生1万人署名とかが
始まったらしい。

 私はずっと現代のユダヤ人のラビ(レビ)<律法学者>の教えとは
どんなものかと思っていたが、E.H.フロム、『自由からの逃走』、『愛の技術』、
『正気の世界』等を書いたフロムが、代々のユダヤ教のラビの系譜の
生まれであることを知った。中公バックスのフロムの紹介にあった。
 そうだったのか。いやにまじめな本だなと分かっていたが、
なかなか読むまでに行かなかった。
 
 少しフロムを読んでみようと思った。
しかしアレントもまた続けている。よくわからないが、
アレントには行間に、同胞600万の血の臭いがするのである。
 どうしてこうなったのかであるが、私の読む本は
ベーユ、アレント、フロムとユダヤ人ばかりに成っている。

2018年8月6日
 広島原爆の日である。20万人が1日でなくなった。
教会、中山共にいつもの礼拝であった。
 暑い夏で、礼拝は20名代になっていたが、30名台を
3週間ぶりに回復。40名にはほど遠い。

 先週は、教会学校の1泊の夏期学校があった。
子供20名、大人15人であった。
先生方がいろいろなプログラムを駆使されて、
本当に山登りあり、アスレチックあり、工作も2種類
ありと本当に、すばらしい。プログラムであった。
 帰って来てから子供達の発表があり、なんと半分の
子供達は「一番面白かったのは、スイカ割です」と
答えた。全くの余興プログラムである。
 これには、スタッフ一同驚いた。
 今の子供達はスイカ割りをしたことがないのである。
考えてみれば、スイカを丸ごと買うのは今は
ほとんど無い。また子供会や海水浴も水の事故で
団体で行くことはなくなった。
 昔のように、子供の夏の定番でないのである。
 しかし学校の子供会のお楽しみ会や一泊学習会で
しないのであろうか。それどころでないのかもしれない。

 考えてみれば、スイカ割りは高度の遊びかも知れない。
嘘を言う友人と本当を言う友人とを、見分けないといけない。
 回りの声の大きさで、目標に近づいたかどうかを
感じないといけない。目隠しして3回回しているので、感覚は
全く当てにならない。しかし当てないと食べられない。

 これは人生ゲームの様相がある。子供達が面白かったのは
スイカ割りが、アナログゲームの粋を集めているのから
でないのか。もっともっとスイカ割りを、進めて良いかもしれない。
デジタルゲームの中で、スイカ割りは生き残るのかもしれない。
 いろいろなことを教えて貰う夏期学校である。

2018年7月30日
 台風12号は本当にへんてこりんな台風で、
東から西へ、北から南へおろちてきて、
いま枕崎の沖にいる。
 正直言って、私は、初めてみる進路である。

 偏西風に逆らって動いているので、力はないように
思うが、994ヘクトパスカルであるので、ほぼ低気圧に
なりそうであるが、どうなるのか。

 沖縄の翁長知事が、辺野古承認を反対されると
あった。あの膵臓癌の細い体で、国と戦われるようで
ある。翁長知事もアーレントが600万の同胞の血を
背負ったように、沖縄戦20万の死者の内、沖縄県民
12万2,228人の戦死者の血を背負っておられるのであろう。
やはり、事実を背負った者は戦うしかないのであろう。
アレントの力は、同胞の死の事実から離れないということであった。

 今週は、平田仮設訪問、早天祈祷会、祈祷会、1泊夏期キャンプ
と続く、体が持つように祈るのみである。

 昨日、創世記18章のアブラハムの執り成しの祈りの説教をする。
1人の義人の祈りのために、その共同体の全部の悪を赦される神、
滅ぼさない神。それが神の義だとアブラハムは主張し、祈った。神さまはそれを
受け容れられた。
 キリスト者は、その一人に恵みによって変えられて
いくのである。なんと尊い務めであろうか。全く耐えないのであるが・・・。
私は信じて生きていきたい。

2018年7月28日
 今朝のニュースで、安倍さんが3選されるらしいと
言っていた。これだけの不正の忖度政治をして、
次々と下の方の首を切って自分の責任を押しつけ、
オウム教の死刑を実行し、なんと冷酷な内閣であろうか。
 これが日本の自民党かと思うと、
本当に、どうなるのだろうか。

 しかしこれは、おそらく日本人がこうなっているという
ことであろう。完全に義と公平と隣人愛の欠乏である。
 やまゆり園の障害者殺人事件も2年経過したが、
その後「日本の経済力では、障害者を支えられない」と
家族の会に電話がかかるそうである。
 つまりあの殺人者の方の優生思想は、消えないのです。
日本は支えなくても、私ができることをしたい、というのが
なくなったのかもしれない。
  ただ、創世記18章のアブラハムの祈りのをするしかない。
主よ、日本を守ってください。 

2018年7月26日
 23,24日の信徒フェスティバル大会は、よくまとまられて
いた。終わって分かったが、2020年の伝道会議
を目指しての伝道方策転換の基礎会議だったらしい。
そのように言ってくれたらと思う。
 しなければならないことは、しなければならないの
であり、これをあたかも自発のように、連合の自主のように
しなくてもと私は思う。人数も最低があればいいので
あって、集まれば集まったで感謝であることだ。
 
 分団発言にあったように、どのような団体でも、10年に
一度は、方策転換をして、自分の仕事の方向ややり方を
変えるのである。
 連盟も、1970年の自給体制、
宣教の理念の転換形成、宣教委員会や求道者、牧師像
の捕らえ方を転換し、変えて来たのである。
 一人の魂を求め、1人の救い、1人のバプテスマを求めて
目標が決まっているのであるから、後は、こちらの考え方や
やり方を変えて行くしかない。
 おもしろかったのは、バプテスト会衆主義は、
この人口減少(バプテスマ低迷)を、教職制度の固い教団と違った形で、
迎えることができるのでないかという
発言であった。
 つまり、兼牧師以外の方法があるのかもしれない
ということである。
 とにかく、プロテスタント都市型教会が、どう変わることができるのか、
課題は重いが、先輩方がしてきたことをするのみ
である。
 それにしても、発題で、延岡教会の無牧師時代に、一人の信徒が
3年間毎週、一人で礼拝を守っていたというのは、
なんだろう。私は、これが創世記18章の祈りのであり、
エレミヤ5章1節の一人のような気がしてならない。
おこがましいが、私も創世記18章とエレミヤ5章の一人を目指すのみ
である。

2018年7月23日
 礼拝は少なめで、30人行かなかった。
暑さのためであろうか。中山はいつもの通り6名礼拝。

 今日から熊本にて、バプテスト大会である。
3人が参加である。
 後は、帰ってから書きたい。

2018年7月19日
 私の使っているHPのサーバーには、誰が
来たかが、ADDRのレベルであるが、分かる
メールが来る。
 滅多にそれはそのままにしてあるが、時々
地域が分かるので調べることがある。
といのも、1日1回だけ来られる方は、どんな方
なのだろうかとか、そう言うたぐいである。
 
 この前沖縄からの方があるのがわかった。
このHPに来る人は、多分、求道者か
牧師であろう。
 沖縄からわざわざ見に来られる方があるのは、
励みになる。前の友達だろうか、牧師仲間であろうか。
名前までは当然分からない。しかし県レベルと
時々、NTTのサーバーのある市までは分かる。
 とにかく、嬉しいというか、沖縄の方が読むに
耐え得るHPにしなければと思う。
2018年7月16日
 教会は、少し少なめ、中山は5礼拝であった。
 連休になるからであろうか。いつも来る方が
これてなかった。

 先週は14日(土)に、恒例の第24回夏祭りが
あった。親父の会が主催してくださる。
 食事班、ゲーム班、アトラクション班と3部門に
別れて、それぞれが趣向をこらしてなさる。
 私はいつも大変そうな食事班の焼きそばに
回る。多分300食くらい作っていると思う。
 お父さん達は、汗をかきかき、本当に大変であるが、
子供の喜ぶ顔は確かに励みになる。
 ただ、準備と片づけがまた、大変であるが・・・・・。

 昨日の説教は哀歌であった。
ふと、創世記18章のソドムとゴモラに言及が行き、
改めて、アブラハムの執り成しの祈りは、10人すなわち
1人の義人がおれば、神様は悪人達を赦すということが
分かった。今までそういう読み方をしていなかった。
40年間読んできて、今ごろわかった。

 だから、北朝鮮は滅びないのだ。北朝鮮の隠れキリスト者が
祈っているのだ。
 だから、日本は復興したのだ。2つの原爆を食らって、沖縄戦が
あって、壊滅して、またこうして復興した。日本人の誰かが、本当に
アブラハムの執り成しの祈りをしていてくれたのだ。
 私達は、このアブラハムの祈りに繋がるしかなない。
1人でいいのだ。

2018年7月9日
 教会は日曜登園であった。中山は4名礼拝。
 土曜日は、避難準備警報で、13時には児童クラブを
閉鎖することにした。
 
 一昨日からものすごい被害である。鹿児島の方は
本当はこの雨は、鹿児島当たりに降る雨で、気候変動で
北に上がったのでしょう、という方が多い。
 鹿児島は桜島の方で2名が流された。
 それにしても100名以上の被害は、人間の力の
限界というか、どうしたらいいのであろうか。
 気候の変動は疑うべきもない。
 最後は、生き方に係ってくる。

 昨晩は、ユング心理学の100de名著を読んでいた。
フロイトのリビドー、アドラーの権力への意志が、
ユングでは、型、原型、影になっているが始めてわかった。
 何という遅い理解であろうか。分かった
つもりでいたのである。 

2018年7月2日
 教会はいつもの通り、中山は4名礼拝であった。

 ポーランド戦は、負けてしまったが、負け方が
悪く、私は、どうしても、納得がいかない。
 一人の素人であるので、なんとも言えないが、
あそこまで姑息な手段(攻めない手段こうじて)、
勝たないといかねいのか。よくわからない。
さっさと負けて次に備える方が、ましでないのか。
芝生に寝ていたポーランドの選手が、いた。
相手は辛苦をなめたポーランドである。
 
 キリスト教の戦中の問題も、時々、日本キリスト教団に
なって、生き残るべきか、やはり形だけでも残す方が
いいのかが、問題となった。

 ミン先生の『韓国キリスト教史』でも、日本の迫害に
耐えて最後まで戦った(神社参拝をしなかった)長老教会とカトリック、
メソジストは、神社は宗教にあらずとして、さっさか
神社参拝をしたところがあったという。
 
 神様はどちらをよしとされるか、ということは無いであろうが、
どう生きるべきかは別れるのであろう。
 シモーヌ・ベイユは、『根のあること』において、
「どんな相手も敬意を抱く」とあるが、
考えさせらえる。

2018年6月28日
 安部政権はどうも倒れる気配がない。
どうなっているのだろうか。

 今朝ラジオで、働き方改革法案の話をしていた。
政府の答え方は、御飯論法というそうである。
 「朝ご飯を食べてきましたか。
いいえ、パンを食べてきました。」
という論法なのだそうである。

 それほどまでに、政府の対応は、不誠実に
なっていると話していた。
 
 しかし、これを支えているは国民であり、
それほどまでに、日本国民は不誠実な国となりはてて
いるらしい。
 本当は、サッカーどころでないのである。
聖書は、国が立つか否かは、義であるとしている。
経済や軍事よりも、義を根幹としている。
ザッケローニ監督も義に訴えたような気がする。

 そういえば、数回前に、マキャベリの話を書いたが
気になってまた、『君主論』を手にとってみた。
 マキャベリは、君主が一番しないといけないのは、
軍事の整備であるとしている。
 また、真実がどうかよりも、君主はそう思われているかを
大切にしろ、とあった。
 安倍さんは、意外とマキャベリを読んでいるのかも
しれない。それで、アナクロニズムになっているのかも
知れない。というか、取り巻きの人がそうなっているの
であろう。
 聖書は、歴史の主は、愛と義の主であるとする。
マキャベリ主義は、限界がある。

2018年6月25日
 教会は日曜登園は無かったが、こども園の
先生方が、きてくださり、少し多かった。
 中山は、4人礼拝であった。

 6月23日は、沖縄慰霊の日で、中継していた。
浦添市の中学生の詩の朗読が良かった。
翁長知事も頑張っておられた。
 安部首相は、基地を減らすと演説されたが、
実際には、辺野古、高江、宮古島と増えて
いるのに、なぜ、減らすといえるのか。
 相変わらずの嘘ばかりで、安倍さんは、
事実と違ったことを言っても、
何も感じない人らしい。
 もしかしたら、返還基地と新しく作る基地の
面積を引いたら減っていますということ
だろうか。しかし事実はわからない。

 今朝のラジオは、沖縄に1960年代に
置かれていた核爆弾の話をしていた。
沖縄の核弾頭は、中国を狙っていたという。
報復攻撃で、もし、那覇に、核爆弾が打たれたら、沖縄は、
確かに無くなっていたであろう。
 基地は、島を守らないのは、
やはり明かである。

2018年6月21日
 加計学園の理事長がでてきて、記者会見して
いるが、会ってないといって、発表した事務局長に責任を転嫁した。
 本当に、又も、下の人が責任を取らされていく。
事務長さんは、首にはならないようである。

 安倍さんのお友達だそうだから、やはり、
下に責任を押しつけて、それでおしまいである。
  これでは、マキアベリの君主論にも、全く
合わない人達である。どこまでも、責任は
下の人である。
 公務員の方々は、誰も、人肌ぬいで、仕事のために、
義のためにはどんどんなくなるであろう。

 今、『韓国キリスト教史』を読んでいる。和冦は
韓国では壬辰倭乱と言って、今も記念されて
いる。中国の明が滅び、清になったのは、和冦対策が
一つの理由らしい。
 日本人は、隣国にかけた災害を全く知らない。
どうしたらいいのだろうか。

2018年6月18日
 教会、中山共にいつもの通りの礼拝となった。
昨日は、女性会の研修会で伊集院であった。
 30数名来られていたが、枕崎が
頑張ってきておられた。

 税務署に児童クラブの所得税の還付金の相談に
いくと、源泉徴収簿を持ってきなさい、と言われた。
改めて、基本的な事がさっぱりわかってないことが
わかった。
 なんか、私は、事務屋としては、全く役に立た
ないことが分かる。
 本当に、ひとつひとつしか勉強できないもので
ある。

 先輩のHPに安倍さんは、拉致問題で、名をあげた
とあった。もしそうなら、拉致問題で、滅びるのでないか。
 どうして、歴史を学ばない人が、拉致問題に
参与して、名を挙げたのか、私には、さっぱり理解できない。
 私は知るべきことも、何も分かっていないのかもしれない。

2018年6月15日
 ここに来る方に書いてもしょうがないが、
朝鮮半島が分断された朝鮮戦争によって、
日本は戦後の経済が立ち直り、今の繁栄(すこし陰りあり)
ができたことも、誰も何も言わない。
 朝鮮戦争の時の儲け分くらいは北朝鮮に支援できますと
言う人もいない。
 朝鮮の植民地政策は、良かったとか
全く馬鹿なことをいう人もいる。(HPに出てくる)
 まず、日朝会談は、そこら辺の歴史の
捕らえ直しからしないと何も進まないと思う。

 しかし、叔父さんを殺し、兄を殺した
人を、自国民はどう思うのか。
 そして、アメリカ、トランプさんとキム議長のこの対談に一番喜んで
いるのは、実は、韓国の方々という。
 何か、民族の悲願のようなものを感じる。

 自殺し、忖度した方々の責任を取らない安倍さんは、
本当に、拉致された家族の気持ちがわかるのだろうか。
パフォーマンスだけでないのか
 そこも、本当のところは分からない。
  結局、利用されるだけ利用されてに成らないこと
を祈るのみである。
 根底は、人間、人権感覚の問題かも知れないと
思う次第である。祈りたい。

2018年6月13日
 歴史的な対談とかで大騒ぎをしている。アメリカと北朝鮮の
会談であるが、平和に向かうことはたしかであろう。
 まず文大統領の努力をたたえたい。
 しかし、叔父さんを殺し、お兄さんを殺してた人と
障害者を馬鹿にして、マイノリティに冷たい大統領
では、どうしても、疑うのは、当然である。
 人を馬鹿にし、殺すような人が、良い政治になるわけが
ないというところである。

 安倍さんに期待というが、忖度したした者の責任にして、
切り捨て、自分は何もしない人が、良い政治がなるわけがない。
 麻生さんはもっと酷い。実際に書き直された部下は
自殺に追い込まれたではないか。

  対談番組を見ているが、第2次対戦からの日本の責任
を言う人は誰もいない。戦後の朝鮮戦争からの説明ばかりである。
ミンピ妃暗殺当たりから、きちんと受け止めるジャーナリズムが
あっていい。
 聖書がすごいのは、歴史と規範を2つ示すからであろう。

2018年6月11日
 教会特伝であった。教会70人、中山特伝は7人。
 今の教会の力の集客の限界かもと思う。
教会は父親参観を利用してのお誘いである。
 出来るだけのことはやったというところである。
後は、どう集めるか、どう効果的に、チラシを配れるか
である。
 先生は、淡々と、聖書を語ってくださった。あれだけ
聖書だけの伝道説教は珍しいかもしれない。

 新潟の県知事選挙はまたも自民・公明の勝ちであった。
あれだけのことをしても、やってもまだ自民に入れる人がいる。
 アレントでいえば、人間は必然(経済、経営)に負けるの
であろう。しかし県知事であるので、権益はそれはどうしても
ほしいのは仕方がないかもしれない。 
 しかしいつまでもではあるまいと思う。

2018年6月9日
 ここに書くことでもないが、安倍さんと麻生さんは、もしかして、
考えることができないのかも知れないとフッと思った。
 と言うのは、実は、ハンナ・アレントの年表をみていたのであるが、
『革命について』と『エルサレムのアイヒマン』は同じ年、
1968年に出ている。
 アレントの名言「悪は悪人が作り出すのではなく、思考停止の凡人が
作る」(エルサレムのアイヒマン)を、2人に当てはめてしまったのである。
 部下の自殺や省庁の忖度の動きを、自分のことでないと言い切る
ところが、思考停止なのかもしれない。自己保身にしては
あまりにもお粗末である。
ついでに、アレントは「権力が必要とするのは正当性である」といって
いる。嘘とごまかしでも、権力は保てるのか。
 
 今朝の第2ラジオは、西郷さんと勝海舟の話をしていた。
最後まで、2人は話し合ったと言っていた。原理に走る人と、
原理を突き詰め、最後まで、話し合う人。日本は、
2人がいて、なんとかだったのかも知れない。
江戸城無血開城は、大きな分岐点らしい。
 勝海舟の事は、何も知らないが、たしか、父の書棚に
あって、拾い読みして、覚えているのは、小さい頃、犬に噛まれて、
お医者に縫って貰って、西洋医学に開眼したとか、だったような、
しょうもないことだけは覚えている。

2018年6月8日
 昨日は、久し振りに時間がとれて、
アーレントの『革命について』を読み終えました。
革命とは、
自由に仕える働きと必然(貧困)に仕える働きの総合で
マルクスは、必然に負けたとなっていました。
 面白い視点です。

 牧師は、自由(信仰)に仕えます
しかし、教会は必然(経済)があります。
 牧師が、教会運営や学校、社会福祉施設の
運営に関わることの困難さも、意味がようやくわかりました。
 自由に仕える仕事と必然(経済運営)に仕える仕事は
原理を異にするのです。
 あと、ラテン語でも、ギリシャ語でも、
「初め」と「原理」がプリンシピアとアルケー
で同じあるという指摘がありました。
 迷ったら、初め(原理)にかえれというのは、
2つの意味があったのです。

 アレントは、ヘブライ信仰をもちつつなので、
しかし自由と必然をなんとか統合(弁証)しようと
したようです。しかし、69才で召天して行きました。
残念です。心臓マヒが死因とあり、アレントの晩年の
写真は煙草と共にが多いです。煙草が良くなかったと思います。
 しかしアレントくらいなるとそれを知ってなお
だったかなと思います。
 
 自由と必然を生きるには、歴史に学ぶしかありません。
しかしアレントは、アメリカも、フランスも、革命の現象は、偶然にかなり
依存するとしています。職業革命家の活躍は、革命が
始まった後なのだそうです。
 私はここを読むとやはり、神さまが歴史を支配されて
いるのだと思います。

 安倍さんと麻生さんは、どこまで必然に支えらえるのか、
自由がいつ打ち勝つのか、じっと祈って自分のできる仕事をして、
待つしかありません。神さまは全てを見て知っておられるのです。
主は生きておられます。

2018年6月5日
 ここに来られる方は1日1人が平均であるので、
私が何を書いても何も変わらないのである。
 しかし今日は花の日礼拝をして、その後
バプテストの牧師会をして、ちょっと何もする気が
なくて、先輩のHPを眺めていたら、
面白い記事が見つかったので紹介する。

1,従軍慰安婦問題がねつ造だとしていた桜井よし子さんが、
 6月4日の産経新聞で謝罪の記事を載せた、とのことである。
 (私は産経をとっていないのでどういう記事かは、よく分かりません)
 
2,大阪地検は、佐川氏を不起訴にしたが、次々と不服申し立て
 が出されているそうである。庶民としては頑張ってほしい。
  どうして、地検が、安部政権に忖度するのかさっぱり分からない。
 中学校の教科書でも3権分立(司法、行政、立法)と習ったが・・・・・・。

3,加計学園の教職員組合が、学園の説明は、虚偽説明であり、
  これは、背信行為だ、教育機関としては赦されない、と言う
  声明をだしたとのことである。
   自分の職がなくなるかもしれないのに、良く出したものである。

 これを書いたら、また元気が出てきた。
  今日の残りの仕事を又がんばりたい。

   「人となりて、何の高遠の事業無くも、俗悪を排奪しうるれば、
   すなわち、名流にいらん。
    学者となりて、何の増益の工夫なくも、物累(外物)を減除
   し得れば、すなわち聖教にいらん。」
     菜根譚 前14

 

2018年6月4日
 教会、中山共にいつもの通りであった。
児童クラブは、監査チェックリストを作って
みた。自分が作るといろいろなことが分かる
ものである。 

 安倍さんも麻生さんも辞任しない。責任を
取るという体制が日本から無くなりそうである。
 聖書では、経済よりも発展よりも義をもって
国の最大の務めや働きとなす。なぜか分からない。
 しかし下は自殺までしている。本当に、トカゲの
尻尾切りである。しかし反対からいうと
こうして罪を重ねていくのでないか。主なる神は
きちんと見ておれるのであろう。

 会計監査院の資料は明日まで、
明日は花の日礼拝とバプテスト牧師会
である。準備、準備に追われる。

2018年6月1日
 大阪財務の佐川さんは、起訴しないとなったそうである。
書類の書き直しを命じられて、自殺された財務局の方は
どうなるのであろうか。その家族はどうなるのか。
 上が残り、下が切られる酷い社会になったものである。
 ここから日本が崩壊していくかも知れない。
検察とは、こうも政府に甘いのである。余りにも酷い判決に
驚くしかない。歴史に残る甘い判決になるであろう。
 主なる神さまきちんと見ておられるであろう。

 その反対に、日大に対する放送界のパッシングは私は
やりすぎに思える。確かに日本で一番大きい学校法人
かも知れない。しかし一私立学校でないのか。
 監督を辞任したら、それ以上介入していいのだろうか。
後は、当法人の理事会や評議員会の判断である。

 なんで麻生さんや安部首相にもの申さないのか。
全く理解できない。バランス感覚が放送界に無くなって
いるというか、権力の無いものには、噛みつき、
権力のあるものには、ヘイコラである。
  やはりキリスト信仰、聖書を伝えないと
何も変わらない。改めて思うものである。

2018年5月28日
 教会はいつもの通り。
中山には、新来者が来られた。数年ぶりの
ような気がする。
 大きな課題をもっておられて、皆で
聞いて、祈らされた。
 本当に祈るのみの問題もある。

 安部首相は、またも新しい嘘が明らかになり、
加計学園はそれを支持し、愛媛県庁はまたも
怒っている。

 同じ、嘘つく→資料出てくる→ばれる、の
パターンが構造が繰り返される。段々慣れっこに
なってくる。神さまは安部政権を丸裸にされたい
のであろう。

 トランプさんの交渉は、不動産の交渉と
同じです、とラジオで言っていた。なるほど、
分かる気がする。
 相手が難しいことを言う→撤退を言う。→相手がおれる
→また交渉しだす。
 
 これもまた、酷い話であるが、北朝鮮もある意味で
アメリカの文化を理解していないのもかも知れない。
 アメリカは確かに酷い国であるが、根底には、
率直さがあるように、思う。これを知らない
のである。中国は大陸思想で、アメリカと
率直に対話できるようである。


2018年5月22日
 また、安倍首相の嘘発言が、愛媛県の発表で
明らかになる。愛媛県は、自分のところの学園が
潰れない確信があるのであろうか。
 県庁の職員をなにがなんでも守るという知事に
決意であろうか。もしそうであれば、本当のトップ
である。

 アメフトの反則をした選手の父親の会見を
きいた。全くである。自分の子が、悪者扱いされてたまるか。
であろう。2人の親の父として、同感である。
 自分の子が人を傷付けるような反則をする
はずがないという確信があるのであろう。
 それにしても、反則の指示とはまた、日大の酷い監督とコーチで
ある。 バスケをした子ども達も時々
反則について話をしていたが、相手を傷付ける
反則は、言われてもしなかったと思う。しかし、種類が
違うので、明言はできない。

2018年5月21日
 昨日は聖霊降臨日礼拝であった。
 教会は、2名の方の隣の教会からの転入式。
中山は、いつもの5名であった。

 教会は決算総会をする。児童クラブの方の会計は
分かり難いとのことで、継続となる。

 日大のフットボールの問題が言われているが、
先輩のHPにあったかが、全く安倍さん、財務省と
同じである。
 
 とうとう監督は、辞任になったが、あわよくば、自殺された
大阪の財務の方と同じで、選手に罪をおしつけて、自分は
生き残る積もりであったのであろうか。安倍さんはまだ
辞任しない。
 
 安保法制、モリカケ問題と言い、フットボールといい、本当はルールの
上でなされているのであって、憲法をないがしろにして、
解釈を変えるのと、勝つためになんでもいいというのとは
よく似ている。

 やはり上の人がしっかりしないと後の人もこうなる
ということの例証になる。
 それにしても、辞任で逃げようというのも、また
古典的な仕方であり、安全、命の問題がかかって
いるのにと思う。
 NHKで、人口減少の特集をしていたが、
外国人が、日本でよい働きをできるようにするしか
ないようである。
 こちらが換わるしかないらしい。これも神さまからの
試練であろうか。

2018年5月14日
 昨日の教会は母の日(家族の日礼拝)であった。
80には足らない礼拝であった。初めてのお母さんも
あるので、分かり易くと思うが、限界がある。分かりやすく
語って返って誤解に成るときもある。
 もう15回しているのであるが、ちっとも上手には
ならない。
 しかし力一杯語るのであるが、何かいつも同じ
話しになってしまう。
 中山夕礼拝に行くときに、時計を1時間早くみて、
1時間前に出発しようとした。これもまた、何を
やっているのか、段々こういう体験をして高齢に
なっていくのであろうか。

 昨日のテレビも、野党は力がない、安倍さんに
かわるべき人がいないと言っている。
 野党は提案力がないという批判をしつつ、
この評論家達、自分たちもどうしたらいいのかの
提案力がないではないか。
  
 韓国と北朝鮮の平和外交は、日本では本当に
支持されてないのであろうか。同じ民族が一緒の
国をつくるのは、全く当たり前のことである。
 戦後の処理問題が日本に係ってくるとは、当然の
ことでないのか。あたかも分断していた方が、日本に
とっていいのだと言いたいようである。
 それにしても、朝鮮半島の分断には、日本の責任が
少しはあるとも、テレビは言わない。これもなぜなのだろうか。

 またアベノミクスは成功だったと言っている。
お金を市場に投入して、経済を活性化させる方法
が、成功なのか。私には分からない。
 もし成功したとすれば、それぞれの企業のイノベーション
の努力であり、本当は、余り政府に期待していないの
かも知れない。

 日本の本当の弱点は、全体の理想象が明確で
ないところかも知れない。
 やはり謙遜に学んで、今のことをしていくしか
ない。

2018年5月10日
 日中韓の首脳会談を報じていた。しかし
日本の立場はさっぱりであった。
 安倍さんはやればやるほど、ぼろがでる。
 やはり、歴史をみて、歴史を反省して、
歴史から学ことは必要だな、とつくずく思う。

 誰も箴言してくれる方がないのであろうか。
 日本会議のように、世界への箴言を、共産主義であり、
日本の伝統を破壊するととるのであろう。
 歴史は、ある程度審判の役割をもつのである。
ある程度といったのは、聖書はでは、終末から
考えるからである。
 現在が、終末の神の国に向かうとすれば、
文大統領のように、せめて民族平和を求めるのは
当然であろう。
 日本が本当に世界貢献したいのなら、中国の
一帯一路構想も、中華思想かもしれないが、
シルクロードの歴史を持つ。
 日本は、中国以上の構想を持つべきであるが、
せいぜい、明治維新が理想になるくらいである。
 やはり、聖書を読み、論語を読み、
仏典を読み、本当の方向性を定めることが
必要でないのか。忍耐と謙遜が問われるのである。
 地方の一界の牧師の独り言である。

2018年5月7日
 連休が終わった。といっても、子どもが出て行った
私のような家庭では、余り関係ないというか、
休みが続く日ということであろうか。
 それでも1日くらいは出かけましょうと
宮崎の都井岬の野生の馬がいる、御崎馬を見に
いってきた。
 余り多くなかった。駐車場がないということでなかった。
桜島フェリーは、3隻見送ってのれた。
 野生の馬が、一人死んでいくこと、
群を作らず、やはり10数年の一生を一人(一頭)で
暮らす馬もいることが、なんか心を打たれた。

 それにして、安倍首相は、まだ辞めないで
いるようだ。自分の立つ位置を掴めないのは、
よくあることであるが、ここまでになるものかと
庶民としては、不思議である。
 日本の状態がここまでになったということ
であろう。

2018年4月30日
 先週は、北朝鮮と韓国のそれぞれの代表が一緒に話し合い、
本当に良かった。60年間も同じ民族が別れて喧嘩するとは、
ひどいものである。本来、日本もその責任をもっているのであるが、
誰も、それは言わない。歴史的責任感の薄さであろうか。
 どうか、2つの国が、平和に進んでほしい。その時、
拉致問題も解決すると思う。祈りの心を持つ方は
祈ってほしい。

ある番組で、安倍政治の諸悪の根元は、麻生大臣でないか
といっていたが、どうも、当たっているのかもしれない。
 問題はすべて財務省がらみである。しかし安倍さんの手法では
まず、北朝鮮と仲良くなれないのでないか。下手にでれば
いいということでなくて、やくざでも何でも、まずは相手を
尊重しないと話は出来ないのである。拉致問題以前の問題
でもある。(以前は、日本の戦前の統治もかけている)

 教会、中山共にいつもの礼拝数であった。
いよいよ5月である。

2018年4月23日
 教会、中山共に久し振りにいつもの礼拝。

 アーレントの『全体主義の研究』第1巻
    反ユダヤ主義を通観する。
 アレントによると反ユダヤ主義は帝国主義と
全体主義の双子の兄弟とのことである。
 つまり、反ユダヤ主義は、国民国家が
帝国主義、全体主義と変質するときに使われた手段だったらしい。
 となると安倍政権でのユダヤ人とは、誰か。
・・・・・。
 なるほどである。


2018年4月19日
 昨日は、トランプ大統領が、CIAの長官を
北朝鮮に送って、交渉していたことが明らかに
なった。
 やはりアメリカは、圧力だけでなかったのである。
そうだろうと思ったというか、すぐにキッシンジャー
長官の電撃の中国訪問を思い出した。(私も古くなったもの
である。確か1970年代だった)
 言いたいことは、アメリカのべったりでなくて、
自分の過去をきちんとみて、きちんと
交渉していく力であろう。
 何度も書くが、朝鮮半島の分断は日本の
統治の責任であり、特別な罪と責任を、日本はもっているの
である。その観点から関わるべきである。
(具体的にもちろん私にはわからないのであるが)
 中学校の社会科の先生が言われていたことば
であり、まだ生きておられるだろうか。
2018年4月16日
 昨日は、交換講壇であった。加治屋町教会とである。
100名くらいおられた。伝統の違いであろうか。
 説教は証し説教をした。というか、
他にしようがなかった。

 自分の手術の話しをすると5名くらい
やはり手術前に方や終わった方があって、声を
かけてくださった。後お医者がさんがおられて、
患者さんの気持ちがよく分かりました、といわれた。

 なんといっても体験者であるので、共通項がある。
松本先生の録音を中山夕礼拝で使う。
 きちんとした構成で、さすがである。

 安部政権はまだ、続いている。
総理の補佐官の疑惑であり、
本当は、総理の自分の責任と思うが、そうもいかないの
であろうか。未だ支持率が40%程あるらしく、
他のHPによると安倍信者があると
いう。どうなっているのだろう。
 しかし、その次の総理を考えると又暗くなる。
 しかし、次の総理の前に、もしかして、辞めることも
出来ない姿があるのかも知れない。
 ソクラテスが、独裁政治は、その王がもっとも
不自由である、とか言っていたが、それを見ているのかも
しれない。やめることも出来ない首相というのは、
大変なことだ。
 

2018年4月10日
 先週は父が召天した。90才であった。

 昨日は児童クラブの予算訂正の差し替えと
2017年の実績報告書作りで、結局コピーが
100枚近くとなり、4時間係ってコピーした。
 補助金を頂くことであるので仕方がないが
それにしても、大変な労力である。

 父が亡くなり、母と共に、とうとう両親は
この世からはいなくなった。しかし、よく生きてくれた
し、よく支えてくれた。ただ感謝しかない。

 安部政権は、散々である。文民統制とは全く
正反対であり、戦争がおこったら、まさし先のく第2次対戦と
同じで、現場が、暴走するのが目に見えている。

 どうしてこうなるのか。やはり仲良し政治、家族政治の
弊害であろうか。

 耳中常聞逆耳之言、心中常有ふっ心之事、是進徳修業的砥石。
「耳中、常に耳に逆らうを聞き、心の中、津にここに悖るの事ありて、
わずかにこれ特に進み、行を修む、砥石なり。」
 菜根譚 前5

2018年4月2日
 昨日はイースター礼拝であった。
 1名のバプテスマ式があり、主の晩餐があり、
いつもの礼拝よりも、1時間延びた。

 忙しいというか、てんてこ舞いというか。
 主のめぐみを感じる暇もないとはどういう
ことであろうか。

 中山は昼に来れない方が来られる。
 児童クラブの新年度の申請書を4日までだして
くれと来た。
 昨晩は12時まで下書きをする。
 予算の勘定科目がまた違っており、いつになったら
決まってくるのであろうか。
 しかしそれに合わせて作るしかない。
 こども園も今日までの申請書である。
今年度は、どうしてこれほど、急がせるのであろうか。
2018年3月26日
 礼拝は少し少ない34人、中山は4人であった。
先週は南九州連合の伝道研修会と定期総会が
熊本であった。
 伝道研修会は「キリスト教社会福祉と伝道」の
テーマであった。
 ドイツのユダヤ人のホロコースト600万人の虐殺の
前に、ヒトラーは、精神障害者の7万人を虐殺させて
いたとの話であった。実験して行ったのである。
 津久井やまゆり園の事件と似ているが、ドイツ精神学会は
65年たって、これを告白した。
 ドイツと言えばルターが出たところであり、
敬虔なキリスト者が多いと聞くし、
戦争責任を力一杯して来たところであるだけに、
あらためて多くの事を、考えさせらえる。
 人間はどこまでも、罪人である。
講師の恵愛園の叶施設長に感謝である。

 総会では、地震で倒れた熊本南教会の新築が
言われて、54年目の山鹿伝道所が教会組織をされる。
 神さまは生きて働いておられる。
 ただただ感謝である。
 自分の与えられた道を、主のめぐみによって、
ただただ歩むのみである。
2018年3月19日
 礼拝、中山夕礼拝はいつもの通り。

 礼拝後、定期総会があった。こちらに来て15回目であるが、
何度やっても資料が、きちんとしたものができない。段々
気落ちして来る。どうしてだろうか。

 しかしとにかく、与えられたことをしっかりして
いくしかない。
 「膿肥辛甘、真味にあらず、真味ただこれ淡なり」
 (菜根譚から)
 今日一日一日をイエス様の恵みに生きるのみである。

 今日と、明日は、南連合総会の準備である。
妻も奏楽で、編曲がいそがしいらしい。
2018年3月12日
 教会中山礼拝、共にいつもの通りであるが、
最近、40名礼拝を越えることが少なくなった。
 やはり何か、私の力と言っていいのかわからないが、
何か足りないのであろう。
 ただ昨日は、新来者が2名こられた。
1日1日を過ごすのみである。

 とうとう国有地払い下げ問題は、大きく動いている。
それにしても、また自殺である。よく記事を読んでないが、
真面目な方だったらしい。一生懸命事務をこなす方が
上から言われて、それをなし、後から責められて自殺というのは、
余りにも残酷な,酷い話である。
 御家族はあったのだろうか。

 アレントがいうように、自殺するよりは、
職を辞する方がいいのかもしれない。
 でも自殺してまで守らないといけないものがあるの
だろうか。
 ユダの事を考える。ある兄弟が言われていたが、
自殺して、訴えるということがあるのかもしれない。
しかし余りにも代償が大きい。
 イエス様の教えからは、罪を告白してまた生きよ、
となるのであろう。
  

2018年3月5日
 教会、中山夕礼拝共に、いつもの通りかな。

 ようやく遠近メガネができててきて、日常が
戻った所である。2月1日が手術であったので、
戻るまでに1ヶ月余かかることに成る。
 それにしても何度も書くが、目の中のレンズを
変えて、次に遠近のメガネがあって、よくしたものである。
 これで暫くは、また普通の生活に戻るのであろう。
 しかし、今回のことで、ひげ剃りや顔洗いや
根本的に変えるところが出てきた。これもまた
人生というか、手術は生き方の変換を求めるの
であろう。回心と似ているところがある。

 それにしても、韓国と北朝鮮の交渉に対する日本政府の
冷たさはどういうことであろうか。
 そもそもの原因の話はもうしない。日本がもし関東当たりで
北と南で別れていたら、どうするのか。
 力を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くして、
一致する方法を探ると思う。
 関門海峡で九州が、又は津軽海峡で北海道が、
別れていたらどうだろうか。
 沖縄でさえも、日本にした。
  どうして朝鮮民族のところに立って、支えて
あげないのか。
 酷い評論家は、北朝鮮に韓国が巻き込まれると
いう。経済力が全然違う。東ドイツと西ドイツの違い
以上であろう。

 ふとしたことで、クセノフォーンの『ソクラテスの思い出』
を読んでいる。4巻まであって、今3巻である。
 プラトンの伝えるソクラテスとクセノフォーンの
伝えるソクラテスは、大夫違う。もちろんクセノフォーンが
劣るとされているのである。クセノフォーンのソクラテスは、
クセノフォーンが理解したソクラテスである。
 クセノフォーンもまたソクラテスの弟子を自認している。
クセノフォーンは軍人で、プラトンは哲学者である。
 私は読んでいて、福音書の4人がイエス様を描くとき
違いを読み込む。クセノフォーンはそれでいいのでは
ないか。人は、自分の理解する理解しか、他に方法がないので
ないか。クセノフォーンがソクラテスに自分の思いを語らせた
ように、私達も聖書を読むとき、究極はそうなってしまって
いるのでないか。
 それにしても、ギリシャの資料というのは、すごいところ
である。クセノフォーンは有名な『アナバシス(1万人の退却)』を
書いた人である。バビロンからギリシャへの軍隊の退却記録である。
これは本当に面白い記録小説である。
 ある人(確か田中美知太郎だったか)は、
ここにギリシャの民主政治の原型をみるのである。
それは今の民主政治の原型でもある。

2018年2月26日
 教会、中山夕拝共に、いつもの礼拝であった。

 ピョウンチャンオリンピックが終わり、
朝鮮半島の南北対話が言われているが、
タケシの何とかで、南北統一は日本にとって
脅威とかなんとか言っている。
 本当に懲りない人達である。
朝鮮半島が南北に別れた責任は、日本の統治に
あるだろう。
 戦前の日本の責任は問わないというのか。
 アレントの『責任と判断』にナポレオンの話がでてくるが
彼が、共和制を打ち立てた時、ルイ王制時代の全ての条約を
引き継ぐと宣言したらしい。つまり、共和制になっても、
フランスの同一性は変わらないとしたのである。

 やはりフランスは違うね。私が思うに、まだここまで日本はない。
今は、戦後の日本教育は、おかしいとなり、
戦争直後は、戦前の教育はおかしかったとなり、
継続性をきちんと担保して、今の改革を生きると
いうのがないのである。
 なんでだろう。
 実はドイツも似たところがあって、
アイヒマンのアウシュビッツ裁判があるまで、1960年であるが、
ナチスのホロコーストの戦犯達が、ドイツの要職にちゃんとついて
いたという。
 考えさせられる。

2018年2月19日
 昨日は2週間ぶりの説教であった。なんかまだ感覚が
戻らない。すごい疲れが残った。
 実は、1昨日の土曜日に1月に召天された方の埋葬式をしたが
それが、手術後の最初の仕事となった。
キリスト教式の良いお墓であった。
 メガネがまだあわなくて、ちょっと苦労している。
お医者さんが言われるように、安定するに3ヶ月は、大変なのかも
しれない。中山夕拝でも、メガネをとったり
つけたりである。前に手術された方も、メガネを
合わせるに、時間がかかることを言われていた。
 人間の目は本当によくできているものである。

 教会は日曜登園もあって、久し振りに40人礼拝であった。
中山夕礼拝は、5人であった。
 段々いつもの調子になると思う。

2018年2月12日
 昨日は、伊集院の麦野先生の応援を頼んだ。
 目の状態は、時間によって違うので、お医者の
言われた通り、安定するまで、時間がかかるのかも
しれない。早く、メガネを作りたいがそうもいかない。
 
 今回の治療で分かったのは、お風呂に入れない
厳しさである。やはり寒い日は熱いお風呂にはいって
布団に潜りたい。しかし、それがゆるされない。
 タオルで体を拭いて、下着を着替えるので
あるが、さっぱり寝付けない。
 目にゴミがはいらないように、埃がありそうなところは
ゴーグルで歩くのであるが、なんとも不便である。
 また頭のふけがこんなに多いとは知らなかった。
また、眉毛にもふけがあるのを、今回初めて
気ずいた。(風呂にはいれない5日目くらいから気付く)
 読んでいる方には、汚い話で申し訳ないが、
こんなことまで体験するのである。

 日曜日の病院は、入院患者の方に混じって処置を
受けるのであるが、20人くらいおられた。
 1人の看護婦さんがてきぱきと目の洗顔と点滴を
されていた。看護士さんは、やはりすごいなあ。

 時間があるので、とうとうアレントの『人間の条件』を
読み終えた。1〜6章までであるが、あらためて
6章の「(活動生活の時代)と現代」のところが、よく理解できない。
しかし、全体としてのいいたいことは、いかにして、
全体主義にならない人間として生きていくかである。
 また、生きざるを得ないところに置かれた人間が、
生きることも知らされる。また、現在の最高善としての生命の
根底には、聖書があるのも、なるほどである。
 私は今回、はじめてガリレオの望遠鏡が、
デカルトの懐疑を導き、これがカント、ヘーゲルと
近代思想に繋がっていることを知った。
 ガリレオ、ルター、コロンブスが、どうも繋がって
いるらしい。それぞれは、自分の道を歩むのであるが、
それが、とんでもない改革になっていく。

 アレントを読み、また毎日の祈りというか、毎日の
黙想というか、毎日の労働とういうか、そういう基本の大切さ
を知らされる。日々、仕事をしなさい。「あなたは顔に
汗してパンを得る(働くかねばならない)」創世記3:19
と聞こえてくる。仕事と活動が、労働に置き換えられた
とは、読まない。

 最後のはキケロによってまとめてある。
「人は、最も動かないとき、最も活動的である。」
これもまた、考えさせられる。労働は、
常に、思想、理念を必要としているのである。
活動のない労働は、堕落するのである。
 結局これは、パンの為に働くのか、
生きるために働くのかのソクラテスに戻る。
 でも、神様の示されたパンを得るための労働は、
意外と深いのでないか。罪ある人間の限界でないのか。

2018年2月10日
 再び、点滴が始まる。毎日眼科である。
 目の手術で仕事にならないので、相変わらず
アレントの拾い読みをしている。
 クザーヌス(中世のキリスト教神秘家)がでてきた。
「天国で神と共にいないよりも、地獄で神と共にいる方が
幸福である」
 ルターの少し前である。ここまで中世カトリック教会は、
大変だったのかと思う。ルターはやはり準備されて
いたのだと思う。

 神の義は、信仰の義である。
μη εχων εμην δικαιοσυνη
την εκ θεου δικαιοσυη ν
επι την πιστει ..
「 私の義ではなく、信仰による神からの義がある。」
 ヒリピ3章9節


2018年2月6日
 今日から点滴が無くなる。
注射がないとやはり楽になる。
 今日は離島の方が、トランクを2つも
もって、入院されていた。離島の方は本当に
大変なのだ。
 あれを見ると確かに誰でも入院させていたら、眼科は
満杯に成るしかかも知れない。
 昨晩は、5日ぶりに下半身浴が許された。
ゆっくり体を温め、嬉しかった。
 
 昨日は、アレントの『人間の条件』を読む。
労働、仕事が終わり、活動のところである。
書いてきたが、
労働は生物として食うため、生きるための消費のための働き
仕事は、工作人に示されるように、新しい自分の生き甲斐が
入る働きである。
 そして活動は、分かり難いが、 労働と仕事を支える
働きである。それは、信仰と希望である。

 アレントはその活動の指針にイエス様を挙げている。
ここはびっくりであるが、イエス様の罪の赦しは、
政治的には、人間の不可逆性と不予言性に対する
再スタートであるとする。
 希望は、信仰であり、約束を守る、契約を守ることが、
不持続性への抵抗なのである。契約がなければ、
人間は自然の中で、ただ死んで行くだけである。
 契約を守ると言うことに生きた最初の人が
アブラハムとする。
 聖書の読み方としては、いくつか文句を付けたいが
こんな風に罪の赦しと契約を捕らえるのかと
ユダヤ人アレントに脱帽である。
 発想の違いというか、聖書はいろいろな読み方が
許されるのある。

2018年1月5日
 昨日の説教は、国分のテモテ・ボード先生が
してくださった。

 先週の木曜に、右目の手術であった。
入院はさせてくれないので、自宅療養である。
お風呂にはいるな、顔を洗うな、目にゴミを
いれるなと、何をどう生活するのかと
思うが、窮すれば通じるで、いろいろな方法を
編み出している状態である。
 今週はまた左目である。

 教会は寒さの為か30人行かない礼拝、
中山は7名であった。
 今年は3人程、礼拝平均を下げている。

 ただ、17年度は、改めていろいろな
自由な働きのあったことを思う。
 神様の働きは、人間の思いと違う、
できたとを感謝するのみである。

2018年1月30日
 教会は少し少なめ。寒いからであろうか。
 中山は7名礼拝であった。

 いよいよ目の治療することになり、
髭剃りや風呂に入り方をシュミレーションしている。
治療はお医者さんがされるが、予後の管理
はこちらであるので、これがまた結構いろいろな
保護道具を買ったりである。

 私は剃刀派であるので、初めて本格的な
電動剃刀を買った。使ってみると確かに便利で
気持ちいい。今頃である。
 
 後お風呂に2週間はいれないので、タオルを
準備して備える。これも、どうなるかである。
 本は読めるのであろか。2週間をどう過ごすか
である。

2018年1月22日
 H姉の召天からまだ日常でない。家族の方は大変
である。自分の母の時を思い出しつつである。

 ようやく児童児童クラブの源泉徴収ができた。結局
、103万を誰も越えていないので、税金は0である。
 しかし市役所は、源泉徴収を全員分もってきなさいと
いう。税務署に確認したら、やはり、1000円でも支払って
いると作ることになっています、という。
 常勤者だけでなく、アルバイトもつくらないといけない。
ほとほと困ったものである。10枚です。
 
教会では各会の役員決めがあった。なんとか納まった。
 感謝です。

2018年1月19日
 E姉の前夜式16日、告別式17日であった。

 アレントの『人間の条件』の大まかな概略が
つかめた。
 労働は、消費物をつくる働き
 仕事は、工作人として、耐久物、を作り、労働を支える。
 しかし、工作には無意味性が常jに伴う。
 活動は、信仰と希望であり、無意味性を打破する。
   人間はこの労働、仕事、活動に生きることに
よって、全体主義に打ち勝つ。

2018年1月15日
 ようやく体が戻って来た感があるが、まだまだ
本調子でない。それにしても、61才にしてこれだけ
やられるのであるから、今後はどうなるのであろうか。
主に任せるのみである。

 アレントの「人間の条件』の「仕事」の項に入った。
実際にはよく理解できない。
 実は、昨日の1ヨハネ3章の説教も、カルバンと
アビングドンの注解を読むが、理解できなかった。
鈴木正久だったか、病気に成られたとき、ドイツが
取れなくなったと書いておられたが、気になる。
私の場合は、頭がわるいのもかも知れないが・・・


2018年1月9日
 幼稚園は始業式である。
  私の感覚がおかしいのかも知れないが、
ここに書いて記録としておく。

 韓国の従軍慰安婦のことであるが、NHKが散々語る
 「すでに解決済みである」との日本の対応である。
 ドイツのホロコーストを挙げるまでもなく、
こういう問題は、解決済みはありえないと思う。
 たとい政府間で、賠償金のやり取りをして、
解決したとしても、もし私が、自分の祖母に当たる方が、
従軍慰安婦(たとい民間であっても)にされた(なった)
とする。私は、戦争中であり、自分でなったのだから
(自分で敵の慰安婦になるはずもない)が、許せと
いうであろうか。私だったら許せないと思う。
 イエス様はもちろん、十字架の方である。

 想像したら分かることだ。ドイツが、ユダヤ人のホロコーストを罪を
持ち続けるのと同じである。

 もし解決があるとすれば、韓国の方から、
もういいですということしかない。
 つまりユダヤ人が、ドイツにもういいと言う他ない
のである。

2018年1月8日
 2018年が始まる。今年は、H姉が、危ない状態で年を
越し、今もじっと経過を待っている。
 家族の方は、家族介護というか、家族での看取り
であるので、大変である。
 しかし私は祖父の本家の家族での看取り、昭和40年ごろの
看取りを思い出す。
 祖父のところにつれて行かれた私(小学3,4年生?)は、
じっと爺ちゃんの顔を見て、ひと事も掛けられなかった。
爺ちゃんはじっと私をみて、目を細めていた。目のちからの
弱さを覚えている。
 それから2,3日後に爺ちゃんは亡くなられたと記憶する。

 年賀状に、北海道の方からHPをよくみています、とあった。
あまり役には立たないが、嬉しいものである。
ただ私は、書いているように、田舎牧師の励ましに目標を
おいている。
 株価だけ値上がりし、少子高齢化と人口減少の対策は、
私が見る限り、幼稚園とこども園を増やすとしかない。
本気で、人口を増やし、介護をする気は、政府にないようで
ある。しかし、それを支える国民があるのである。
 アレントをずっと読み続けるが、今頃600万のホロコースト
後の世界をどう生きるのか、を、考えている。
 

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