2021年牧師の週間日記
 つれづれなるままに書いています。
今年は忙しそうです。
 田舎牧師のつぶやきと所感です。
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2021年12月28日
 教会は、最終礼拝となり、中山夕礼拝は2名で配信した。
 礼拝後に、年の終わりの連絡・執事会をして
今年を締めくくる。
  これが最後の21年最後の投稿になると思う。
皆さん、良いお年を迎えてください。

 24日にイブ礼拝が終わると、一つのプレゼントがあった。
今まで客員であった方が、転入の証しをもって来て
下さり、執事会にて、承認したのである。
バプテスト教会では、転入は証しをする習慣なのである。
 1月に、転入式ができると思う。
 今年は、バプテスマもなく、20年のクリスマスに
1名のバプテスマをしたきりであった。神様の
プレゼントと思った。

  今年もめまぐるしかったが、会堂建築の
耐震リフォームが進むことを祈るのみである。
 ガンジーさんの自伝からバガバッド・ギーターの
のことがでてきて、取り寄せた。中古で258円の文庫。
 それにしても、バガバッド・ギーターにあるが、
「神様は、行為そのものを見られれるのであり、
行為の結果ではない」ということが、とても
力付けられた。
 これはイエス様のタラントンの教えでもある。
おもしろいことに、バガバッド・ギーターも
紀元1世紀にできたとある。新約聖書と同じである。

 東西の根本がだいたい同じ時期にできることが
不思議である。
 確か、紀元前4世紀頃に旧約の編纂が完成し、
孔子の論語やお釈迦さんの活躍がある。
ソクラテス、プラント、アリストテレスもこの少し
後である。
何か、ここら辺にあるのであろう。

 あと、ガンジーさんのスワラジ、スワデシにも
これは、自分自身が独立してないなら、国も
インド人の独立もないという運動に、とても励まされる。
 これはちっとも昔の話しではない。
日本では、男性は女性に大いに依存しているが、
 今一度、スワラジ、スワデシを考えるべきでないか。
 改めて、料理、洗濯、身の回りのことは
スワ(個人、自分自身)ですることでないのか。
 65歳になってこんなことを書いて
いるのであるから、自分ば本当にどうにもならない。
ただただ、主イエス様に救われたのみである。
 ガンジーさんの座右の銘は、
「われのごとく、小賢しく、いやしきものありや
造り主を忘れ、不信の徒なり」だったそうである。
 これは、完全にパウロの信仰義認でないのか。
ローマ7章の告白そのものに思えてならない。

2021年12月19日
 本日は、2年ぶりにクリスマス礼拝短縮礼拝であった。
ガウンを忘れ、フェイスブックの中継を忘れ、
ハレルヤも私は間違いだらけで足を引っ張った。
 やはり毎年ないとすべてを忘れているもので
ある。
 練習が足りず、本当に迷惑ばかりです。

 でも、ハレルヤを讃美する為に5人の方が駆け付け
くださった。それだけでも感謝感激であった。
 残りは24日のイブ短縮礼拝がある。なんとか務めたい。

 フェイスブックに来ている方には、申し訳ありません。
ハレルヤの練習で、すっかり中継を忘れてしまいました。
 夜の中山夕礼拝中継で我慢されてください。
 済みません。

2021年12月17日
 不思議なもので、12月はどうしてこんなにせわしない
のであろうか。師走とは良く言ったものである。

 ガンジーさんの自伝を読み終わり、
ガンジーさんがヒンズーのバガヴッド
ギーター(詩)をよく評価されて
いることを読んで、自分も読みたくなった。
 アマゾンの中古であるようである。

  ガンジーさんはあんなに社会運動をされてたが、
自分の霊性を非常に重んじられている。
 神様が実体であり、自分たちは非存在かもしれない
とも書いている。

 クリスマスのイエス様の御誕生は、非存在に
存在を与える誕生だったのかも知れません。
祈りの実体なくして、クリスマスのは理解できない
のかも知れません。

2021年12月13日
 教会は、ハレルヤを歌いたいと言うことで、
数名来られた。中山は2名であったが、
ライブをずっと聞いてくださる方があった。
   昨日も3時半まで会議であった。
 ハレルヤはやはり歌うとスッキリする。
ヘンデルさんはすごい歌を作ったものである。

10日には、児童クラブの市役所の監査が
あった。 

2021年12月7日
 中山、教会ともいつもの通りである。
 執事会に、児童クラブの運営委員会と会議が
続くこの時である。

 実は、あることから『ガンジー自伝』を読むことに
なった。読んでみて、すごい学びになった。
 ヒンズー教のことを、ほとんど知らなかった。
このHPの目的は、田舎牧師を支えるとしたが、
どうか、田舎牧師の方は一度『ガンジー自伝』を
読まれることを勧める。
 3年間の留学と全く仕事の無かった時代、
偶然のように、代書屋をすることになり、これが、
南アフリカで用いられて、ガンジーの基礎になる
話し、禁欲の話し、学びは無限にあった。
 

2021年11月30日
 アドベント第1主日礼拝も無事終わる。
教会、中山共にいつもの通りであった。

 昨日は、コーチングセミナーをオンラインで
受けた。
 ベン先生がいわれるには、これからの牧師は、
教え・説教型スタイルから、模範・イエス様型に変わる
といわれる。今、イエス様が牧師として就任されたら
多くの教会では、いつも外にでているとか、
自分たちをちっともみてくれないとか文句が
でるのでないかと言われた。
 おもしろい講演であった。
 児童クラブのHPを更新した。いろいろなことを
忘れていた。


2021年11月22日
 教会、中山共に、いつもの通り。
 昨日は、午後に、建設委員会があり、午後4時半まで
かかり、その後夕礼拝で、さすがに疲れてしまった。
 明日の休みを感謝するのみである。
 

2021年11月16日
 教会礼拝は、幼児祝福式でいつもより少し多かった。
中山は、3名。
 
 昨日は、キリスト教の部落差別運動の団体が、北大阪
教会からズームで中継くださって、聞いた。
 なんでも、ハーバードの教授が部落差別はない、
従軍慰安婦もないという論文をだされて、これが
反響を呼び、ここれについてであった。
 部落民はただの貧農であり、都市の貧民がそれを
装っていたという説になっているとのことである。
 しかし、その引用や歴史考察は、全く滅茶苦茶で、
どうして、これが学受論文誌に載ったのかわからないほど
酷いものであった。引用が、孫引きで悪質なものであった。
 その例を一杯あげられた。

 問題は、どうしてこんな論文が、ハーバードという有名な
きちんとした大学の論文として載ったかである。
 講師の方は、マジョリティが全くマイノリティへの同情を
なくすとこうなるのでしょう、とのことであった。
 なんとこの論文を書いた方は、日本の有名な団体の
宣教師の子供なのである。
 改めて、信仰とは何であるのか、宣教師の子がもちろん
キリスト者とは限らないが、考えさせられる講演であった。

2021年11月12日
 昨日、家の近くのイオンの本屋によるとヘミングウエイの
100de名著がまだ売れ残っていた。10月号である。
 高校生の英語の先生から『老人と海』くらいは、お前達
は読めるだろうと言われて、私は、なんと先生の車に
乗せてもらって、長崎市の洋書店まで行って買ってきた
ことを覚えている。
 買って読むと、実は、全く歯がたたなかったのを覚えている。
 仕方ないので日本語の文庫で読んで、
老人が、カジキを苦労して釣って、それを持ち帰る
時に鮫に全部食われた話しで、何が、どこが、おもしろいのか
と思ったものである。

 しかし、なんと解説書を読んでいると、全く違う小説
であった。ヘミングウエイは、ハードボイルのマッチョ小説の
権化みたいで、自分には、関係なく、おもしくないと思っていた。
 しかし、なんとヘミングウエイは、子供の時に女性として
育てられ、同性愛の気持ちが分かり、自分の性の自己同一にも
悩んだ人だったらしい。だから、あえて表面上は男らしくしていた
らしい。両性具有の方だったらしい。
 
  つまり老人が、テーマになっているのはそういうことらしい。
また、ヘミングウエイの小説は、よく読むと同姓愛やLGBTQの
問題がはいっており、『老人と海』には、実はエコロジーの観点を
いれているという。
 目から鱗というか、びっくりした。老人であろうがなかろうが、
自分の使命というか、仕事をきっちりしていく物語で、
仕事の成功・失敗を越えた生き方を示しているという。
 少年との交流に、老人は若者に、自分の姿を見せろ、
ということらしい。

 『老人と海』のメッセージは「叩き潰されても負けるな」なのです、
とあった。もう一度読んでみたい。
 これは完全に説教でないかと示された次第です。

2021年11月6日
 毎週来てくださる方には申し訳ないが
月曜の更新がこのところほとんど出来ない状態である。
 実は、教会規則を改正してしいるのであるが、
これが、またいろいろあってちっとも落ち着かない
のである。それに連動しての事業の改正がある。
 11月は、第1週が召天者記念礼拝(今年も中止)
 第2週は、幼児祝福式、3週は収穫感謝の日
4週は、世界バプテスト祈祷週間の始まりである。
 ひとつひとつ大切であるが、なかなか、いつもの
ように行かない。

 これに、児童クラブの募集ととうとう市役所の監査が
来る。
 ひとつひとつである。
 100de名著は、またカラマーゾフ兄弟をしている。
ゆっくり読みたいが、さっぱり時間がない。 

 拾い読みで、広井良典さんの『ポスト資本主義』を
読んでいると、東北の古い神社の97%が3・11の大津波を
受けなかった話しがあって、古い神社はセイフティネット
の要素を持っていたのでないかと書いておられた。
ただたんに、神社仏閣は高いところにあるで、
すまないのでないかとのことである。
なるほど宗教に、セイフティネットを入れ込んだのは
知恵なのかも知れない。

2021年10月30日
 今週は更新が遅れてしまった。葬儀が入ったのである。
毎週来てくださる方は、あれと思われたであろう。
  58年前にここでバプテスマを受けられ、結婚式をされた
方で、病気が急変されて来られて、頼まれたのである。
 終ってからほとんどの方が、キリスト教式の葬儀は、
初めてです、と言われた。 
 9月にしていたが、今回は、終わってから、疲れが
でて、1日休んでいた。初めての体験である。
 年であろうか。段々体が弱くなっている。
受けるしかない。

2021年10月18日
 なんと先週は更新をしていなかった。
忙しかったのかよく、わからない。特伝の
準備があったことはあったが。

 昨日は、国分教会の特伝の奉仕をした。
久し振りにお会いする方ばかりで、本当に
コロナでの集会ができないことの重さを知らされる。
 皆さん、下手な説教を喜んで、聞いてくださり、
感謝であった。

 教会は、村上先生が宣教下さった。感謝である。
ミャンマーの軍の代表が、アシアンから拒否された
ニュースが言われていた。
 それはそうだろう。クーデターの軍を代表にしたら
これは、クーデターは、許可されたことになる。
 アシアンの東南アジアの国も、クーデターを合法化でき
ない。今は選挙があるのである。自分の国でクーデター
されたらたまったもんでない。

2021年10月8日
 緊急事態宣言と蔓延防止法がとけて、10月3日から
通常礼拝杯といっても、短縮であるが始まる。
 皆さん喜んで来られた。
 教会は26名、中山夕拝は3名、教会学校は11名からの
スタートである。朝の祈祷会5名、夜の祈祷会2名からである。
 
 新聞テレビによると、どうしてこんなに感染者が少なくなったのか
本当の原因はわからないのだそうである。
 私は、てっきりワクチン接種だろうと思うがそう簡単でないらしい。
 3回目を打つとか言っているが、私は、東南アジアの
国々のように、まだ一回目も打てない国があるので、
金の力で3回目というのは、どうなのか。

 イスラエルでは3回打っても感染するとかと
言っている。
 山中伸弥先生のHPでも、3回目は効果等をよく審議すべきで
あると書いておられる。そもそもウイルスには完全はないのである
から、3回打てばいいのかという問題は残ると思う。
 とにかく、集まってできる礼拝、祈祷会の嬉しさは
すばらしい。連絡会ではクリスマスのハレルヤをどうする
かという協議があったが、少し早いかもである。
 用心して進むしかない。

 岸田首相は、久方ぶりに広島からの首相だそうだ。
ただ、経済の成長なくて、皆さんが食べていけるような
資本主義は、難しいので、本当に舵取りは難しいと
思う。経済成長なくして、みなが潤う、つまり分配を
受ける方法は、ノーベル章ものかも知れない。

 アメリカの国籍を取られた方がノーベル物理学賞を
取られて、気象学の分野のノーベル章は何十年振りなのだ
そうだ。インタビューで、自分は人に気配りするのは苦手
ですから、日本には帰りませんと言われて、
典型的は頭脳流失だったようである。50年前の理論が
今、日の目をみるが、すごいと思った。50年後に
評価される学び・歩みが、できるのかな。


2021年9月27日
 昨日はライブは教会学校礼拝、
教会礼拝、中山夕礼拝も、3ライブとなる。
 ライブ礼拝のみもいよいよ最後である。
鹿児島県はこの1週間、感染者は一桁となった。

 新聞テレビもいうように、9月30日をもって、
緊急事態宣言と蔓延防止法は、解除する予定と
県知事さんが言っていた。

 さて、しかし、園の子どの供の礼拝は、まだクラス礼拝である。
面白いことに、マタイ伝21章の「2人の息子」のたとえ話しを
する。なんと「いやです」と言って、後から行ったお兄さんと
「承知しました」と言って、行かなかった弟さんと
どちらがいい人でしょう、というと。
 こども達は、弟さんつまり、承知したと言って、
行かなかった方を選ぶ子がけっこういた。
 私はがっかりして、自分の話し方がわるかったか
落ち込んでしまった。
 
 しかし、なんと先生のギターは面白かったという
子がいて、また元気がでた。なんだか、しょうもないことで
喜んだり、落ち込んだりの日であった。

2021年9月20日
 久振りに月曜日に更新ができる。
 敬老の日であり、子ども園は休みである。
   少し時間があるので、更新できる。

  昨日も、教会学校礼拝のライブ、
朝の礼拝のライブ、中山夕礼拝のライブであった。
  3つの配信をするとさすがに、夜に帰ってくると疲れて
いる。4食目の夕飯を食べてしまう。
 帰ってくると『不滅の刃』とかいう漫画をして
いた。
 ストーリィがさっぱりつかめず、2人でもうお年寄りには、
無理な漫画かもと言う話しをする。
 ただ、鬼にも鬼になる事情があって、主人公の優しさ
が分かる設定になっていた。強ければいいとか、
勝てばいいということへの反抗がある。現代批判である。

 作品には神社がよくでてくるが、製作した方は、聖書を
読んだことがあるのであろうか。
 たしか10年ほど前の韓国映画の『ちゃんぐむ』が制作者が作成根底は
愛なのです、というコメントをしていたことを聞いたことがある。
 不滅の刃も、人が一杯斬り殺されることを除けば、
製作者実は、隠れたテーマは愛です、と言われるかも知れない。
 しかし聖書もまた、人が一杯殺される。旧訳ヘブライ聖書を、
それで読むのを止めた人を幾人か、聞いたことがある。
 古い話、ドナルド・キーンさん(川端康成の小説を英語に訳した人)が
「聖書は、人が死にすぎます。源氏物語は1人も死にません。すごいです」と
いうインタビューを読んだことがある。
 なるほどそういう見方もあるのかと驚いた。

 しかし、反対から言うと不滅の刃も、人が一杯死ぬことで、
何かを訴えているのかもしれない。

2021年9月16日
 またもすっかり更新を忘れていた。
ライブ礼拝゙配信の方が、牧師ははるかに忙しくなる。
 どうなっているのか。
 教会学校礼拝、主日礼拝、夕礼拝、
朝祈祷会、夜祈祷会とかぞえると5つの配信である。
 これに、説教と祈祷会の原稿の準備がある。
これでは、忙しいはずである。

 今、30年前の金子晴勇先生の
『宗教改革の精神』をノートに取っている。
これは何か根本的な良い本である。
 

2021年9月8日
 すっかり更新を忘れていた。ライブ配信のため、
教会は奏楽者と私、中山夕礼拝は1人のみとなる。
 子供礼拝も、ライブをした方が良いかと思い立ち、
教会学校礼拝をライブでやってみた。奏楽者から
ちょっと恥ずかしいギターですね、といわれた。
 しかし、する方が誰もいないので、自分でするしかない。
 子供達が喜んでくれればいいのです。

   月と火曜が、祈祷会と主日礼拝の原稿のために
にわかに忙しくなった。木曜に印刷して、金曜に
発送するので、水曜までに完成させていないと間に合わないの
である。必死である。
 主日礼拝説教を水曜日の夜まで完成というのは、この32年
の牧師生活で初めてである。
 これもコロナの教えてくれたことである。
 
 南連合の決算総会の資料も、自分では終わっていた思って
いたら、文書総会をして終わりだそうで、事務局から言われて、
その準備がいる。
 監査を受けたら、後はどうでもと思っていたのがよくない。

 県庁の教会規則改正の提出もあるし、なんとも忙しい
ことが続く。

 幼稚園の月曜礼拝はコロナ感染のために、一同に会することができず、
各クラスにいくことになる。ギターをもって、3クラス同じ話しと同じ讃美を
するのであるが、けっこう面白かった。
 子供達はやはり楽しい。こんなに小さい子ども園であるが、
クラスによって、子供達が全然違う。おっとりクラス、
きっちりクラス、自由クラスである。先生の性格がでるのである。


2021年9月1日(水)
 本日は早天礼拝の日であるが、本来は休みで
あったが、連絡がつかず、一人の兄弟が来てくださって
休みというわけにもいかず、一緒に祈った。
 非常によかったというか、2人で祈ることの力強さ
を教えて頂いた。主は、もちろん1人でもおられるのであるが、
しかし、やはり2,3人のところにいますというは、
本当である。
 やはり、礼拝、祈祷会は、集まってするものである。
どうしてかわらかないが、一人の祈りと全く違っている。
 初代教会の方が、迫害を受けてもカタコンベ(お墓礼拝所)
に集まったのは、こういうことなのかも知れない。

2021年8月30日
 礼拝、祈祷会は休みのために、礼拝、祈祷会、
中山夕礼拝は、ライブ礼拝i、祈祷会の配信のみで、
1名である。
 賛美歌は、教会礼拝は奏楽者があるが、後は、
アカペラである。聞かれて礼拝、祈祷会をされる方
には申し訳ない。
 音楽を勉強しておくべきであった。

 バルトの1968年新教出版で、43年前の古い本であるが、
『福音主義神学入門』を手にとって読み始めている。
 第12講の試練の箇所に、「神学者の試練は、神が
沈黙され、沈黙によって語られることが一番の試練で
ある」とあり、びっくりした。
 つまりどんなに言葉を繋ぎ、聖書を研究し、宣教しても、
神が沈黙されておられるならば、その言葉は何であるのか、
と言うのである。
 これには参ったである。バプテスマが少ない
とか礼拝が少ないとか、献金がとかの前に、神が沈黙される
と決めておられたら、わたしたち教会の仕事とは
何であるのか。これは大きな試練である。
 というか根本的な試練である。
 神が今、語ってくださるのか。
 やはり祈りがいかに大切かを教えている。
 自分は、今まで何を学んできたのであろうか、と思った。
 これは、コロナ感染よりももっと重大な試練でないかと思う
次第である。

2021年8月24日
 8月22日からの礼拝、祈祷会を、鹿児島県の
緊急事態宣言において、休んでいる。9月26日まで休みである。
 しかし、祈祷会と説教の原稿を教会玄関に置き、一部は郵送し、
それぞれのライブ配信は、フェイスブックでの中継となっている。
つまり牧師としては、いつもの通りの原稿準備と
いつもの通りに講壇に立って、話しをしていることになる。

 それにしても昨日の東京のコロナ感染の状況は酷いものである。
昨日テレビは、50代のコロナ感染者が、家族に囲まれ、
お医者さんもありながら、入院できないということで、
亡くなって行かれる姿をドキュメント録画がしていた。
 お医者さんが「見つかりません、済みません」と
いわれる姿はなんと言ったらいいのだろう。
 これは政治の貧困なのであろうか。医療の貧困なので
あろうか。同時に、パラリンピックは今日から開始される。
 本当にどうなっているのだろうか。正直、パラリンピックを
している場合か。入院できない方が現実におられるのを
どうとらえるのか。

 素人が思う出に、プレハブでも簡易医療の施設で、
酸素投与できるくらいのものが、突貫工事でも、
日本でできないのか。
  
 これでは、まさにミャンマーやアフガンと同じことが、
日本でも起こっていることになる。緊急体制、戦時体制
と言われながら、どうして、悪化した方の入院が
できないのだろう。ミャンマーやアフガンの感染者
はあれでは、どうにもならないのであろう。

 今日までは、子ども園も児童クラブも、感染者がでて
いない。しかし明日はどうなるのか。先生方も
戦々恐々である。
 ただただ祈るのみである。
 同時に、危篤に近い方もある。本当に祈ることを
示される。主よ、
 マスク、手洗いうがい、密にいかない。自分たちに
できることはこれだけなのである。



2021年8月17日
 15日は、朝礼拝、十数名、午後礼拝4名、
中山夕礼拝2名であった。
 13日に鹿児島県は独自の緊急事態宣言を出した。
15日の礼拝を終わり、臨時執事会を開き、9月一杯の
礼拝と祈祷会の休みを決めた。
 神様の守りを信じて、じっと時を待つしかない。

 洪水警報もずっと成り放しで、携帯電話からは
毎日警戒を呼び掛ける音がでていいる。
 鹿児島教会は、鴨池2丁目の平べったい
ところにあり、教会は、大雨だけでは何も起こらないが、
高潮や河川の氾濫が加わると2004年には、
牧師館は床下浸水になったことがあった。
 あれから幼稚園の新築の時に、地盤を上げているので、
2004年の台風のようなことがないければ、何もないと
思う。子供達の安全を計るのみである。

 ただ、教会員の中には、崖に近い方や、斜面の方がある。
避難区域に入っておられるかどうかギリギリのところ
であろう。
 守りを祈るのみである。

 ほぼ1週間雨である。ここまでくると神様は、
やはり気候温暖化の警鐘
鳴らしておられるのだとしか言いようがない。
 どう生きればいいのであろうか。二酸化炭素、エネルギーに
ついて、考えさせられる。




2021年8月13日
 日本キリスト教団の社会委員会の反核
講習会をオンラインで受けたことから、
齋藤幸平の『人新生時代の資本主義』を読むことになり、
そこから水野和夫の『資本主義の終焉と歴史の危機』を読むことに
なった。
 2人の著作はほぼ一致している。つまり脱成長しか
地球が生き残る方法はないということである。歴史の危機とは、
国と言うよりも、地球の危機のことである。温暖化を生き抜く
と言うことである。(最終的に、聖書の主張に思えて
ならない。アノルドが言っていたと思うが、現代思想は、聖書に
近づくのである )

 資本主義は地球という限界の中では、その「蒐集」の原理のために、
未来永劫の最後まで使えないシステムということである。

 これらの主張は、すでに2014年には出ているので、
自分は、何をしていたのであろうか。
 自分は、やはり、いろいろなアンテナが弱くなっているようである。
今更であるが、気付いたところから学ぶしかない。

 それにしても、ラジオに出てくる経済学者の寺島実郎さんも、
このことに全く触れることはないのは、先生もお年なのだろうか。
 60を過ぎたら自分の若いときの理論を繰り返すのみ
であるとボーボワールが書いている。
 老いを生きることの難しさを示される。
自分の説教もそうなっているように思えてならない。
主の導きを祈るのみである。


2021年8月11日
 教会の礼拝は、午後礼拝が10名であった。
午前礼拝とたしても、27名であった。
 中山夕礼拝は、2名であった。帰省の方が
キャンセルされたようである。直前に蔓延防止がでたため
である。
 今年は、静かなお盆となる。

 自分も夏期休暇であるが、何もしないでいる。帰省もできず、
どうにもならない。
 しかし、何もせずに、ゆっくりしようと思う。

 100de名著7月号が『老い』になってボーボワールさんの著作に
なっている。説明者は、上野ちづ子さんである。是非読もう。
 100de名著の6月号は、『華氏445度』の未来社会に
本が無くなる寓話小説である。これもぜひ読もう。
今をじっくり生きることを示される。

2021年8月6日
 広島原爆の日である。
 反核運動のオンライン研修会で、
『人新生(ひとしんせい)時代の資本論』齋藤幸平著の本を紹介されて
昨日は1日かけて読んでみた。
 面白かった。資本論の新しい解釈で、非常に
感心した。
 ようは、コモン(公共)を広げる政策が気候変動に
打ち勝つ唯一の方法でないかというのである。
 グリーン革命も、SDGS運動も、資本論にのっているので
無理だというのである。第3の道は、生産の縮小であると
いう。
 グローバルサウスをいかに守り、外部社会をつくらない
方法は、これしかないという。



2021年8月2日
 朝礼拝10数名、午後礼拝10名ほどであった。
 中山は3名。
 東京は昨日4000人のコロナ感染だったらしい。

  昨日は夕礼拝から帰って、男子バレーのイラン対
日本をみた。ぎりぎりで、準決勝に残った。
 20数年振りらしい。自分の記憶では、いつも決勝には
残っていたと思っていたが、全然違っていた。
 オリンピックの記憶というのはあやふやなものである。
 だんだん、57年前の小学2年生の記憶は、
もしかして後から追加されたものだらけかもしれない。

 なぜか最近『イソップ寓話』岩波文庫が面白くて
読んでいる。昔、ルターが牧師はイソップ寓話を読みなさい、とか
卓上語録にあった記憶であるが、これも
あやしいかもしれない。

 しかし、イソップ寓話の核心部分は、欲張るな、
自然に任せよ、ということで、キリスト教とかなり似てくる
ように、読める。
 ギリシャ文化の本質というのも本当のところは
何だろうか。
 ギリシャ哲学者の田中美知太郎が、自分は、ソクラテス、
アリストテレスと読んでいるが、ギリシャ文化は、演劇や
文学、歴史も非常に広く、自分が知るのはごく一部なのです、と
書いたおられたのを覚えている。
 イソップ寓話を読むと、また、ギリシャとな何だったのか
と思わされるのである。

2021年7月26日
 昨日は、午後礼拝後に連絡・執事会をいれたので
なんと午前礼拝よりも午後礼拝が多かった。初めて
の事である。また、中山夕礼拝は、3人であった。
 
 昨日も、建設委員会もあり、午後5時まででった。
しかし、若い会員が責任を引き受けてくださることが
多くなり、私は感謝のみである。
 とにかく進まないと、と思っている。

 オリンピックは、コロナ感染の中大変である。
三宅選手の記録無しや内村選手の落下という
20年以上の選手の方の交替は、よく頑張られたと
思う。これからの人生をしっかり歩んでほしい。

2021年7月23日
 本日は、オリピックの開催式とのことである。
 今回は異例づくしの大会である。と言っても
私は57年前の大会は、8才であり、小学2年生だった
ことになる。おそらく父が買ってきたばかりの
音響のあの14インチの真空管テレビで
見たのだと思う。
 聖火が、私の家の前の国道57号線をとおった
のを小学校の前の道路なので学校の全学年で、旗を振り
見に行ったような記憶がある。
 三宅選手の銅メダルとバレーの東洋の魔女とマラソンの
円谷選手とが記憶の彼方である。
 しかし、よく考えてみるとこれらは、その後の
オリンピックのいろいろな記録映画と自分の記録が
混合してしまっているかもしれない。小学2年生が
はたしてオリンピックに興味を持ったであろうか。
遊ぶことで手一杯だったかもしれない。
 昨日、東京オリンピックの東洋の魔女は
ロシアに3対0でストレート勝ちしていることが放映されていた。
私の記憶では、ぎりぎりでようやく勝ったという記憶である。
完全に間違っていた。

 それしても昨日になって、開会式のプロデューサーが解任されて、
その理由が昔ホロコーストを笑いのネタにしたことだとのことで
ある。実際はどう用いたのかは、テレビも新聞もよく
言わない。
 本当はそこが大切と思う。ユダヤ人のホロコーストを日本人で本当に
理解している人はどのくらいいるのであろうか。
 私は、韓国の慰安婦や徴用工問題と重なっているのように
思う。ホロコーストの残虐性が分かる人は、韓国の慰安婦や徴用工問題
も分かるのでないか。
 ホロコーストだけ言語道断となるのであろか。それはミャンマーの
クーデターも重なっているのでないか。
 イソップ童話には、本当に理解しないで賛成して
あとから恥をかくというのが一杯ある。
 その類に成らないと良いのだが・・・・。

2021年7月22日
 朝礼拝、午後礼拝、中山夕拝はいつもの通りであった。
中山は、電源をもって行くのをわすれて、ライブ中継を
スマホでしたら、なんと10分間の設定になっているようで
途中で切れてしまった。聞かれていた方は、困ったであろう。
済みません。

 恥ずかしい話しであるが、今頃「ここがロドス島だ、
さあ、こここで飛べ」という故事の意味が分かった。
 イソップ童話にある。
 あるほら吹きのオリンピック選手が、自分は世界的
な記録をだした。ロドス島の大会の時だと吹聴していた。
それを聞いた人が、「ここがロドス島だ、さあここで飛べ」
といったそうだ。
 今ここで証明出来ることだという意味である。
 オリンピックが始まるので、週報の巻頭言を捜して
いたら、とんでもない故事がでてきた。
 この故事は、その後、ヘーゲルもマルクスも引用し、
何と神学者のカールバルトも引用している。
 バルトは、「ここがロドス島だ、ここで飛べ」こそ、信仰のこと
ですと書いている。なるほど今ここで信仰は生きるのです。


2021年7月12日
 昨日は朝礼拝20人ほど、午後礼拝10人くらい
中山夕拝は、2人であった。
 建築委員会の会議が8回目であった。
なんとか、主の導きを祈るのみである。
 オリンピックは、無観客となった。なんか分けの
わからない大会である。
 昨日の各会では、中止がいいのにという方も
あった。

2021年7月9日
 とうとう今週の書込が本日になった。
忙しいのかどうか。
 ヤコブ1章2節〜4節のことばが響いた。
いつもちっとも気にかけないのであるが。
「いろいろな試練に出会う時、この上ない
喜びと思いなさい。信仰がためされることで
忍耐が生じると、あなた方は知っているから
です。あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、
完全で申し分なく、何一つかけたところの無い
人になります。」


2021年6月29日
 朝礼拝は10数人、午後礼拝は、10人以下
だった。これまでの分散礼拝で一番少なかったように思う。
 コロナボディブローが段々きいてきているのかもしれない。
 幾人かの方が、そろそろ午前礼拝と午後礼拝を
一緒にしてほいとと言われる。交わりの分断が、
教会の力を裂くののである。
 ひとつの体験である。

 臨時総会は、3時間でおわった。しかし、18年ここでしてきたが、
なんと下手な総会であることか。結局、迷惑になるのは、
教会員である。本当に申し訳ない。

 昨日の南日本新聞に、沖縄戦のことがあって、
12万ともいわれる民間の戦死者がでたのは、大本営が
解散して、ゲリラ戦になったの一番の原因とあった。
 6月23日以後に戦死者がおおいのだそうである。
 解散というか、負け方も非常に大切である。
そういえば、室蘭時代の個人事業を頼んでいた会計士
さんが、「会計帳簿を付けても事業の発展には役にたちませんが、
解散するときに、さっと解散できるのです」と言われて
いた。時々思い出す。
 負け方も大事である。

2021年6月23日
 今週は、朝礼拝は、十数人で、午後礼拝も10人ほど
であった。中山は2名である。

 沖縄慰霊の日、命ど宝の日である。
ラジオも昨日の番組も、沖縄戦の話しをしている。
 ここのところ、一昨日はアウシュビッツの
ゾンダーコマンダー(アウシュビッツで働かされた
ユダヤ人達の特別兵)の1時間ドキュメントをしていた。
昨年のお盆の再放送とある。全然気付かなかった。

 戦争の話しが多いのは、なぜだろうか。
  何度も書いているが、600万人を殺したと言う
事実がナチスドイツのすごさを示す。
 そして、それが組織的に行われて、
『エルサレムのアイヒマン』に象徴されるように、
裁判において中間管理職の彼は「自分は一人のユダヤ人も殺して
いない」という証言になるのである。

 アウシュビッツの教訓とは何だろうか。
ここを自分のものにしないと第2次大戦後の今を
生きていることにならないであろう。

 昨日はオンラインの連盟の公害問題特別委員会の
研修会があった。鳥栖の野中先生の講演である。
 40年経過した福井の原発を動かすそうである。
  
  どう受けとめていくのであろうか。
 ミャンマーのクーデターも段々、内乱になっているらしい。
毎週金曜日に、ミャンマーオンライン祈祷会になっている。


2021年6月14日
 午前礼拝、20数名、午後礼拝10数名と
なる。中山はまた2名。

 昨日は、3時間に渉る建築委員会であった。
参った。参った。しかし、している内に、若い会員の
発言があり、もう任せていいのでないか、
それでいいのでないか、と思えるようになってきた。
  どちらに転んでも、自分は、先が見えて
おり、年令からも、奉仕もそう長くない。
 若い会員が、こうしたいと思い、そう決断されるの
であれば、それを支えたい。
 
2021年6月9日
  昨日は、3ヶ月振りに教会員の訪問となった。
 他の先生方はどうされているのであろうか。
 牧師は、やはり訪問し祈るが基本のような
思いがある。
  コロナは何を示しているのだろうか。
  主は、何を教えようとされているのであろうか。  

2021年6月7日
 午前礼拝は20人足らず、午後礼拝は6人
中山は3人であった。中山は半年ぶりに3人だった
のでないか。本当に継続は力なりとしか言いようがない。

 執事会が続く。一つ一つしていくしかない。
 主の導きを祈りつつである。
 久し振りに『和解論3の4』を紐解くと、教会はキリストに
従うことが、アルファでありオメガとある。教団は
イエス様の靴の紐をほどく値打ちもないとして、
ただ謙遜に、主に奉仕するときに、実は主に用いられると
ある。全くその通りである。

2021年6月4日
 昨日は、寝ころびながら三谷隆正著『幸福論』
岩波文庫を読んだ、昔、こちらにおられた鹿大の
先生から良い本だと、頂いたものである。
 
 一度読んでいたが、かなり読みとばしが
があった。先生は、義認論の本質と体と霊のこと、
ストア哲学とキリスト教の違いと改めて教えられる。
戦中に1944年に書かれたようであるが、キリスト教全体を
知るには、これは大切な書物である。

 プロテスタント信仰のしくみを良く書いてくださって
感謝である。信仰をまとめるにちょうどいいと思う。
 それにしても戦争まっただ中にこれだけのことを
書けるとはすごい。どうも、戦争批判がかなり入って
いると読める。l


2021年6月1日
 昨日は朝から訪問と電話が多く、気づいたら
1日が終わっていた。
 朝礼拝20人ほど、午後礼拝10人以下で
推移している。
 中山は2名で、ライブが2名であるが、ライブは、時々
0になることもある。

  建築委員会が4回目となり、建築を模索している。

 本日は、月に一度の早天であった。 
  エズラの神殿再建のように、主が何か教え、
導き、罪を示してくださり、悔い改めていくしか
ないのであろう。
 
 エゼキエル24章にあるように、主が取られても、主の前に、
ターバンを巻き、靴を履き、しっかり生きるしかない
 祈って、時を待つのみである。


2021年5月25日
 23日のペンテコステ礼拝は、
朝礼拝が20名くらい、ライブは3名。
 午後礼拝が10名ほどであった。 
このくらいで推移してくれたら
いいが、どうなることやら。中山はやはり2名
で、ライブが1名である。どながた聞いてくださって
いるのかが、分からない。

 午後礼拝の後、3時間の決算総会であった。
疲れてしまった。しかし、神様のこととして受ける
しかない。
 昨日は、21年度のめぐみ会(幼稚園父母の聖書の学び)
のスタートであった。5名からである。小さい集まりであるが、
来てくださる方があるので、感謝である。

 このところ、自分の学びはさっぱりであるが、今はそのとき
なのであろうか。
 このHPに来る方も少ないが、これだけ更新ができないと
これは当然であろう。時をじっと祈って待つしかない。


2021年5月20日
 なぜか分からないが、パウロと同時代のローマを生きた
ストア哲学のセネカが気になってまだ読んでいる。
 特に『怒りについて』や『神慮について』のところは、
パウロとの類似性が目立つ。
 怒りについては、自分の能力以上の仕事を引き受ける
なと語り、疲れを戒めている。怒りとは、価値判断の間違い
とする。これは、ソクラテスだろうか。

 神慮については、「義人がなぜ苦しむのか」と問い、
ヘブル書12章の主の鍛錬という箇所とほぼ同じことを
述べている。
 時代の思想というのがあるのであろうか。
 セネカとパウロと全く違った生き方が、なぜ、似てくる
のか。不思議である。



2021年5月17日
 教会の午前礼拝は、20人ほど。
午後礼拝は、10人足らず、中山は2名であった。

 毎日毎日、することが次々とある。
 昨日も、3時間の建築委員会であった。
 なんとか方向性が出ることを祈るのみである。

  イスラエルとパレスチナ、ミャンマーのクーデターと
次々と戦争の噂がでる。主よ、どうか、コロナと共に
沈静させてください。
 戦争もコロナもやはり一番苦しむのは、
社会的な弱者の人々であることが、分かる。
 本当に祈るのみである。 


2021年5月10日
 教会の朝礼拝 20数名
午後礼拝も10名くらいであった。
 25名以下の礼拝をキープである。

 午前礼拝、午後礼拝が大夫落ちついてきた
ように思う。中山夕礼拝は、相変わらず2名
でライブ配信している。2名が聞いてくださって
いるが、昨晩は、なぜか10分くらいで、いなく
成られた。

 感染はどんどん広がり、鹿児島もステージ3となった。
緊急事態宣言がでれば、集まっての礼拝を休むと
している。
 
 それよりも、子ども園や児童クラブでいつ感染が
でてもおかしくないのであり、ただただ神様の守りを
祈るしかない。

 緊急事態宣言が出る福岡の教会の礼拝の守りを
祈るのみである。
 ミャンマーの守りも又祈るのみである。


2021年5月1日
 早天祈祷会が終わった。私達の教会では、
民数記28章に習って、毎月の一日の日に早天祈祷を
している。いつも2人か3人である。いにしえの
イスラエルの民を思ってしている。

 昨日、同時代のセネカがイエス様やパウロのことを全く
知らなかったことを書いたが、あり得るように思う。
 それは私達日本人が、今のミャンマーのクーデターに
対して全く「何を今頃」という感覚と似ているのかもしれない。
 地域が変わり、距離が変わると、さっぱり理解できない
のである。これは北朝鮮にも言えるかもしれない。
 「今頃独裁国家があるのか」という感覚であるが、
何のことはない。博多から北東に700qも行けば、
平壌なのである。博多から南に700qは奄美大島
であり、ちょっと方向が変わっただけで、もう違った
世界なのである。
 しかしどうなのか。本当に違った国であるのか。
ミャンマーと日本、北朝鮮と日本はある意味で紙一重
かもしれないのである。

 早天祈祷の聖書は、エズラ書9章であったが、エズラは、
「自分たちはバビロン(ペルシャ)で奴隷であった」と3回も
書いている。しかし神様が自分たち奴隷を、省みてくださったとしている。
 もしかして、日本がこうして一応御飯が食べられ、
選挙がなされ、なんとかワクチンが打たれているのは、
神様の恵みなのではないか。 
 東北地震や子どもの七人に一人は相対貧困であるのは、
神様の警告なのでないか。主の使命と委託は大きいのでないか。


2021年4月30日
 昨日の休みは、『生の短さについて』セネカ著
を読んでみた。1時間くらいで読める。
 前々から「100de名著」にでてきて
イエス様やパウロと同じ時代の空気を吸った人なので
どうなっているのかと気になっていたのである。

 一番驚いたのは、セネカの提言が、現在と
なんと似ていることかということである。
 特に、「無駄な多忙」のところは、全く現代と同じでないか。
人間は、人に使われ、仕事に使われ、本当に必要な
ことに時間を使っているのかと言う問いである。
 「人生は短くない。自分で短くしているだ」と、セネカは言う。
 ある知り合いの人に提言する形で書かれているが、
その方は、ローマの食料を管理する大事な仕事であるが、
セネカは、必要以上に精力を使うなと言っている。

 イエス様やパウロ時代は、なぜか経済や政治の状況が現代と
似ているのである。(奴隷制があり、今は、資本主義であるがなぜ
似ているのか、私には、よく分からない)
 イエス様の言葉やパウロのことばが
私達によく分かるのは、そういうことなのかも知れない。

 それにしても、イエス様やパウロの伝道の事はセネカに全く出てこない。
改めて、キリスト教は、ローマ帝国の中心からみると
全く取るに足りない辺境の宗教だったようである。
 つまり今のテレビや政治が全くとりあげない所で
実は、歴史が動いていることになる。そういうことなので
あろう。
 
   さらに、聖書のイエス様の教え、パウロの教えと
セネカを比べると、セネカには、全く貧しい人、弱い人、
苦しんでいる人の言及が全くない。
 セネカは、ストイックなことを書いているが、ネロ皇帝の
側近として、イギリスの植民地で、大金持ちに
なったとも言われている。

 キリスト教とストア哲学の違いは、どうも、
貧しい人、苦しむ人、奴隷達にどう対応するかに
あるようだ。やはり愛をどう生きるか。
 主の愛の力を考えさせられる。

2021年4月26日
 教会は臨時総会で午後礼拝に回って
くださり、10人を越えた。初めてである。

 午前礼拝、中山夕拝はいつもの通りであった。
 会堂建築は、振り出しに戻った感があるが、
しかし、反対からいえば、皆が意見を言ってくれた
ということにもなる。
 ただただ、祈るのみである。
 4月2日のセネカをキケロとしていた。気付いてくださって
注意してくださる方があった。感謝である。
 キケロとセネカは、私はいつもこんがらがっている。
困ったものである。
 

2021年4月19日
 教会、中山共にいつもの通り。午後礼拝が3名となり
すくなかった。しかし来れない方は連絡をいれてくださった。

 昨日は、聖公会の復活教会で、ミャンマーの為の
懇談会があり、マウマウタン先生が講演された。
 感謝である。1988年のクーデーターの時は、すぐに
鎮圧されたが、今は、もう3ヶ月続いている。
 まだ国際社会は、軍事政権を承認していない。
 ロシアと中国が拒否権をどうするかであるらしい。

 それしても、軍の自分の職務任期の維持のために、もう700人以上の
方々が、犠牲に成られた。本当に、どうしてだろうか。
  クーデターを今もするということが、なんとかならないの
だろうか。日本が軍を一番支えているらしい。
 日本はまだまだ、民主主義を支える力がないのである。



2021年4月12日
 対応の忙しさが続く。本日は幼稚園の第70回入園式
である。
 70年も主は守り導き支えてくださった。感謝に尽きる。
後は、子どもの保育の課題に答えて、いくのみ
である。
 
 説教等の更新ができないが、ここにこられる方は
もう少し待ってください。本当に済みません。
  

2021年4月2日
 余りにも忙しいので、とうとう強制的に木曜の
休みは何もしないことにした。
 イオンの書店に、『100de災害』という100de名著
の特別版があって、買ってきて、寝ころんで読んだ。
 人間は、自然を克服できると考えることが、
そもそも無理だったのであり、自然と付き合うという
ことが、大切である、と改めて示される。
 1933年の3陸沖地震の津波の事実がきちんとあるのに、
2011年に備えられれなかったのは、なぜか。
 忘却であるとあった。

 また、もう一度自分の人生は計算通りにいかない
ことを、覚悟し、生きることを示される。

 結局、聖書の生き方になるようである。この本で、
セネカとイエス様が全く重なって時代を生きていることも
気がついた。一方はローマ、他方はガリラヤ。
 ネロ皇帝の参謀となって世界を動かした哲学者、
自分が仕えたネロ帝に自殺を強制された哲学者。
 イスラエルの片田舎に御誕生され、ひたすら愛を説かれ、
十字架に殺されたイエス様。
 しかし、その後の歴史は、反転した。

 哲人皇帝マルクスアウレリウスも、キリスト教を迫害するしか
なかった。
  イエス様の教えは、「ただ隣人を愛せよ」。
「恵みによって生きよ。」   これでいいのだ。


2021年3月30日
 多くの方が訪問して下さり感謝です。
できもしないのに、連合会計、食糧デー会計を
引き受けて、今年はコロナで、入手出金の
あり方が、ことなり、決算の仕分けが散々です。
 期待して来てくださる方には、もうしわけありませんが、
 すみませんが、暫くの間、更新できません。
 4月中旬あたりから正常化するかと思います。
 祈ってください。


2021年3月11日
 次々と事が起こり、更新が2週間できず。
来られた方には申し訳ない。
暫くこういうことが続くかも知れない。
 
 東北大地震から10年目である。
 復興とご冥福を祈るしかない。
 主が共にいて下さるように祈るのみである。

 最近、お金の無心が多くて対応できない。
これも主に祈るのみである。
 

2021年2月27日
 今週もまたも、更新できなかった。良く次々と事が起こる。
しかし、有る先生が言われていた。「教会はガタガタしている時が
神様が働いておられる時である。」
 「ガタガタしないときは、悪魔からも見放されていると思いなさい。」
いろいろな勧めがあるが、ふと思い出すことばです。
 
 総務省の接待の話しがニュースになっている。
それにしても7万円夕食接待とはどんな食事であろうか。
そもそも一人で食べきれるのだろうか。余るのだろうか。

 2月19日に書いた貧困層とは年収122万以下と
鹿児島市ではなっている。年収122万以下に7人の内の
1人の子どもがあると言う時代に、1食7万円の接待を受ける
というのは、どういう感覚であろうか。
 官僚(国家公務員の中央官庁の人)達が一番しっているの
はずでないのか。 

2021年2月19日
 今週も次々とあり、ここの更新ができなかった。
 仕方ないことある。
  コロナ感染は大夫収まりつつあるが、変種株が
また広がるとか言われている。

 オリンピックの話しばかりを、テレビはしているが
鹿児島市からバプリックコメントがきて、
読んでみると子供達の7人に1人、
一人親家庭では、2人1人がなんと122万の
年収に暮らしており、貧困家庭の子どもの支えを
どうするかということであった。
 教育、生活、就労、経済支援の4本
柱で支えたいとあった。
 本当は、日本は、オリンピックをしている余裕は 
ないのでないか。そんなことを考えた。

2021年2月8日
 教会、中山共にいつもの通りであるが、
昨日は、午前礼拝も午後礼拝も、人数が少なかった。

 昨日はNHKの番組で、2030年が世界の飢饉の分岐
点になるという啓発番組をしていた。
 今の食料システムでは、何と2030迄に手をうたないと
食糧難がくるそうである。

 なんかにわかに信じられないのであるが、
ふと、食料デーの働きや、YMCAの働きやは、
まさにSDデイーズの働きの中であり、本当に
この働きが大切なのである。
 きちんと学ばないと行けないとあらためて
しめされた。

2021年2月5日
 忙しいのか忘れたのか、ここに書くのを忘れていた。
教会、中山共にいつもの通りであるが、分散礼拝のお願い
が少し、分かっていただいたのか、午前礼拝から午後礼拝に
来られる方が、多くなっている。全体はかわらないであるが、
感謝である。

 緊急事態宣言がでて、少し、感染者はすくなくなっている。
鹿児島は、昨日は3名の感染であった。

 青野先生の本を読んでいたら、神様は、創造されたら
後は、そのままにされたのでないかとあった。 
 確かに地震やコロナ感染やで、神様が全部自分のみ手において
おられたら、神様に非難集中である。摂理信仰が今はむなしい
ことばになっている

 しかしどうだろう。ホロコーストの時、バビロン捕囚の時、
ユダヤ戦争の時、主は、見ておられるだけであったのだろうか。
 恐竜たちが滅んだ、隕石落下の時も、偶然と自然の法則が
それをなしただけであろうか。


2021年1月26日
 教会はいつもの通り、中山は3名であった。
ライブを聴く人は、2名であった。
 
 連盟の宣教部と他の件で話したとき、今年の
教勢報告は大変だと聞いた。
 つまり、3回に分けて礼拝するところは、礼拝のスタッフが
3回出ている。またライブで礼拝を守っている人達は
数えるのかどうか、礼拝者数にいれるのかどうか、がある
らしい。
 コロナ感染はいろいろなことを、問題提起している。
他の教会も大変だろう。
 鹿児島は、実際に来てくれた人とだぶった人を
2つ記録している。でも連盟に教勢報告するときは
どうしたもんだか、注意書きを良く読んでということ
だろうか。

 聖書では、イスラエルの民は、民数記1章では、
100人単位になっている。民数記2章には50人
単位がある。3章には一桁人まである数字がある。
 どう理解したらいいのかわからない。
 コロナ感染はいろいろな課題を突きつけている。

2021年1月19日
 昨日は朝からめぐみ会、その後、建築委員会と
更新する時間が無かった。
 17日の礼拝は、朝の礼拝、午後の礼拝、
さらに中山夕礼拝と3つであった。
 中山が、最近はいつも2人であるが、
ライブ配信を見てくださる方が数名あって、
これに力付けられて成している。

 コロナ感染は段々酷くなる一方であるが、
山中神弥先生のHPをみると県別の感染者数に一喜一憂するので
なくて、重症の方の数や人口当たりの感染者に
注意されたらいい、とあった。
 鹿児島をみると下から7番目くらいにあり、
鹿児島は東北の秋田、青森、岩手のレベルらしい。九州で
いうと熊本あたりが大変である。

 数字もいろいろな見方があるのである。
 ここのところさっぱり本が読めない。
  昨日は、YMCAのリモート運営委員会もあったが、
皆80才に近い方、越えたが方が多くなって、
年頭の感想を話されていたが、「活字を読むのが
苦痛になりました」と言われた方が3名あったので、
本を読めるのも、80までなのだろうかと思った。
 大変な時代になって、自分もそうなって
くるようである。


2020年1月12日
 10日の礼拝は、短縮主の晩餐をする。
袋入りのパンもだんだん慣れてきた。
 中山は2名であるが、中山礼拝ライブを3人が聴いて
おられる。誰だかわからないが、つい力が入って
くる。
 教会礼拝後に、執事等選挙総会をする。2021年の執事
監事は決まる。感謝である。
 後は、会堂建築の主の導きをいのるのみである。
ただただ祈るのみである。

 東京、関東に続き、関西地方も緊急事態宣言を出される
そうである。一旦全国の緊急事態宣言になるのだろうか。
昨日は、鹿児島は18人であった。鹿児島は少し
落ち着いているようではある。
  
2021年1月4日
 昨日の礼拝は、教会が20名足らず、中山は2名であったが、
ライブを聴いている方が、2名あった。時々3名になった。
まだ、お正月で礼拝にはこれないのであろう。

 2021年が開けた。新聞テレビの言うとおり、コロナ感染の
すごい中にある。鹿児島も1000人を越した。
東京は大晦日に1000人罹られたようである。
 この先さっぱり読めない。

 ただ、ラジオで県別の人口密度の話しをしていたが、
やはりこのコロナ感染は、人口密度とほぼ比例している
そうである。
 密になると感染が増すのである。