2022年牧師の週間日記
 つれづれなるままに書いています。
今年も第6波、第7波のコロナ対応で、てんてこ舞いの様相です。
 ただただ主の守りを祈ります。
 田舎牧師のつぶやきと所感です。
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2022年12月26日(月)
 教会は30数名、中山は休みであった。
 今回は、イブ礼拝をお休みした。
初めてである。

 クリスマスが終わった。やはりホットする。
  先週は児童クラブのクリスマス会もあり
下手なギターとなぞなぞを持って行く。
 サンタさんも来て、楽しんでくれた。
  クリスマスは、なぜか、ホッとする。
なんなかんや言ってもやはり、恵みの主がお誕生
されたようである。
 
  今年は本当にすごい年であった。
 なんと言っても教会リフォーム工事が始まった。
  ガチャガチャしながらであったが、
こういうことなのであろう。
 もう少し、スマートにとも思うが、現実は
こうして進むのであろう。

 中井久夫先生の『災害が本当に襲った時』という
神戸震災の体験を元に、東北大地震の考察が
ある。(図書館から借りてくる。しばらく中井久夫漬けに
なるつもりである)
 読んでいると現場は、常に動くのであり、
上の人の務めは、下の人の承認と是認をして
動けるようにしてあげることだ、とある。
 「状況がすべてである」 ドゴール、だそうだ。
 建築は本来はそういうことでないのだが、
しかし、何度もやり直しの現実はそう言わざるを
得ない。
 後は、リフォームされたものをどう生かし、
用いるかである。


2022年12月19日(月)
 昨日は礼拝は少なめ30弱、中山は3名であった。

 礼拝が終わって、運営委員会、候補者選考委員会、
連絡会、執事会と4つの会議が重なった。
 やり方が悪いというか、30数年牧師を
していて、どうしてこう連携がとれんかと悩む。
 これはもう、才能のようなことだろうか。

  中井久夫先生の著作を読んで、何か、
読後感に浸っているという感じである。
 もう少し早く知っていればもっともっと
助けがあたえられたのに、と思いつつです。
 でも時は神様のものですので、この時だったの
だと思います。
 与えられている時間と仕事で、生かすしか
ありません。
 改めて統合失調症の方も、お医者の立場では、
1人なんでも話せる友人がいれば、なんとかの
ケースが多いと中井久夫先生は言われます。
 その一人が難しいのかもしれませんが、
一人になれたらこれは大きな恵みです。 

2022年12月16日(金)
 この前から100分de名著の中井久夫先生の本を
読んでいるが、取り寄せた『治療文化論』を読み終わった。
 これは牧会学の参考書に一番いいのでないかと
思った。
 牧師の燃え尽き症候群にも
対応しているし、なんと言っても統合失調症や
うつ病は、誰でもなる病気ですという患者モデルが
すごい。なぜ、それでは、私たちはならないのか。
 心的エネルギーが注がれているからとする。

 牧師が精神をやられてリタイヤするのは、
こういう事なのかもしれない。
 特に治療文化の分析には、3つを分ける。
個人症候群、文化依存症候群、普遍症候群である。
 当然、シャーマニズムが入り、宗教ももちろん入る。
 本には、個人治療、集団治療。そして病院治療がある。
 
  面白いのは、個人治療で、とにかく独り言だそうです。
自分の言葉が全く通じない場所に行った。海外派遣の駐在員
や外交官が、その精神を保つのに、ひたすら独り言を
いうのだそうです。おかしく思われていいそうです。
 
 自分はよくやっている。自分はこうする。あいつはどうだ、
とぶつぶつと言うことだそうです。なるほどと思わされる。

 イエス様がなさった足を洗うこと、手を触れること、地面に
絵を書かれたこと、これらは全部精神医学の大事な要素
を秘めているそうです。
 詳しく書けませんが、そこには、偶然があったかも
ですが、同時に一番よい治療の要素があったそうです。

 最後の項で、精神医とは、傭兵でありまた売春婦でもある
という定義には驚くと共に、先生の卓越を示されます。
 牧会者もそうなのかもしれません。
  主にある謙遜さとみ言葉に仕えることを、本当に示される
本です。土着治癒師の没落は、ヒュブリス(謙遜)を忘れた
傲慢、高慢にあるそうです。(元統一教会の没落)
 プロとは何かを示される本です。
 

2022年12月13日(火)
 幼稚園2階の礼拝はいつもの通り、30人弱。
中山は3名であった。
  待降節の説教は毎年であるので、
苦労するが、しかし、なぜかやりがいがある。

 100de名著が「中井久夫」をしており、本当に
学びになる。こんな精神医科がいたのかというところ
である。特に、普遍症候群、文化依存症候群
個人症候群に、精神医学を分けるところが、すごい
ものである。
 キリスト者の海外医療団体の
岩村昇先生が、時々でてくるのがおもしろい。
 岩村先生の活躍の内容は全く知らないのであるが、
先生は、精神医学でないが、ネパールの山奥に入り
医療活動をすることと、現地の呪術の医者と共同して
治療に当たられたことが、すごいものである。
 そのきっかけが、先生が病気になり、ネパールの現地では、
誰も癒してくれる方がなく、とうとう現地の呪術士に
村長の紹介でかかられ、なんと癒されたそうである。
 医学博士でもある先生が呪術を受けられる
その謙遜さに感動する。

 昨日はNHKで、ナチ・ハンターをしていた。たとい
市井の人でも戦争犯罪者をおいかけて、裁判にかける
人たちである。ハンナ・アーレントが書いた
『エルサレムのアイヒマン』もこの働きで
捕まったようである。
 それにしても、あの執念は、ユダヤ人というか、
聖書の現代のアモスやエレミヤなのかもしれない。
 日本では「ゆきゆきて神軍」?だったかの映画を
思い出した。今もあるのだろうか。 

2022年12月5日(月)
 教会は30人弱、中山は2名であった。
 今日は、土曜日に幼稚園のクリスマス会があって、
教育部は代休でであるので、ゆっくりであった。

 それにしても静岡の保育園の報道には
驚くばかりである。園児の中吊に、叩きと
これは、何か裏にあるのだろう。
 保育園の先生のように、労多くして報酬の少ない
仕事にあえてあることは、少なくとも子どもが好きととか、
何か動機がないととてもできるものでない。
 
 保育部の先生からは、確かに苦しいことも多いが
しかし、実際に叩き、暴行することはまた別の問題で
あろう。
  現場にいるとおそらく支援を必要とする子の多動に
振り回されることがあるが、それは、しかし、その子の特性
であるし、叩いてどうこういう問題でない。
 言うことを聞かせることが保育でないし、保育士の
人数のギリギリさや、何か別の原因があったのでないかろうか。
 本当に悲しい事件である。

 なんか、保育も根本から崩れているのであろうか。
安全が第一にされることで、安全が脅かされるとか、
言う通りにさせることで、言う通りにならないとか、
 何をどうするのか、分からないが、子どもにとっては、
本当にどうしようもない事件である。


2022年12月2日(金)
 例によって、また更新を忘れたようである。 
この時期は、幼稚園のクリスマスや児童クラブ
の次年度の準備が入り、正直てんてこ舞いである。
 足が地につかない。つまり師走なのである。

 バプテスト祈祷週間に触発されて、
 中公新書の『シンガポールの歴史』を取り寄せて
読んでいる。全然知らない事ばかりで、
150人の小さいマレーシアの島がイギリスの一人の
東インド会社の社員によって、買われて、
550万の人口の国になって、しまった物語である。

 イエス様の辛子種の成長のたとえ話を思い出す。
本当に歴史には、そんなことがあるのである。


2022年11月21日(月)
 昨日は、収穫感謝礼拝であった。幾人かの方が、
自分の畑の作物を持ってこられて、礼拝にささげられた。
  400年前のメイフラワー号の時は、乗員の半分がなくなった
と記録にあり、大変だことだったろう。
 ネイティブアメリカンの人たちが助けてくれたそうである。
 しかし、その後の歴史は惨憺たるもので、
本当に、どう考えたらいいのだろうか。

 なごみ会の方が、食料デーの献金を持って
来られた。感謝です。


202年11月19日(土)
 今頃、更新していないことを思い出した。
 今週は次々といろいろな事がありすぎであった。
   幼児祝福式には6名のことども達であった。

 新しい方が2名来られていて、「いつか教会に
行って見たかったのです」といわれたのには、驚いた。
  こんなに、元統一教会が、放映されて宗教に
対する警戒が言われているのに、それでも、
来てみたいと、行って見たいと思っておられる
方があるのです。
 教会の責任は重いです。元統一教会の
酷さは別にして、宗教の務めは重いなと
改めてしめされた幼児祝福式でした。
 聖書にきちんと立つ私たちの責任は重いです。

2022年11月7日
  昨日は、召天者を覚える礼拝であった。
 しかし、今、教会がリフォームをしていて、会堂を使えず、
いわゆる召天者記念礼拝ができないのである。
 ご遺族の写真を写し、小さい軽食を遺族の方と一緒にとり、
生前の歩みを語る会をしていた。これは今年も
中止であった。
 名前を覚えて祈るのみであった。
  しかし、それでも福岡、神奈川、志布志と遠くより
近くより来てくださった。本当に感謝である。

 この時期は来年に向けて事業所は準備する。教会の
小さい児童クラブの働きも、先生方と来年の働きの準備を
する。

 このところ本がさっぱり読めなくなった。そういうもの
であろうか。201頁のフォン・ラートの本を読むのが手一杯
であった。これは年のせいであろうか。
 昔、日キ教団の有名な先生で、本が読めなくなったと
あって、その後、病気になられた話があった。このような
時には、じっと我慢であろうか。

 よくわからない。ただ、イエス様が教えてくださったように、
「私の思いではなく、あなたの御心をなさせてください」の
祈りがやはりすごいなと思う。私の思いでなく、
今日、神様が示してくださる御心、仕事をしなさいと
いうことである。

2022年11月1日(火)
 昨日の更新を忘れてしまった。
  この主日は交換講壇で5年ぶりに隣の日キ教団
加治屋町教会に行ってきた。変りない礼拝に
感謝であった。ライブの配信はできなかったが、
そのほうがゆっくりと話せると思う。
 自分の説教の方は、そのまま中山夕礼拝でも用いた。
 
 当教会の松本先生の説教はとても良かったそうである。
また先生は、著作もおありになるので、幾人かが
購入されたようである。

 先日の日本聖書神学校のズーム同窓会で
フォン・ラートの『ナチ時代に旧約聖書を読む。フォン・ラート
講演集』 教文館を進められて読んでみた。
 ああ、いい本である。
旧約ヘブライ聖書の立ち位置がよくわかった。
 自分はこの線にそって旧約を新約と同じイエス様の
証言として読んで来たが、改めて、旧約なくして新約なしの
立場を理解した。
 もう少し早く出してほしいものである。

2022年10月27日(木)
 今週も今まで更新を忘れていた。
忙しいのかどうなのか。
 23日は、教会は30人弱、中山は2名で
あった。
 祈祷会は1名であった。久しぶり夜の祈祷会
は1名で、一人でじっくり祈れた。
 これはこれでいいのであるが、やはり、
イエス様が言われたように、2または3人が
ほしいところである。

 主に祈るのみである。100de名著は
『折口 信夫』をしていて、思い白い民俗学
である。日本人にとっての神とは
何かがテーマだったそうである。

2022年10月18日(火)
 この前の主日は、佐々木恵ミッションボランティアが
証をしてくださった。ルワンダでの働きの一端を知り、感謝である。
 
 その後、臨時執事会、児童クラブ運営委員会、その後
食料デーの街頭募金、それから中山夕礼拝と
ずっと続いた。
 へとへとになったたが、又主によって元気を
頂くのみである。

2022年10月13日(木)
 更新を忘れるところであった。
  前の主日は、宣教師の佐々木恵さんも来てくださって、
久ぶりに38名の礼拝であった。
  また中山は2名であった。

 幼稚園を礼拝で使うようになってまだ
落ち着かないが、これはもうリフォーム完成まで
仕方ないかもしれない。

 なかなか自分の学びができないが、これも
仕方ないかなというところである。
 リフォーム完成まで、与えらえていることを
するしかないというところである。

 鹿児島もコロナ感染はすっかり少なくなって
いる。


2022年10月3日(月)
 幼稚園の2階に移った礼拝は20数名だった。
中山は3名。ただし、おなかを壊して何度も
トイレに駆け込み、途中でどうしても説教が
できなくなり、中止した。
 生まれて初めての体験であった。
 動画も削除した。
   よほど疲れていたのであろうか。よく
わからない。

 早く日常に戻りたいが、リフォームの引っ越し荷物が
まだ整理できず、南連合の振込記録やら
がどうしても見つけることができない。
 料金を払えば、再発行してくれるが、
できるだけ見つけたい。
  見つかるように祈ってください。
  説教のここへのアップはまだしばらくかかり
そうです。待っている方には、すみません。

 100de名著の今日は知里幸恵『アイヌ神謡集』
の最後の再放送であったが、すっかり忘れて録音
できなかった。残念である。しかし、アイヌの方は
今は、自分がアイヌのことを表現する人が増えたと
ある。自分が北海道にいるときは、ほとんど
かかわりが持てなかった。生きておられた萱野さんを訪ねてて
小さい講演をきいたのが、最後であった。 

2022年9月26日(月)
 礼拝は、幼稚園の2階となる。夜の祈祷会も幼稚園の2階、
朝の祈祷会は、中山伝道所に行って祈っている。
これが来年の2月まで続くことになる。

 礼拝がおわると皆でひたすら消毒である。これも
参ったである。椅子とトイレ、階段とある。
 礼拝の前に、椅子ならべ、PCの設置、PPTの
準備と1時間かかる。
 仕方ないかな。
 
 牧師館は引越荷物であふれる。これもまた
どうしようもない。ひたすらやけくそになりたいが
じっと我慢である。
 神様に感謝し、時を待つしかない。それにしても
日常を続けながらの引越がこんなに頭と気を
使うとは、訓練である。

2022年9月23日(金)
 すっかり更新が滞る。
 リフォームが始まり、教会の引越にかかったのだ。
正直、すべての仕事を継続しながらであるので、どうにも
ならない。
 記録が、ファイルがどこにいくのか分からない。
 改めて、てんてこ舞いとなり、大変になる。一度、室蘭の教会と
幼稚園の新築で体験しているはずであるが、手順が
さっぱりで、資料が増えている。
 しばらく更新が滞る時は、そういうことだと
うけてください。
 引っ越し荷物で、腰が痛いが、教会の方は
よく動かれて、荷物を次々と片づけてくださる。
 感謝のみである。私よりも一回り上の
方が、全く疲れをしらずに、荷物運びをされる。
 体の作りが違うのかと思う。自分としては用心しながら
しているつもりであるが、腰に違和感がある。
 とにかく祈ってください。

2022年9月12日(月)
 いよいよ臨時総会が終わり、
会堂のリフォームが始まることになる。
新築と違って、形は同じであるが、床と柱の補強と
壁を新しくする。
 しかし、新築なら全部片付けであるが、
リフォームは、おいていくのがあり、
これが意外と頭を使い、また大変である。
ただただ祈って進めるしかない。

 リフォームもまた起工式にして、始まる。

 仕事をしながらであるので、なんともどう
進めるのか、しばら右往左往である。
 ただただ、主に祈るしかない。

 2022年9月6日(火)
  全然更新がなくて、どうしたと心配かけてすみません。
  実は、パソコンが8月末に、突然クラッシュして、どうしても修繕できず、
とうとう、最後の手段で、HDDを取り出して、ハードケースに
いれて、無事に資料は守ることができました。

 しかし、問題は、メールやこのHPの設定のパスワードや
ホスト名やらの次のPCへの新規作成である。
 嫌になるような操作を何年ぶりにしている。
 しかし、不思議なもので、ちゃんと20数年前に入っていた
パスやホストの用紙が本箱からでてきて、それを新しい転送
ソフトやら、HP作成ソフトやらに打ってあげると
ちゃんと動いていくれた。
 後は、慣れの問題と思うが、更新がもたもたしていたら
そういうことだったかと思ってください。
 本当に心配かけました。

 実は19年ぶりに、8月最後の主日は、前任地の室蘭教会に
招かれ、説教してきました。19年の歳月はやはりすごく
2人の親しい会員は天国に行かれていました。
 お墓参りができました。
  あと、室蘭の町は19年前の11万が7万都市になっていました。
日本の各地の状況が室蘭の鉄の町に一番現れて
いるのかもしれません。
 それにしても、19年前のいつも方々が元気でおられ、数名の
方が新しく会員となり、礼拝を続けておられることに、
感動しました。自分もあと何年かもしれませんが、なんとか、
主に仕えて行きたいです。

2022年8月23日(火)
 夏休みをとって、すっかり更新を忘れていた。
それでも、来てくださる方が毎日数名あり、感謝である。
 この方々は、鹿児島教会どうしている、とか田渕は
どうしているとか、祈ってくださる方であると信じている。

 さて、すでにご存知と思うが、鹿児島は先週水曜
から毎日4500人を出す感染者がつづいている。
 昨日も3500人で少し減ったが相変わらずである。
 主日に、説教に来てもらうことになっていた先生も
感染されてキャンセルされた。先生も他の大学の講義が
あってこちらに来られることであったが、これもできなく
なったとのことである。コロナ感染の急激な変化には、
幼稚園の先生方も突然成られる方が多いが、あらためて
驚く。

 20日には、「沖縄から宣教を考える会」のズーム講演会
があり、宜野湾告白教会の島田善治先生であった。
懐かしかった。印刷屋をしながらの牧会の先生には
何度かお会いしている。
 宜野湾の普天間基地騒音訴訟の原告を3回もされていた。
すごい45年に渡って、1つの教会に仕えて来られたのである。
 おどろくばかりであった。ズームからの質問で、
沖縄は独立すべきと思いますか、と聞かれて、
「自分はそう思う」とと言われていた。
 先生には、全く裏表がなく、率直に語られた。
自分が沖縄にいたときも、沖縄独立論はあったが、
沖縄の先輩達を含めて、理想であるが、そこまでは無理でないかな
という先輩達が多かった。
 沖縄は独自の文化をもつが、同時に、沖縄は日本の
原点でもあるところがある。朝鮮半島の流れと沖縄から流れ
の合流が日本文化であると、琉球大学の地理学の先生が
言われていたような記憶である。私もそう思っている。
 それはちょうど縄文人と弥生人の合流が、今の日本人と
いうことと平行していると思う。

 先生の「米軍が沖縄いる事自体が、日本国憲法違反です」というの
がすがすがしかった。現実を見ろと言われそうであるが、
現実とは何かである。先生は、日本は、米国の属国であると堂々と
いわれていた。沖縄からみるとそう見えるのである。
 島田先生を見るとなんだか、力づけられる。印刷業を
しながら、教会に仕えた方の強さであろうか。
3回の訴訟原告をされた方の強さであろうか。
 神様を本当に信じて生きる力をしめされた。
 エレミヤ、エゼキエルも、こんな恰好だったのかもしれない。 

2022年8月8日(月)
 教会は、サマーディキャンプを教会学校
がして、子どもも朝から礼拝参加してくれたので、
30人礼拝となる。中山は2名であった。

 このところ、反核・平和セミナーの講演から
いろいろな示唆を受けて、中古本を取り寄せて
よんでいる。
 トマス・マートンの『平和への情熱』と『ヨナのしるし』
と『2つの世界に生きたインディアン』
ー北アメリカ最後の野生先住民の伝記ー 岩波書店
である。
 いつものことであるが、どうして、もっと早く読めなかったの
であろか。自分の不勉強に頭が来ると同時に、神様が
私に示されたのは、今だったのかと思う。
 アメリカの白人の先住民族根絶の戦いとは、
神様は見ておられて、どう判定されるのであろうか。
 ガンジーのこと、原爆のこと、隠れてあること、
なんかすべて考え直しである。

2022年8月3日(水)
 1日(月)の投稿をすっかり忘れていた。
 教会いつもの通り、30人弱、中山は2名であった。
 中山は手術を控える方があり、しばらく
2名が続くことになりそうである。

 夏はいろいろな研修が続くが、
誘われて、日本キリスト教団の
第39回 反核・平和セミナーにズームで参加した。
誘ってくれる方があり、感謝である。
 本当に学びになり、平和の本、非暴力の 
本を幾つか読むことになる。

 講義を聴いていて、いよいよ2分化というか、
よく考える方と、簡単に再軍備、核保有と言う方に
分かれるように思った。
 面白かったのは、分団で、ドレイクの方程式とか
で、なぜ、人類は他の宇宙人に会えないのかという
問いを立てて、それは、原子力のような科学力を
もった文明は、それを抑制できずに、自ら滅んだからで
ある、と言うのが紹介された。なるほどそういうこと
だったのかと、妙に感心した。
 ウクライナの戦争や福島をみるとそうなってしまう。
 (ただし、単純な進化論に私は組みしないのであるが・・・)

 神様が、他の惑星にも人間のような生物を置かれるのは、
神様の自由だからである。しかし、そうだとしても、
その生物が自ら自滅するのを、神様は、どうしようも
ないかもしれない。しかし、地球にはイエス様を送られた
のであるから、少なくとも、私達は自分にできることを
力一杯する恵みが与えられている。
 その恵みに精一杯答えるのみである。

2022年7月18日
 教会は20数名、中山2名であった。
 礼拝後、地震の避難訓練をした。4分で逃げたが、
 どうだったのであろうか。

  地震の時は、幼稚園に逃げないで、園庭に
留まるのがいいらしい。確かに、建物は
ガラスが振ってくるのが危ない。
  先週は牧師会があり、葬儀の神学ということで、
1、礼拝である。2,故人の証しである。3,家族の慰めであると
いうことを確認した。
 しかし、どうだろうか。引導を渡すような意味が
ないのかなと思う。
 つまり葬儀の大きい小さいでなくて、イエス様に完全に委ねました、
ということである。


2022年7月11日(月)
 先週は土曜日に、召天者があった。
葬儀の準備と主日の準備となり、私の記憶
では、初めての体験となる。
 主日の夜に前夜式で、月曜に告別式となった。
 納骨式までなんとか済ませた。
  体はさすがに、疲れていた。
   しかし、天国に送ったという感覚である。
 
 西南の教会歴史の片山先生が、葬儀式は、単に生きている者の
ためあるのではない、死者をいかに主に委ねて、
天国に繋ぐかもあると言われている箇所を読み、
なるほどと思ったところであった。
 


2022年7月4日
 2日(土)に召天者があって、主日礼拝の後は、
前夜式、本日は告別式である。
 今回は、主日礼拝が入り、一番忙しい日程となる。

 中山夕礼拝は、臨時に休みとした。
  ライブを待っている人があると思うが、
仕方ない。
 教会の朝の礼拝を見ていただくしかない。

 コロナ感染が広がり始めているので、家族葬
であるが、しかし、古い会員はなじみ
のある方で、来てくださった。しかし、1座席に1人
ということで、なんとかなった。

2022年6月28日
 昨日は、いそがしくて更新できず。
教会は30人足らず、中山は3名であった。
 クラブの運営委員会や連絡・執事会があり、
午後3時半までかかる。第4週は仕方がないかも
である。

  昨日は香港のベン先生の研修会であったが、
先生は、神学校の不要論者で、イエス様がなされた
ように、教会で、弟子訓練として牧師は育てる
時期でないかと提唱されていた。
 いよいよ、ここまで来たかの観がある。
すべてが原点に戻るのかもしれない。
 神学生は、やはり、礼拝出席、祈祷会出席
教会学校の教師からという昔ながらの方法が
最終的には、一番だったことになる。
 信仰が知識だけではどうにもならないからである。



2022年6月20日(月)
 教会は、幼稚園でコロナ陽性がでて、自粛する方が
あった。中山は、3名であった。

 礼拝後は、建設の委員会を2時間ほどなす。
なかなか進まないが、少しずつ進んでいくしかない。

 鹿児島の感染が少なくならず、昨日284人で
久し振りの200人台であった。
 なかなか安定しないが、用心して歩むしか
ない。

 チャップリンの自伝「若き日々」編を読んでいたら、
チャプリンは離婚したお母さんとお兄さんと共に、
ロンドンのFBマイヤーの教会に行っているこが書いて
あった。FBマイヤーと言えば、バプテストである。
 びっくりした。お母さんは、チャップリンにマイヤー
から聞いた聖書の話しを、芸人であったので、上手に
語り、チャップリンは、なんとお母さんからルカ伝23章
43節を聞いた事を書いていた。
 チャップリンのヒトラーとの戦い、アメリカでの
レッドパージとの戦いは、イエス様の「はっきり言っておく。
あなたは今日、私と共に楽園にいる」だったのである。
チャップリンがバプテスト教会にいたことは、
なんか手前みそであるが、うれしい。

2022年6月13日(月)
 教会はいつもの通り、中山は2名であった。

 礼拝後に各会があり、祈りの課題を一人一人が
近況報告としてだしていただくのであるが、いろいろ
な学びになる。まさに、右から左までおられて感謝である。

 先々週のテレビで、ヒトラーとチャップリンをしており、
チャップリンが笑いで、ヒトラーと戦っていたことを
紹介しており、改めて、チャップリンのすごさに
驚く。チャップリンの独裁者は確かに、ヒトラー
のパロディである。同時代につくることがすごい。
そして、チャップリンはアメリカのレッドパージにで
国外追放となっていたことも全く知らなかった。
 一つの考え、一つの思想の危うさを知らされる。
だから、神様はキリスト教を、カトリック、プロテスタント
ギリシャ正教に分けられたのかもしれない。 

2022年6月6日(月)
 教会30名くらい、中山3名であった。

 午後3時半まで第21回の建設委員会であった。
6月末に見積もりが来て、執事会を
通して、総会に係る。
 どのくらいでくるのであろうか。
 ただただ祈るのみである。
 ウクライナの戦闘がまだ続く、知恵がないので
あろうか。毎日兵隊さんの命がなくなり、
ミャンマーでは、市民の命がなくなっている。

2022年5月30日(月)
 教会は30数名、中山は2名であった。

 昨日は、教会の決算総会が終わり、
土曜日にめぐみ幼稚園の決算理事会・評議員会が
終わる。どちらも2時間かかる。
 ようやく21年度が終わった。
 指摘事項が一杯であったが、なんとか
進めていくしかない。
 感謝である。今年度も主のめぐみで
頑張るしかない。

2022年5月26日(木)
 とうとう9年間使っていたノートPCが
壊れた。東芝に連絡するともう9年前の
ものは、修繕できません、と言われた。
 そんな馬鹿な結構ハードな使い方に耐えて
頑張ってくれたノートPCである。フェイスブックの礼拝
動画は皆これによっている。部品の取り替えで
元気になるなら新しいのよりいいとおもった。

 町のパソコン屋さんにもっていくと
故障は、デスプレイだけだったようで、
42000円で修繕しますということであった。
 どうしますかというので「中古でもいいので、42000円で
これと同じ性能のPCはありますか」というと、
ウーンと唸られた。
 そうか、と思って、修繕を注文した。

2022年5月23日(月)
 教会は30人ほど、中山は2名の礼拝であった。
 
 決算総会が近づくとにわかに、忙しくなる。
昨日の執事会はとうとう3時過ぎまで係る。
 幼稚園の決算の理事会、児童クラブの決算と次々
とあるのである。
 毎年のことであるが、本当に上手にできない。

 それに、昨日は天城山荘の説明会もあったらしいが
とうとうそれどころでなかった。自分の教会のことで
手一杯である。
 いつものことであるが、一つ一つしていくしかない。
なぜかしら、
 本棚から論語をだして、最初から読んでいるが、
「人として仁がなければ、礼があっても何にもならない。
人として仁がなければ、楽があっても何にもならない」
とあった。孔子もまた愛の大切さを知っておられた。
 論語2巻の3  八いつ 第3の3である。


2022年5月16日(月)
 教会は20数名、中山は3名の礼拝であった。

 昨日は、数年ぶりに何もない主日で、牧師館に
12時前に帰るという快挙であった。
  私は、十数年ぶりにNHKの日曜日の昼にある
のど自慢大会をみた。
 全く変わってない姿に驚いた。

 ウクライナとミャンマーの為にいるのみである。
また昨日は、フェイスの礼拝中継がやはり、はじめて
PCの不調で出来なかった。こんなことも
あるのだ。メインテナンスをしておかないとと
思った。

2022年5月12日(木)
 『働かない蟻に意義がある』という北海道大学の
農学部の昆虫学の先生の本を手に入れた。
 740円である。
 蟻は働き者であるというのは、どうか、と言う本で
私達が見ている働いている蟻は、3割で、後は
地中にいるのである。地中の蟻の7割は何も
しておらず、なんと1割は一生何もしなで暮らすそうである。
 兵隊蟻は、戦わない蟻だそうです。
 蟻は1億年かけてこのような生態になったようです。人間の
大先輩なのです。
 神さまは本当にすごい生態系を創造されたのです。

2022年5月9日(月)
 昨日は教会礼拝はいつもの通り、
中山は2名であった。
 礼拝後は、各会と建設委員会であった。
 少しづつしか進まないが一歩づつである。

 トマス・アキナスの『神学大全』のラテン語と
日本語の対訳のHPをみつけた。こんなに
きちんとしているがあったのだ。しかも、神論、創造論、
キリスト論の最後まで訳してあった。(済みません、はやとちり
でした。 57問まででした。全体は、119(神論)+303(創造論)
+90(キリスト論)=512問です。)
 すごいものである。
 バルトの『教会教義学』のドイツ語と日本語の対訳は
探したことはないが、多分無いのでなかろうか。 
 またカルバンの『キリスト教綱要』のラテン語と日本語の
対訳もおそらくないのであろう。
 なんやかんや言っても、カトリックの力というか、
こういうところはさすがである。

 それにしても、こういうのを読むと自分は、
なんと勉強してこなかったことかと、
ただただ自分の学びの不足、傲慢と不遜を示される。
 しかし、これも気づいたところから始めるしかない。
祈りだけは外さないように、歩みたい。

2022年5月2日(月)
 連休の最中の礼拝であるが、礼拝は普通通り
30数名がこられていた。鹿児島はコロナで動けない
のである。   中山は3名。

 午後は、児童クラブの運営委員会をなした。
午後3時頃まで係る。

 ロシアは、5月9日に戦闘を終わらせるのでは
なく、むしろウクライナに戦争宣言をするというニュースが流れた。
まだやるつもりらしい。若い人の徴用をするため
らしい。なんの為の戦争なのであろうか。
 ただただ、主の平和の働きを祈るのみでアrう。

2020年4月29日
 一昨日は、プリンターのインクの吸収帯の満杯となり
メーカーの交換と出た。調べて見るとどうも1万円以上係る
らしい。
 諦めて、使っていないプリンターと交替させたら、
今度は、こちらはインクが製造中止で4軒の電気屋を回るが
本当にインクは、切れていてなかった。
 仕方ないので、プリンターを購入しようとしたが、
なんと半導体不足でこれはというのは、何と3週間待ち、
酷いのは3か月待ちの張り紙があった。
 どうにもならず、とりあえず、3件目の電気屋さんで
プリンター専門器を購入した。エプソンの7000円であった。
 ほとんどが複合機で、複合機は、さっさか壊れるので
トラウマがあり、どうしても印刷専門器を買う。
 それにしても、今の印刷機は、有線ラン、無線ランで
繋がるので、無線付きのPCでは、どこからで
印刷できる。 
 こんなに便利に成っていたかと浦島太郎であった。


2022年4月28日(木)
 24日は、カトリックやプロテスタントからすると
1週間おくれの東方教会(ギリシャ正教会)の
イースターでであった。教科書では聞いていたが、
テレビで、本当にそうしているのを見るのは、
始めてだった。
 モスクワのギリシャ正教会で、プーチン大統領が
一生懸命十字架を切る姿が映っていたというか、
写させたのかもしれない。
 プーチンさんも、ゴルバチョフさんと同じように
ギリシャ正教会の洗礼を受けておられたのであろう。
 ゴルバチョフさんの時、30数年前だろうか、朝日新聞をみて、
共産党といえども幼いときは、お父さんお母さんの宗教で、洗礼を
受けておられたのだとびっくりした。ゴルバチョフさんは
たしか、ウクライナの出身ではなかったか。(確かめていない)
  いいたいことは、一時期のプーチンさんの異常な精神説
はちょっと違うかもしれない。論理的に動いておられる。

 昨日、NHKの9時からニュースで言っていたが、キッシンジャー
(この方まだご存命であった)、ウクライナは緩衝地帯であり、
ナトウに入ってはならない、と言われていた。その川を渉ったので、
ロシアは、侵攻するしかなかった、とロシアよりの発言をされていた。
 こうなってくると正直、私はもともとそれしかないが、祈る
しかない。これ以上、犠牲者を出してほしくない。

 インドが独自の行動をして、西洋の批判をうけているが、
これは、昔からガンジーさんの国であり、スワラジ・スワヒジの
国なのだと思う。自主独立は、インドの国是であろう。
 
 キリスト教は現実を見る力があると思う。それは本当の
存在は、愛であるということを、主によって知らされているから
である。


2022年4月27日(水)
 月曜の更新をすっかり忘れていた。
忙しいのか、である。教会と中山はおなじような
 礼拝でであった。中山は3名である。
 主日は連絡・執事会が午後4時頃まで係った。
 どうしたらいいのか分からない。
 というか、何年経っても、会議の運営が、上手にできないのは
どうしてかと思う。正直賜物かと思ってしまう。
 
 ウクライナの戦闘とミャンマーのクーデターが
早くおわってほしい。祈るのみであるが、ますます
悪くなるように思えてならない。
 「力は正義なり」だったか、プラトンの『ゴルギアス』にあった
と思う。ソクラテスがこれに対して、どこまで戦えたか
もう一度、読んでみたい。
  神学では、ヨブ記にあるとおりで、主が管理され、
許可をだされているとして、受け止める。悪はかならず酬いを
受ける。
 ただ、地上の我々はそれが見えない。
 それにしても、毎日起きる度にウクライナとロシアのために
祈る。世界中の人がそうしておられるのでないかと思う。



2022年4月18日(月)
 礼拝は、幼稚園の任命式もあり、少し多めであった。
中山は2名であった。イースター礼拝であるが、残念で
あった。

 ウクライナのマリウポリの降参は無かったようである。
ユダヤ戦記のユダヤ人が最後の一人まで戦った
話しや、硫黄島の戦いを思い出した。

 本当に戦争になるとどうにも成らなくなることを
教えてくれる。
 平和を祈り、戦闘員が一人でも助かることを
いのるのみである。
 本当に何か良き知恵はないのであろうか。

 7年前に作った児童クラブのメールの引越で
パスワードをわすれて、できなかった。
 新しいアカウントを作ることになるが、
7年前と違って、ずいぶんと厳しくなっている。
有料がいいだろうか。

2022年4月11日(月)
 教会礼拝は少し少ない。30人はいなかった。
中山は2名。
 礼拝後、2週間遅れの定期総会となる。
午後3時前には終わるが、準備がいつものように
悪くて、多くの方に迷惑を掛けた。
 段々、不備に気づく力がなくっているが、
示されたところで歩みしかない。
 
 ウクライナとミャンマーの平和を祈るのみ
である。どのニュース番組も長期戦になると言っている。
段々鬱になってくる。

 稲垣先生のトマス・アキナスの著作の1つを、読み終えた。
知らない事ばかりで、いつも思うのであるが、
本当に勉強不足である。今まで何をしてきたのかと
反省のみである。教義学とは、聖書を読む指針である
ことが改めて示された。今頃と思うが、現実である。

2022年4月4日(月)
 新年度に入る。朝礼拝はいつもの通り
中山は3人礼拝であった。
 とうとう鹿児島もを700人台が3日間続いた。
第7波の到来であろうか。
 
 午後3時からウクライナ戦争反対デモに
出てくる。本当になんとかならんのかと思う。
 デモはザビエル教会をでて天文館を通って、
照国神社に戻るコースである。昨日は、
照国神社の境内で、マザーズアンサンブルが、
ご苦労さんの演奏をしてくださった。マンドリンの
楽団である。 面白い企画であった。

 私はずっとYMCAの方と話しをしながらであった。

2022年3月28日(月)
 久し振りに、教会礼拝は40人を越えた。
しかし、今度は感染が心配である。
 中山は、2名。

  この時期は、総会資料の読み合わせ、
打合せに忙しい。報告、計画、予算である。
 でも大切である。
 ウクライナとロシアの戦争が終わってほしい。
祈るのみである。

2022年3月22日(火)
 昨日は春分の日であった。昔の墓参りを思い出す。
礼拝、中山夕礼拝共に、いつもの通りであった。
 礼拝後は、例年のごとく定期総会に向かって、
資料の読み合わせと確認の連絡会と執事会であった。
 いつものことであるが、なかなか時間が掛かる。

 ウクライナとロシアの戦争反対のデモにはとうとう
参加できなかった。
 それにしても、早く終わって欲しい。テレビは、
ヒトラーの時に、イギリスのチェンバレン首相が、侵入を認めてしまって、
ナチスドイツの拡大を招いた話しを、していた。
 簡単な和平は返って戦局を大きくしてしまうことが
歴史の教訓であるという話しをしていた。
 本当に難しいことである。
  ただただ、祈るしかない。

  トマス・アキナスの岩波新書を読んでいて、
節制には、自然の力を過度に抑制することはむしろ
不節制となるとあった。そんなことまでも考えて
いたのである。

2022年3月15日(火)
 弟の子どもの結婚式で、朝の主日礼拝を休んだ。
自分の事情の為に礼拝を休むのは、父母の葬式と
甥っ子の結婚式で3回目のような気がする。
 後は、親族の葬儀等は行っていない。
 本当に、親戚には失礼している。

 疫病にウクライナの戦争に、これからの
若い方の前途は多難である。祈るのみである。


2022年3月7日(月)
 ようやく鹿児島の蔓延防止法は本日から外れた。
次回から集まっての礼拝である。
  ライブも、実際にやってみると画面が乱れたり、
調整が出来なかったりで、正直言うと簡単ではない。
補助者が必要である。
 教会学校礼拝、朝の礼拝、中山夕礼拝と
なんとか、まとめたということである。

 昨日は、午後3時からウクライナ戦争反対デモに
でてきた。宗教懇和会の主催であったが、お坊さんの
頑張りとカトリックの方の参加が多いのに
驚いた。状況が変わってきたのであろう。
プロテスタントのお株を皆取られた観がある。
 お孫さんを連れたカトリックの方には、
正直うらやましいと思った。70人くらいだったそうだ。
  

2022年2月28日(日) 
 昨日は、リモートだけの礼拝であった
教会学校と朝の礼拝と中山夕礼拝を
中継した。朝礼拝のみ奏楽が付く。

 3月13日から礼拝開始である。
 ただ児童クラブは、採用の方の面接やらで、
しなければならないことは多い。子ども園も
もちろん開いている。

 あと、変なことから今頃でもXPで、動画が
動かせるプラウザがあることがわかった。
 推奨はもちろんできないが、ころがっている
XPが、これで、動画の再生だけのスタンド
アロンでできることが分かった。MYPAlLと
いうプラウザである。英語版であるが、ちゃんと
動いて、驚いた。ただし、用心して使ってくださいと
ダウンロードサイトにも書いてあった。

 ウクライナとロシアで戦争が始まる。正直、同じスラブ民族、
同じギリシャ正教である。北朝鮮と韓国の戦いよりも
もっと理解ができない。正直、兄弟国である。
 アメリカがどうして助けないという声もあるが、ウクライナは、
正直、まだNATOにはいってなくて、同盟関係に
ないので、アメリカの兵隊はおくれない。というか、核をもった
国同士で戦う分けにはいかない。
 なぜ助けないか、と声高に言う方があるが、
本当に祈るしかない。
 旧ロシアの勢力が確かに少なくなっている。
しかし、プーチンさんは、それを武力でやるのか。

 インドや中国がじっとしているのが、どうしてか。
日本も皆に合わせるしかないようである。
 自分もどうしたらいいのか、正直よくわからない。


2022年2月21日(月)
 コロナ感染ために、13日と20日の礼拝を
休む。8月から9月の第2週まで休んだ経験が
あるので、フェイスブックの配信で対応する。
 昔取った杵柄みたいな心境である。
 教会学校礼拝、朝の礼拝、中山夕礼拝のライブである。
 ピネハスにならって、疫病退散を祈るのみである。
しかし、やはりこの出来事は、何かを教えて
いると思う。

 しばらく使っていなかったビスタPCにスイッチをいれたら
動かない。Cドライブに復旧のウインドウがはいっている
タイプであるが、それを操作しても動かない。
 仕方ないので、ウブント14のライブでうごかしてみると
やはり動かない。これは、壊れたのかもしれない。



2022年2月14日(月)
 コロナ感染を受けて、13日と20日の礼拝を休むことなり、
すべてオンライン(フェイスブック)礼拝・祈祷会配信となる。
 お年を召した方は、繋げない方が多く、
残念であるが、大事をとってである。
  27日からの再開である。
  この時期は、年度の報告と計画の時期で
会議が多いのであるが、これもずらすしかない。
 ライブ配信をしていたら、やはり報告から漏れた
方があって、来られて献金していかれた。
 しかし返って、こちらが力付けられる。
 
 黙示録10章の礼拝メッセージであったが、長老ヨハネが
2度も自分の召命を確認しているところで、改めて
パトモス島からの発信・通信は難しかったのであろうと
察せられる。
 主の祈ってこの時期を過ごすしかない。

2022年2月7日
 礼拝は2部礼拝である。中山はそのままである。
 鹿児島はまだピークが見えない。いつまで
続くのであろうか。回りの小学校、子ども園には
感染が広がっている。

 1日1日の務めを成すのみである。
今日は、幼稚園、月曜礼拝、めぐみ会(父母会の聖書学び会)
そして、YMCA運営委員会である。
 すべてひとつひとつである。

2022年1月31日
 1月が終わる。昨日から鹿児島県は蔓延防止法の
適用を受けて、礼拝も分散礼拝とした。つまり2つに
分かれた。10時20分礼拝と12時30分礼拝である。
 祈祷会と中山礼拝はそのままである。

 いつまで続くのであろうか。鴨池の近所の小学校も
子ども園も感染者でており、中山地区もでているとのこと
である。ただもう、休校になっていない。濃厚接触者のみが
休むそうである。

 ただただ、終わってくれることを祈るのみである。
 22年度の壮年会の役員は、活動できそうにない
となり、会長、副会長、会計をおかず、世話役で
いくことにした。会費もとらない。これも、仕方ないかも
しれない。おわったら、また活動するのみである。

2022年1月24日
 教会礼拝には、東京から5名の方がきてくださって、
30人を越えてしまった。まだ蔓延防止法はないので
よいことにした 中山2名であった。
 
 また簿記の教科書を読み出している。
何度やっても覚えない。
 資産の増加は左
 負債の増加は右
 資本(純益)の増加は右
 経費の発生は左
 収益の発生は右
 これだけであるが、覚えられない。
  そういう頭なのであろう。南連合と
食料デーの決算も近い。


2022年1月17日
 阪神淡路地震から27年の日でである。
私は、27年前は、北海道の室蘭にいて、
全くゆれかった。後から、ニュースをみて、
神戸の寒さが、マイナスになっているのを見て
神戸も寒いところだな、と思ったのを覚えている。
 ここが、ボランティアの原点であるとも言われて
いる。

 昨日は、教会、伝道所ともいつもの通りであった。
昨日は、大学受験であったが、コロナに、東大受験会場の
事件に、トンガ噴火の津波警報まであった。
 もし自分の時だったら、本当に困ったのでないか
と改めて、一人でホテルに泊まり、一人で会場に行き
十数人が同じ教室にいたように、受けた時のことを思い出す。
 確かうろ覚えであるが、安里ホテルだったような、
どこかの高校の会場だったと記憶しているが
間違いかも知れない。
 


2022年1月10日
 教会は朝の礼拝はいつもの通り短縮礼拝であった。
中山夕拝は3人でいつもの通りであった。

 1昨日は180人、昨日は108人と鹿児島は
ものすごい数のコロナ感染数が出ている。
 しかし、実は、鹿児島市は20人ほどで、
実は感染者の7割が、奄美大島や離島が多い。
 医療体制を含めて、これは大変なことだと
思う。小さい島では、どこに行きようもない。
 不謹慎な話しであるが、大都市でコロナが増して、
医療が受けられないのと、離島で医療機関が脆弱で
医療が受けられないのは、同じなのであろうか。

 昨日の宣教は、黙示録から宣教したのであるが、
献金の祈りで、ある姉妹が「今日は、難しい箇所を
やさしく説いてくださって感謝です」と祈られた。
 考え込んでしまった。説教とは何であるのか。

 「あなたの職務は行為そのものにあって、
決して結果にない。」 バガヴッド・ギーター
2:47 とある。1つの慰めである。


2022年1月7日
 新年明けましておめでとうございます。

 今年は、元旦礼拝を1月2日の新年礼拝に
合流させてなした。
 先週の新年礼拝は、22名、中山夕礼拝は
3名からのスタートであった。
 年末は長崎に帰省してきた。2年ぶりの親戚との
語り合いは、本当に心が安らいだ。
 親戚を備えてくださった主に、ただただ感謝します。

 牧師に相応しくないが、年度末はずっと
ヒンズーの経典である『バガヴァッド・ギーター』
を読んでいた。18章であるが、岩波文庫で147頁で
短い。
 設定がおもしろい。戦争の時に、突然アルジュナという
戦士が戦闘意欲を失い、それに神様が答えるという具合である。
 おそらく、人生は戦争であり、王に従うと親族を殺すことに
なる。親族を殺さないと王に従えない。
 言ってみれば、忠成らんと欲すれば、孝ならず、
孝ならんと欲すれば、忠成らずということであろうか。
 人生は、不合理と不条理を一杯持っているということ
であろう。

 神バガヴァッドは別名クリシュナであるが、
アルジュナに、「女々しくあってはならない、
執着と結果を捨てて、ヨーガ(行為)に生きよ」と諭すのである。
 そして、その教えの中で捨離やら放擲やら、いわゆる
仏教の基本が出てくる。
 そういうことだったのかと言うのがよく分かる。
 つまり、日本の自分たちは、仏教ならよくわかると思って
いたが、実は、ヒンズー教がその根底にあるのである。

 これは、新約聖書を分かると言っても、実は旧約ヘブライ書を
よく読んでないと本当に分かったことにならないのと
平行するのであろう。
 
 その中で、私は、「自己のダルマ(義務)の遂行は
、不完全でも、よく遂行された他者の義務(ダルマ)に
勝る」(3章35)に力づけられた。

 本当に仕事がさっぱり進まず、年賀状をみると
友人達が活躍している。自分は何をしているのかと
ふと虚無感に捕らわれる。しかし、イエス様から
今の目の前にあることに集中しなさい、結果に執着するなと
言われたように取れた。
 感謝な新年であった。