2022年牧師の週間日記
 つれづれなるままに書いています。
今年も第6波のコロナ対応で、てんてこ舞いの様相です。
 ただただ主の守りを祈ります。
 田舎牧師のつぶやきと所感です。
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2022年1月24日
 教会礼拝には、東京から5名の方がきてくださって、
30人を越えてしまった。まだ蔓延防止法はないので
よいことにした 中山2名であった。
 
 また簿記の教科書を読み出している。
何度やっても覚えない。
 資産の増加は左
 負債の増加は右
 資本(純益)の増加は右
 経費の発生は左
 収益の発生は右
 これだけであるが、覚えられない。
  そういう頭なのであろう。南連合と
食料デーの決算も近い。


2022年1月17日
 阪神淡路地震から27年の日でである。
私は、27年前は、北海道の室蘭にいて、
全くゆれかった。後から、ニュースをみて、
神戸の寒さが、マイナスになっているのを見て
神戸も寒いところだな、と思ったのを覚えている。
 ここが、ボランティアの原点であるとも言われて
いる。

 昨日は、教会、伝道所ともいつもの通りであった。
昨日は、大学受験であったが、コロナに、東大受験会場の
事件に、トンガ噴火の津波警報まであった。
 もし自分の時だったら、本当に困ったのでないか
と改めて、一人でホテルに泊まり、一人で会場に行き
十数人が同じ教室にいたように、受けた時のことを思い出す。
 確かうろ覚えであるが、安里ホテルだったような、
どこかの高校の会場だったと記憶しているが
間違いかも知れない。
 


2022年1月10日
 教会は朝の礼拝はいつもの通り短縮礼拝であった。
中山夕拝は3人でいつもの通りであった。

 1昨日は180人、昨日は108人と鹿児島は
ものすごい数のコロナ感染数が出ている。
 しかし、実は、鹿児島市は20人ほどで、
実は感染者の7割が、奄美大島や離島が多い。
 医療体制を含めて、これは大変なことだと
思う。小さい島では、どこに行きようもない。
 不謹慎な話しであるが、大都市でコロナが増して、
医療が受けられないのと、離島で医療機関が脆弱で
医療が受けられないのは、同じなのであろうか。

 昨日の宣教は、黙示録から宣教したのであるが、
献金の祈りで、ある姉妹が「今日は、難しい箇所を
やさしく説いてくださって感謝です」と祈られた。
 考え込んでしまった。説教とは何であるのか。

 「あなたの職務は行為そのものにあって、
決して結果にない。」 バガヴッド・ギーター
2:47 とある。1つの慰めである。


2022年1月7日
 新年明けましておめでとうございます。

 今年は、元旦礼拝を1月2日の新年礼拝に
合流させてなした。
 先週の新年礼拝は、22名、中山夕礼拝は
3名からのスタートであった。
 年末は長崎に帰省してきた。2年ぶりの親戚との
語り合いは、本当に心が安らいだ。
 親戚を備えてくださった主に、ただただ感謝します。

 牧師に相応しくないが、年度末はずっと
ヒンズーの経典である『バガヴァッド・ギーター』
を読んでいた。18章であるが、岩波文庫で147頁で
短い。
 設定がおもしろい。戦争の時に、突然アルジュナという
戦士が戦闘意欲を失い、それに神様が答えるという具合である。
 おそらく、人生は戦争であり、王に従うと親族を殺すことに
なる。親族を殺さないと王に従えない。
 言ってみれば、忠成らんと欲すれば、孝ならず、
孝ならんと欲すれば、忠成らずということであろうか。
 人生は、不合理と不条理を一杯持っているということ
であろう。

 神バガヴァッドは別名クリシュナであるが、
アルジュナに、「女々しくあってはならない、
執着と結果を捨てて、ヨーガ(行為)に生きよ」と諭すのである。
 そして、その教えの中で捨離やら放擲やら、いわゆる
仏教の基本が出てくる。
 そういうことだったのかと言うのがよく分かる。
 つまり、日本の自分たちは、仏教ならよくわかると思って
いたが、実は、ヒンズー教がその根底にあるのである。

 これは、新約聖書を分かると言っても、実は旧約ヘブライ書を
よく読んでないと本当に分かったことにならないのと
平行するのであろう。
 
 その中で、私は、「自己のダルマ(義務)の遂行は
、不完全でも、よく遂行された他者の義務(ダルマ)に
勝る」(3章35)に力づけられた。

 本当に仕事がさっぱり進まず、年賀状をみると
友人達が活躍している。自分は何をしているのかと
ふと虚無感に捕らわれる。しかし、イエス様から
今の目の前にあることに集中しなさい、結果に執着するなと
言われたように取れた。
 感謝な新年であった。