2023年牧師の週間日記
 つれづれなるままに書いています。
今年も第7波、第8波のコロナ対応で、てんてこ舞いの様相です。
今年もコロナに始まり、コロナに終わるのでしょうか。
 ただただ主の守りを祈ります。
 田舎牧師のつぶやきと所感です。若い牧師たちの指針に
なればと言う小さい思いがあります。
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2023年11月27日(月)
 昨日は、20人強、中山は一人であった。

 執事会が終わると16時であった。本当に
どうしてこんなに時間がかかるのであろうか。

 土曜日は17時半までの理事会であった。
説教は、イザヤ53章で新約から見たら旧約の真髄で
あるが、余り深く説くことは出来なかった。
 限界である。



2023年11月20日(月)
 昨日は、教会30余名、中山は2名であった。

 収穫感謝礼拝をしたが、多くの方が珍しい
作物や自分の畑の作物を持ってきてくださり、
主の晩餐の台に一杯になった。
 これは珍しいです。皆さんが教会の事を思って
下さっているのだと思います。

 それにしてもメイフラワー号のイギリスからアメリカ大陸への
移住にしても、パレスチナへのユダヤ人の移住にしても、
本当に主の御心とは何であるのか、改めて考え
させられる。ネイティブ・インデアンたちは、移住者を
最初は歓迎し、助けてくれたらしい。
 まさか自分たちが土地を追われるとは、夢にも
思っておられなかったのであろう。

 聖書はそもそもアブラハムからして移住の歴史なので
ある。移住には、功罪があり、それをどう乗り越えて行くか
である。よくわからないが、 移住の神学というのが
必要なのかもしれない。


2023年11月14日(火)
 今週は、子ども祝福礼拝であった。来てくれたのは7名
であった。一人一人の頭に按手して祈った。
 正直この方法の祝福式は、10名が限度だなと思う。
 今回は、急遽こどものナースリーが機転を聞かして
なさって、最後まで、保護者の方が説教を聞いてくださった。
感謝である。
 
  パレスチナとイスラエルは、圧倒的な兵力と
兵器の差で、イスラエルが地上戦を制している。
なんか、第2次大戦のアメリカと日本の戦いを思い出す。
 イスラエルは、原爆を使うとか、馬鹿な事をいう
イスラエルの政治家がいるらしい。
 本当、命が今日も無くなっていく。どう祈っていくのか
わからない。
 主よ、あなたは弱い者、貧しい者の味方です。
どうか、停戦させてください。


2023年11月8日(水) 
 今週は、4年ぶりにの召天者記念礼拝ができた。
やはり4年ぶりに来られた親族の方には感謝である。
4年は時間の経過を知らせる。
 来れなかった方もある。

 イスラエルの戦争は、始まったようで、ガザを
南北に分けたと新聞にある。
 イスラエルはホロコーストがあったので、
全く国連を信用しないとある。
 確かに、ドイツ・ヒトラーのホロコーストを止められなかった。
 歴史は教える。
  しかし、自分たちがそうしていいとはならない。
  原爆を受けたから、原爆で返すことができない
のと同じである。
 主よ、停戦を導いてください。

2023年10月30日(月)
 教会は30名ほど、中山一人であった。
 昨日は、執事会が午後4時までかかる。
 仕方ないかな、もう、30数年牧師をしているが
なかなか上手にできない。
 たまものであろうか。

 パレスチナはとうとう戦争状態のようで
ある。ただただ、停戦を祈るのみである。
 主よ、止めてください。

2023年10月23日(月)
 教会は20人強、中山2名であった。
 臨時総会があって、午後3時半までであった。

  パレスチナとイスラエルの戦争は、
世界の人が停戦を祈っていると思う。
 私もただただ祈るしかできない。
 それにしても、聖書は、イシュマエルにも祝福を
また、イサクの子孫にも祝福を与える。
 仲良く歩め、ということであろう。
   


2023年10月18日(火)
 一昨日は、佐々木和之先生、恵先生、お母様がきて
くださって、先生は、宣教をしてくださった。
 佐々木先生が来られるのは何年振りであろうか。
 ただただ、感謝である。
 先生の学生さんの関係も2名東京から来られた。
 
 中山は、ライブからきいたら、実際のライブは
できないことがわかり、このような時は、PCが2台必要なの
が分かった。当たり前であるが・・・・。

 また午後3時からは、食料デーの街頭募金となる。
20名の方が参加くださった。YMCAの委員たちが
きてくださる。遠いところからである。これも、感謝である。

2023年10月10日(火)
 教会は20人強、中山は一人であった。
 昨日は、教会学校のデイキャンプがであった。
15,6人の子どもだちが参加してくれた。
最低は、1歳である。
 1歳から大学生までのプログラムは、
やはり教会ならではである。
 自分としては、一泊したかったが、まだまだコロナが
そうはいかない。
 テーマは佐々木先生(ルワンダのミッションボランティア)を
知るであった。皆で手紙を書いて、午後は、卓球大会
である。若いご夫妻が最後に残った。

  3年前の芥川賞の『おら ひとり いくも』を読み終わった。
いい本である。岩手から東京に出て来て、
ご主人を亡くし、それは自分の為でないかと
悶々とされ、しかし、自分で生きて行くことを決断する
玄冬小説であった(青年小説の対抗言語で、年をとるのも
いいもんだという小説)
 読むと、不思議に力がでてくるのはなぜだろうか。
 特に、ご主人がなくなったところが
「死んだ、死んだ、死んだ・・・・・」
とページ半分が「死んだ」となっているのが、
その悲しみを示している。同時に、主人公の中に
多くの方々が生きている。復活とはこういうことであろうか。
幻聴がこんな大切だな働きとは知らなかった。


2023年10月3日(火)
 主日は、九州バプテスト神学校の推進委員の方が
こられてアピールくださった。感謝である。
 教会は、30人弱で、中山は1人であった。しかし、最近
ようやくfaceの見方がわかって、ライブを1名が聞いて
くださっていた。 先々週の祈祷会が、35回の再生に
なっていてなんでかと思って、自分でもまた聞いてみたが
理由は分からない。どうなっているのであろうか。

 中井久夫さんの『こんな時にどうしてきたか」で
「壊れたところは修繕し、はげたところはきれいして、
汚いところは片付けて来た」に妙に安心を覚える。
 1日1日のすべきことをしなさいということで
あろう。


2023年9月26日(火)
 教会は20人強、中山は一人であった。
 
 又も2週間更新できずであった。臨時総会も
入り、準備が忙しい。祈ってください。

 17〜18日と南地方連合の教役者家族研修会が
ある。講師は、濱田先生夫妻であった。52年間の
牧会を淡々と語ってくださった。感謝である。
 6つの教会を変わられたが、方針はひたすら
聖書を解くと言うことだったそうである。
 感謝である。
 ただただ神の恵みを感謝した。奥さんが
高校、大学の資格を通信で取られたことは、
全く知らず、向学心に驚いた。
 中卒で準看護婦専門校にいかれてである。
すごい人がいるものだ。そうえいば、
私の中学の同級生にも確か1人か
準看護婦の学校に行った記憶がある。
  


2023年9月11日(月)
 昨日は、教会礼拝に2名の新来者、
中山夕礼拝には3名の新来者(川内教会の方)が
きてくださった。感謝である。
 教会はやはり新しい方が訪ねてくださると嬉しいもの
である。

 今週は、バプテストの牧師会と地区の牧師会が
ある。奇数月のいつものことである。また、南九州連合
の教役者家族研修会がある。4年ぶりくらいだと
思う。本当にコロナは大変だったなと思う。



2023年9月5日(火)
 教会いつもの通り30人くらい、中山は1人であった。

 「『目的思考』で学びが変わる」と言う東京の公立中学校の
改革をされている工藤校長さんの取り組みを読んでみた。
 学校教育現場には、目的が無視されて継続だけに
なっている行事が余りにも多く、これが子どもの自立・自律を
妨げているという話しです。
 教会も同じかもという思いです。罪びとの救いなのですが、
そのために、裾野を広げることが多く、どこからかと思います。
卵か鶏かです。
 でも裾野の広い富士山がやはり高いのです。
 地道に行くしかありません。結果だけ狙うと
またるつぼに入るかもです。聖霊ですね。


2023年8月28日(月)
 やっといつものように月曜日に更新ができる。
教会は30人弱、中山は2名の礼拝であった。
 
 トリチウムの汚染水の海への流失が
ニュースになっている。中国は、本当に日本の海産物の
輸入禁止をしているらしい。
 漁業者はたまったものでないだろう。
 日本政府は、科学的根拠をいうが、いくら
トリチウムを基準以下にしていますと言っても
食べる方は、無い方がいいにきまっている。
 
 中国には黒潮海流の動きを説明し、
福島の以南と北海道には、余り問題がないとか、説明できない
のであろうか。でも最終的には海流は回るので、
全体に広がる。
 大きなタンクを作るしかないのであろうか。
 漁師さんに保障と言っても、元漁師さんで、有明海の堤防干拓で
保障をいただたタクシーの運転手さんを思い出す。
 たまたま母の葬儀の時に、長崎帰省で乗ったタクシーが
そうだった。なんと2000万円を頂いたそうであるが、
あっという間に、乾燥機小屋の処理(海苔養殖の漁師さんだったのか)
や農業の耕運機代に消えてしまったそうである。
 保障とはそういうものらしい。
 やはり漁師の生業ができるように、するのが政府の責任で
ないかと思う次第である。
 足りない知恵ではどうしたらいいのか分からない。
 
 この前、沖縄の写真家のドキュメントをしていて、
「中立は卑怯。報道には客観はない。主観でやるしかない」
と言われていた。説教も同じだなと思った。
 たしかブルトマンが「徹底した主観は客観である」???
とか書いていたのを思い出す。記憶間違いかもしれない。
でも、なにか通じるものがある。



2023年8月26日(土)
 いつも開いてくださっている方が、昨日の原発処理水放出に
ついて、書いてくださいとリクエストが来た。
 正直全くの素人でどうにもならない。
 IAEAの動画では、5つの方法が語られている。
1、地層注入(地層深く埋める)
2,水蒸気放出(空中に放出)
3,長期保存(このままずっと保管)
4,コンクリート固定(コンクリートで固める)
5,今回の水中放出である。
 IAEAの動画では、6年間協議のすえに、
5の水中放出がモニタリングができるのでいいのでないか、
としている。
 しかし、共産党の会見では、3,4を勧めるようである。
また、問題は、どんどん処理水が増えていることが
問題であり、遮断壁をつくるのが先だと言っている。
 自分は、共産党方式がいいのではと思う。
 ロシアと中国は、2をしろ、と言っているそうである。
 現実に、それぞれの方法の経費を示してほしい。

 日本の道徳の基本が、、人に迷惑をかけないとすれば、
1,2,5はまさに、日本の方式ではないのでないか。
 多分、5が一番経済的なのであろう。しかし、
 漁業者には、一番の負担である。一企業の失敗のしりぬぐいを
漁業者が受けるのは、酷い話しである。
 しかし、電力は日本人の共同責任でもある。

 人体に影響ない濃度のトリチウムですと言われても、30年間である。
 福島の魚を食べますという方があるが、正直、
アジやサバが並べてあって、福島と他のが並べれていれば、
それは海流から、福島より南の魚を選ぶのでないか。
 これはもう、仕方ない選択でないか。
 漁業者の方には、どう言えばいいのだろうか。
 人間の罪の深さとイエス様の嘆きを聞く思いである。


2023年8月25日(金)
 1週間のお盆休みを頂いた。キリスト教には初盆の考え
方は無いが、義理の母がなくなったので、ひたすら
じっとしていた。帰省は無い。
 ただ、えびの高原に行ったら標高1000mのところで
あるがなんと涼しいこと。こんに違うのかと
驚きであった。本当に、クーラーがいらないのである。

 なかなか、前の調子に戻らないが、じっと我慢です。
お盆前に、小羊、少年少女、生年キャンプが熊本であって、
なんと熊本のキリスト書店さんが来られていた。
 そこで、新刊の関川著の『教父思想入門』を買って読んで
みた。知らないことが多く、初代教父の学びを
ほとんどしてこなかったことを、改めて示された。
 それにしても、2,3世紀のミラノ寛容令が出る前の
教会は特に3世紀の教会は、殉教者が多い。
 又三位一体の根拠は、祝祷だったとの見解も
本当にレックス オランディ(祈りの法則)
が、レックス ドケンディ(教えの法則)であり、
考えさせらえた。祈りが実は、教えを導いて
いるのである。

2023年8月7日(月)
 教会はいつもの通り、中山は1人であった。

 通常礼拝の主の晩餐がなかなか元にもどらず、
手こずっている。2年間、略式でしてきたので、
讃美を入れて、教会の約束を読んで、
証をいれるのが、今一、順番に手こずっている。
 早く慣れたいが、なんと礼拝の主の祈りも
間違えるし、ほとほと困ってしまう。
 いつも当たり前にしてきたことなので、
何か式文を残しているわけでもなく、
祈りもスムーズでない。
 おそらく、会衆が一番困っておられると思う。
頭で何度もシミレーションしないといけない。

 あと、台風6号であるが、どうなっているのか。
沖縄はもう1週間以上台風の中のように思う。
 東から西に行き、突然Uターンして、また西から
東に行く、そして、ようやく北西にあがる。
 鹿児島市でもこれだけやきもきして待って
いるのであるから、南西諸島の方は大変だろう。

 分級の時間に、元 地球物理学を大学で
教えていた先生が「これは、完全に地球温暖化の
影響でしょう」言われる。聞いている方は
全くとしか言いようがなかった。
 便利を求めて、CO2を出して、この仕返しを
自然から受けているのであろうか。
  それにしても、子どもたちにこんな地球を
残していくのも、申し訳ないが、どうしたらいいのか。
大学の先生は「ひたすら自転車です。これは」
と言われた。


2023年8月1日(火)
 7月30日の礼拝後に教会研修会をした。
4年ぶりくらいだと思う。
 臨床心理士のさら先生によって、
「性的マイノリティー」についてであった。
 教会が避けて通れない課題である。
 
 改めて複雑というか、たとえば、
 男性で生まれて、女性との性的な一致を
持つ方が、ゲイの性質を持たれていると
女性を好きになるので、現象からいけば、
普通に見えてしまうのである。

 確かにそうなってしまう。しかし、先生もいわれた
ように、キリスト者が「性的一致に苦しむ方の側にある」
ことをどう実現していくかなのであろう。
 キリスト教の課題hは大きいが、神様は
大きな課題を与えらえたものである。
 ひとつひとつ受けて行くしかないのであろう。
 

2023年7月26日(水)
 24,25日と4年ぶりのバプテスト大会が終わる。
補正予算の説明は、間違いだらけで迷惑をかける。
 もう8年もやっているのに、このていたらくである。
神様に申し訳ない。
 理由はいろいろあるが、もう少しきちんとできない
ものかと考えさせらえる。
 しかし、4年ぶりのバプテスト大会は楽しく、
いろいろな方が、声を書けてくださった。
 感謝であった。

2023年7月18日(火)
 昨日は、天草教会で副牧師就任式があった。
50人くらいあつまられたのでないか。
 先生は、市役所の職員で67歳で牧師として
立てられたようである。
 遅れて来たものですという言葉を何度もいわれた。
でも、遅れようが何しようが、主に仕えるに、歳や時間は
余り関係ないかもしれない。
 どうか、主の守りと祝福を祈るのみである。
   それにしても、天草は遠いな。


2023年7月10日(月)
 中山は2名礼拝、教会は30人程。
 ようやく3年前の礼拝に戻りかけてきている。
 戻ればいいのかというのがあるが、落ち着いた
礼拝というのはあるのだと思う。

  思い付きみたいであるが、教育学の
心理学と教育原理の関係は、神学の
聖書学と教義学の関係のように思えて
きている。
 聖書学は、細かくて、実証的で魅力が
あるるが、神さまとの関係をただし、
方向を示していくのは、やはり教義学のように
思ってきている。つまり保育、教育の実践を
導くのは、どこかペスタロッチのような原理が
いるのである。

 間違っているもかもしれないが、これは、
福音派と社会派の関係にも相関しているので
ないか。
 福音が語られないと話しにならないのであるが、
それが、社会の中での役割、行いを語らないと果たして、
それは、神の言葉になるのであろうか。

 たまたま、バルトの和解論を、また読みだした。
和解論のVの1に、神のことばは、
1,啓示された言葉、2,書かれた言葉、
3,宣教された言葉に3つの面があることを書いている。
 なるほどそうだなと思う。
 神の啓示も書かれたことばだけではないのである。


2023年7月4日(火)
 3週間も更新がとまっていた。正直忙しいのです。
なんでこうなってしまったのかよくわかりませんが、
まだ、4月にしなければならない学法の法務局や県庁の
変更届ができずです。7月まで引っパっています。
 
 聖書の学びも出来ず、ハイデルベルク信仰問答の
ドイツ語訳もできずです。
 ただ、中山夕礼拝の帰りに、NHK教育のラジオで、
教育講演会を4回に渡ってしておりました。
 ここに来る方はどこかで聞いたことがあると思いますが、
教育者の高浜正信先生、いじめ教育の提言で有名な荻上チキ先生
公立中学の教育改革で名を上げた、工藤勇一先生、
そして、これは教育学者ではなく随筆家になると思いますが、
3人の子育てから小島慶子さんであった。この方は、
「同意教育」コンセントエデュケーション
で、性教育、性暴力からの教育を提言されて
います。

 グーグルで探していただくと、どの方も10冊以上の本を
自分の教育実践を元に、出版されています。
 私はこの4人の講演を聞いて、自分は教育心理には
非常に興味を持ったのですが、本当はやはり教育原理と
実践が大切だったと思い直しています。66才で、にしてこんな
ことに気付いたでは、何をしていたのかです。
 特に、高浜先生は、熊本の人吉の方で、なんと
人吉教会のすぐ近くの高浜内科の息子さんのようです。
 医者になるか、塾の講師になるか、キャンプの指導員に
なるかでとうとう、「キャンプの指導員で飯を食う」と決められた
そうです。東大の卒業生でも、だから、そんな生き方を
されるのかと驚きです。
 そしてその理由が、「今の子ども達に最も必要なことは
野外体験だと思う」と言われるのです。
 つまり生きる力の復権はそこからでないかとされるのです。
    私はイエス様の弟子として、本当に実践も理念も
何をしてきたのだろうと、この4人の教育のあり方を聞き、読んで
示されます。今更ですが、なんとか、イエス様の弟子として
なんだかもう一度やり直しのような気がしています。
 はやり、一生が学びのようです。


2023年6月19日(月)
 昨日は、宣教120周年リフォーム完成感謝礼拝をおわった。
雨の中で、大雨でなったかが、75名ほどきてくださった。
 ただただ感謝である。

 これからはこの会堂を用いるのみです。
 faceのライブ中継をしたが、13人ほど見て
くださったようである。さすが、寺園先生という
ところである。感謝であった。


2023年6月12日(月)
 教会はいつもの通り、中山は1人であった。何か路傍伝道を
思い出した。

 次週はいよいよリフォーム完成感謝礼拝をする最後の
準備会であった。100人位の礼拝になりそうである。
 弁当やお祝いや準備が一杯あるものである。

 10日は鹿児島ブロック女性会の研修会で
講師をした。私は、開会礼拝と思っていた。
 本当に何をしているのかとおもったが、
幸い聖書の箇所が膨らませることのできる箇所で
時間通りになって、主に感謝した。

2023年5月30日(火) 
 先週は又、更新できなかったようである。
 決算の総会、理事会、評議員会が入る。

 教会は、コロナから解放されて、2か月遅れの
任命式で、幼稚園の先生、児童クラブの先生が
きてくださり、母の日と父の日礼拝は、まだ
復活できないが、多くなっている。
 
 ただ、毎日が矢のように過ぎていく。
じっくり祈りたい。


2023年5月18日(火)
  先週も、更新してなかったようである。
忙しいの一言であるが、これでいいのかが
ある。しかし、今は来る事をきちんと
対応して行くしかない。

 主の守りを祈るのみである。
今日は、夕方に、ようやく食料デーの監査である。

2023年5月3日(水)
 今日から後半の連休である。私は、ひたすら連合と
食料デーの決算の準備をしたい。

 100分de名著の斉藤幸平さんの『精神現象学』を読んでみた。
自分は全然理解していなかった。こういうことだったのか。
  弁証法を確立した本と思っていたが、実際そうであるが、
中身はもっと実践的なものだったのである。

 感心したのは、デカルトの「我」思うゆえに我あり
の我の「主体」の捉え方の批判の部分、つまり我は
あなたと人々がないと「我」にならないということ。
 主人と奴隷の逆転の部分、労働によって、スキル
を身につけた奴隷は、主人を操作できること。
 常に批判しかしない啓蒙は、ただの信仰でしかないこと、
盲信と啓蒙の親和性。
 宗教は、比喩によってしか現わせない人生の謎を
示し、それと取り組むことを教えること。人類史は
科学だけでは無かったこと。
 Aと非Aとの統合は、告白と赦しにあること。
どうして、一回読んでいたのに、全く気付けなかった。
 いつでもそうであるが、また最初から行くしかない。


2023年5月1日(月)
 先週も、ここに書けなかった。全く余裕がないのである。
楽しみにまっている方済みません。

 「100分de名著」は、5月号は、とうとうヘーゲルの『精神現象学』
である。なんと、鹿児島の鴨池のイオンの中の書店
でも山積されていた。あれを読む人がいると書店は
期待しているので、あれだけ摘んでいるのである。
 水面下では、きちんと考えたい、本質を知りたいと
願っている方が多くいるという事になる。

 聖書もその本質を知りたいという方が、
だんだんあるかもしれない。
 実は、昨日の礼拝に2名の新来者がこられたのである。

2023年4月18日(火)
 教会礼拝は通常、中山は1人であった。
  今日もまとまったことを書く時間がない。
 今、鈴木大拙著の『無心』1939年出版を
を読んでいる。第2次大戦の始まる年に、
良くかけたなと思う。 



2023年4月13日(木)
 教会はいつもの通り、30人くらい。
 中山は、イースター礼拝に児童クラブの子ども達
が6名来てくれて、8名礼拝であった。感謝。
 
 相変わらず、県庁と法務局への理事の変更届の
書類と格闘です。

 100de名著の4月号のテキストを買うことができた。著者は
フランス文学で、評論家の若松英輔さんであった。
 良くかけていると思う。ただ、聖書学のプロパーでない人が
この「福音書」のテーマで全国放送で、講義されるのも、すごいなと
思う。
 ただ、ドストエフスキーと復活のところの説明が、
なるほどと自分は思った。
 ドストエフスキーは、真理につくよりもをキリストと共に
いたい、と書いているそうです。すごいなと思います。
 自分もそうありたいです。


2023年4月5日(水)
 新年度の準備で、どうにもここに書く時間がありません。
本当に、ここを楽しみにして下さる方があるのですが
済みません。
 落ち着いたら又書き出します。
  この1ケ月本も全く読めない状態です。
大好きな「100分de名著」は、新約聖書らしい
です。でも、テキストも買いに行けません。
何をやっているのかです。
 
 義理の母が亡くなり、いろいろな書類が
あって、人が死ぬのも本当に大変な
ことだなと書類からも知らされます。
 生きることの難しさ、死ぬことの
難しさを思います。
 でも最後は、神様がなさることで、
委ねるのみです。

2023年3月20日(月)
 教会と中山はいつもの通りです。

 2週間更新できず。定期総会、
理事会、児童クラブの運営委員会と、
 明日は、南連合の総会で
今日は、すべての出金の領収書を作っておかねばならず、
どうにもならない。
 いつもここを楽しみにして下さる方も
あるが、もうしわけありません。


2023年2月28日
 教会25人、中山1名礼拝であった。
 いつも同じことだが、26日も会議がつづき、
終わったのは4時はごろであった。
 正直この時期はしかたがない。
  


2023年2月21日(火)
 教会30人、中山2名の礼拝であった。
 相変わらず会議が続き、19日(日)も5時半まで
であった。どこの教会も、定期総会をするところは同じ
かもしれない。伝道には役にたたないかもであるが、
しかし、伝道を支えると考えている。

 児童クラブの入室説明会に来てくださる臨床心理の
先生も、教会の役員らしく、2,3月は、教会の仕事が一杯ですとの
ことであった。
 ここはあきらめて付き合うしかないのであろう。
 幼稚園の理事会も相変わらず継続である。
 

2023年2月13日(月)
 教会はいつもの通り、20人強、中山は1人であった。
 
 礼拝が終わって、各会、クラブ運営委員会、
建設委員会と3つあって、終わったのは4時半ごろ
であった。正直、これでいいのかと思う。

 土曜日のNHKの心の時間で、コンゴ共和国の
産婦人科のデニ・ムクエゲ先生の内戦への訴えの
放送ががあった。(再放送であった)
 中身は、他のところに譲る(レイプをして、
村落を破壊し、それによってレアメタルの権益を
奪うということ)が、この産婦人科の
先生は、牧師の息子であった。プロテスタント
という。
 毎週日曜日に、父である牧師は礼拝が終わると
、息子を伴い病気の人、貧しい人を訪問したという。
 そこで、父に「どうして、薬をお父さんは、あげないのか。
祈りだけでいいのか。」と言うと、父は「私はお医者でないから
できないのだよ」と言われた。
 この息子は、「だったら僕がお医者になる。お父さんは
祈りなさい」と勉強され、フランスで医師の免許を取られたらしい。

 当たり前のことかもであるが、コンゴの一牧師の
働きを感謝し、この牧師がイエス様の言われた通りに
されていたことを、知らされた。アフリカのキリスト教は
ここが基盤かもしれない。 根っこは深い。自分も祈るしかない。


2023年2月6日(月)
 朝の礼拝は20人強、中山は1人であった。
 昨日は、礼拝後、2時半までクラブ運営委員会
3時から5時半まで臨時理事会であった。
 すっかり疲れてしまった。
 ラジオの「山カフェ」を聞いていて、そこから
話をした。1902年の日本軍の八甲田山の
199人の山岳遭難は
天気が悪い時は引き返すという原則が
まもられなかったそうである。


2023年1月31日(火)
 礼拝はいつもの通り20人強、中山3人。
  先週は24日、25日と大雪であった。
10年に一度のものだったらしい。確かに10年前に
こんな雪が降ったように思う。
 幼稚園の子ども達は大喜び、雪合戦に雪だるまである。
 
 大人は本当に困った。実際転倒して、病院に
いかれた方が続出した。油断大敵である。
 すでにFacebookにて、麦野達一先生から
祈りの要請が書かれている。
 本当に祈るのみである。
 今日は、ズームの合同役員会があった。
久しぶりで、何もしないのに、疲れてしまった。
ズームの疲れとはその正体は、一体なんであろうか。

2023年1月23日(月)
 教会はいつもの通り、20人ほど、中山2名。
 先週は松山市にいる義母の容態が急変し、
雅子と2人で松山にいってきた。
 なんと松山ー鹿児島の一日一便の飛行機が
復活していて、しかもそれが夜の出発で
間に合った。
 帰りも同じであった。
 義母はまた元気をとりもどされた。何度もは、いけないが
なんとか、話ができて感謝であった。
 こういう時は、旅行会社の方はさっさか手配してくださって
感謝である。



2023年1月17日(火)
 昨日は更新の時間がなかった。
 礼拝はさずがにコロナ感染が酷く、
休まれる方が多かった。20数名でした。
 中山は2名で守った。
 今回は、ここに、週報の巻頭言をコピーしておきます。
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 新聞テレビが伝えるように、ウクライナとロシアの戦争が終わりそうにありません。
どうして、人間はいつまでも戦争を続けるのか。アウシュビッツや原爆を体験し
ているのに、終わらせることができないのか。
 この前から引用しています精神医学者
の中井久夫さんの本に『戦争と平和 ある観察』と言うのがあります。
 1935年生まれの中井さんは、敗戦の時10歳でした。戦中派として、
喪の意味を込めて言わなければならない、とされています。

 なぜ、人は、戦争を止められないのか。先生が言われるには
「戦争は過程であり、平和は状態である」からでないかとされています。
戦争は日常を打ち破り、高揚感があり、物語が生まれます。戦勝一点に国民の日々の生活が収れんし、
国民の一致感が生まれます。しかし、平和はださいのです。
 平和運動は誰も戦後を過ぎると注目しません。当たり前のことだからです。
指導者の些細な失敗が責められ、平和運動は必ず分裂します。徒労感と敗北感が残るのです。
先生は、これはちょうど「部屋を散らすのと片づけた部屋を維持することにたとえられます」と言われます。
平和から戦争への橋渡しは、安全保障の希求です。些細な混乱が大きく取り上げられ、
戦うしかないとなる、とされます。
 後から見ると幾つもの道があったのにです。8年前の本ですが、今の予言のようです。 
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 以上でした。

2023年1月14日(土)
 中井久夫先生の『最終講義』を読み終わる。
1日かけて読んだ。感動と言うよりも、
精神医学者が統合失調症の正体を突き詰める
ために、30年間を費やして、なさった姿があった。
 これは、牧師や他の心理療法士やら、心にどうしても
向かわないといけない方々の大きな指針になると思う。
 私も、得体のまだ分からないものに、いかに目と鼻を
つけるのか、そのヒントが満載であった。
 ぜひ、若い牧師、これからの牧師は読んでほしいな。
また、牧師を後わずかしか残していない方も、
自分の整理のために読んでみるのもいいかもです。

2023年1月12日(木)
 礼拝は、36人、中山は2名の礼拝であった。
いろいろな方が重なって多くなった。
 
  娘が帰って来てくれて、いろいろ話してくれた。
どこの企業も大変であるが、娘の企業も大変そうである。
 特に、人の資質が問われるらしい。頭がいいが、
仕事がどうもらしい。しかし、これはいつの時代も
あったかもしれない。

 注文しておいた中井久夫の『最終講義』がきた。楽しみである。
別の本でおもいしろいことを見つけた。
 環境と精神とかいう章であるが、
製薬会社のまだ動物実験での話である。
 ガンの薬の実験の時に、さっぱり成果がないのが
たまたま、ネズミの飼育箱を日当たりのいい環境の
いいところにおいたら、突然薬が効き出したそうである。
 また助手の方が動物が好きで、「こんな実験をして
すまない、すまない」と言って注射をしていたら、よい結果が
でて、助手が交代して、ぶすぶすと注射を打っていたら、
さっぱり薬の効果なかったそうである。そんな馬鹿である。
 しかし、このような要因は論文になりずらいそうである。
 環境、空間と精神衛生を考えさせられる出来事です。

2023年1月5日(木)
 不思議なことに、元旦礼拝が主日だったので、18名の礼拝となる。
元旦礼拝はいつも一桁だったような記憶である。
 次の元旦礼拝が主日なのは2034年である。11年後である。
  果たして、牧師をしているだろうか。もしかしてこの世にいるで
あろうか。年末から書いていますが、100分de名著に出て来た中井久夫
さんの書物を図書館から6冊借りてきて冬休みに読んでいます。

 自分は全くこの方を知らなかったが、精神医学だけでなく、多くの
分野を読まれており、特に戦争の記述に関しては、なんだか父の
言葉のように思える。この方は1934年生まれとあり、父の6歳下となる。
当然軍隊にはいかれてないが、その空気を吸っておられた。
 父の軍隊の体験を聞けたのは良かったが、父は
中井さんのように体系的には語れなかったので、そういうこと
だったのかと捉えることができる。
 特に昭和天皇の声については、どうしてあの甲高い緊張した
声になっているのかと思っていたが、中井先生の解説を読むとそういう
ことだったのかと納得した。興味のある方は読まれたらと思う。

 「戦争は、戦争体験者がいなくなった時に始まる」というのは、
経済学や国際政治学よりも納得が行く。イラクの戦争がすぐに
終わり、ウクライナ戦争が終わりそうにないのもこの戦争体験者の
数の有無かもしれない。プーチンさんは、ゼレンスイキーさんもであるが
戦争を知らないのである。ブッシュさん(父の方)は日本軍に打ち落とされた
戦闘機に乗っていたそうです。だからすぐに湾岸戦争を止めることができた
とあります。
 私ももちろん長崎原爆を親から先生方から聞いただけではある。
父の軍隊体験も考えみれば決して美化していなかった。国外に
行ってないが、国内での軍隊の大変さと
悲しさを語ってくれて感謝である。