1,キリスト教 入門   2012年 イースター

  キリスト教を学ぶためには、やはり手引きが必要である。
神様から直接導きをうける方がいるかも知れない。しかし
大方は、先輩の意見を聞いて、自分で聖書を読み、組み立てるのが
プロテスタントの考え方である。
 古来から、哲学者達は入門書を書いている。詳しすぎてもいけない。
自分で考えなくなるからである。 
 余りにおおざっぱでもいけない。好き勝手に解釈されて
異端になっても貰っても困るからである。
 しかしちょうどいいのは天才でなければ無理である。
ヘーゲルも『哲学入門』を書いている。ただし、私はその中味を、
何も覚えていない。ただ41才でヘーゲルが『入門』を書いたことが
不思議であった。
 ここに、8年前の私のキリスト教入門のまとめがあるので、
掲げておく。入門者の何かの足しになれば、幸いである。
                                         2012年4月8日イースター
                   牧師  田渕 亮

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      聖書の教え



       ―04年度全体分級のまとめー




         鹿児島バプテスト教会  牧師 田渕 亮


目     次

「聖書について」…………………………………………2

「祈りについて」…………………………………………4

「献金について」………………………………………6

「礼    拝」 ………………………………………8

「教会の霊的一致」……………………………………10

「聖書の神様」 …………………………………………12

「イエス・キリスト様」 ………………………………14

「聖霊なる神様」  …………………………………16

「世の終わり・終末」…………………………………18

10「人間・いかに生きるか」…………………………20

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巻   頭   言
 この冊子は、04年度に行われた鹿児島教会での全体分級のテキストです。私は、
牧師になって数年経つと信徒の訓練やバプテスマクラスや教会学校の先生の訓練テキ
ストに適当なものがないことに気づきました。もちろんすでにバプテスト連盟から『教
会生活入門―これだけは知っておこうー』や『教会ハンドブック』、『バプテスマを受
ける方へ』が出版されてあります。他の教団の先生方が書かれた多くのテキストも、
山ほどあります。特に、日本キリスト教団の『洗礼を受けるまで』や『洗礼を受けて
から』は、参考に成りました。しかし、どれも、帯に短く、襷に長しでした。ある牧
師会で、このような事を話していましたら、テキストはその牧師が自分で作るものだ、
と言われました。当時は、まだその力もありませんでした。しかし、牧師17年を過
ぎ、この度鹿児島バプテスト教会は、この機会を私に与えて下さいました。これから、
少しづつ改訂して、良いものにしたいと思います。どうか、読まれて、ご指摘下さい。
 皆様の上に、主の恵と平安を祈ります。      祈 平安
                         2005年3月末
                         田渕 亮



      第1章 「聖書について」   04年3月8日

1、聖書の読み方と聖書の仕組み
 *聖書は神の言葉である。       第2テモテ3章16−17節
  「聖書は、すべて神の導きの下に書かれ、人を教え導くのに、…」
  「この手紙をすべての兄弟達に読んで聞かせるように」 1テサロニケ5:24

 *聖書は、人間の言葉で書かれた。
  ・モーセの伝承   紀元前1200年前の人
   (伝承は天地創造から、アブラハムは、紀元2000年前の族長)
  ・ダビデ      紀元前1000年の人
  ・聖書の編纂の始まり
   1)列王記 下22章8節
「私たちは、主の神殿で律法の書を見つけました。」BC622頃。
原申命記といわれる。
2)ネヘミヤ8章5節
「エズラは、・・・皆が見守る中でそれを開いた。」バビロン帰還BC520年頃
 ・旧約聖書はバビロン時代に完成か。
 ・正式にはヤムニア会議AD60頃 
・新約聖書は、一番はテサロニケ第1の手紙50年頃、
        マルコ60年ーヨハネ伝100年頃。
 ・正式編纂には、AD397年 カルタゴ会議 頃   

2,聖書の読み方(1段階、2段階、3段階がある。)
  1段階 ・この著者は、その時、何を、読み手に伝えたかったのか。
  天地創造は、物理学の命題というよりも、当時のイスラエルへの励ましであった。

  2段階 ・この言葉は、今ここで、私に何を語るか。なぜこんな目に。
  主の御心、私の苦しみの原因は、何か。
  
  3段階 ・ 一番いいのは、毎日少しずつ読むこと。10分でもいいから、聖書の
  前に座る。私が読むのでない。私が、聖書に読まれている。
  座力という。示された箇所に線を引く。聖書をつぶす。聖書に関しては、もっ
  たいないを捨てる。


3,聖書全体の知恵
 ・必ず2つ以上の証言を集める。申命記19章15節
  「いかなる犯罪であれ、…2人ないし3人の証言によって、そのことは、立証さ
  れねばならない。」
1) 創世記からレビ記…申命記で、繰り返す。

2) 列王記と歴代師…同じ歴史の違った見方。

 3)エズラ記、ネヘミア記 …繰り返し

 4)コヘレト(伝道の書)と箴言…積極人生と空の空。

 5)イエスの生涯…4つの証人  マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ

 6)使徒言行禄とパウロの手紙

4,まとめ
  ・真理には、幅がある。マタイとヨハネの間は、真理である。
・ コヘレト(伝道の書)と箴言の間も真理。
・ 読むことは、生きること。
  ・対話の可能性。自分の立場では、主とともに、こう読む。
・ 自分は、主とともに、こう生きる、の主張でよい。
・ 他人の証しと話を聞くことで、信仰の幅を知る。
  ・異端とは、何か。…自分の見方だけしか認めないことである。
  ・ただし、信仰告白は、最大公約数であり、ここには、制限がある。
  ・私が読むのでない。私が、聖書に読まれている。 戻る



    第2章 「祈りについて」   04年05月02日

1、祈りとは何か (カルバン)
@祈りとは、神との対話に入る事である。
・ 祈りのない宗教は、死んでおり、祈りが生きている限り、宗教は生きている。(ブ
ーバー)、「宝のあるところを知らされていながら、地面の下にそれが埋もれ、隠れ
たままになるのたとえ」
  Aそれを得ようと真剣に、もえあがる感情を祈りと結び合わせる。
   ヨハネ16章23,24節「私の名によって、…願いなさい。そうすれば与えら
    れる。」
創世記32章27節「いいえ、祝福してくださるまでは、離しません。」
  B自分の栄光を思わず、自己の信頼を放棄し、神に栄光を帰する。
   第1ヨハネ1章9節「自分の罪を公に言い表すなら…罪を赦し…清めてくださ
   います。」
   レビ記26章40節「しかし、もし彼らが、…反抗した罪を告白するならば、
   …、44節 彼らと結んだ私の契約を破らない」
イザヤ1章15節「 どれほど祈りを繰り返しても、決して聞かない。おまえた
   ちの血にまみれた手を」
  Cへりくだりと真実に聞かれると言う希望。
   マタイ18章19節「こころを一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれ      
             をかなえてくださる。」  
ピリピ4章6節「どんな事でも思い煩うのは、やめなさい。何事につけ、感謝
   を込めて祈りと願いを献げ、求めているものを神に打ち明けなさい」
2,祈りの仕方
1)時間を決める。
朝― 詩編5:4、88:14、143:8
   昼― 詩編55:18、88:2
夜― 詩編 65:9、17:8、119:55 、134:1
 2)場所を定める。
マタイ5章6節  「あなたは祈るとき自分の部屋に入れ…」
  マルコ11:25 「立って祈るとき…」
ルカ9:8    「イエスは祈る為に山にのぼられた。」
ルカ18:10  「祈るために宮(神殿)に上った」
   使徒言行録21:5「共に海岸にひざまついて祈った」
3)御霊の祈り(御霊を願う)
   ロマ8:26「どの様に祈ったらいいか分からないが、霊自らが、…取りなし
   てくださる。」
   エペソ6:18「どのような時も、霊に助けられて祈り…」
3,「主の祈り」に生きる(イエスの教えられた祈り)
    <1部…神の栄光への祈り3つ、2部…私たちの祈り3つ >
   @天にまします我らの父よ
天…思いを高く上げる。 父…母でも良いという人がいる。願いを聞く意味。
A願わくば御名をあがめさせたまえ
     神がいかなる時でもあがめられる祈り。  
   Bみ国を来たらせたまえ
     神の支配を求める祈り。サタンが砕かれ、神がどこでも賛美される祈り。
   C御心の天になるごとく地にもなさせたまえ
     ゲッセマネの祈り、神の御心に定められた事がなり、神の喜びがなる祈り。
   D我らの日用の糧を今日も与えたまえ
     生きるために働くが、労働が我々を養うのでなくて、これを実らせる神を
     思う。 労働は、手段である。 所有しても、神が与えないと所有できない。
今日…必要を満たす、欲望に導かれない。
   E我らに罪のあるものを我らが赦すごとく我らの罪をも赦したまえ
     生きている者はみな、この祈りに生きる。隠れた罪、気がつかない罪があ
     る。  はかりが同じ、ゆるせば、赦されると言うのでない。恵の赦し。
   F我らをこころみにあわせず、悪よりすく出したまえ
     神は、罪のままに放置せず、神の保護にいれられる。
     罪からの救いは、御霊によるしか無い。人間はサタンに勝てない。
   G国と力と栄えとは、限りなく汝のもの成ればなり。
     祈りの基礎は、我々でなく、神にあり。祈りは、賛美で終わる。

4,まとめ
・ 祈りのノートをつける。
・ 祈りの課題をつける。
  ・詩編に導かれる。(朗読して祈る。朗読して祈る。朗読して祈る。)
  ・私が祈るでなくて、主イエス様の祈りに、私は祈らされるのである。
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  第3章 「献金について」    04年6月6日
                  
1、「献金の勧めが上手に出来るようになったら、1人前の牧師になったと思いなさ
  い。」                      神学校の先生
 「バプテスマ訓練は、献金の信仰だけ教えれば、後は全部何とかなる。」
                           有名牧師
・教会のつまづきの第一原因はいつも献金である。
・していないので、申し訳ない。していないので、何も言えない。
・音の出る献金(硬貨)はいけないのですか。見える献金はだめ説。
・自分は、まとめて献金しています。
・名前が分かる献金は、おかしい。(献金袋の領収印は、税の対称になるか。)
・神様の献金に領収があるのは、おかしい。
・神様に献げるのに指定献金とは何事か。(指定献金は信仰的でない説)
・昔は行きましたが、教会はお金がかかって私の様な貧乏人には、行けません。
・自分の生活がだめに成るような献金は、神様のみ心で無い。

2、キリスト教会(バプテスト派)の献金
 国の教会でなくて、自由教会としての歩むことの決断。国家や特定団体や特定の個
人から運営されるのでなくて、信徒の一人一人の献金で歩む決意。

3、時間の使い方とお金の使い方はその人の価値観を示す。
  ・「あなたの宝のあるところに心もある」 マタイ6章21節
・ 「献金は、信仰のバロメーター」他人とくらべない。他者を問わない。多い少
ないでない。…信仰の姿と重なる。
  ・神様の事を第1とするか自分に問う機会。礼拝の証しである。
・ 安息日もまた、7日の1日を神様の前に出る事で、6日が神様のものであるこ
 とを確認する。
・ 献金もすべての一部を献金することで、全部が神様のものであることを確認す
 る。
4,十分の一献金について
・ 会費でない。最低限、最高などの決まりが無い。レプタ1枚(1円)も献金。
                            マルコ12:43
・ 「10分の1の献げものをすべての倉に運び私の家に食物があるようにせよ。こ
れによって私を試してみよ、と万軍の主は、言われる。必ず、あなた達の為に
天の窓を開き、祝福を限りなく注ぐであろう」マラキ3章10節
・ 祝福の献金、ある時点で思い切って試すと後は、出来るようになる。
  ・出来ないときもその事情を主は、ご存知であるので、時期を祈って待つ。

5,何の十分一とするのか。
・ 手取り(経費や税を引いた残り)説。
・ 総収入(いわゆる収入と所得を全部たす)説。
・ 夫が未信者の奥さんは、自由になるお金で計算する説
・ 中心は、強制でもノルマでもない。
 「惜しんでわずかしか種を蒔かないものは、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに
蒔く人は、刈り入れも豊かです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなくこう
しようと心に決めたとおりにしなさい。」 コリント第2の手紙9章6,8節
  ・ 神様のとの関係において、自分で心に決める。 「少し痛む献金」

6,喜んで献げる献金
  ・喜べないときは、ささげないのか。
  ・気分で献げる献金でない。月約というのは、神様のとの契約である。
  ・主にある献金は、主の十字架と復活による献金。
  ・主の十字架と復活の出来事を想起し、これを喜ぶ献金。
・ わずかであっても決まった時、決まった金額を、神様への約束として献げてい
く。神様は祝福の契約を守られる。

7,特別献金、指定献金、感謝献金の考え方。
・ 教会には礼拝、感謝、会堂、霊園、神学校その他と月約とは別に献金がありま
す。
・ 会計さんも言われるように、まず月約を神様との契約として守ります。
・ 礼拝献金と月約献金を、十分の一献金の中心に置きます。
・ 他の指定献金は、示された重荷として、示された時にしていきますが、出来る
だけ、継続出来るように、心に決めてなしましょう。
・ 地震や火災や自然災害時の献金も、自分の様々な体験とかさなりどれだけを決
める事ができませんが、日本では小さな額でも、外国ではいろいろな働きの出
来ることを、覚えましょう。

8,まとめ
 献金をいくら捧げるべきか、を問う前に、自分を神様に献げることを祈る。
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  第4章 「礼     拝」   04年7月4日 
1,礼拝とは何か
・ 「神はご自身にかたどって人を創造された。」創世記2:7
  …礼拝は人間だけの特権である。
・礼拝は精神修養ではない。自分の生活が充実していれば礼拝を受けなくもいいのか。
・礼拝の主体は神様である。神が招かれた。私達は応えるのである。人間が、求めた
のでない。
・「主を賛美するために民は創造された」詩編102編19節(口語訳は18節)
*真の礼拝とは
・神は御子を献げるサービス(奉仕)をされた、私はこれに礼拝の(奉仕・サービス)で応
える。
・個人の礼拝、会衆の礼拝、共同体の礼拝、キリストの体の礼拝となる。
・礼拝は伝道の目標である。ローマ12章1節「自分の体をささげなさい。…霊的な
礼拝です。」
・神礼拝の中に私たちがあるのであって、私たちの生活の一部に礼拝があるのでない。
2,主日礼拝
・安息日(出エジプト20:8)から主の日(ヨハネ20:19,黙示1:10)へ
・ 聖別の考え方、1日を献げる。ーすべてが主のもの。
・ 献金も同じー1部を献げるー全部主のもの。
・集中した教会(日曜日)、散らされた教会(週日)
・日曜日ーキリストと共に喜び泣く、週日ー「喜ぶ人と共に喜び、泣く者と共に泣きなさ
い」                      (ロマ12:15)
・感情の満足でなく、主に招かれ、主に仕えるためである。
3,礼拝への備え
・最高のコンデションで出席する。土曜日は備えの日、夜更かしをしない。 ・献金
は土曜日に準備する。  ・携帯電話は、礼拝入口で切る。  ・礼拝前に指定の聖
書を開き、プログラムを読む。  ・礼拝前は、他人との挨拶をしない。後からする。
・子供はうるさくても、あきらめないで出席する。音のでない塗り絵、パズルなど工
夫する。 ・休む時には、牧師、執事、教会学校教師等、誰かに連絡する。
*休み方
・やむ終えない場合は、祈り会にておぎなう。
・遅刻は来ないよりは、いいことを覚える。
・完全に遅刻の時は、最低週報を取りにその週に出かけて、聖書を開き、会堂で祈る。
・主の晩餐のある日曜日は、遅刻しても牧師と共に、晩餐を受ける。
・とにかく、ただ休んだとならないように、自分なりの奉仕を考える。
4,礼拝プログラム
・礼拝プログラムは全体が礼拝である。プロテスタントは、説教が中心に成ったが、礼拝
は賛美、献金、聖書朗読、報告、全てで完結します。
・礼拝は@神に心を向ける(前奏、招詞、賛美) A神のみ前に立つ(主の祈り、賛
美、祈り(教会共同体として)、証し等) Bみ言葉の開示(聖書朗読、説教)Cみ言
葉への応答(賛美、献金 ) D派遣(頌栄(賛栄)、祝祷、報告)となります。報告
は、礼拝の付け足しでは、ありません。
・礼拝は、私から神へ、神から私への往復運動です。
・私から世界への広がり(伝道)です。
・バプテスマと主の晩餐は礼拝行為です。
5,礼拝を豊かにする諸集会
1) 教会学校…み言葉を正しく受ける為、また、正しくこの世に証しするために、
系統立てて聖書を学びます。
2) 祈り会、いずみ会…祈り会で大切なのは、教会としての祈りの課題です。執
り成しの祈りをします。個人の祈りのみでありません。根本は、祈り会は、礼
拝が正しくささげられる為にあります。
3) 各会…壮年会、婦人会(女性会)、青年会、少年少女会、は信仰の励ましの為
にあります。すなわちこの交わりも、礼拝をめざします。
4) 家庭集会…教会に行くことを躊躇される方の為に、礼拝に向けての前準備集
  会です。
5)その他…修養会、特伝、バザー、クリスマス会これらは、全て根本は真の礼拝に
向かいます。週報作成、お掃除もすべて真の礼拝の為にあります。
6,人生の節目の礼拝
1) 結婚式…聖書では、通過儀礼ではありません。神と会衆前に結婚の契約を結
ぶ、礼拝です。従って、本来公のことです。
2) 葬儀式…記念式を含めて、聖書では、人間の生死が神のみ手の中にあるとい
う礼拝式です。天国に行って頂く式ではありません。
3) 幼児祝福式、献児式…教会の礼拝に子供を託す式です。礼拝の中で育てます
という決意です。
7,まとめ
 *一人も誘わなくても、礼拝5分前に来て、静かに祈りを持って礼拝を献げるもの
は、100人に伝えた事と同じである。*賛美(説教)は、上手下手でない。(霊と真
の礼拝)たとえ:「ある村に小さな教会の聖歌隊があった。いつも精一杯の賛美(説教)
をささげていた。ある日曜日、町の教会の立派な聖歌隊(牧師)が賛美(説教)する
ことになり、この小さな聖歌隊は賛美を休んだ。その日の夜、神様は、幻の中に現れ
て言われた。「今日の礼拝は、賛美(説教)が無かったがどうしたのか。」「主よ、町の
立派な聖歌隊(牧師)が賛美しました。」「そうか。私には、聞こえなかった。」
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   第5章 「教会の霊的一致」    04年9月5日
                            
 序論
 9月教会修養会のテーマが、役員会にて「教会の霊的一致」と言うことで、昨年の
テーマをふまえて決まりました。修養会には全ての会員が参加できないので、今日の
全体分級にて、霊的一致を考え、修養会のさわりを分かち合いたいと思います。

1,初代教会の力の源泉とは何か。
 ヘーゲル著 『キリスト教の精神とその運命』
 「キリスト教の運命は、キリストの愛に信徒が実際に、生きることにかかっている。」
 旧約は、ロゴス(神)が外側にある状態。
 イエス・キリストに置いて、ロゴス(神)は、心の内側にある。結果を知らずして、
喜んで愛に生きることが、イエスキリストにおいて成就する。
 ・だまされてもだまされても、果敢に隣人を愛する事を可能にする十字架の愛。

 メネシュギ先生(教会史)  カトリック枢機卿(日本教区)
「初代キリスト教は、教え、哲学、道徳において、ストア哲学とあまり変わらなかっ
た。しかし、キリスト教は、実際に、ローマ書12章9−21節を、なしていった。
すなわち、貧しい者を助け、旅人をもてなし、迫害するものの祝福を祈り、互いに思
いを一つにし、身分の低い者と交わった。」
 ・イエスキリストは、聖霊と成って実際に私たちの魂、心、精神を鼓舞される神様。

・キリスト教団(教会)の運命
「・・・キリストの愛は、絶えず他者へと向かうゆえに、教会には絶えず、他者・異
邦人が存在する。そして、この他者と異邦人が、教会の愛を破壊する。しかし、この
他者・異邦人を愛しなければ、また教会は、キリストの体として機能し、運動し得な
い。・・・」
 ・教会が完全に一致しないことは、世の終わりまで、正しい教会の運命である。愛
は、常に他者を愛するゆえに、教会には、いつも他者・異邦人が存在する。聖霊によ
り、最善を尽くした後は、あきらめて生きる。愛を覚悟して生きるしかない。

2,分派、仲間割れは、なぜあるのか。
  ・パウロの理解 コリント第1の手紙11章19節
「あなた方の間で、誰が適格者かはっきりするためには、仲間争いも避けられないか
も知れません。」
・ パウロは、コリント教会の分派で苦しむが、分派を神の懲らしめとして、受ける。 
*神からの試練。
 アテネオリンピックの選手、男子マラソンの銅メダルのことば
 「オリンピックで、メダルを取ることは簡単でない事を、神様は、私に教えてくれ
たのだ。」
・神様を中心に生きると、完全な理不尽でも、試練となる一つの例。
・最終的には、真実を神様が知り、神様が復讐し、神様が報いる。だから、最善をな
して任せる。

3,第一コリント12章を味わう。
  *パウロは、コリント教会の不一致をどう受けとめていったのか。
   2つの方向性がある。
  1)霊の賜物を知る。
  全ては神の賜物と知る。報いを期待しない。やれることは賜物がなしている、と
 受ける境地。
  2)1つの体に、多くの部分。
  *教会は多くの人の祈りと働きでしか、成り立たない。
・ 22節「それどころか、体の中で他よりも弱く見える部分が、返って必要なの
     です。」
・誰が、役に立ち、誰が役に立たないか、人は決められない。最も大切な部分は、体
でも、見えない。色々出来る人があっても、気にしない。最高の賜物を知る。
12:31節。「最高の道を教えよう。」・・・愛。
* 違っても、間違っても、執り成し祈り、期待して祈って待つ。合わせる必要も、
ごねる必要も、ねたむ必要も無い。愛は、誤解を覚悟して生きる事である。

まとめ
 *教会の霊的一致は、ひたすら祈ることでしか実現しない事を覚悟する。イエス様
の愛を生きざるを得ない教会は、他者、隣人、異邦人を愛するゆえに、教会には、た
えず意見の違いを取り込む。一致のなさは、キリスト教の運命である。御霊による祈
りが、これを乗り越える。
戻る




  第6章 「聖書の神様」    04年10月3日
 
  序 神様について、学びます。世の中で、おそらく神様と人間の学びが最も困難
です。人間は、次の機会ですが、言葉を並べてもその難解さが、分かります。私を示
す言葉だけでも、私、自分、自己、精神、魂、理性、意識、霊、エゴ、息、気、・・こ
れらの交通整理をするだけで、一生を終わりそうです。幸い、神様に関しては聖書が
示しますので、聞いて行きます。聖書は常に神を示し、書いています。その中で、ま
とめるというは、私に示されたまとめ方であり、私の限界の中で示されたものです。


1,創造主としての神様  「初めに神は天と地を造られた」 創世記1章1節

  ・若い人に創造を言うと、すぐに進化論の反論が言われます。しかし、進化論は
物質・肉体の発生の説明であって、私自身、魂の創造ではありません。ヨハネ1章は、
1節 「初めに言葉があった・・・3節 万物は言葉よって成った」と言います。ど
のように造られたのか、という問と、なぜ造られたの問いは、区別されます。
 私の体は、どのように出来たのか。父と母からです。しかし、私自身(魂)は、ど
こからきたのか。父と母からと言えるのか。私自身(魂)は、神様が造られた。する
と、天と地を、認識している私は、天と地は神様が造られた、と言えるのです。なぜ
なら、私は、脳みそでないからです。


2,啓示される神様  「主はアブラムに言われた。」  創世記12章1節  

・聖書の神様の特徴は、ご自身を啓示されるということです。神様は、人間が作り
だした(フォイエルバッハ)のでは、ありません。自分勝手に人間が造る神様は、どんなに立
派でも偶像です。神様は、ご自身を示されます。ご自身の御心を示されます。アブラ
ハムの出来事は世の終わりまで続きます。人間は、ひたすら神の御心を聞いて生きて
行くのです。なぜ、この苦しみが、なぜ、この病気が、全て主は、ご自身の時間を定
めて、示されます。

3,存在(ある方)としての神様   「私はある。私はあるというものだ」
                   出エジプト記3章14節
               
 ・あるものは、無くなりません。ある物質は無くなりません。形を変えるだけです。
無いものは、ありません。人間がどれほど神を否定してもある神は、無くなりません。
反対に神様が、どれほどあがめられ、人々を引きつけても、もし無い神なら、無いの
です。「私はある」神を感じましょう。全く神が無いような状態(神の民イスラエルの
奴隷化)であっても、あるものは、あることしか出来ないのです。これがモーセに示
された神様です。

4,救われる神様  「慰めよ、私の民を慰めよ」  イザヤ40章1節 

 ・創造と啓示と存在の神様は、救いの神です。徹底的に罪を犯したイスラエル。し
かし、罪の赦しがあるのです。神様は時を定めて、救います。解放します。罪にまみ
れ、奴隷の身分でも、神は救います。救いの神を信じて、私たちは、歩みます。


5,御子となる神様   「神は、その御一人子を賜ったほどにこの世を愛された。」
                             ヨハネ3章16節
   ・聖書の神様の最大の特徴は、私の為に死なれた神様という事です。お前は駄
目だ、なぜならこの基準に達していない。このような神様は、五万といます。しかし、
私は、お前の罪の為に死ぬ。だからしっかり生きよ。こんな神様はいません。パウロ
が、ひたすら邁進したのは、私の為に主が十字架についてくれた、この事実です。


6,聖霊となる神様  「わたしもあなたがたの内にあることが、あなた方に分かる。」     
                         ヨハネ14章20節
 
  ・いくら私の為に死んでくれた神さまといっても、私の外に神様があれば、道徳
の神様です(英霊の限界)。私が善く生きる為には、私は、心から神の御心を喜ばない
と自発に成りません。強制された業は、いつか枯渇します。喜びが続きません。私も、
他人もこれは、善いと考える御心に生きる。これは、聖霊となる神様の恵の力です。

7,まとめ
*聖書は、神様が人を創造されたと、伝える。人間が神様を造る時、全ては偶像とな
る。
*私が神を認識するので無い。神様が私を捕らえ、啓示してくださったのである。こ
れが、恵である。   戻る



    第7章 「イエス・キリスト様」 04年12月5日
 
序 これから後半期は、信仰の本質あるいは、対象について学んでみましょう。F「イ
エス様」について学びます。
 イエス様については、学びはいらない、聖書を読めば充分です、と言われますが、
その通りですので、ここでは、要点を押さえる事、肝心なところをはずさないという
ことで、語ります。

1,キリスト教は、イエス様を神の子と信じる。   
「神の子イエス・キリストの福音の初め」   マルコ1章1節
・意外とこれが理解されていません。イエス様は人だったとか、神様が人になれるはず
がないとか、イエス様も礼拝されたのだから、イエス様は完全な神でないとか、半分神
様、半分人間だったとか。全能の神様だから人になれます。全ての宗教は、人間が神に
成る方向です。しかし、聖書は、神様が受肉して、人間と成られます。完全な人間であ
り、完全な神様です。すべての試みを受け、私達の心を知られる方です。人は「アリ」
の心を知りません。「アリ」に成らないとわかりません。聖書は、主なる神が、人にな
ってくだった恵です。

2,イエス様を、あがないの主と信じる   1コリント15章3節
「…私たちの罪のために死んだこと、葬られた事、…3日目に復活したこと…」
・キリスト教は、この信仰で立ちもし、倒れもします。中には、あがないの信仰は、
必要ないという信仰の方もいます。しかし、キリストの死を真正面から私の為と受け
るには、これしかないと思います。神の子の死を、私が受ける事が出来るのは、私の
罪があるからです。罪がないという人も、御子の死の事実を示され、罪を認めざるを
得ません。神を神ともしない人間の罪を、初めに神様があがなう。なんとすばらしい
恵でしょう。

3,十字架の主である。          マルコ15章34節
 「3時にイエスは大声で叫ばれた。 『エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ』」
・これは、1,2と関連しますが、改めて、主は十字架に苦しむ主です。神が苦しむ
というのは、非合理、不可解です。しかし、非合理、不可解から逃げては行けません。
人生は、不可解なのです。なぜなら、神の子が苦しまれたのですから。従って、私た
ちは、幸福宗教だけから、決別します。ある時には、人は、苦しむのです。なぜなら、
神の子が苦しまれ、33才で死なれたからです。これは、長く生きることよりも、使
命に生き、善く生きる人生がある事を示します。十字架に荷を下ろし、後は、主の「私
のくびき」(マタイ11:29)を負うのです。ここに、真の平安があります。
4,たとえ話を用いるイエス様       
「イエスはたとえでいろいろと教えられた」  マルコ4章2節    
・ 反対から言いますと、イエス様をただ、十字架と復活だけで理解してはいけません。
主は、いろいろな教えをされました。その中心は、確かに十字架の愛と復活ですが、
そこには、バリエーションがあります。ルカ伝15章、マタイ20章、25章…、
・ ひとつひとつ味わって、人生の機会に読み直し、応用して下さい。

5,奇跡をされるイエス様         
「…民衆のありとあらゆる病気や患いを癒された。」  マタイ4章23節
・ 奇跡は、なぜ必要か。あなたが生きていること自体、奇跡です。あなたが聖書を
読んだこと自体、奇跡です。あなたがバプテスマを受けた、それだけでも、奇跡
です。百人信じた、2000万集まった、空中を飛んだ、試験に受かった。実は、
大きな奇跡ではありません。主は奇跡をなさる方です。そして、奇跡は、主なる
神が私に介入して下さる恵です。恵ですから請求しても、自由は神様にあります。

6,教えをされるイエス様         
「イエスは、ガリラヤ中を回って、諸会堂で教え…」  マタイ4章23節
・ マタイ伝5−7章(山上の説教)、ヨハネ伝15−17章(決別説教)は、何度も
何度も読みましょう。ここは、小福音書です。イエス様の教えの言葉のまとめが
ここにあります。十字架と復活は本来、何だったのか、何を私に言いたかったの
か。イエス様の33年の生涯と旧新全聖書の全ては、何を私に語るのか。何を教
会に求めるのか。
「心の貧しいものは幸いなり」 マタイ5:3
「永遠の命とは…あなたのおつかわしになったイエス・キリストを知ることです。」
                         ヨハネ17:3
「初めに言葉があった」ヨハネ1:1

7,まとめ
 *人生の謎、人の存在、私が私であること、死は、これらは、言葉(教え)でし
か、わかる事が出来ないのです。数字で、存在、人生、死は、表せません。人生は
科学の目だけでは、理解不能です。イエス様(ロゴス)・言葉が、これを現すのです。
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   第8章 「聖霊なる神様」 05年2月6日
 
序 8回目は「聖霊なる神様」について学びます。
 おそらく、次の9回で全体分級の学びは終わりますので、まとめを込めて学びまし
ょう。終わったところで「聖書の教え」として小冊子にして印刷し、聖書を読む手引
きになれば、幸いです。

1,聖霊は風(プネウマ)である。自由な神様       
「風は思いのままに吹く、…それがどこから来てどこへ行くのかを知らない。霊から
生まれたものも皆その通りである」        ヨハネ3章8節
・ 神様の自由を理解することは、信仰の大切な面です。どうして、こうなってああな
らないのか。どうしてああなって、こうならなかったのか。最後は、神様のみ手の
中にあることを、受けましょう。ニコデモは、新生、回心を認めることができませ
ん。人は、新しくなれない。変わることができないとの思いです。しかし、風なる
聖霊が吹くとき、自由に変わるのです。これは、罪を犯し、どうにもならなくなっ
た教会、個人も同じです。いつでも、どこからでも悔い改めは可能です。

2,聖霊は罪と義と裁きを知らせる        
 「その方が来れば、罪について、義について、又、裁きについて、世の誤りを明ら
かにする。」                  ヨハネ16章8節
・ キリスト教の真理は、イエス様の教え(説教、たとえ話、論争)と行動(癒し、奇
蹟、十字架、復活)にかかりますがこれは、理解が必要です。そして、理解させる
のは、聖霊なる神様の働きです。
・ 「キリストを信じ、従いたい」と思いのは、現象としては、自分自身の決意です。
しかし、聖書はそれが、心から理解され、損得なしに、本当にそう思えるとすれば
それは、人間の思いでなくて、聖霊なる神様が働かれたとします。ですから、信仰
は、恵と言われるのです。どんなに人間的に、分かろうとしても、自分中心にしか
分かりません。しかし、聖霊が働くとき、それがそのまま分かるのです。
・ 社会的には、何の儲けにも有利にもならないバプテスマは、こうして、神様の働き
として起こります。はやり、人力でなくて、聖霊の働きとはただただ、感謝です。


3、信じ従うから、告白(応答)への導き      
 「あなたはあなたの神、主の前で次のように告白しなさい。『私の先祖は、滅び行く
一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに降り…』」申命記26章5、6節
・ どんなに正しい真理でも、それを外側から言われたから、つまり神様からただ言わ
れただけの理由で、従うとすれば、実は長続きしません。神様の真理は、真理です
から、それが、自分のものとなり、喜びになること、その決まりが理解されて、理
性でもそうだと納得されて、本当の教えとなります。
・ 言ってみれば道徳と倫理の違いです。「決まり・規則だからそうする」と「喜びであ
り、自分がやりたいからそうする」の違いが、人の行動には、あるのです。聖霊の
働きは、イエス様の教えを心に落として、納得させ、従わせます。
・ 申命記30章20節「あなたの神、主を愛し、御声を聞き、主に付き従いなさい」
は、繰り返される神の戒めですが、これが自分のものとなることが問われます。礼
拝や祈り会は、最終的には、義務でなくて喜びであり、楽しみでなければ、続かな
いのです。

4,心に記された御言葉            
「来るべき日に、…私の律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれらを記す。私
は彼らの神となり、彼ら私の民となる。」     エレミヤ31章33節
・ この出来事は聖霊の働きなしには、成就していく、その根拠をあげることはできま
せん。

5,自分で聞いて分かったイエス様         
「私たちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。私たちは自分で
聞いて、この方が本当の世の救い主であると分かったからです。」ヨハネ4章42節
・ 信じることはただ受けることです(ルター)。これは、強調してしすぎることはあり
ません。しかし、信じ受けたことは理解され、反芻されて技術となります(アンセ
ルムス)。ちょうど水泳の理論を全て理解しても、練習しなければ泳げません。練習
は、礼拝を献げる生活、祈りを捧げる生活、奉仕の生活、献げる生活、御言葉を読
み、聞き続ける生活です。これが父と子が、聖霊を送られたわけです。

 まとめ
 *以上のように、イエス様の教え、聖書の教えは、聖霊の働きで、教会のものと
なり、個人(私)のものとなります。だから、一人も誇れません。「ですから誰も人
間を誇ってはなりません。全てはあなたがたのものです。」(第1コリント3章21
節)  戻る



 第9章 「世の終わり・終末」 05年3月6日
 
序 9回目で学びを終わりますが、今回は「世の終わり、終末」を学びます。
 終わったところで「聖書の教え」として小冊子にして印刷し、聖書を読む手引きに
なれば、幸いです。

1,聖書の世の終わりは、2つある。
「私の言葉を聞いて、私をお遣わしになたった方を信じる者は、永遠の命を得、また
裁かれることなく、死から命へと移っている」ヨハネ伝5章24節
 「私の父の御心は、子を見て信じる者が、皆永遠の命を得ることであり、私がそ人
を終わりの日に、復活させる事である。」ヨハネ伝6章40節
・ 聖書には、世の終わりを2つ示す。ひとつは、今が世の終わりであり、永遠の命は、
今、信じる事である。今信じた者は、すでに、命に入る。即ち世の終わりに入った
と言う信仰である。従って、今信じない者は、すでに命がない、と言う教えになる。
・ しかし、聖書は、今が終末であると同時に、終わりの日の終末を示す。これは、旧
約預言者以来の「その日」の信仰である。この世の時間は、神様が定めており、い
つか終わりがある。終わりの時に、審判があり、マタイ伝25章31節以下によれ
ば、人は、羊と山羊に分けられる。
・ 今がすでに終わりの時であると言う信仰と将来のある時点に終わりの時を定める信
仰は、実践的には、矛盾しない。ルターが言ったように、「信仰者は、8年後に実る
リンゴの木の苗を、明日世の終わりが来ても、植えるであろう」と言った。
・ 現在が終末であっても、将来が終末であっても、キリスト者の生きる道は、今神様
から与えられたこの世の使命を果たすことだからである。
・神様は時間に縛られない。時間の中だけにいない。むしろ神様が時間を創造され、
時間に来られ、時間を超える。

2,社会の終わりと個人の終わり・終末
 「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は
空から落ち、…その時、人の子が大いなる力と栄光をおびて雲に乗って来る。」
                        マルコ13章24−26節
 「『はっきり言っておくが、あなたは今日私と一緒にパラダイス(楽園)にいる』と
言われた。」                  ルカ伝23章43節
・ 終わりには、社会的、物理的な空間の終わりと自分の終わりがある。社会的な終わ
りには、イスラエルの終わり、ローマ帝国(社会)の終わり、イギリスや日本の終
わり、地球の終わりが入る。
・ しかし、全ての終わりの認識根底には、個人の終わり、自分の終わりがある。即ち
自分の死がある。
・ 社会の終わりと自分の終わりは、関連する。自分から見れば、ある社会が終わるこ
とは、関係の中にある自分が終わる事である。自分が終わることは、それを意識す
るものがないので、社会が終わったことである。
・ キリスト者は、自分を社会から規定される自分でなく、自分が勝手に決める自分で
もなく、神様の前にある自分を見ることが問われる。
・ 社会が終わっても、自分が終わっても、変わることのない自分、私は、神の前に歩
む私、御言葉と共にある私を、生きる事が、終末的な生き方となる。

3、聖書における死はあるか、の問題。
「死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」
第1コリン15章55節
「彼らも目の涙をことごとく取ってくださる。もはや、死もなく、もはや悲しみも嘆
きも、労苦もない」                ヨハネ黙示録21章4節
・ 死体はあるが、死はない。死は、この世からは無くなる事であるが、存在が無くな
り、無に成ることではない。審判に向け、神に帰り、天に移されることである。
・ 死体がある以上、形が無くなるので、5感に取っては、悲しい。
・ しかし、本当の自分・本当の私・魂は死なない、死ねない。なくならない。
・ 本当に怖いのは、神様から離れる死、罪である。「長く生きる事でなくて、善く生き
る事が大切」「何の為に健康に生きるか」「人間生きているだけで丸儲け???。」
・ 悲しみに打ちひしがれては、いられない。死は、イエス様の教えの中心ではない。

4,死んだらどうなるの問題
「私はあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありませ
ん。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。」
                         第1コリント15章51節
・ 肉体の死から眠る状態へ、復活にて変えられる。
「もし、モーセと予言者に耳を傾けないなら、たとえ死者の中から生き返るものがあ
っても、その言うことを聞かないであろう。」    ルカ伝16章31節
・ 聖書は、今を、神の言葉で生きる事が、復活であり、永遠の命であると示す。

 まとめ
・ 支配したもう神様がおられる。どんな時(終末・死)にも希望を捨ててはならない。
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10章 「人間について  愛に生きる。いかに生きるか」05年4月3日
 
序 今までに@聖書、A祈り、B献金、C礼拝、D教会の一致、E聖書の神様、Fイ
エス様、G聖霊なる神様、H世の終わり・終末、を学びました。最後に、足りないと
気づいたのが、人間の歩みです。いわゆるキリスト者の倫理です。
 何度かすでに言いましたように、道徳と倫理の違いを押さえておきます。道徳は、
言われてから、渋々していくこと、神様や人に、「しろ」と命令されたからやることで
す。しかし、倫理は、自分が楽しいから、自分がそうしたいから損をしても、やれる
ことです。キリスト者は、イエス様の十字架において、復活の主が心にいてくださる
ので、倫理として十戒を受けることが出来るのです。もちろん、肉との戦いをしなが
らです。苦闘しながら、神様のあがないを感謝しつつ、ここに生きるのです。神様の
恵の契約を覚えながらです。
1,アガペとエロス
 復活のイエス様が天上に帰られ時、ペテロに言われたことばに注目したのは、北欧
の1人の神学者ニーグレンでした。ヨハネ21章15−17節に、イエス様は、「私を
愛するか」と3度言われました。この愛するは、アガペという言葉です。
 これに対して、ペテロは、フィリエ(愛します)と言う言葉を返しています。そし
て、当時ギリシャ社会で使われた言葉が、エロス(愛する)でした。ニーグレンは、
愛を性格によって分けました。
 アガペ--------自分の愛好しているものを見ないで、創造する愛。価値創造的愛。
 エロス(フィリア)----自分の愛好する対象をみる愛。価値追求的愛。
 もう少し詳しく述べると、以下のような表ができます。
 エロスの愛        /    アガペの愛
・獲得する愛        /   ・犠牲的な愛
・上昇志向の愛       /   ・下降思考の愛
・人間が神に至る      /   ・神が人間に至る
・救いは人間の業      /   ・救いは、恵の業
・高貴な自己主張      /   ・自己を譲り渡す
・命を得ようとする     /    ・命を失うことを恐れない
・獲得と所有        /    ・自由で、充足する。
・人間の愛         /     ・本来の神の愛
・対象によって規定される  /    ・自発的、動機が無い。
・対象の価値を認識する   /   ・価値を創造する
 これを見ても分かるように、このアガぺの愛こそ、主イエスの愛です。「人が全世界
を儲けても、自分の命を損したら、なんの益になろうか。」マルコ8章36節
―――神との関係の中で、人格価値が出てくる。創造の愛。
「『隣の人を愛し、敵を憎め』といわれていたことは、あなた方の聞いるところである。
しかし、私はあなた方に言う。敵を愛し、迫害するもの為に祈れ…」
                       マタイ5章43−45節
―――対象の価値の有無を越え、対象によって行動が変わらない愛。
*以上の説は、神の愛の性質は、良く理解できる。それでは、友情、友愛、協和、契
約、交わり等の人間的な価値は、どうなるか。
2,アウグスチヌスの場合
・愛は、志向する対象で分けられる、とした。
 カリタス -------最高善へ上昇する愛
 クピデタス-------最低の善へ下降する愛
・ カリタスもクピデタスもどちらも愛である。愛自体は、倫理的に善でも悪でもない。
対象に依存するのだ。
・ 「下水に流れる水を、もし、庭園に引いて見なさい。この世に対して持っていた強
い衝動を、世界の創造者に向かわせなさい」という。

3,神の愛、隣人愛、自己愛
「…心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くしてあなたの神である主を
愛しなさい。31節 隣人を自分のように愛しなさい。」 マルコ12章30−31節
・ 人間は、神の教えに生きるとき、神と自己自身と隣人と言う3つの愛すべきものを
見いだす。神を愛する者は、自己を愛することに誤らない。人は、自分自身のよう
に愛することを命じられている隣人を、神を愛するように助ける。
・ 自分を正しく愛する術を知るものは、自分と同じように、隣人を愛することが、言
われていることを知る。その時、その命令の意味は、心を尽くして、神を愛するよ
うに、薦めることである。

まとめ
「キリスト・イエスに結びついていれば、割礼の有無(業)は、問題ではなく、愛の
実践を伴う信仰こそ大切です」           ガラテア5章6節
* 神の愛は、神への愛によって、自己愛を生かし、隣人愛を生み出していく。
* 愛は、非人格化する力に対抗し、絶えず新たに秩序を創造する。人と人の間に、交
わりを創造する力である。(愛の共産主義、批判的連帯、神の国を待ち望む)

(以上は、金子晴勇著『キリスト教倫理入門』教文館1987をまとめたものです。)
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終わりに

 こういう形で、『聖書の教え』を出すことができたことを主と鹿児島教会の兄弟姉妹
の皆様に、感謝します。ある意味で私のひとつの夢でした。記述は、簡単すぎるので、
読みものとしては、全く役に立ちません。しかし、何か、分級とか、信徒訓練とか、
複数で読み合わせたり、対話のヒント集には成るのではないかと思っています。又、
信仰のかんどころと言うか、はずしては行けない部分を示したつもりです。このよう
な書き方は、やはり、バプテスト連盟の『教会生活入門―新・これだけは知っておこ
う』のやり方です。これは、結局私が、バプテストの牧師の思考から、出られないと
言うことでしょうか。

 引用に、バルトやボンヘッファーがありません。カルバンとルターだけです。しか
し、十字架と復活のとらえ方は、寺園喜基先生(教義学)と青野太潮先生(聖書学)
の討論を経由したバルトだと自分では、思っているのです。
 振り返ると北海道連合の神学校で、できもしない『教会史』と『新約緒論』の講義
をテープに吹き込んだ事が、下地かも知れません。室蘭教会の土曜神学講座も、下地
です。神様のご計画に無駄なものは無いようです。鹿児島教会で、全体分級を示され
なければ、これはできませんでした。本当に神様の御業に、感謝あるのみです。最後
は、最近また、示された2つの言葉を引用して終わります。

「不可能に果敢に挑戦するのでなければ、可能な事もできない」
                        マックス・ウエーバー

「最後から一歩手前の真剣さで、真剣に、地上を生きなさい」
                        カール・バルト


   
    聖書の教え
    著者 田渕 亮
    2005年4月10日 発行
    発行所 日本バプテスト鹿児島基督教会
        890-0063鹿児島市鴨池2-23-17
        付属めぐみ幼稚園 印刷室
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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2,監査の仕方



監査の仕方(会計監査の他に、宗教法人に備え付け書類の監査です。)


宗教法人の備えつけておく書類帳簿一覧表
バプテスト鹿児島教会  2004年度 定期監査  チェックリスト
---------------------------------------------------------------------------- 
2005年○月○日
項目 区分 書類・帳簿 保存年数           有無          所見
認証 ☆   宗教法人認証書 永久           ○
規則        宗教関連法規類集 永久          ○
       日本バプテスト連盟規則(変更規則書類を含む) ○
         ☆   日本バプテスト鹿児島基督教会規則 ○
     ☆  施工細則・変更規則書類を含む   ○
登記  ☆   宗教法人登記簿謄本(抄本) 永久  ○
名簿  ★ 代表役員名簿                ○
     ★ 責任役員名簿(執事)            ○
       信者名簿                  ○
会議   ☆ 責任役員会 議事録           ○
     ☆ 総会議事録      永久         ○
事務   ☆ 処務日誌      永久          ○
     ☆ 文書処理簿(着信、発信、文書 )    ○
役員就任承諾書 なし
財務 ★ 収支計算書                  ○
     収支予算書     7年            ○
     会計帳簿 現金出納帳            ○
      収支内訳簿                  ○
     月別科目別収支集計表           ○
     給与台帳                     ○
     物品出納帳                   ○
     証拠書類(領収書)              ○

財産 ★ 財産目録                   ○
     不動産権利書                ○
     財産台帳     5年             ○
事 業 (記念堂)召天者記念堂管理者届     ○
           埋葬許可証             ○
           納骨堂、遺族者名簿(任意備え付け) 5年 ○
           召天者記念堂経営許可書  5年 ○
その他 保険契約書                   ○
リース契約書 2004年5月 再契約         ○
防災管理者(写し)                    ○
-------------------------------------------------------------------
☆宗教法人第25条2項にての義務づけ書類
★宗教法人25条4項にて県庁(学事文書課)へ提出書類
     (会計年度終了後4ヶ月以内)P59