まて、自殺

最終更新日2012年8月5日        

 このページは、教会の務めのひとつとして、一人でも自殺を、思いとどまるヒントを備えると言うコンセプトで掲示します。


2012年8月5日
 2年ぶりの更新である。自殺を考えている方が、もしこのページに来られたら、
死ぬ前に、フランクルの『夜と霧』を読んでからにしたらいいとお勧めします。
みずず書房で、1800円です。図書館に行ってもいいです。
死ぬ前に一度読んで見る価値のある本です。
人生には意味の無いことはないと書いてあります。
全てのものに意味があります。空の空はないです。


2010年8月15日 (戦争を契機に)

 自殺防止の考え方。私が分からなくて死にたい方へ、

 池田晶子氏が提唱されたように、「私」は2種類ある。1つは社会的な私。つまり、お金が無くなり、経済的に破滅し、
妻・夫を持ち、子供がいて、会社に責任を持つ私。 借金を抱え、どうにもならない私、自分捜しとしての私。
病気をもち、死ぬかも知れない私。
 1つは、聖書の言う本当の私。池田晶子氏が言われる、形而上学の「私」。社会の判断を受けず、
妻や夫持ち、子供がおり、仕事を持つ私を見ている私。借金をし、病気している私を見ている私。

 霊肉一元論の間違い。交通事故で、足や手を失っても私が変わらないのはなぜ。
 唯脳論の間違い。脳はなぜ、私は私であると判断できるのか。物質だけだと矛盾する。私と「私」が違うからできる現象。

 まだ、分からないのに、死んだらだめです。本当の「私」は死にません。ただ神様の恵みです。


 2010年5月5日記入

 1年間も更新していない。先月このHPを見て、教会を尋ねて下さった方があった。
詳細は書けないが、会社が倒産して全てを失われた。とうとう自殺を思いつかれた。
 ふとインターネット喫茶に入り、グーグルに「鹿児島 自殺」と打ち込んだら、
このHPが9ページ目にあったとのことである。最後に、牧師にでも
話をしてみるか、と思われたとのことである。
 ずっとそのままであったが、グーグルでは、だんだん前の方に行くらしい。
 それにしても、何もしてあげることがない。
 借金には、自己破産を勧めるしかなく、
生活はとりあえず、生活保護を勧めるしかない。
 本当に、牧師のできることは、限られている。
この方は、どうなったのだろうか。「なんとか また
やって見ます」と去って行かれた。
 主の御導きを祈るのみであった。


2009年3月12日記入

 先日、NHKの09年2月21日に大阪で行われたハートフォーラム講演会の要約を流してみました。
気づいたことを書いて、自殺しようとされる方の歯止めに成ればと思います。

1,自殺は、8割が鬱病であり、自殺は病死であると理解すること。
2,日常の苦しみから、鬱病となり、自殺へと進む。自殺は鬱病の結果である。
3,40度の熱を持っている人に、人は「がんばれ何とかなる」と言わない。まず直せという。
4,鬱病か普通の落ち込みかの区別は、2週間、いつも楽しいことをやっても、気が
晴れなければ、鬱病を疑い、診断を受ける。

*自殺体質者への助言

1,人生は、短距離走でなく、長距離走である。いつまでも続く方法で仕事をする。
2,優先順位を付ける人が下手な人が成りやすい。回りの人は、優先順位を語る。
3,相談することは、恥ずかしいことでない。
4,一人で抱え込まない。
5,体調と鬱病は連携している。とにかく睡眠時間だけは注意して取る。


 埼玉県入間市の3人にささげる歌。

あなたは知らなかったのか。あなたが生まれた時に、大喜びした父と母の姿を。

あなたは知らなかったのか。生まれてから1ケ月間は、母は、3時間ごとに、あなたに乳房を含ませた事を。

あなたは知らなかったのか。叔父や叔母、おじいちゃん、おばあちゃんは、あなたの笑い顔を見たくて、お年玉を包んだ事を。

あなたは想像できなかったのか。あなたの葬儀をするお坊さんと家族を。

あなたは想像できなかったのか。命を与えた神様が、1番悲しむ事を。

あなたは聞かなかったのか。あなたのためにも死なれた主イエスを。

                                       2003年2月16日記入

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 人はなぜ自殺するのか。私の短い14年間の牧師生活において、今まで、4名程「死にたい」を訴え来られました。それぞれ、

生きておられますが、潜在的にはもっと多く、言葉で表明できた方は、まだ、恵まれた方でしょう。

 ある本によると、自殺の主な理由は、以下のように、書かれています

 1、「どうして自殺しては、いけないのか」 「なんで生きなければならないのか」。これらの基本的な答が、未だに出されていない。

 2、何をやっても、刺激が無い。最後は、自殺しか、ないのでないか。「延々と」「繰り返し」これでは、死にたい。

 3、自分は、いてもいなくても、どうでもいい存在で無いのか。自分の命は、軽いのでないか。

 4、もしかして、自分は、鶏のブロイラーのように、ただ、生かされて肉にされるのかもしれない。人生の意味があるのか。
                                                         2002年12月頃


 これらの理由は、切実であり、ひとつひとつ、取上げていきたいと思います。なお、初めに結論を言いますが、これらの

答は、私は、カール・バルト著、『教会教義学』第3巻 創造論 4分冊 55節「生の自由」のP155−192の『自殺』からの

引用です。バルトは、「教会は、自殺を防止する言葉もっているが、しかしそれが、有効に働く為には、その言葉を、

もう一度語ることを学ばなければならない」P.181と書いています。

 主の教会が、自殺防止を、いま一度語り直すこと、聴き直すことを、このHPにて、私なりに、実現したいと思います。

 先ず、1、「どうして、生きねばなら無いのか。」これにつては、バルトは明確に、この問いが、前提が、間違っていると言います。

「あなたは、生きなければならない。」「がんばらなければならない」これは、間違いだ。

聖書が示す言葉は、「あなたは、生きることを、許されている」である。生は、神様から与えられた自由である。

この世の生の主権者は、あなたでは無い。あなたの生のために責任を負うのは、主であって、あなたでない。

あなたから求められているのは、神への服従である。あなたは、生きる自由がある。そのことに反抗しては、

ならない、と言うのです。次は、2、3、4と書いていきます。                 2002年12月10日 記入

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2、「延々」と「繰り返し」の人生に飽きた。刺激が無い。こう言う人も多いようです。しかし、この考え方は、今は少し下火かもし

  れません。なぜなら、今は、イラクとアメリカの戦争準備があるからです。また、戦争まで行かなくても、今は、ぼっとしている

  と会社はつぶれ、リストラの嵐が吹いているからです。窓際族は、今は昔です。今は、これは大丈夫と言う会社の形は、殆ど

  ありません。むしろ多くの人が、必死で、生きています。しかし、反対に、今度は経済自殺が、多いようです。

  ここでも、バルトの言葉を語りましょう。バルトは、「人間の真の生の支配者が、神様とすれば、一体誰が、『自分の人生は、

  成功だった』反対に、『自分の人生は、失敗だった』と言うことができるのか、と言います。一体誰が、『自分の人生は、意味

  が無かった』反対に、『自分の人生は、意味がある』と言えるのか」と言うのです。神様が、もしおられるとすれば、この最

  終決断を下すのは、神様です。神様だけが、命を私たちに貸与された方が、最終判断を下されるのです。ですから、私たち

  は、与えられた命を、自由に、生きましょう。 「私たちは、私たちのものでなくて、神様のものです。」(カルバン) 

                                                    2002年12月15日記入

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3、データから見る自殺

 この日本では、現在4年連続、年間3万人以上の方が、自殺されています。ここ室蘭の人口は、10万ですから、約30人が自殺で

なくなる事になります。この前の新聞に交通事故の死者は、1年間で室蘭で7名とありました。やはり、交通事故の約3倍です。

 統計の本によると首をしめて窒息状態の方が、一番多く、次が、高いところからの飛び降りです。次が服毒だそうです。

女性に多いのが、入水自殺だそうです。12月と2月が少なく、5月が1番多いそうです。どれもこれも未遂となれば、多くの後遺症を

残します。

 職業上、私は自殺された親族の方幾人かを、知っていますが、アルフォンス・デーケン先生著『死とどう向き合うか』NHK出版

1068円 P.110にあるように、親族の悲しみを、まず、考えてください。どんなに仲が悪くても、理解されなくても、死んではいけ

ません。                                                2002年12月23日 記入

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 キルケゴールの本にありました。『恐れとおののき』です。「問題1」の後ろの方に、
 「ある男が宝くじで1等に当たったからといって、それでその男が、偉大にに成ったなどと
思うものは、いないに決まっている。」
 私なら、これを、 「宝くじやパチンコで、家を建てても誰も偉大な人とは言わないが、郵便貯金で少しずつためて
家を立てる人は、偉大な人である。」とします。

 自殺をしても、決して偉大な人でありません。自殺で、偉大に成りません。こつこつこそ、本物の偉人ですよ。

                                 2003年6月30日 記
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 しばらく休みました。自殺について語るときに、チェチェンでは、500人近い子供が、殺され、大阪の池田小学校の
宅間殺人犯の刑が施行されました。私も、贖罪してから死んでほしかった方です。命が相変わらず軽いです。
 最近、池田晶子さんの書物を読んでいます。彼女は、なぜ人の命が軽くなったのか、と問うて、言葉が軽くなった
のでないか、と提唱されています。自分とは、「自分」が「分かる」と書きます。池田氏の提唱です。
 自殺する前に、自分を、分かる、自分を知ってほしいです。それからでも遅くないです。
 自殺されるかたの多くの理由は、死んだら、楽になる、無になると考えられています。(私の相談体験から)
でも、聖書では、そしてヘーゲルの弟子(?)池田晶子さんも、死んだらおしまいか、と問われています。
 私があること、自分があることの不思議さは、宇宙より、オカルトより不思議な事なのです。
「私は、生きている、と私は思っている。」この時、前の「私」と、後の「私」の違いが分かりますか。
 後の「私」は、自殺して死ぬでしょうか。
人は、最後は、自分の思った通りにしか生きません。人間とはこんなもんだ、と言う人は、
こんなもんの人生です。人間は、すばらしいと思った人は、すばらしい人生に生きるのです。
理想が、やはり必要なんです。   今回は、説教になって済みません。      2004年9月15日


  最近7人の集団自殺がありました。毎日新聞の記事を見ると、この7人のうち1人は、7人一緒に死ぬ
とメディアに取り上げられるのでないか、考えたらしいです。自分が死ぬのもメデアを意識しています。
 どうも、メディアに取り上げられなければ、生きがいが、得られないようです。自分の人生を自分が生きる
ことは、メディアが取り上げようが、取り上げまいが、自分の人生です。自分の人生は、自分しか生きられません。
 自分が死ぬことは、この世の犯罪になりません。しかし、聖書では、殺人の罪です。人は、どうせ死がきます。
どんなにがんばっても、死ぬまでしかこの世では、生きられません。癌でも死にます。交通事故でも死にます。
そして、自然災害でも死にます。 神様から頂いたこの命、死ぬまで生きましょう。 2004年11月7日


 自殺の動機に、やはり、「死ねば全て無くなる。」と言うのが、大きいそうです。
イエス様は言われました。
「体を殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。」マタイ10章28節
 死んでも実は、死なないのです。だから、生きている間は、生きるのです。
 存在は、物質だけでなくて、非物質も存在します。心、精神、感情は、存在するけど
物質でないのです。だから、生かされています。大丈夫です。  2005年1月27日


  このページは、ほとんど更新ができません。2年間もそのままです。
問題が大きいです。
 最近は、教会に自殺の相談してくる方が、少ないです。その他の理由の相談は
メールカウンセリングを入れて多くなりました。教会に自殺の相談をしようと
思わなくなったのでしょうか。
 しかし、2年間の状況は余り変わりません。むしろ、
ますます、簡単に殺すし、簡単に死にます。
 04年9月に書いた池田晶子氏の意見が私は2年間、一番妥当と今も、
思いつつづけます。
 それは、自殺をする、命を大切にしない、その根底は、
「言葉を大切にしない」です。
 つまり、自分の不思議さに気づかないこと。
 池田氏は、「私」と言ったとき、私は、確かに個人であるが、
私は普遍でもある。あなたの「私」と自分の「私」は、全然違うのに、
実は同じ「私」と言う不思議さです。
 この不思議さに比べれば、空を飛ぶごときの神秘体験は、
屁(品性が悪くて失礼)のごとしです。
 中田選手の自分探しの旅も、影薄しです。
 私をしっかり見つめてほしい。
論語のことば、「学んで思わざれば、すなわち暗し、
思うて、学ばざれば、すなわち危うし」 為政第2・15
(学んでも考えなければ、はっきりしない。考えても学ばなければ、危険である。)
「子曰く、我かつて、終日食らわず、終夜寝(い)ねず、もって思う。益なし。
学ぶにしかざるなり」  衛霊公 第15・31
(私は前、1日中ご飯を食わず、1日中寝ないで考えた。しかし、無駄だった。
学ぶ事には及ばない)
 池田氏は、「悩むな、考えろ」を提唱されています。
どうか、自殺の前に、聖書に学びましょう。   2007年1月19日


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