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日本鳥類保護連盟 機関誌 「私たちの自然」 連載記事
第1回 蕪栗沼ってどんなところ?
松ヶ根典雄
 蕪栗沼ってどんな沼?

 
 宮城県蕪栗沼の地名由来は、「ふもとの沼辺に大栗林があり、その実は拳のようで味は甘美、つるかぶのようであった…」ことからきています。

 沼周辺は東に北上山脈、西は奥羽山脈に連なる丘陵地、南側を加護坊山丘陵帯によって囲まれた迫川水系の遊水地帯で、丘陵からは国の重要文化財として有名な「遮光器土偶」に代表される縄文時代の遺跡や貝塚などが多く見受けられることから、古来豊かな食糧供給基地として恵まれた定住環境にあったことが予想されます。

 江戸時代の蕪栗村は伊達家の直轄領土であり、蕪栗沼は毎年藩主へ献上の御用鳥を捕獲する御留沼で、周辺の田や畑は課役を賦課されぬ重要な沼でした。藩政初期に伊達政宗が北上川の改修と流域の開発に力を注ぎ、伊達62万石の基礎を築いたことは有名です。
 


写真1 空からみた蕪栗沼
1996.12.9 (写真:香川裕之)
 蕪栗沼の開発と問題点

 
 蕪栗沼は、ラムサール条約登録湿地・伊豆沼の南約8キロの位置にある湿地で、生産基盤の条件整備のため開発が必要とされ、明治44年(1911)に北上川の河川改修を手始めに、工事は20年後の昭和5年(1930)まで行われました。これにより洪水の常襲地であった周辺の開発が初めて可能になり、後背湿地は水田に転換され、沼自体も400ヘクタールあった面積が4分の1の100ヘクタールに狭められました。

 現在は、上流の小山田川が運ぶ土砂が堆積し、乾燥・陸地化が急速に進んでいます。これは遊水地として河川管理上大きな問題であり、その除去が、稲作を行う農民の切なる願いです。
 

 農業振興とのジレンマ

 
 蕪栗沼はまだ全国的に無名ですが、水鳥の中でも最も豊かな湿地環境を要求するガン類(マガン約23,000羽/ 1996〜1997)、オオヒシクイ(1,000羽弱/同)が飛来し、生態系の頂点に立つ猛禽類(編注:ワシタカ類)が18種、また絶滅の恐れがあるレッドデータブック記載種が29種も記録されています。

 これまで生物総合個体数についても、ほとんど知られておらず、また法的保護の対策の試みは行われたことはありますが、伊豆沼とは対照的に、いまだ実施には至っていません。

 沼のある田尻町はササニシキやひとめぼれの誕生の地で、良質米の産地として名高く、この地において鳥獣保護を口にすることは地元農民感情に配慮し、長年タブーとされていました。
 

写真2 蕪栗沼でマコモを採食するオオヒシクイ
1996年12月下旬(写真:進東健太郎)

 開発か保全か?

 
 これまで沼の活用をめぐり、開発か環境保全かにおいて激しい論争を戦わせた歴史があります。

 初めが昭和50年代初頭における周辺農地の土地改良整備事業に際し、客土として沼の浚渫を行おうとしたことです。地元農業者から強い実施の要望がありましたが、当時の町長が同意をせず実現しませんでした。
 次は鳥獣保護区域指定の気運が高まった昭和58年(1983)に、行政側が示した法的規制に対して、地元議員や土地改良区理事長の反論があり、「鳥と人間のどちらが大切なのか?」の農業世論に圧され、区域指定は不調に終わりました。
 12年後の一昨年(編注:1995年)、環境世論の追い風に再び法的規制による鳥獣保護の働きかけを起こし、地元説明会まで開催しましたが、残念ながら農業者の賛同が得られませんでした。

 また、沼とその周辺水田を遊水地として管理する全体計画が昭和29年(1954)に確立、昭和45年(1970)に事業着手されてから、51戸の集団移転も含めて越流堤の整備や損失補償などの事業がこれまで着実に進められてきましたが、平成8年度(1996年度)に沼の全面浚渫が行われることが明らかになりました。
 事業主体の宮城県は、土砂流入による浅底化を理由に、遊水地としての機能を果たすため、沼を全面的に掘ることは避けられないという考えを示していました。
 全面浚渫が行われると、蕪栗沼の豊かな湿地景観が失われるだけでなく、そこに生息する多種多様な生物が、その存在も知られないまま消滅することになります。
 そこで浚渫の必要性を部分的に認めながら、自然を保護したうえで遊水池としての機能も果たし、かつ地域農業者にも恩恵をもたらす方法を模索する第1歩がスタートしました。
 

 探検隊の活動開始

 
 平成8年(1996)5月に「第1回蕪栗沼探険隊の集い」(主催/日本雁を保護する会)が、鳥類・魚介類・動物・植物・底生生物・水質・昆虫・土木地盤工学および環境問題の専門家・地元農家と自治体関係者・議員(国会、県議会、町議会)など、関係者40名あまりが参加して初めて行われました。

 第1日目は、東側の水路でタナゴやイシガイなどの魚介類を観察したり、西側の水路にカヌーを浮かべて沼の景観を楽しんだりしました。また、沼で採取した貝の中に、レッドデータブックに希少種として記載されているゼニタナゴ(編注:1999年に公表されたレッドリストでは絶滅危惧IB類)の仔魚が入っているのを確認しました。ゼニタナゴはおもにイシガイに産卵し、孵化した仔魚は約半年間、貝のエラの中に留まっています。

 このため浚渫計画が予定どおり進めば、貝類が沼から消え、タナゴも産卵ができなくなってしまう恐れがあることがわかりました。また沼の内部では、豊かな湿地環境が良好な形で残されているのが確認されました。マコモなどの植物が失われれば、沼の中が外部から丸見えになり、警戒心の強いオオヒシクイはねぐらと採食地の両方を一度に失うはめになるだろうと懸念されます。

 探険隊で沼の豊かな自然を満喫した後、宿泊施設にて蕪栗沼をめぐる諸問題についての概要説明を受け、参加者一人ひとりが各自の立場から自由に意見を述べました。専門家の意見では、堆積した土砂が軟弱で、浚渫のための重機がそのまま沼に入るのは不可能らしく、またその土砂を廃棄できる場所もなく、工事には莫大な費用がかかるとの見通しです。

 さらに表土をはぎ取らずに、地下水を汲み上げ地盤を沈下させることで遊水量を増やす方法もあるそうで、それなら現在の植生や底生生物に与える影響は少なくてすみそうです。ほかにもさまざまな貴重な意見が出され、蕪栗沼の理想的な将来像を決めるうえで大いに役立つであろうと思われました。

 この集いと前後し、国会の環境特別委員会で沼の全面浚渫問題についての質疑が行われ、建設省は「今後基本的には、沼全体を大幅に掘り下げるような工事を実施することは予定にない」と答弁し、事業主体の宮城県も「全面浚渫の必要がない」との見解を初めて示しています。
 

 盛りあがる草の根活動

 
 その後「蕪栗沼を語る会」が地元・国際田園研究所(所長:峯浦耘蔵前田尻町長)(*1)主催で開かれ、町の関係者と日本雁を保護する会からも参加、沼の将来像について討論を重ねました。

 活動を盛りあげようと、研究所のバックアップにより8月には地元・大貫小学校PTA主催で「蕪栗沼親子探険隊」が開かれ、小学校の教員や児童・保護者らが参加、蕪栗沼の生物の暮らしを学ぶ絶好の機会となりました。

 9月に入ると、町のシンボル加護坊山(*2)に建つレストラン四季彩館で、ガン・タナゴ・貝の写真パネルおよび生態展示を行い、その後は小学校や公民館を巡回展示しています。
 

写真3 第2回蕪栗沼探検隊の集い
1997.5.24(写真:戸島 潤)

 11月新潟で開催された「ラムサールシンポジウム新潟」において「蕪栗沼の全面浚渫中止の経緯と今後の課題」を私が発表するところとなり、関係者から驚くほどの好評を博しました。

 12月には「第12回ガンのシンポジウム」(主催/日本雁を保護する会)を四季彩館で開催、蕪栗沼の湿地と周辺水田環境を21世紀の子孫へ引き継ぐための限りない努力をすることを宣言しています。

 平成9年(1997)2月には宮城県もようやく動き出し、河川課サイドがリーダーシップを取りながら、自然環境に配慮しつつ遊水地としての機能を十分発揮させるための調査事業に着手。同時に環境問題の専門家を交えた「蕪栗沼遊水池懇談会」が設置され、平成12年(2000)3月を目標に維持管理基本計画を策定し、12年度からはその計画に基づいた具体的な周辺環境の整備事業が始まることになり、あまりにもダイナミックな変化に驚きと期待が交錯しています。

 勢いに乗り、5月には第2回の探険隊を開催、沼の生物の実態観察やフィールドワーク、ワークショップなどを通じて豊かな自然を満喫しました。6月には宮城教育大学の環境教育実践研究センターやNTTから、インターネット用カメラ設置のお話を受け、限りない可能性に心おどる毎日を送っています。

 また、町の広報誌7月号において蕪栗沼特集が組まれ、日本雁を保護する会の呉地正行会長からご投稿をいただいて、町民に広くアピールできたことは新たな転機となりました。

 これまでの動きで、この蕪栗沼がほかの地域と大きくちがうところは、行政が従来のお役所的な発想を越え、環境保護団体や学術研究者、そして地元住民との連携を図りながら、相互理解のもと治水事業の重要性を認識し、自然保護と農業の共生をめざし、地域の宝物として沼の保全に確実に前進しているところにあると思います。
 

 今後の課題
 
 これからの対策として、まず地元住民からの意思表示が必要であり、行政としての的確な対応が求められます。

 1つは、農業者に恩恵をもたらすシステム構築です。行政として蕪栗沼をどうしていくのかという姿勢を明確にするため、環境基本計画の策定をめざし、具体的には食害補償制度を整備することです(編注:田尻町の食害補償条例は,2000年4月1日より施行されています)。できれば「農業とガン」が共生する活動に積極的な所得を傾斜配分する「デカップリング方式」が有効ではないかと考えます。被害を受けたから補償する発想から、よりポジティブな方策を見いだすことが重要です。

 2つめは、感情論になりがちな農民意識をうすめるための積極的な情報開示(ディスクローズ)です。蕪栗沼の持つ限りない魅力を宣伝することはもちろん、現在、沼を保全するためにどこで何が行われ、世界が「環境」をキーワードにいかにパラダイム・シフト(潮流の移行)しているかを広くアピールすることが求められます。

 3つめは、関係する方々と連携協力した、行動(アクション)を起こすことです。行動なくして何の変化も生まれません。これまでの動きを有機的にネットワークし、世論を追い風に直面するハードルをあせらず地道に解決することが重要なのではないでしょうか。

 生まれ育った愛するふるさとに夢と誇りと恩恵をもたらす方策を求め、グリーンツーリズム手法やビオトープ理論を絡ませ、付加価値の高い農業生産現場の環境面における品質管理を向上させ、これからも楽しく、そして大胆な町おこし活動を仲間たちと続けてまいります。
 

 執筆者プロフィール

 
松ヶ根典雄(まつがね・のりお)

 1957年宮城県生まれ。東北学院大法学部卒。田尻町役場総務課、企画課及び社会教育課を経て、現在農政商工課長補佐として、農業振興をはじめ農業開発公社設立、農村後継者海外研修事業やグリーンツーリズム事業を推進。全国地域リーダー養成塾第3期生。(編注:2003年4月現在、田尻町教育委員会勤務)
 


 
*1)楽しく幸福で豊かな田園生活を送り、人類の未来に貢献することを目的に平成7年(1995)2月に設立。異業種間交流により情報蓄積し、独自の地域活性化をめざす。代表は田尻町長を20年間務めた峯浦耘蔵氏で会員数50名。著者は事務局長。
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*2)仙台平野の北部中心に位置し、標高は224メートルだが山頂からは栗駒・船形・蔵王の山並みから太平洋まで360度のみごとな大パノラマ景観を楽しむことができる。日本屈指のパークゴルフ場は、豊かな自然とふれあいながらプレーが楽しめ人気がある。

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