HOME 蕪栗沼ホームページ
◆私たちの自然 > もくじ 第6回

◆しおり◆ もくじ第1回第2回第3回第4回第5回第6回第7回第8回第9回第10回第11回第12回第13回第14回

日本鳥類保護連盟 機関誌 「私たちの自然」 連載記事
第6回 水田と生きものの関わり
守山 弘
 ヒマラヤ山脈に似た日本列島

 
 蕪栗沼の生物を守るには農業(とりわけ水田稲作)との共生が必要です。それは水田が日本の水辺の特徴をうまく残し、生きものがすめる条件を保ってきた場所だからです。

 日本の水辺の特徴を知るために、日本から海水を含めすべての水を取り除いてみましょう。するとそこにはヒマラヤ山脈なみの大山脈が現れます。日本列島の山の高さは、日本海溝(水深7,000〜9,000メートル)から測れば1万メートルを越しますし、その幅(本州の日本海溝や南海トラフと日本海盆のあいだの幅)はヒマラヤ山脈のインド平原とチベット高原のあいだの幅(300〜400キロ)と同じです。ただそのちがいは、日本列島の7〜8合目付近に海水面があり、人間がその近くに住んでいる点です。
 ヒマラヤ山脈の7〜8合目より上の部分が陸地ですから、そこを流れる川は急流です。その急流さは、世界の河川と比べてみるとよくわかります(図1)。この急流を、日本海側では春に雪解け水が一度に流れ、太平洋側では梅雨明けから台風のシーズンにかけて、集中豪雨による出水のピークが流れ下ります。だから日本の河川は洪水を起こしやすいのです。



図1 世界の川と日本の川の勾配(流路に沿った断面図)を比較する。
(阪口ほか, 1995)
 洪水を起こしやすい河川とそこにする生物

 
 日本の洪水はまた上流から多量の土砂を運ぶという特徴も持っています。日本には火山が多いうえ、第四紀になってから隆起した地質的に新しい山がたくさんあります。火山は大量の火山灰を生み出します。地質的に新しい山の岩石は風化されやすく、多量の土砂の供給源となります。そのため日本では河川が洪水のたびに大量の土砂を運び、広い氾濫原をつくってきたのです。
 洪水流によって運ばれた土砂は河道の両わきに堆積して自然堤防をつくります。同時に河床にもとどまって河床を高くします。そのため河道から離れた場所は河床よりも低くなり、湿地になります。これが後背湿地です(図2)。

 縄文晩期以降、人間は小河川の流れる谷津を、つぎには後背湿地のうちで洪水が起こりにくい場所を水田に変えていきました。そして大規模な土木工事ができるようになると、大河川に強固な堤防を築いて洪水流を河道に閉じ込め、自然堤防上に住居を建て、後背湿地を水田に作り変えてきました。このことからわかるように、水田の立地の多くは後背湿地で、もとは河川の一部なのです。

 後背湿地にどのような生物がすんでいたかを想像するために、水田の生物を見てみましょう。
 水田にすむ生物は止水を好みます。カエルのオタマジャクシ(写真1)にしろ、メダカやドジョウ(写真2)にしろ、コイ、フナ、ナマズなどの稚魚(写真3)にしろ、泳ぎが下手なので、流れがあると生活できないからです。しかもその止水は浅くなければなりません。水田にふつうにいる多くのカエルは水深が5センチを越えると産卵しなくなりますし、水田でエサをとるムナグロ(写真5)やキョウジョシギも降りなくなります。
 5センチより浅い止水は、すぐにヨシなどの植物で覆われてしまいますが、水田の生物の多くは開けた水面を好むという特徴も持っています。放棄されヨシなどで覆われた水田には、シギ・チドリもガンも降りません。カエルも産卵しません。

 これらの生物がすんでいた場所は河川の後背湿地だったと思われます。そこはふだんは浅い止水がある湿地です。そしてときどき洪水がおそい、植物で覆われた場所を掘り返し、開けた水面をよみがえらせます。これは掘り返しが人手による点を除けば水田と同じです。後背湿地の生物は自分たちが必要とする環境を水田に見いだし、そこに移りすんだのでしょう。


写真5 ムナグロ(写真:進東健太郎)



図2 川の構造(貝塚ほか, 1995)


写真1 オタマジャクシ(写真:進東健太郎)


写真2 ドジョウ(写真:進東健太郎)

写真3 稚魚(写真:進東健太郎)

写真4 イツマチガイ(写真:進東健太郎)
 灌漑水路が守った生物の移動経路

 
 水田を造るには堤防を築いて後背湿地を河川から切り離す必要があります。それによって洪水は防げますが、水生生物の移動を阻害する危険があります。後背湿地の植生も洪水がなければ樹林地に遷移するし、河川から切り離されると乾燥化が進む場所も多くなります。
 しかし水田は常時水を必要としますから、潅漑水路によって河川から水を導入し、再び河川に戻します。この構造によって多くの水生生物は河川と後背湿地の間で移動が可能になっているのです。

 水田の伝統的な潅漑方法は田越し潅漑(*1)と用排兼用型潅漑(*2)です。
 用排兼用型の潅漑水路では水田との水位差がありません。水路には水田で温められた水が流れ込むので、メダカ・ドジョウなどの小魚ばかりか、下流の大きな川に住むコイ・フナ・ナマズなども春になると水路から水田にまで入って産卵します。産卵を終えた親魚はすぐに大きな川にもどるので、水路や水田は稚魚たちの安全なすみかとなります。潅漑水路は縄文晩期の水田遺構にも見られますので、河川と水田の間での生物の移動経路は稲作の初期から存在していたといえます。

*1)田越し灌漑…掛け流し灌漑ともいう。上の田から下の田へ流していく方法
*2)用排兼用灌漑…用水路を水田の脇に造り、板で仕切って小さな堰を設け、1枚1枚の水田に導水し、水田を通った水をまた用水路にもどす方法
 

 水田は湿地のワイズユース

 
 現在の水田(写真6)は、後背湿地には戻らない環境になっています。日本の河川は洪水を防ぐため河床が深く掘り下げられていますので、水田の立地は本来の後背湿地の環境(河川より低い位置にあるため放置すれば水がとどまる環境)から、河岸段丘に近い環境(河川よりも高くなっているため放置すれば乾燥する環境)に変化しています。だから水田を後背湿地本来の環境にしようとすれば、物理的かく乱と同時に水の供給についても河川の肩代わりをしてやらなければなりません。水田は耕起し灌漑してはじめて、後背湿地本来の環境条件が保てるのです。水田は、河川が洪水などを通して維持した後背湿地の環境を人間がその肩代りをして維持してきた賢い土地利用であるといえるでしょう。


写真6 水田 (写真:進東健太郎)
 セットアサイド地としての調整水田

 
 ただし水田は春から秋まで稲を作るので、生物の生活とぶつかり合う面も持っています。たとえば埼玉県に8月ごろ飛来したムナグロ成鳥は、水田が稲で覆われて降りることができないので、夜、芝生の運動場で採食しています(渡辺,1991)。
 これを避けるために調整水田として活用する方法があります。調整水田は水を張って雑草が出にくい状態で水田を維持する減反方式です。調整水田は秋の渡りのとき、シギ・チドリ類のエサ場として大きな力を発揮します。栃木県では、秋の湛水休耕田にシギ・チドリ類が集中することが観察されています(熊田,1993、生沢,1996)。

 調整水田は池に近い状態です。私たちは農業環境技術研究所(茨城県つくば市)に昔の農村を再現して生きものを調査していますが、その中の浅いため池からたくさんのトンボが羽化し、その量は羽化殻から換算して1平方メートル当たり7.5-8グラムになりました。
 秋の渡りの時期、ギンヤンマなどのヤゴ(写真7)が1グラム、シオカラトンボやウスバキトンボのヤゴが300ミリグラムに成長したとすると、1ヘクタール当たりのヤゴの量は、大型種が40キログラム、小型種が16キログラムに達することになります。
 調整水田でもこの程度のヤゴの量が期待できるので、大型のシギ(体重400グラム)が大型のヤゴを、ムナグロ大(体重100グラム)の種が小型のヤゴを食べるとすると、2か月におよぶ渡りの期間中に、トンボのヤゴだけで1ヘクタール当たり大型のシギを3羽強、小型のシギを5羽強、毎日養えることになります。


写真7 アカネの仲間のヤゴ (写真:進東健太郎)
 水田に冬の間も水を張ると

 
 いま田尻町で行われている不耕起栽培水田に、冬の間水を張っておけば、調整水田と同じ量のヤゴが期待でき、春の渡りの時期のシギ・チドリのエサになります。そのうえカモによる除草も期待できます。昔、琵琶湖周辺でカモの胃内容物の調査が行われたことがありますが、そのときの結果では、落ち穂と思われる籾のほかに、水田の主要雑草であるタビエの種子が大量に食べられていました。
 カモは水底の泥をくちばしで漉し取って種子などを食べる性質を持つので、種子を食べてもらうには水を張ることが必要です。不耕起水田では雑草種子は地表にとどまるので、カモに食べられやすくなります。ですから冬に水を張った不耕起水田ではカモ類による除草が期待できるのです。

 水田を春先に水がある状態で維持すると、秋に産卵されたナツアカネ・アキアカネ・ノシメトンボの卵が水温約10度で孵化し、成長を始めます。そしてシギ・チドリが渡ってくる時期には、小型のシギ・チドリのエサとなる大きさに育っています。 埼玉県の水田でアキアカネのヤゴ数を測った記録(浦辺ほか,1986)によると、その数は1ヘクタール当たり40万匹に達しています。その生物量は、ヤゴが10齢(200ミリグラム)になっているとすると、1ヘクタール当たり80キログラムにもなります。この量は、ムナグロ大(体重100グラム)のシギが1か月滞在し、1日に体重の半分の量を食べるとして、1ヘクタール当たり50羽の鳥を養える量なのです。

 西欧諸国では農産物の生産量が増加した結果、農地の一部を環境保全の場へ振り向けるようになりました。こうした農地は、セット・アサイド地といいます。イギリスでは牧草地の一部をコクガンのためのセット・アサイド地として使っています。調整水田は生物相保全を目的としたセット・アサイド地そのものなのです。

 水田活用への都市住民の参加

 
 現在、水田の減反率は3割を越えています。このことは全国の水田の3分の1を調整水田として生物相保全の場に使えることを意味します。そのためには都市住民の協力が必要です。「特別栽培米」契約(*3)を農家と結ぶのです。
 「特別栽培米」を活用するためには、自然保護団体、農業団体などが話し合って、それぞれの地域で可能な耕作形態と、その耕作形態で生息できる生きものとの関係を明らかにします。そして自然保護団体などが間に入り、契約に参加してくれる市民を集めます。農業団体のほうも契約に参加してくれる農家を集めます。そして両方の面積を突き合わせ、具体的な計画区域を決めます。

 「特別栽培米」を活用して生物相保全を行うには2つのタイプが考えられます。1つは水田や調整水田に契約者が立ち入らないタイプのものです。もう1つは調整水田や水路に子どもたちの立ち入りを認め、そこを子どもたちが生きものとの共存を学ぶ場にするタイプのものです。
 計画区域1ヘクタール当たりに必要な市民の数は、水田や調整水田に契約者が立ち入らないタイプのものでは、水田1ヘクタール当たり10数家族ですみますし、調整水田や水路に子どもたちの立ち入りを認めるタイプの場合は、孫のために父方、母方いずれかの祖父母も契約に参加してくれるでしょうから、水田1ヘクタール当たり10家族以下(それに同数の祖父母の家族が加わります)が契約してくれればよいのです。

 クラインガルテン型谷津田

 
 「特別栽培米」契約をしてくれた都市住民に谷津田(写真8)をクラインガルテンとして貸す方法も考えられます。そこでは都市住民がコメづくりをし、生きものとの出会い、夜のホタル狩り、小川での魚取り、自分たちで収穫したもち米での餅つき大会などの楽しみを得るものです。そこは米の生産よりも文化の継承や生きものとのふれ合いを目的とするので、昔どおりの湿田が好ましいでしょう。

 そうした谷津田の水路を都市住民がクラインガルテン的に利用することも可能です。そこは子どもたちが生きものとふれあう場になります。「特別栽培米」制度は水田を生きものの生息場所として活用することを可能にします。米を都市住民が買ってくれるので、農家は生きものが豊かになることによって安心して稲作ができるようになります。一方都市住民も米を買うことにより、生きものの保全が可能になるのです。


写真8 谷津田 (写真:進東健太郎)
 執筆者プロフィール

 
守山弘(もりやま・ひろし)

1938年生まれ。農水省農業環境技術研究所を今年3月に定年退職し、その後も同所に非常勤勤務。研究所構内に伝統的農村を再現し、昔の農村に生物が多かった理由を調査中。著書に『水田を守るとはどういうことか』(農山漁村文化協会)『むらの自然をいかす』(岩波書店、1997年刊)

1973年兵庫県生まれ。北里大学水産学部卒。日本雁を保護する会会員。最近田尻町の蕪栗沼のすぐそばに移住。ますます蕪栗沼とつきあえるようになった。ゼニタナゴの調査を行いながら仲間と共に蕪栗沼の将来を考えている。