HOME 蕪栗沼ホームページ
◆私たちの自然 > もくじ 第9回

◆しおり◆ もくじ第1回第2回第3回第4回第5回第6回第7回第8回第9回第10回第11回第12回第13回第14回

日本鳥類保護連盟 機関誌 「私たちの自然」 連載記事
第9回 遊水池としての側面
高田直俊
 蕪栗沼はどうしてできたか

 
 蕪栗沼とその北の伊豆沼のような低湿地はどうしてできたのでしょう。シリーズ第6回に説明されていますが、もう少しくわしく説明します。
 最後の氷河期(2万年前)に南極・北ヨーロッパ・シベリア・カナダに大量の氷ができて海の水が減り、海面が今よりも100メートル以上低下し、地盤表面の軟らかい土砂が浸食されて当時の海岸へ流されます。そのあと、現在の地球温暖期に入ってくると、氷が融けて海面が上昇していきます。川から流れてきた土砂のうち、砂利は川が平野に入ったところに、砂は平坦地から海岸にかけて、ごく細かい砂(シルトと呼びます)と粘土は静かな海の底に堆積します。砂とシルト・粘土の堆積場所は、海面の上昇とともに内陸側に移り、先にたまった砂の面は海面が上がって海の底になっているので、シルト・粘土はその上を覆い、次第に厚さを増していきます。
 今から6,500年ぐらい前の縄文時代に、海面は今よりも数メートルから10メートルぐらい高くなった(縄文海進)のち、今の高さに戻ります。今度は海岸が海側へ後退するので、砂が陸側から粘土の表面を覆っていきます。この砂を運ぶ川は、自然堤防と後背湿地を作り、また自然堤防を突き破って後背湿地を砂で埋め、再び自然堤防を作ります。
 

図1 沖積層の一般的地層構成

 このように流れは位置を変え、地盤を高めながら氾濫原と呼ばれる地形を作ります。このようにして堆積した若い層を沖積層と呼び、図1のように表面から、粗い砂と細かい砂が重なった層、厚い粘土層、その下の砂層へと続きます。表層の砂の間には後背湿地であったときのスゲやヨシの押しつぶされた層(泥炭層)が見られます。沖積層の下は古く硬い粘土層や砂層(洪積層)あるいは岩盤です。蕪栗沼の下には約10メートルの粘土層があります。平坦な低湿地にいきなり山地がとなり合う谷地形を溺れ谷といいます。蕪栗沼や伊豆沼のある溺れ谷は、上流からの土砂供給が少ないために地盤が低く、谷の出口は北上川が運ぶ土砂の堆積によって閉ざされ、水域として残りました。蕪栗沼は海まで40キロありますが、海抜3メートルの低さです。
 

 閉じこめられる水

 
 人は水のあるところに住みます。稲作が主体の日本では、生産の中心は水のある低地です。そこは同時に洪水の常襲地域です。人々は丘陵・山地側から次第に流れのある低地へ農地と居住地を広げていきます。この過程で堤防を作って水の侵入を防ぎ、あるいは氾濫原の中に居住地と農地を堤防で囲む輪中を作ります。氾濫原は狭められ、堤防が水を取り囲む「河川」が作られます。木や石しか使えなかった昔は、人の力が及ばない広い氾濫原が残り、結果的に生きものと共存していたはずです。鉄やコンクリート、建設機械が自由に使える大正・昭和に入ると、昔は夢であった大規模な工事が行われます。1960年代には、土地の高密度利用によって川はいよいよ狭い空間に押しやられ、原生自然を残す氾濫原は、人の居住地と農耕地域からはほぼ失われました。

 このような土地の高度利用は、自然に対する人間の勝利ではありました。しかし、勝利をおさめたかに見える人間に対して、自然は文字どおり自然にふるまいます。それが「予想を上回る豪雨」であり、そして「予想しなかった堤防の決壊」です。人々は堤防を高くし、強化し、川を直線化し、川底を掘削し、またダムを造ります。しかし「予想を上回る雨」は繰り返されます。結局、水を狭い空間に閉じ込める治水思想の限界を思い知らされることになりました。水を川に押し込めて災害を防ぐのではなく、あふれても大きな災害にしないとする考え方に変わったのです。遊水地(池)はこの考え方に立っています。
  

 ダムに代わる遊水地

 
 低地の水害を防ぐには、上流にダムを造り、排水ポンプを設置し、下流の川幅を広げるのがふつうです。蕪栗沼一帯は、海から遠く、また効果的にダムを造る所がありません。そのために、強い雨が降って川がいっぱいになり、堤防からあふれるときにその水を貯めるのが遊水地です。洪水調節機能はダムと同じですが、ちがうのは平地に作るので深い水深が取れないために広い面積がいること、平地であるためふだんは農地や公園として使えることです。ここでダムや遊水地の洪水調節の仕組みは次のとおりです。

 流域(その地点に流れてくる雨水を受ける地域)に図2のように雨が降ると、そのうちのかなりの部分が川に出てきます(川に直接流れ出る水量と降った水量の比を流出係数と呼びます)。川の流量は雨の降りかたよりも遅れて増え、そして減りますが、川を安全な水位に保つために、その水位(たとえば警戒水位)を超えて流れる水を一時的にダムや遊水地に貯め、水位が下がってから川に流してやります。
 


図2 降雨と遊水地による流量の調節
 
 蕪栗沼のような内陸の低地の洪水対策に遊水地を造る例が増えています。蕪栗沼と同じ水系にある北上川上流の盆地である一関には、東北新幹線が走る水田地帯が、高さ10メートルもの堤防をもつ1,350ヘクタールの大遊水地になっています。松島湾のすぐ北の鳴瀬川流域にも品井沼遊水地があります。利根川流域の小貝川には1986年の水害を教訓に水田地帯に160ヘクタールの遊水地が造られました。これらの遊水地では、家屋を浸水の危険のない堤防の外や盛土の上に、また集落を堤防で囲う輪中を浸水対策としています。北海道の石狩川上流の砂川には蛇行跡地を利用した大きな遊水地、都市河川である大阪府の寝屋川には深北緑地が造られ、いずれも公園として利用されています。
 
 蕪栗沼遊水地

 
 蕪栗沼遊水地は、図3のように5地区からなります。各地区は高さのちがう堤防で区切られ、蕪栗沼が満杯になると堤防を越して白鳥地区に水が入ります。白鳥が満杯になると、四分区と沼崎に、次いで野谷地に水が入ります。合計で1,580万立方メートル(日本の中型ダムの容量)の水を貯めます。蕪栗沼へは4本の川が直接入っており、沼から出る旧迫川の水位が低いうちから沼に水を貯めるので、最高水位に近いときに水を取り込む4地区にくらべて遊水地効率は高くありません。白鳥地区は河川敷として扱われ、たびたび水田が冠水するため、元の沼に戻すことになりました。ほかの3地区は水田として使われ、「地役権」が設けられて越流堤を越える水による農作物の冠水を容認することが、農業関係者と建設省の間で交わされ、被害補償がされています。家屋も移転補償が終わっており、野谷地地区の68戸のうちの51戸は堤防外の盛土上の住宅地に集団移転しました。
 


 
図3 蕪栗沼遊水地の構成
 白鳥地区の今後

 
沼に戻ることになった50ヘクタールの白鳥地区(写真1)をどうするかは大きな課題です。南北に長いこの地区は南は1メートル、北は0.5メートル中央部よりも高いのですが、水のないままにしておくと、数年で全面をヨシが覆い、次第にヤナギ林に変わっていきます。水位を与えると、水深30センチくらいまではヨシが、ヨシの前面の深みはマコモが、ヨシの外側にはヤナギが入り、蕪栗沼の水域周囲と同じになるでしょう。98年5月に十数羽のガンが残って周囲の水田に入ったため、苗を急拠集めて白鳥地区の一部に田植えしました(減反政策のためコメとして持ち出さないことを条件に)。イネのようなガンカモの食餌植物や、生育を始めたアサザのような希少種は、極相のようになるヨシやマコモと共存できません。蕪栗沼シリーズ第6回で守山さんが書かれているように、これらは撹乱されて更地になった浅い水域に生育します。

 

写真1 白鳥地区
2002年8月21日

 少し話は変わりますが、淀川水系には、イタセンパラという全長8センチくらいの天然記念物のタナゴが本流に沿うワンド(*)にいます。これが支流のタマリ(*)で最近発見されました。このタマリは冬には干上がったかに見え、出水期は水深2メートル以上の流れに隠れます。秋から春まで貝の中にいる仔魚にとって、砂にもぐる貝が生きるのに必要な水は砂の中にあればよく、貝から出るときにほかの魚がいないほうがよいのです。安定している水域がイタセンパラと貝に必要と考えていた我々にとってはショックでした。川は出水時に泥水が流れ、地盤面が更新されて地形が変わる荒っぽい場なのです。堤防で囲まれ、ダムのゲート操作まで加わって安定した水域で生物が進化してきたのではありません。このような目で見ると川の自然の豊かさが何に基づくのかよくわかります。ついでにいうと、アメリカではダムを放流して川を「荒らす」ことを始めています。
 
このような観点から、農道を小堤防に利用して地区をいくつかに区切り、地盤標高のちがいを利用して水位調節と表層撹乱(耕耘)などの手法で、生物相の多様性を維持する管理をしたいと考えていますが、広い地域に対するこのような試みの例はないので、試行錯誤の始まりになると思います。
 
(*)ワンドとタマリ:淀川で使われる言葉で、ワンドは本流につながる湾状の水域。タマリは出水時に本流につながる水域。どちらも魚の繁殖と稚魚の生育に大切な水域。
 

 これからの課題
 
 沼を1メートル掘り下げる計画は中止になりましたが、干陸化していく沼を湿地に戻したいものです。これには、小山田川からの土砂、特に 砂を沼に入れないこと、沼の水位を上げることが課題です。前者に対しては、中規模の出水に対して沼に開いた河口からの流れを直接沼に 入れず、沼の下流から水を入れることです。これで粘土・シルトは入りますが、沼を浅くする主原因の砂は入りにくくなります。このためには 沼内部の水路を広げる必要があります。沼の水深を増す試みは、ビーバー作戦としてすでに紹介されていますが、生物相を損なわないで地 盤面を下げることができれば、貯水容量も増すことができます。これには、図1の粘土層の下の砂層の水をポンプで汲み上げ、粘土を圧縮 して沈下を誘う方法があります。東京や大阪で起きた過剰な地下水汲み上げによる地盤沈下の応用です。これらの方法の実行には綿密な 調査・検討が必要ですが、可能性を探っていきたいと考えています。
 
 執筆者プロフィール

 
高田直俊(たかだ・なおとし)

1941年生まれ。元大阪市立大学工学部土木工学科教授。専門は地盤工学。生態学に興味があり、 71年から大阪南港野鳥園建設、73年から 淀川自然保護、千歳川放水路、諌早干拓など、各地の自然保護運動に関わっている。(社)大阪自然環境保全協会理事。