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阪神・淡路大震災における動物救護の実際



 1月17日5時46分兵庫県南部地域を、震度7と言う直下型の大地震が襲った。神戸市役所や市民病院等多くのビル、古い町並み、高速道路や線路、港等軒並み大損害を受けた。電気、水道、ガス等のライフラインも寸断された。そして各地に火の手が上がり、特に兵庫、長田区では3日間黒煙が立ち昇り、町は焼失してしまった。神戸の市街地は、20数秒で一変し地獄と化した。何が起こったのか?。人々は、余りの変貌に茫然とし自分の目を疑っただろう。死者約6432名、負傷者34900人、避難民二十数万人、倒壊家屋192706、焼失7456棟に上り近代日本史上未曾有の大災害をもたらした。
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<動物救護センター設立まで>

 1月20日総理府の要請のもと「兵庫県南部地震動物救援東京本部」が設立され、事務局は日本動物愛護協会が担当、現地への寄付金、救援物資および各種団体への連絡、要請等をおこなった。日本獣医師会は医薬品や医療器材の供給、政府関係や各種団体への連絡や要請、会員への援助などを主な救援活動とした。一方神戸では1月19日に有志の獣医師が集まり、この局面などをどうするか話し合いをもった。1月21日、(社)兵庫県獣医師会(社)神戸市獣医師会(社)日本動物福祉協会・阪神支部の3団体及び兵庫県、神戸市の指導のもと「兵庫県南部地震動物救援本部」を設置した。救援活動は原則として3団体のボランティア活動として行い、救護した動物は最後の一頭までを合い言葉に救援を開始した。これをうけて神戸市獣医師会では、1月22日北区、西区、垂水区、須磨区の一部の獣医師が集まってこの状態を掌握、打開するため会合をもった。その結果

1)会員の被災状況の把握:電話等通信網は依然として連絡が悪いが、出来るだけ正確に情報を収集してください。どうしても連絡出来ない所は、近くの会員が徒歩又は自転車で状況を確認する事又所在が確認出来ない場合張り紙等で連絡してください。また会長が被災した会員の所を一軒一軒直接訪問する。

2)動物の救護について:まずフード類の無償供与を東京本部に要請して、避難所や被災動物に配布する。臨時収容所を建てて動物を収容する。場所は、神戸市立動物管理センターの敷地、施設を無償提供により借り受けビニールハウスを建てて動物を収容する。各動物病院の被災動物に対する対応は個人にまかせ、被災動物は出来るだけ救護センターに収容する。

以上を決めた。 
  こんなときに何ができるか?こんな時だからこそ何かをしなければならない。我々は真剣にそう思った。目つきが違う。平常時とは比べものにならない。顔を合わせると互いの健康を喜び、病院や自宅の状況を語り合った。神戸市獣医師会の開業会員のほぼ全員が被災したが約35名が動ける状態にあった。22日の会合のことを聞いた会員がセンターに集まり始めた。ビニールハウスの建設が始まった。なれない仕事で手間取ったが、26日の午前中には骨組みが出来上がり、夕方にはビニールをはって完成。ケージを組み建てる人、扉を作る人等獣医師会には色々な人が要ることが分かった。そして、この日〔兵庫県南部地震動物救援本部〕の設立が記者発表された。
 

1月27日動物管理センターに実働可能な会員約35名を集合し説明会と役割分担を話しあった。

連絡係として各区に1名、支部長とは別に現時点で活動できる人。

フード類の配達では、災害のひどい所でフードを備蓄できる病院をさがす。

適宜病院や避難所に来る被災動物の為にフード類を配給する。

被災動物がくれば、センターを紹介する。基本はセンターに搬入する。病院に迷子の連絡や保護動物の問い合わせがあれば、FAXでセンターに連絡。

センターに搬入された動物は、a)迷子 b)一時預かり c)里親希望 d)所有権放棄 に分類する。

 

1月27日動物管理センターに実働可能な会員約35名を集合し説明会と役割分担を話しあった。

1)  連絡係として各区に1名、支部長とは別に現時点で活動できる人。

2)  フード類の配達では、災害のひどい所でフードを備蓄できる病院をさがす。

3)  適宜病院や避難所に来る被災動物の為にフード類を配給する。

4)  被災動物がくれば、センターを紹介する。基本はセンターに搬入する。病院に迷子の連絡や保護動物の問い合わせがあれば、FAXでセンターに連絡。

5)   センターに搬入された動物は、a)迷子 b)一時預かり c)里親希望 d)所有権放棄 に分類する。病院に預かりを希望するものは病院と直接交渉とする。

6)    受付、里親捜しは、主に日本動物福祉協会が行う。他は、獣医師会が担当し、協力して運営、管理する。受付が総務をかねる。
 

<動物救護センター設立>

 時間は流れるように過ぎ、神戸市動物管理センター内にビニールハウスのシェルターが1月26日完成した。しかし、動物を保護、収容する為には、工夫が必要だ。2重扉、逃走防止用ネット、猫舎の間仕切り用ネット、電気、水道等ボランティアの人達と共同作業で作りあげた。またフード、ケージや備品等を置くテントの設置、物品の運搬や配置などシェルターでの動物の受け入れ準備が整ったのは27日の夜だった。またこれと並行して事務所の設置も行われた。事務所は管理センターの一室でそこは元々神戸市獣医師会が動物の健康相談業務を行っていた部屋を救護センター用として使用した。電話、FAX、コピー、コンピューター等を持ち込み受付、相談、各種の対応が出来る様に配置した。また治療室や隔離室も管理センター内にあったものを使用させてもらった。治療室は、受付とシェルターの中間に位置しガスや水道、流し台があった為、後日食堂やボランティア室と兼用となっていた。最初に来たボランティアさんは、床に寝袋で寝ていた。1月から2月は最も寒い時期であったので、大変であったろう。そこで、会議室も解放してもらい、マットレスや毛布を調達してボランティアさんに少しでも具合のいいように、またバスルームも随時使える様配慮していただいた。普段の生活からすると不便なものに違いないが、当時用意できる物としては最高の施設であったと思う。そして、後になってボランティアや動物達の数が増加してきたので、コンテナハウスを6台追加してそれぞれ犬の里親舎、猫の里親舎、準隔離舎、薬品庫、ボランティア室として使用した。もちろん電気工事は、会員が担当した。一度に50名の宿泊者、200頭の収容施設、動物病院、100名のボランティアが働く場所を作りあげた。これが初期の神戸動物救護センターの全容です。1月27日からは動物たちが搬入され始め、いよいよセンターとして活動が開始されました。
 

<動物救護センターの活動>

 1月27日被災動物が搬入されはじめた。受付手続きを終えて治療室で健康診断をして異常のないものは、ワクチンを接種する。動物たちも慣れない場所、人にとまどい、飼い主から離れる不安感、地震にあった恐怖感などケージ内にいても落ち着きがない。犬も猫も人間も同じように余震のたびにビクビクしていた。収容頭数もどんどん増えてシェルター内は満杯状態。ボランティアの数も増加してきた。収容動物数は、5日後には200頭近くまで増加し、ボランティア数も一日に約80〜90名そのうち宿泊数50名位とセンターは人と動物で膨れ上がった。

<受付事務>

 保護台帳に飼い主か依頼主か記入し、一時預かり、所有権放棄、迷子のいずれかを明確にする。既往症やワクチン、不妊手術の有無、咬み癖の有無、連絡場所、預かり期間等を明記する。あとで罹災証明の提出を義務付けました。そして一時預かり、所有権放棄の誓約書にサイン、捺印し写真撮影し受付は完了、治療室にまわす。

 

<飼育管理>

飼育管理では、当初よりチーフ、サブチーフを1名づつ雇用し常時担当者が居るようにした。このように多頭数多人数しかも日々動物も人も変化する状況のなかで、健全に飼育することは非常に大変な事です。ケージ飼いであった為、散歩、グルーミング、触れ合い時間を少しでも多く取るよう心がける。炊事、洗濯、掃除や動物達と遊ぶ等自分の出来る事で良い。しかし多人数で居る為、共同生活をしているので他人との調整、協調が必要となる。決して強要ではない。ボランティアは指示を待つのではなく、臨機応変に対処してほしい。獣医師であっても一般ボランティアとしてこられ、シェルターでの動物の便、尿、食欲の状態、餌の量、動物の扱い方等の相談にのってボランティアと一緒に働いていただいた積極的な姿勢でした。緊急事態時には是非必要なことではないかと思われます。また現場は、状況が日々刻々と変化する事を承知していただきたい。朝と夕方では、状況が違う事など日常的だった。これは、我々にも予定がたたないと言うことです。それから担当も犬と猫に別れてしまう。別に決めたわけではないが、好きとか慣れているとかで決まっていくようだ。また里親舎、隔離室、シェルター、準隔離室などに分散していたので、その連絡は困難をきわめた。

(管理)

1)        朝・夕の散歩

排便、排尿、元気、歩行、行動の異常をチェック

2)        食餌(1日2回)

食欲のチェック

3)        触れ合いの時間(午後の散歩までの時間)

ボランティアのフリーの時間を利用して動物達と触れ合う(グルーミング、シャンプーなど)

4)        治療

    上記1)、2)、3)、で異常が認められた場合ボランティアチーフに報告

    治療班に報告

      ↓

    詳細な検査(血液検査など)

  

<受付事務>

 保護台帳に飼い主か依頼主か記入し、一時預かり、所有権放棄、迷子のいずれかを明確にする。既往症やワクチン、不妊手術の有無、咬み癖の有無、連絡場所、預かり期間等を明記する。あとで罹災証明の提出を義務付けました。そして一時預かり、所有権放棄の誓約書にサイン、捺印し写真撮影し受付は完了、治療室にまわす。受付では1日に100本をこえる電話の対応におおわらわで、義援金、収容依頼、保護以来、取材等ひっきりなしの対応、特にテレビや新聞で報道された後はパニックになるほど電話がかかってきました。また里親、飼い主返還では、それぞれ誓約書にサインし写真撮影をすませてからだしました。受付が総務をかねていたので、入院、治療、不妊手術などでセンターからの出入りもチェックし、さらにボランティアの受付と配置、来訪者の対応や説明、案内、救援物資や備品その他必要な物の調達、手配、物資の運搬といくら手があっても足りない状況だった。そして現在の収容頭数は、里親として出せる頭数は、治療室、シェルター、隔離室、里親舎の状態は、後どれぐらい収容できるか等、時々刻々センターの状況は変化していた。その為センターでの作業分担を下記の通り再編した。

                                            

 

作業分担                                                                                                                                                                 

○受付班          ○会計    ○獣医療班   ○飼育管理班 ○物品調達班  

○ボランティア班  ○医薬品班   ○物資管理班           ○その他

 

そして受付から健康管理についてをまとめました。

・誓約書の作成  ・写真撮影 ・抗体検査 ・食事の種類・疾病、ワクチンの有無        

・搬入時のチェック→      身体検査                  正常             ワクチン接種

                                  一般状態                  異常             各種検査

                                                       

        手術が必要な場合                 各動物病院に手術及び入院を依頼

        緊急な治療が必要                 各動物病院に手術及び入院を依頼

        伝染性の疾患           隔離室に収容し治療開始

        非伝染性の疾患                   シェルターに収容し治療開始

  

<獣医療>

 この分野は、唯一獣医師でなければ出来ない分野で獣医師会が介入した初めてのケースであります。最初、神戸市獣医師会の先生がチーフとなって治療を行い、補佐としてボランティア獣医師の人達に手伝ってもらう事にしました。チーフ1名補佐1名当番2名とボランティア獣医師数名で行いましたが、2〜3月は診療頭数が50〜60頭多いときは、70頭にも達しボランティア獣医師に一日中治療を頼まなければいけない状況になった。スタッフとボランティア獣医師の打合せ、ボランティアとのミーティングなどなるべく連絡をとるように試みました。3月中までは、診療に追われて不妊手術は妊娠しているものなどに限られていましたが、4月頃会員の中から不妊手術のボランティア獣医師を募集して、病院で手術をしてもらい再びセンターに搬入し里親として出す様にしました。センターの治療室で診断、治療出来ない動物については、会員の病院に運んで、X−rayや超音波の検査や手術又は重症な動物の入院など30〜40頭余りになったこともありました。会員たちは、作業分担やセンター出務、その他の手伝い等で週に2〜3回以上出てきていた。出てくると半日は、つぶれてしまう。被災している会員にこれ以上の負担はかけれない。神戸市獣医師会では、3月いっぱいは受付係2名、治療係2名で対応していましたが、順次出務人数を減らし4月からは被災の大きかった東灘区から須磨区の先生にも参加してもらって、開業会員全員と神戸市役所に勤務する獣医師にも応援を求め、より幅広い救護活動を始めました。交通事情が悪い上被災して、自分の事で精一杯なのによく頑張ってくれたとおもいます。

 

 

<新施設への移転>

 3月に入ってシェルター内の温度が上昇し始めたのと、長期化した場合このままの施設では動物の飼育は出来ないと判断し、4月中に新施設の完成を目途に3月下旬より動物管理センターの近隣にある墓園内の敷地を神戸市より無償貸与してもらい、敷地面積1400平方メートル、収容施設としてプレハブ舎2階建 3棟延べ940平方メートルの建設に取り組みましたが、震災の為大工さんが不足していて工事は遅れ、5月14日に移転完了しました。犬舎はパドック式、猫舎はプレハブ舎1棟1/4に4部屋とって冷暖房完備となっている。猫たちは、順番で部屋の中にだして遊ばせ、ストレスがたまらない様にしている。犬猫の一頭当りの占める空間は飛躍的に拡大されたが、あくまでも仮設である。このほか事務所、診療室、ボランティア室、バスやキッチンなどコンテナハウスを利用。バスやキッチンの建設、電気工事、水道工事、犬猫舎の改修、草刈りやノミ、ムシの防禦対策、防犯対策の装置などに約1ヶ月半を要した。初期の頃に比べると動物も人も穏やかになってきた。1日の診療も10頭を超えることは稀だ。以前の様に沢山のボランティアがいなくなくても動物達の世話が出来る。暑い夏ものりきった。秋になって原則として一時預かり中止、里親探しが中心になった。実際には、平成8年3月までに100頭ほど保護した。その他動物の相談も行っている。震災1年あるいはセンター設立1年の時は、マスコミの報道等で里親希望の申し込みが増えたが、潮が引くようにきえていった。1年3ヶ月を過ぎたのちは申し込みはほとんどかった。
 

<動物救護センターの閉鎖>

平成7年11月に三田が閉鎖され、神戸に統合されました。我々は、ボランティア組織として活動し、緊急避難的に動物を救護し、最後の1頭までを合い言葉に頑張ってきました。平成7年1月27日に開設してから、1088頭の動物を三田と合わせると1548頭の動物を救護しました。全ての動物の行き先が決定し平成8年5月29日最後の1頭が出て、収容頭数がゼロとなった為動物救護センターを閉鎖しました。震災約500日に上ります。思い起こせば延べ1万5千人を超えるボランティアの方々、2億4千万円にのぼる義援金、多数の救援物資など多くの人々に支えられて、できたと思います、本当に有難うございました。