楽しいことわざ教室  第8回(その2)


五十歩百歩

熊日に「五十歩百歩」ということばが、このようなかたちで出ていました。

五十歩百歩」といえば、
似たりよったりである」「少しの違いだけで大差のないこと
という意味に使われることは、誰でも知っています。

ところで、
五十歩と百歩とでは、歩数にして五十歩、倍数で二倍の違いがあります。
これは大きな差だと言えないでしょうか。
では何故、
似たりよったりである」「少しの違いだけで大差のないこと
を「五十歩百歩」というのでしょうか。


中国の戦国時代(BC403−BC221)、梁の恵王は、
自分は善政を施しているのに、自分の領地の人口が増えなくて、
たいした善政もしていない隣国の人口が減らないのを嘆いて、
孟子にその理由を問いました。それに対して孟子は答えます。

「王は戦いがお好きなので、戦いで例えましょう。
戦いの最中に、戦場を放棄して五十歩逃げた者が、
百歩逃げた者を笑ったとしたらどうでしょう」

王は答えていいます。

「それはだめだ。ただ百歩逃げたのではないだけで、
五十歩でも、逃げたことには変わりはない」

恵王にそう言わせておいて孟子は、

「恵王がなさっている善政は、隣国がやっていることと、
程度の差はあっても、本質的な違いはないのです」

と説きます。


この話から、「五十歩百歩」といえば、
程度の差はあっても、本質的な違いはないこと
をいうようになり、転じて、
似たりよったりである」「少しの違いだけで大差のないこと
という意味に使われるようになりました。

類似のことばに、「目糞鼻糞を笑う」「青柿熟柿を弔う」があります。

故事(漢文)はこちら→


楽しいことわざ教室  第8回(その3)→

楽しいことわざ教室(まとめ)へ