この株を守るの寓話は『韓非子』に出てくるはなしで、
「儒家」の思想を痛烈にを批判したものです。



韓非子はまず、次のように説き起こします。

<聖人(せいじん)は修古(しゅうこ)を期(き)せず、
常行(じょうこう)に法(のっと)らず。
世之事(よのこと)を論(ろん)じ、因(よ)りて之(これ)が備(そな)へを為(な)す。>

(聖人は、昔行われたことをくりかえそうとはせず、
昔から行われてきた習慣に従おうとはしない。
現在の世の実情を論じて、その備えをするものだ。)



ここに、「株を守る」の寓話が入ります。
そして次のように決め付けます。



(いま)先王之政(せんのうのまつりごと)を以(もっ)て、
当世之民(とうせいのたみ)を治(おさ)めんと欲(ほっ)するは
(みな)(かぶ)を守(まも)るの類(たぐい)なり。

(今の世に、昔の王たちの行った政治の方法によって、
現代の人民を治めようと願うのは、
皆、「株を守る」の話と同じことだ。)

聖人不期修古、
不法常行。
論世之事因為之備。

宋人有耕田者。田中有株。
兎走触株、折頸而死。
因釋其耒而守株、冀復得兎。
兎不可復得、而身為宋国笑。>

今欲以先王之政
治当世之民、
皆守株類也。



本文へ→