楽しいことわざ教室  第5回(その1)

平成14年1月の例会は、23日(水)に開かれ、会員も17名に増えました。
第3回の例会で「四面楚歌」とは、「周りがみな敵で、孤立無援なこと」をいう、
までで止めて、出典については後の楽しみにとっておきました。
今日はその「四面楚歌」そ出典を勉強しましょう。
まず、私が書いた文を読んでください。



四面楚歌

 自民党と民主党の党首選挙がそれぞれ行われ、自民党は小渕首相が再選され、
民主党は菅代表が敗れ、鳩山氏が新しい代表に決まった。

 菅代表の苦戦は選挙前から報ぜられており、

    「民主・菅代表、鳩山氏との対決回避へ早めに出馬」
 四面楚歌で中央突破」(8月25日付熊日新聞)

    「空振り“鳩山禅譲”/人事カードで墓穴。菅代表、
 退路を断たれ3選出馬へ](8月28日付同紙) などの記事がある。

熊日記事はカットしました。 

この新聞記事の中で「禅譲」については先月号に書いた。
 では「四面楚歌」とは・・・。

 広辞苑やことわざ辞典によると、「周囲がみな敵で、孤立無縁なようす」とある。
数多い故事成語や四字熟語の中で、これほど一般に知られていることばも少ない。
 「四面楚歌とは?」と問われて答えられない人はいないといっていい。
では、「周囲がみな敵で、孤立無縁なようすを何故四面楚歌というのか」
と訊かれたらどうであろうか。

 時は紀元前202年、4年間に及んだ漢楚の戦いは、いよいよ終局を迎えようとしていた。
漢の劉邦においつめられた楚の項羽は、垓下の城壁にたてこもった。

 項王の軍垓下に壁す。兵少なく食尽く。漢軍及び諸侯の兵、之を囲むこと数重なり。
夜、漢軍の四面楚歌するを聞き、項王乃ち大いに驚いて曰く、
「漢皆已に楚を得たるか。是れ何ぞ楚人の多きや」と。

 夜になるとどこからともなく、項羽の故郷楚の国の歌声が聞こえてきて、
ついにはそれが、東西南北あらゆる方向に広がっていく。これを聞いて項羽は、
「漢は已に楚を全部降してしまったのだろうか。
敵軍の中に何と楚の国の人が多いことか」と嘆くのである。

 実は、これは漢の軍師・張良が、敵の戦意を挫くために、考え出した歌声作戦で、
項羽と楚の兵はまんまとひっかかったのである。

 「四面楚歌」・・・出典はいうまでもなく司馬遷の『史記』である。


 註: 四面楚歌(しめんそか) 禅譲(ぜんじょう) 垓下(がいか)   壁す(へきす) 乃ち(すなはち)


菊医ニュース  第327号
平成11年10月10日発行 

四面楚歌ということばは、新聞紙上にもたびたび登場します。

     
熊日記事はカットしました。 

四面楚歌とは、この文中にもあるように 『史記』の、

項王の軍垓下に壁す。兵少なく食尽く。
漢軍及び諸侯の兵、之を囲むこと数重なり。
夜、漢軍の四面楚歌するを聞き、項王乃ち大いに驚いて曰く、
「漢皆已に楚を得たるか。是れ何ぞ楚人の多きや」と。

からできた成語(四字熟語)です。 (漢文の説明はこちらへ→




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