seishi


   せい    えつ
 姓は西、名は施。越の人。生没年不詳。
     けいこく                   はんれい
 今回は、傾国の美女、西施を取り上げたいと思います。范蠡のところでも、少しふれましたが、彼
             えつおうこうせん ごおう ふさ かいけいさん         えつおうこうせん  けんじょう
女が歴史の舞台に立つのは、越王句践が呉王夫差に会稽山でやぶれたあとです。越王句践からの献上
ひん   ごおう ふさ           ごおう ふさ     びぼう おぼ
品として呉王夫差のもとへ送られます。呉王夫差は西施の美貌に溺れ、呉滅亡の一つの要因となるわ

けです。
     けいこく                       あるじ
 さて、「傾国の美女」とはどれくらいの美女なのでしょう?一国の主が、その女性に夢中になるあ
   せいむ       りきゅう ていえん  つく        かたむ
まり、政務をほうりだし、離宮だの庭園だの造ったあげく、国を傾けてしまう。それぐらいすごい美
            あるじ     こうきゅう
女というわけです。一国の主ともなれば、後宮に何百人という美女を集めているわけで、そのなかか

ら選ばれた美女の中の美女というわけですから、ミス・ユニバースで優勝するようなものでしょう。

               なら
 西施といいますと、「ひそみに倣う」の故事が有名ですね。
       しゃく わずら
 西施は持病の癪を患っておりまして、時折苦しそうに胸に手を当て、顔をしかめる(眉をひそめる)
                     じびょう しゃく
仕草がとても美しく見えたそうです。「うっ!持病の癪が・・・」ってやつですね。(ちょっと違う

??)
                 しこめ       ま ね
 それを見ていた同じ村に住んでいる醜女が、その仕草を真似れば自分も美しく見えるかもしれない
                           しこめ            とうし
と思い、胸に手をあて、顔をしかめて歩いてみたわけです。醜女は村人達の失笑を買い、「東施」と
                      ま ね             なら
呼ばれたそうです。このことから、みだりに人の真似をすることを、「ひそみに倣う」と言うように

なったわけです。
                しこめ        こうきゅう にょかん  ま ね
 ちなみに、この故事に関しては、醜女ではなくて、呉の後宮の女官達が真似たという場合もありま

す。現代でいえば、芸能人の服装や髪型なんかを真似るみたいなものでしょうか。女性も男性もです

ね。

                 とう  ようき ひ
 中国の歴史上の美女といいますと、唐代の楊貴妃がよく言われますが、西施もそれに勝るとも劣ら

ないほど多くの書物や詩に登場します。タイトルにある、「西施の沈めらるるは、それ美なればなり」
      ぼくし           とう りはく
という言葉は墨子の一説にあるものです。唐の李白など、多くの詩人が西施を題材とした詩を残して
    まつおばしょう  さきがた
います。松尾芭蕉も「象潟や雨に西施がねぶの花」という俳句を残しています。

 西施はいわゆる「政治の道具」として、15歳ぐらいで越から呉へ送られたわけですが、呉の滅亡
 みずか ご こ               ご こ
後自ら五湖へ身投げしたとも、殺された(五湖へ沈められた)とも言われており、悲劇の美女という

イメージがありまして、そんなイメージが多くの詩人達が題材とした理由であったかもしれません。
   けいこく           ばっき いん だっき しゅう ほうじ             ばっき
 他の傾国の美女といいますと、夏の妹嬉,殷の妲己,周の褒似といったところがいますが、妹嬉と
だっき                ほうじ                       けいこく
妲己については悪女とされていますし、褒似も悲劇とはほど遠いイメージがあります。ほかにも傾国、
        けいせい
ワンランク落ちて傾城の美女がおりますが、西施のような悲劇性を持った人は少ないですね。

           こうせい     かわいそう              はんれい    せい
 そんな西施に対して、後世の人たちは可哀相だと思ったのか、呉の滅亡後は范蠡とともに斉に渡り、
 とうしゅこう        よせい
「陶朱公」とともに幸せな余生を送ったという説もあります。
                              しばせん
 ところで、この西施に関しては、史記には記述がありません。司馬遷は実在しないと判断したので
          ごえつせんそう
しょうか?それとも、呉越戦争にこの西施は影響しなかったと判断したのでしょうか?謎です。


 西施にはなんとなく「守ってあげたいタイプ」というイメージがあるんですよね。持病もってます
                           はんれい
し(笑)私の好みとはちょっと違うんですけど・・・。私は范蠡も好きですから、この二人が本当に
せい
斉で幸せに暮らしていたらいいなあ、と思います。

 では、今回はこの辺で失礼します。
	


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