カレンダーでは、連休になっていて仕事もあまり忙しくなかったので、キャンプに行く予定を入れて
おきましたが、仕事がら前日の夕方まで休めるかどうかはっきり答えが出ません。
遊びのスケジュールを入れた時には、なぜかよく仕事がはさまり、この日も朝仕事に出かけてから
AM11:00に、自宅出発でした。家族も振り回され怒っていますが、何時もの事としておきましょう。
お昼にキャンプ場に着きましたが連休とあってサイト区画は、数箇所しか残ってなく私達以降は、多目的
広場に指示を受けており、混み合っていました。ここには、3度目の宿泊で、料金が無料の為、日帰りでも
よく利用させてもらってます。キャンプサイトは、二方向へ段々畑の用に広がっており私達は、見晴らし良い
一番上ですが、荷物運びが大変でした。
キャンプ場前にあるローズガーデンには、2万本のバラが傾斜地に植えて有り、色々な色や種類によって
違いの香りがして、歩いて居るだけで、色彩と鼻からの香り両方が楽しめます。
冬に、スキーでよく来ていたマウントレースイにも立ち寄り、冬とは違う夏の景色も堪能しました。
キャンプ場で夕食のバーベキューを食べてから車で10分ほどの所に有るユーパロの湯で温泉です。
ここも三度目で、夕張一大きな温泉施設です。浴槽も熱め、温め、ラベンダー風呂、ジャグジー、打たせ湯
露天風呂と色々有り、お湯は、黄緑がかった高食塩泉です。飲泉もありましたが、あまりのしょっぱさに、
味見程度で、一口は、飲めませんでした。休憩所も大きな和室とソファーの有る場所の二つ有り広々です。
テントで、睡眠中にあまりの大きな雨音と雷で、家族全員が、PM 12:00からAM4:00まで眠れず、土砂崩れ
も心配しましたが、雨の上がったAM4:00からは、グッスリ眠れました。
この日は、遅い朝食で、昼ご飯と兼用の焼きそばです。昨夜の残った肉や野菜を入れて作りました。
テントをたたんで、夕張の観光へ出発です。
キャンプ場下にある石炭博物館へ、ここでは、石炭がどのようにして出来上がったか、昔の炭鉱道具
や石炭ストーブの移り変わりや炭鉱のことが全て分かります。私が子供の時には、石炭ストーブを
使っており、石炭ガンガンやジューノ、デレッキ、ガンビの皮、冬には、玄関前の氷で滑る場所へ
灰を撒いたものでした。次に、エレベーターで、下降し地下へ移り、昔の石炭の掘り方から閉山までの
歴史をロウ人形と語りテープでの紹介は、ロウ人形の顔があまりにもリアルすぎて、動きだしそうで
大人の私でも恐怖心を感じる場所です。先へ進むと、バッテリーを首から掛けられ、ライト付きヘルメット
をかぶせられ、まっくら探検の始まりです。ここからは、実際に使われていた真っ暗な坑道をヘットライト
一つで探り、採炭現場や事故避難所、など下り登りして地上へと出てきます。地下は、寒く、お化け屋敷
に近いものを感じました。幼稚園児の娘は、恐怖心で抱っこしたまま離れません。こんな所ですが私と妻
は、三度目のまっくら探検です。ここは、小、中学生の社会見学や修学旅行にピッタリの場所と思います。
メロン城では、夕張特産メロンワイン、メロンブランディー、や様々なお酒を作って貯蔵しており
工場は、ガラス張りで、お酒を瓶詰めする工程が見られます。
隣に建つ直売所カサブランカでは、夕張メロンゼリーの試食や各種ワインや焼酎虎次郎など10本
ほど試飲が出来、メロン関係のお菓子やメロンの漬物などこれ以上の品揃えは、何処にもありません
と言う位夕張のお土産が勢ぞろいです。是非お立ちより下さい。
すぐ近くには、観光農園があり夏でも冬でもメロンの生育を見る事が出来ます。現在は、外のビニール
ハウスでメロンが実ってました。冬には、ガラス温室の中のビニールハウスで、メロンを育てています。
次に幸福の黄色いハンカチ思い出広場です。この映画は、20数年前に高校の学校祭で見たラストシーン
の場所を今も保存して映画黄色いハンカチ博物館になっております。中には、黄色いカードに書かれた
願い事が何十にも重なり部屋全てを覆ってます。また映画ロケで武田鉄矢さんが乗っていた車や出演者
の使った小道具などの展示や高倉さんと賠償のマネキンを使った当時の生活空間を再現し、映画の
ダイジェスト版も放映しています。ここには、何故か10回ほど訪れており、12月に訪れた時には、NHK札幌
のテレビカメラが来ており、管理人のおばさんと、私達家族がここ周辺に炭住が一杯残っていた話をしている
所を撮られ、放送されました。
帰り道の途中夕張市の外れに有る滝ノ上公園に寄り二つ掛かった観光橋の上から絶景を堪能いたしました。
この場所は、紅葉の時期が一番美しいと聞きましたので今度は、秋に訪れたいと思います。
夕張には、まだまた観光地やここでしか食べれない物が有りますが、次回の紹介とさせて貰います。
最後に、私が小学生の時父親とレースイへスキーに来た帰りに、石炭の貨車積み出し路線基地を
見に来た場所が石炭の歴史村と変わり、現在の故郷の丘ミュージアムやキャンプ場あたりは、商店や
銭湯、炭住が建ち並び町になっていた記憶が有り、夕張市全盛期には、10万人弱の人口が居た
そうですが、炭鉱全てが閉山した今では、たしか3万人台の市になりましたが、衰退するなか第3セクター
をフル活動させて、色々な種類の観光スポットや宿泊施設、お酒の製造、農協を通しての夕張特産
お菓子作りなどで、攻めに攻めて、企業に頼らず、市みずから町民の雇用の場を増し近隣市町村から
見ると頑張りの見える町、夕張だと私は、思います。
2004/7/21