■レポート、雑感リスト  
「TBSの報道について」
 

 5月5日「ニュースの森」と「報道特集」でジェニンや占領下のナブロスバラタキャンプに入り込んで取材していたジャーナリストたちの報道が特集されました。

浅井久仁臣さんと土井敏邦さんのお二人です。

おそらく、これだけ時間をかけた点、しっかりと中に入り込み状況を伝えた点、ジャーナリストと番組側の報道の視点がきちんと合っていたという点において、日本では6チャンネルが初めてではないでしょうか?
やっと・・という感はもちろんありますが、TBSがパレスチナ問題に本腰を入れようと決心した事が、この報道から伝わってきました。
今後の展開を期待せずにはいられません。

以下は内容をまとめたものですが、不要な方は読み飛ばして下さい。


報道特集では、土井敏邦さん自らカメラを廻しバラタキャンプがいよいよ占領され砲撃が始まるところ、それに対する住民達の反応、御本人の恐怖感、占領下の閉塞感が画面を通してしっかりと伝えられていました。

アパッチによる無差別な空爆で、表に様子を見に出ただけと言う3人の男性がミサイルに直撃され犠牲になっていました。
遺体には脳みそが顔の周りにこびりつき、必死に拭き取る周りの人の姿もありました。
その姿を見て悲鳴をあげる母親の声で、私も悔しさが込み上げ、これまでの抑えていた悲しみをこらえられず涙があふれてしまいました。

亡くなった方は、兄弟もイスラエル兵に殺されていると言うことですからこの母親は自分の息子をまた亡くした事になります。
失神して倒れる姉妹の姿もありました。

子ども達がイスラエル兵とパレスチナ人になってごっこ遊びをしている姿もありました。子どもは、大人の姿を見てそのまま遊びに取り込みます。
この子達は、こうした光景をいったい何度見たのでしょう。

殉教死した人々やイスラエル兵に殺された人々の写真を丸く切ってカードにし、まるで日本の野球カードのように大切に持っている子ども達の姿もありました。
僕は自爆したい・・・とあどけない表情で語る幼児の姿もありました。
まだ幼い彼は、両親がレバノンへ行ったきり、イスラエル兵に帰郷を拒まれていて、その帰りをずっと待っているのでした。

占領下のナブロスは他のどの場所とも同じように電気を切られ、水道を止められました。これは、テロ捜査とはまったく関係の無い、全住民への攻撃です。

更に失業率は、70%を越えていました。報道では、大学まで出て管制官の資格を持つ青年が、イスラエルによってガザ空港へ出向く事を拒まれ夢を実現できないとありましたが、パレスチナ唯一のガザ空港ですら、イスラエルによって破壊され、滑走路はブルドーザーで滅茶滅茶に分断されています。
一国の国際空港をこのように破壊するのは、テロとどう違うのでしょう?

パレスチナの各地で電気が切られ水道が破壊され、失業率が高くなっているにもかかわらず、そのどこへ行ってもわたしは浮浪者に会いませんでした。
「難民キャンプ」の「難民」の家を破壊するイスラエルですが、ホームレスに出会ったことがないのです。

人々は家を失った人を自宅に呼びいれ食べ物を分け合い怪我人や障害の残った人々の世話をし、みんなで子ども達の世話を引き受けていました。
大変なコミュニテイの力です。
あれだけやられても陥落しないのは、本当に地元の人々の連携と思いやり、分け合う姿勢の力によるものです。

だからイスラエル側も、何とか生活を根底から破壊しようと、水や電気、農地、台所の破壊に力を入れるのです。

私たちがそのような状況にみんなで陥った時、外から援助が届かないと知った時いったいどのくらい冷静に助け合い、与え合い、希望を持ち続ける事ができるでしょうか?

一般市民に向けての自爆を私も受け入れる事は出来ません。
止めるべきだと思います。パレスチナにとってもプラスになる事などありません。

けれども、こうした状況下での彼らの思いを知らずに自爆だけ責める資格など私たちにはありません。
まして占領と殺戮を繰り返し人々を追いつめているイスラエルに、自爆を非難する権利はありません。
足を撃たれた清末さんがイスラエルに対し、「恥知らず」と叫んでいましたが人としてそれが真っ当な気持ちだと思いました。

ここ一週間以上自爆はぴたりと止んでいます。
アラファト議長の呼びかけも大きく影響していると思います。

けれども精神的な戦いを強いられている中、必死に助け合っているパレスチナ人だっ

後どのくらいそれに耐えられるか私だってわかりません。

さて、報道内容に戻りますが、バラタキャンプのある暗い部屋の中でレバノン放送局のラジオからジェニンでの虐殺のニュースが入って来て、肩を落とし首を横に振る青年の姿がありました。

土井さんは急いでバラタを去り、ジェニンに向い18日に中に入られたようでした。

何度見ても信じがたいジェニンの姿と、その中で必死に死体回収や救助活動をする人々、衣服や生活に使えそうなものを瓦礫の中から探す母親、呆然としながら折れた鉛筆や文房具を拾い集める子どもの姿もありました。

その中で数日に渡り死体の回収を手伝い、何が起きたのか聞き取りを続けているアメリカ人女性がいました。

どんな無残な姿になった死体に出会っても、気丈に活動を続けていたという彼女が、突然泣き叫び始めました。

瓦礫の山の中から、ブルドーザーで死体を回収する光景を、もう受け止めきれなくなてしまったのでした。
そして、ずっとイスラエルを援助してきた彼女自身の祖国アメリカを思い、絶えられなく
なったのだと語っていました。

彼女は周りの人に支えられ歩いてその場を離れるのがやっとでいつまでも大きく体を震わせ、泣き声は激しくなっていきました。

けれども、そうした人々の活動をイスラエル兵たちが阻み、機関銃で威嚇射撃をしたので、みんな仕方なく散っていきました。

すでにイスラエル兵はジェニンからの撤退を表明していましたが、この撮影が行われた日も丘の上から戦車が数台キャンプを見下ろし、いつでも砲撃できるよう銃口を人々に向けていました。

私は、アメリカ人の彼女の気持ちがよくわかります。
パレスチナの人々から聞き取りをしている時、私もずっと泣けませんでした。
子ども達も人々も、(お婆さん以外)誰も泣かないし、叫ばないのです。
そのことが返って私の心に重くのしかかり、泣けないのです。
泣いてどうなるというのでしょう。

けれども画面の向こうの彼女がとうとう泣き叫んだ時、私ももうだめでした。
わたしは一緒になって大声で泣き叫びました。

パレスチナにいると、「もうたくさん」と言うほど知る事になります。

パレスチナの人々の置かれている状況や悲しみだけではありません。

何をしても走り回っても、何も止める事が出来ないことへの無力感。
結局何も止める事など出来ませんでした。まだ終わってもいません。

ただ、これを行っている国家権力に対してや、普通にただ暮らしている人々に向けて日々使われている最新兵器の恐ろしい殺傷能力や破壊力を見せ付けられ圧倒され続けるだけでした。

それに対して日々私たちも税金を払っているという、抜け出せない道に入り込んでしまっている事も。
幸せになる事を願って支払っているはずの莫大な税金が投入され、幸せになる事を願って日々研究されているはずの学識や技術が投入され、私たちの思いとは違う目的に使われ、まったく私たちと同じように普通の暮らしを望む人々を意図的に殺し、生活を破壊し、絶望に追い込んでいる事を。

それを止める事もできず、もう既に私たちの手の届かないところに国家が行ってしまったことを見せ付けられるのでした。

それでも、一般市民である私たちの思いで国が動く事をあきらめる事は出来ないのですが。
それが民主主義というものですから。

今は、どうしても資本主義が先に立ってしまう事が多いので気を付けなければなりません。
資本は生きるための手段であって、目的ではないのですから。
目的になった時、それは恐ろしい奪い合いを生みますから。

そのなれの果てで、関係ない人たちを追いやっている事を、パレスチナでいやと言うほど知る事になるのです。

それを象徴するようなアメリカ人女性の姿を捉えた、土井さんの映像が心に焼き付いてしまった報道でした。


森沢典子
 
 
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