ACSB第1回大会を終えて



      三 井 逸 友

                            (2013.11.4記)


2013年10〜11月、ソウルACSB


 本年6月のICSBプエルトリコ大会・理事会で設立が決まった、ACSBアジア協議会の第1回大会が、10月31日・11月1日、ソウルデジタルメディアシティのK-biz韓国中小企業団体中央会ビルで開催され、無事日程を終えました。大会前の企業見学などを含めて、のべ4日間の日程は、ICSB-Korea(キムキチャン会長)とともに、K-bizの全面支援、KASBS韓国中小企業学会、KOSBI韓国中小企業研究院の協力を得て、誠に盛大かつ内容豊かなものでした。
 
 今回のACSB大会には、委員長である私のほか、JICSB中小企業研究国際協議会日本委員会から加藤敦副委員長・事務局長、岡室博之副委員長、港徹雄監事、河藤佳彦会員、山本聡会員が参加され、研究発表をそれぞれ行いました。また、高橋徳行ACSB担当理事もお忙しい中、駆けつけて下さいました。他方で、韓国中央会キムキムン会長の熱心な働きかけもあって、中小企業庁の北川慎介長官、全国中小企業団体中央会の鶴田欣也会長が参加され、全体会での挨拶と講演をされました。鶴田会長に同行された及川部長、また山本会員夫人を含め、日本からの参加者は11人であったと報告され、主催国韓国に次ぐ数で、実行委員会からの感謝の意を頂戴しました。
 また、各研究発表のなかで、優秀賞を受けたのは岡室副委員長の発表であり、最終日の晩餐の席で賞が贈られ、万雷の拍手を受けました。

 
 大会の詳しい内容、その他につきましては別途記載がありますが、ここに至るまでには、私には個人的にも感慨新たです。以下、そうした感想を記させて頂きます。



 

 私のICSBとのかかわりは、2006年のICSBメルボルン大会が初めてでした。それまで、日本の中小企業研究者と国際組織のかかわりの場は主にISBC国際中小企業会議であり、私自身も、1986年のISBCロンドン大会はじめ、何度かの機会に参加、あるいはISBCJ日本中小企業国際協議会からの派遣を頂いております。ソウルに初めて来たのも、1990年のISBC第17回大会のためでした。しかし、世界の学界的にはICSBの方が本流にも感じられる、またISBCの方は近年開催に困難を来している様子もあるということで、2006年には同年予定のISBC大会が中止になったこともあり、ISBCJからの依頼で、「状況偵察」も兼ね、ICSBメルボルン大会に参加したのです。
 現地において、ICSBの強力かつ活発な活動、盛大な大会の様子を実感し、この動きに日本の中小企業研究者としてはなんとかついていかねばならないと心新たにしたものです。以来7年、私になしえたことは、日本サイドとICSBとの関係の構築と強化をどのように図るのかということに尽きます。

 
 課題は多々ありました。もちろん最大のものは、ICSB日本支部がすでに存在しているという事実でした。それが十分に機能活動をしていない、また日本の学界等とのかかわりが弱いという事情は明らかなので、当事者たるICSB日本支部の代表の方らとの協議も重ねました。日本との関係を心配する、ICSB本部のタラビシー事務局長(現専務理事)の助言も頂戴しました。
 組織、財政等のハードルを越えてICSB日本支部を再構築する方法を模索し、またICSBとISBCとの関係も横目でにらみながら、いろいろ思慮とさまざまな方々との協議を重ねました。特に、ISBC国際事務局長も務めてこられた、ISBCJ理事長の井出亜夫氏には、多くの助言と立場をこえた協力を頂戴できました。
 
 検討と模索、試行錯誤の一方で、毎年開かれるICSB世界大会にも、私自身2009年ソウル、2011年ストックホルムとそれぞれ参加し、世界の動きを横目でにらみながら、日本の検討状況や今後なし得る対応など、ICSBサイドとも率直に話し合ってきました。このうち、2011年ストックホルム大会にはISBCが相乗りし、私はISBCJからの派遣としての参加であり、また2008年のISBE英国中小企業研究学会ベルファスト大会にも参りましたが、これにもISBCが相乗りをする一方、ECSB欧州協議会を通じて関係の深いICSBサイドからの参加もありました。もちろん、2009年ICSBソウル大会は今回のACSB大会にそのままつながるものでもあり、韓国実行委員会の大変な力の入れように圧倒される思いとともに、韓国学会の方々との交流と友情を通じ、なんとしてもICSBと日本の関係を再構築せねばという決意を新たにさせられるものでもありました。また、一年前にはKASBSの招待で学会大会に参加でき、その席でACSB設立の構想も提起されました。こうした意味からも、今回のACSB大会の成功にわずかなりとも貢献でき、韓国の友たちに恩返しができた思いもあります。

 
 最終的には、日本学術振興会産業構造・中小企業第118委員会の港徹雄委員長の決断を頂くことができ、同委員会を組織上財政上の基盤として、ICSB日本支部を再建するという方針が固まり、諸方面の理解を頂くことができました。私自身がICSBJの議長職を引き受けることにもなり、ちょっとややこしくもなりましたが、井出氏のご助言である、「ISBCは政府や実業界レベルの交流中心、ICSBの方は研究者中心で棲み分けていったら」というお考えをもとに、それぞれを支えていくという選択肢になった次第です。井出氏にはJICSBの役員もお引き受け頂きました。そのようなことで、2012年前半に組織固めをし、同年6月のICSBウェリントン大会の理事会に飛び、JICSBの日本支部としての再建再開を全会一致で認めて頂くことができたのです。
 
 以来一年半、JICSBの活動自体はまだまだ緒に就いたばかりです。ICSBとの連携、情報提供、機関誌JSBM配付などを別とし、毎夏に学振第118委員会との「共催」というかたちでの「ワークショップ」開催のほかに、目立った事業活動を組織的に行っているわけではありません。今年のICSBプエルトリコ大会には、加藤副委員長が参加され、前記のようにACSB設立に貢献助言されたほか、遠地ということもあり、日本からの参加者は山本聡会員のみでした。情報提供の活発化とともに、会員拡大につとめることはきわめて重要です。

 
 
 来年のICSB世界大会は6月11〜14日に、アイルランドダブリンで開催が予定されています。ACSBの方は、第二回大会開催候補に台湾、マレーシアの名が上がりましたが、まだ未定です。いずれにせよ、日本からの参加と貢献はいっそう重要なものとなりましょう。

 

 最後に私の個人的な感慨です。

 このように、私として、ICSBをはじめとする国際組織との関係強化を通じ、中小企業を研究する日本の学界の国際的なプレゼンスを確立し、世界とともに語り合え、経験と理念、方法、成果をともにできる研究者の成長と活躍の機会を広げていくことに、微力ながら務めてきました。それは少しずつ実現されているのかなという思いを今回新たにしております。
 同時に、私自身の力の限界も否応なく実感されてきました。もとより個人的能力の不足に加え、加齢による体力気力の低下も否応なく突きつけられてきます。実際、いったん定年退職を迎えた身です。今回のACSBソウル大会行は、そうした事実を自覚させられる機会でもありました。なにしろ、寝巻きはスーツケースに入れ忘れたような気がして、もう一枚持参してしまった、USBメモリはぜんぶ置いてきてしまった(幸いちょうど最近に、持参のPCにそのデータバックアップをたまたまとっておいたので、下記の件もなんとかできた)、カメラの予備バッテリーに交換しようと思ったら、それが別のカメラのだった、等々、自分でも信じられないようなドジぶりです。記憶力整理力低下は鮮明すぎます。

 
 私にできることは「道を開く」ことだと、これは以前から考えておりました。いくら国際的学会との関係を築くなどと言っても、そうした場で「世界で通用する」研究成果を十分に語れるような蓄積も実績も発表能力も乏しく、しかもいよいよそのすべてが加速度的にマイナスに向かいつつあるようなおのれの「老害」を、内外のさまざまな機会で実感せざるを得ない状況です。もちろんまた、日本の諸方面を代表し、世界と交渉できるようなカネも力もなにもなく、「出て行くだけお邪魔」な存在以上ではありません。こうしたことも今に始まったことではないからこそ、1986年に「生まれて初めて」日本を離れ、外国の土を踏んだその頃から、自分にできることはこれ止まりだな、と自覚をしておりました。以来27年間、幸いなのは英国の研究者はじめさまざまな人たちとの出会いでした。そうした機会と手がかりあればこそ、道を開くしるべを捜し、道筋をつけていくことはできる、それが私の役割なのだと自分に言い聞かせてきました(あとは「非公式カメラマン」くらいありますが)。
 どうやらそれはこのソウルの地で、到達点を迎えたようです。
 
 当地に前日着いてから確認し、私の役目が「振られ」、大会公式プログラムにも載っているのを発見してしまいました。以来二晩で、なんとなくpptと読み上げ草稿をでっち上げました(いつものことでもありますが)。しかし、肝心の大会2日目午前、「グローバリゼーション」分科会で、最後の番に回された自分のスピーチをはじめながら、その足りない時間を確認しながら、pptの画面を確認しながら、原稿を読んでいくということがうまく運べない、それどころか原稿がよく見えない、もうそのへんに我ながらがっかりしだしました。いかんなと思いつつ、過ぎる時間に焦り、だいじなキモも受けねらいも、いくつも抜かして、蛇尾に終わってしまいました。そして、前日来辛辣にして丁寧な発言とコメントを繰り返している招待者・OECDエコノミストのS.ゼッキーニ氏が予定討論で、親切に噛んで含める言い方ながら、学問の基本的方法をきちんと問うてこられる、そうなんですよ、こんなのはアバウトすぎて学問ではありません、それを承知でやってしまったのです、そう答えたくなりました。同氏とおそらくほとんど年代が違わない、そんな私がこんなていたらくでは、あとの人たちへの見本にもならない、やっぱり引き時だよな、そう実感しておりました。言い訳すれば、ともかく私はせっかくの機会に個人的にも貢献したい、なんでもいいから申しつけてくれ、ただしネタ的には、「2010年中小企業憲章」と「日本の中小企業研究2000-2009」と、大震災復興を「概説」してひっくるめた、昨年のKASBS大会の際に語ったものしかないけれど、と韓国実行委員会に前に書き送っていたのです。それに乗って「くれちゃった」結果なのですが。「聞いてないよ」ですが、仕方ありません。

 
 幸いにして、このACSBソウル大会は、「若い世代」の可能性を発揮してくれる機会でもありました。港氏は別格として、加藤、岡室副委員長はじめ、次の世代の方々ががんばり、引っ張って下さっています。加藤副委員長の事務局職はじめ、安堵できます。ですから、ある意味無茶ぶりでもあったのですが、最後の晩餐の席で、次々に紹介や表彰やらあるなか、日本委員会からの乾杯の音頭ご指名があった際、その場のとっさの思いつきながら、これを岡室副委員長にふってしまいました。ご本人お困りになられたかも知れませんが、韓国、アジア諸国、ICSBサイドを含めて出席の方々に、頼りになる次の世代の存在をつよく印象づけることになれたかと思います。まさしく、「中小企業研究の世代交代」なのです。
 しかも、ACSB大会には北川長官、鶴田会長も来られました。国際関係のなかの信義というに加え、国際的な研究交流に対する、諸方面の協力にも道が開けてくる思いです。

 
 来年のICSBダブリン大会には、これまでの個人的決算と、アイルランドに関する継続的調査研究のまとめという意味も込めて、なんとしても行って参りたいと考えております。もっともまた、「研究発表」をエントリーするというような、蓄積も気力体力もなさそうで、「物見遊山」の延長にとどまるのかも知れません。もう開くべき道もないのですし。いずれにしても、それが「打ち止め」になりましょう。






大会組織運営と、韓国中小企業と


 個人的感傷と、大会のセレモニアルな面だけを記すのでは、せっかくのACSB中小企業研究アジア協議会の「印象記」としては不十分でしょう。



 このような大規模な国際的会議を組織するのは、費用面組織面を含めて大変なことです。ただ、今回韓国側はこのACSB第一回大会を開催することに非常に大きな意義を見いだし、もちろん学界のみならず、政界行政界実業界あげて、多大な取り組みを担っていました。もともと、KASBS韓国中小企業学会(会長イヨンジャイ崇実大学教授)とこれらとは密な関係にあり、昨年のKASBS大会に参った際にもつよく実感されたところです。日本のビンボーな学会とは対照的すぎるくらい、豊かな資金と組織力を持っています。ICSB、ACSBを直接構成するICSB-Korea韓国ICSB委員会はKASBSと事実上一体であり、現会長キムキチャン氏はKASBS前会長でもあります。そして、今回のACSB大会は、KASBS、K-biz韓国中小企業団体中央会、KOSBI韓国中小企業研究院が完全に一体的に構成し、支えているものでした。KOSBIはACSB大会プログラム中の「政策フォーラム」の主催運営兼スポンサーにもなっているようでした。公式には、今次大会はK-bizがホストで、実行委員会はACSB、KOSBI,、KASBSから構成されているとされ、そしてSBC韓国中小企業振興公社、KOTRA韓国貿易振興公社のほか、サムソン電子、ヒュンダイ、POSCO製鉄など名だたる大企業がスポンサーに名を連ねています。もちろんACSBは今回ようやく理事会を開催したところなので、あくまで名目上の構成員であり、実際には当然、これら韓国の学界・行政界などがすべて企画、設営と運営にあたったわけです。


 なお、聞いたところでは、このACSB大会の総費用はウン千万円、しかも会場は立派な全体会会場ホール(ガラディナーまでここで催された)、各分科会場、昼食時の食堂、さらには開催前夜のウェルカムパーティの催された最上階の展望レストランに至るまで、すべてK-bizビルの中、そして会場費はタダであったようです。日本サイドとしては絶句するところです。


 KASBS韓国中小企業学会は毎年春と秋に全国大会を開いているようですが、明らかに今回のACSBと重なっています。それゆえ、ここはどうやら「相乗り」にした模様で、第二日午前の分科会はもっぱら韓国の若手の研究発表という、例年のKASBS大会のスタイルにしてあり、使用言語も韓国語のみでした。これに対し第一日午後の各分科会は、日本の参加者を含めて主に国外参加者の発表の場と割り振ったようです。もちろんですから使用言語は英語です。そのため第二日は韓国内の院生ら若手の姿が目立ちましたし、大会日程終了後に、前記のように国外参加者は豪華な晩餐に招待されたのですが、若手ら地元参加者に配慮してか、会場ロビーに軽食や飲み物などが用意されました。ただ、アルコールは抜きでしたが。





 このように大がかりな大会であったものの、韓国語のセッションなどでは、もちろんオリジナルの内容はまったくわからないし、全体会などで英語の通訳がついていても、正直なかなかきちんとは把握しがたいものでした。そのほか、大会運営については残念ながら、ちょっとねというところもないことはなかったのですが、これだけの機会を初めて開催する、それはそれで大ごとであるのも自明なので、招かれた側としてはなにも申すべきことでもありません。


 しかし、それは別として、きわめて印象的であったのは、いまの韓国が「中小企業熱狂時代」を迎えているのではというところです。これは第一日の全体会で、旧知のKASBS元会長でもある郭守根カクスキュン氏(ソウル国立大)の、韓国中小企業政策の歴史と概要の講演からつよく印象づけられ、またキム中小企業団体中央会会長やキムスンチュル中小企業庁参事官(長官の代理)、キムドンスン中小企業研究院長などの説明からも裏付けられました。なにより、現職の朴槿惠(パククネ)大統領は就任にあたり、「経済民主化」を掲げ、中小企業重視の姿勢をつよく印象づけた、その流れのもとに今日の中小企業政策・小商工人政策などがあるわけです。今回のACSB大会開催とこれに対する国、諸機関の力の入れようはその一環と理解することができます。


 もちろん韓国政府は30年以上にわたり、中小企業政策重視を掲げてきました。しかし足下の現実は、誰の目にも明らかなように、現代(ヒュンダイ)、三星(サムソン)といった新旧の財閥企業のプレゼンスがあまりにも大きく、実際それらは世界の市場で覇を競うとともに、国内の実に多くの産業部門で支配的な地位を示しています。街を歩けば、ヒュンダイ、サムソンの看板があらゆるところにあふれています。これに対する中小企業の全般的な停滞、「格差」の拡大は、青年層を中心とする就職問題深刻化と相まって、国民の不安と不満を高めていることは間違いありません。ですから、2000年代に政権についた、盧武鉉(ノムヒョン)、李明博(イムンバク)両大統領も、97年通貨危機以来の経済再生・再活性化の路線(金大中キムデジュン大統領指導下)を継承しながら、格差是正や中小企業支援をことさらに強調する必要があり、特に70年代来の経済成長路線を主導し、財閥とのつよい絆が印象づけられ、記憶に残っている朴正煕(パクチョンヒ)大統領の娘であるパククネ大統領としては、ここは国民支持をつなぎ止めるキモでもあると言えるのではないでしょうか。


 直接選挙制である韓国大統領の地位には、そうした国民の関心事と要求に直に応えていかねばならない、宿命がありましょう。特に、李承晩(イスンマン)、パクチョンヒといった独裁専制的な政権に対峙し、「民主化」を実現してきた韓国国民にはなおさらそうでしょう。前大統領のイムンバク氏は、ヒュンダイグループの幹部であったという前歴がプラスマイナスに働いたうえ、2008年リーマンショック後の国政運営を担わねばならないという損な巡り合わせになってしまったわけですが、そのイ氏が大統領に当選する原動力の一つとなったのが、ソウル市長時代に実行した、市内中心を流れる清渓川の太平路から東大門あたりまでの復元事業だったそうです。どっかの国と同様に川を埋め、あるいは地下に移し、その上に道路を走らせるという従来のやり方を見直し、川の流れを地表に戻し、「水辺の風景」を街中によみがえらせるという事業は大評判となりました。今回私もあらためて現場を見ましたが、大勢の人が行き交い、イベントが行われている、そして周りの街にもさまざまな店などが出て、文字通り「賑わい」がよみがえっている、東京以上に鉄とコンクリートとガラスの高層ビルが林立するソウルの中心部に、ふしぎな光景が生まれていました。

 もっともイ大統領は調子に乗りすぎたか、同じような事業をその後3カ所でも展開、その事業費が莫大で、リーマンショック後の財政困難もあり、また評判を落としてしまったそうですが。



 今回のACSB大会でその意味面白かったのは、私と同じグローバルセッションで発表をした、今大会の事務局長も務めたキムヨンジン氏(西江大学)の「WIn-Win関係成長戦略のもとでの価値共有の創造」という発表でした。韓国有数の大企業である西部電力を事例として、サプライヤや共同開発などに関わる中小の企業と共存共栄の関係を築いていく取り組みということで、まさしく象徴的にも、いまの韓国での世論や論調、実践的な課題の方向を示すものでありましょうし、もちろん西部電力にとどまらず、サムソンなど多くの大企業がこうした方向を志向しているそうです。もっともキム氏の説明は主に、このような取り組みが組織的戦略的に進められているという範囲のもので、その成果が実際にどう出てくるのかはまだこれからの話、となっていました。そのうえ残念なことに、私は自分の「出番」のこともあってこの発表を十分にフォローできなかったうえ、あとでキム氏に、書かれたものがあったら是非読みたいと話したのですが、残念ながら韓国語でのものしか出してはいないそうです。

 ACSB大会のスポンサーにもこれらの大企業が名を連ね、当然かなりの協賛金を出しているであろうことも、「中小企業のために貢献しています」というアピールの一環なのでしょう。日本中小企業学会も、トヨタやソニーにお願いをしに行くべきでしょうかな。


 こうした大企業サイドからの「自主的な取り組み」の一方、もちろん政府は「公正取引」促進に積極的に努力をしているということも、繰り返し強調されていました。また、ノムヒョン政権以来の小商工人(つまりマイクロ企業)支援政策、在来市場(日本の商店街と商業ビル内店舗などを総称した概念)支援政策もさらに具体化推進されていると、これまたこもごも語られていました。ただ、在来市場支援政策のうちには、GISを用いて、新規開店などをめざす小商業者のために、一定範囲地域内での既存類似店がどのくらいあるかのデータを提供するという「施策」もあるそうで、正直、そんなデータを読むことより、開店しようとする事業者は候補地域を自分で歩き、この目で確認した方がはるかに有意義だろうと思ったものですが。



 このような中小企業の実態や政策にかかわる情報を、インターネット時代のおかげで、20年前とは異なり、現地調査や国際会議などの場に行かなくても、いろいろ居ながらにして入手閲覧できるのは、便利なような、しかしまたありがたみが減ったような観もあります。ただ、行ってみなければ、直接話を聞き、その場にいなければわからないのは、こうした論調全体やその背景、文字通りの「雰囲気」そのものでしょう。公式の演説や発表以外でも、雑談などのうちからも、雰囲気は見えてくるのです。


 今回のACSB大会では韓国側の配慮で、正式日程前に企業見学会が2日間にわたって用意され、日本からの出席者のうちでこれに参加した人たちは、非常に有意義であったと語られていました。残念なことに私は参加できませんでした。

 23年前、初めて韓国に行ったISBC大会の際にもやはり、企業訪問がいろいろ用意され、確かに、非常に面白かったと記憶されています。もっともそのうちには、たとえば訪問ツアー出発の際に大会関係者やバス運行業者らのあいだでなにか口論となり、どんどん時間が無駄に過ぎたとか、訪問先の某自動車メーカーで詳しい説明をしてくれた同社研究所長というひとが、最後に、「自分も半年前に当社に移った人間なので、よくわからないんだが」と口走ったとかがもっぱら記憶されていますが。



 経済の状況や政策課題、中小企業の置かれた現状と問題点など、日本と韓国は似たところが多々あると、今回もあらためて感じます。しかし、日本のように「大企業が伸びれば経済はよくなる、すべて問題は解決する」とか、「大企業が世界一仕事しやすいようにするのが最優先政策課題」などと、政府・政治家や「エコノミスト」、マスコミなどがあげて叫んでいるというのとでは、明らかに相当に違う政治・政策論の状況です。

 ですから、別に皮肉でも「自虐」でも何でもなく、私は自分の話のついでに、今次ACSB大会を支えてくれた一つであるKOSBI韓国中小企業研究院の日本側カウンターパートであるはずの、JSBRI財団法人中小企業総合研究機構は先月でなくなりましたと、伝えざるを得ませんでした。これは紛れもない事実なのですから。