一言

(静岡県磐田郡豊田町)

 

では、一言。

 

一言バス停 ここは一言

一言です。

 

 

一言坂の戦跡

ここは古戦場跡。西暦1572年(戦国時代)、甲斐の武田信玄が大軍を伴い遠州に侵攻

この地を治めていた徳川家康軍が現在の磐田市・袋井市境付近で迎え撃つものの全くかなわず

浜松城に向けて退却。しかしこの一言坂で武田軍に追いつかれ戦いとなる。

徳川軍が坂の下側という不利な状況ながら徳川家家臣・本多平八郎忠勝の必死の防戦により、

徳川軍は脱出に成功。以降、本多忠勝は「家康には過ぎたる家臣」と武田方にも絶賛されている。

(史実ではないとの説もあり)

 

旧道

一言坂古戦場跡に続く旧道(推定)。徳川家康はこのあたりを通り浜松城に脱出した。

その後「三方ヶ原の戦い」で武田軍に大敗北。かろうじて浜松城に逃げ帰る。

各所に家康逃亡伝説(この洞に隠れたとか、ここで農民のふりをしたとか)が残る。

 

一言坂の戦いの武田軍は本隊ではなく、徳川軍も全軍ではないので戦闘規模は三方ヶ原の戦いのときよりは小さいようです。

 

・・・地名の由来など・・・

「一言坂の戦い」の記録があることから、少なくとも戦国時代には存在していた地名。

「井通村村誌」(大正年間刊行)では、このあたりはかつて寺が多く

その寺院跡の字に由来すると推定している。詳細は不明。

 

別の資料によると、一言坂の合戦のとき敗色濃厚だった徳川家康が、当地にある

一生に一度、一言だけ願いを聞き届ける観音様(一言観音)に戦勝を願ったところ、

急に戦況が有利になったとの伝承があるという。地名はこの一言観音に由来するのだろう。

 

一言観音

その一言観音です。お願いする場合はよく考え一言で表現してくだい。

 

江戸時代からの旧一言村村域は現在は磐田市と豊田町に分割されている。

磐田警察署敷地の南半分のみが磐田市一言という地名。

分割された境界線はなぜか複雑に入り組んでおり、一部の豊田町域は小中学生が

磐田市の学校に通うことになっている。

 

追記

2005年4月1日、磐田市と磐田郡4町村は合併により新・磐田市となりました。

従来の磐田市一言と豊田町一言は、磐田市一言に再統合となりました。

 

 

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