銭取

(静岡県浜松市)

 

浜松市内に小豆餅という場所があります。1976年に新設した地名だが由来は戦国時代。

そして、そこから少し浜松市街地よりに関連する地名が・・・。

 

小豆餅バス停 小豆餅一丁目

小豆餅にやってきました。一丁目から四丁目まであります。

ここは、浜松を本拠としていた徳川家康が、三方原の戦い武田信玄に敗れ

浜松城に逃げ帰る途中、ここにあった店で小豆餅を食べたという伝説のある場所。

しかし、武田軍が追ってきたため金も払わずあわてて浜松城方向へ逃げたという。

 

銭取バス停

食い逃げされた店の婆さんが急いで家康を追いかけ、銭を取ったとされる場所がここ。

銭取という地名になった。旧小字名で、現在は通称地名。バス停にその名前が残る。

 

位置関係をおおまかに示すと、徳川家康敗走経路は

三方原古戦場開戦推定地−(5km)→小豆餅−(2km)→銭取−(3km)→浜松城

で、小豆餅屋さんの婆さんは2kmも、馬に乗って敗走する家康を追いかけていったそうな。

徳川軍を追撃する甲州武田騎馬軍団のその先頭には、小豆餅屋の婆さん。

家康は武田軍からは逃げ切ったが、婆さんからは逃げられなかったのである。

 

銭取まんじゅう跡 名物銭取小豆餅

大正4年〜昭和35年の間、地名にちなむ"銭取まんじゅう"を売る店があった。(左写真)

この碑はその店の跡地を示している。この店と直接の関係はないと思うが、

浜松銘菓「小豆餅」「銭取」を売る店が現在、小豆餅付近にある。(右写真)

徳川家康を追い詰める婆さんの絵は、身分の上下お構いなしの気概。

この店の住所は小豆餅ではなく隣接地の葵東になるが、明治時代の地図に

小豆餅と書かれた地点にだいたい一致すると思う。(目測)

葵という地名も、もちろん徳川家康関連。

 

銭取駅跡 小豆餅駅跡

付近にはかつて軽便鉄道(遠州鉄道奥山線)があり、銭取駅があった。

有人駅だったならば、この駅でも乗客から銭を取ったはず。

前述の小豆餅には小豆餅駅があった。銭取駅からは2つ北になる。

奥山線は1964年(昭和39年)に廃止された。小豆餅が公式地名になる12年前。

かつて駅名として親しまれた実績があったから、地名に採用されたのだろう。

この地名は奥山線小豆餅駅の名残でもある。

現在このあたりの線路跡は生活道路になっている。

 

浜松周辺にはこのほかにも、三方原での徳川家康大敗関連の伝説が多くあります。

敗走した家康がここに隠れたとか、匿ってもらったとか、農民に紛れたとかいう類。

どう考えてもそこまでは逃げないだろう(位置関係が変)な話も多い。

この、小豆餅−銭取の話を含めおそらく大半は作り話かと思います。

ただし、この地で武田軍に大敗して命からがら浜松城に逃げ帰ったのは事実であり

小豆餅伝説の話などが地元で長く伝わっていることも事実。

 

地元に縁ある江戸幕府初代将軍にまつわるカッコ悪い話が伝わっている不思議な土地柄。

通常、天下を取った人間は過去の悪いイメージの伝説を消してしまうものですが

家康の場合、この敗戦を自らへの教訓としたため伝説も消えずに残ったと思われます。

 

大げさな家康敗走伝説が多いもうひとつの理由として、徳川家康の浜松在城時代は戦いにあけくれ

領民の年貢や軍役などの負担が多い上、領民のための政策をとる余裕が無く

当地域では旧領主の徳川家康を良く思わない人もいたということもあるでしょう。

ここが、同じく家康ゆかりの駿府(現在の静岡市)と違うところです。

身分上下関係にあまりとらわれない浜松(遠州)人の気質は、ここに始まるとの考えもあります。

 

もちろん、浜松の基礎の基礎を作ったのは徳川家康であり、

その人生訓とともに尊敬に値し、研究対象とすべき人物であることは言うまでもありません。

浜松には他にも「葵」「布橋」などの家康関連地名があり、親しみと敬意をも持っている証拠となっています。

 

・・・地名の由来など・・・

本文参照。現在の小豆餅など三方原台地一帯は戦前まで人口希薄地帯であり、

江戸時代の地図を見ると、ぽっかりと空間が空いたように村名記載がない。

昭和初期には陸軍飛行連隊の爆撃演習場や通信部隊用地などになっていた。

浜松市になる前は浜名郡曳馬町字一本杉の一部。浜松市に合併後は萩町と葵町になる。

区画整理が進んだ1976年(昭和51年)にその一部が小豆餅一〜四丁目となる。

 

地元ではわりと知られた本文記載の小豆餅〜銭取伝説だが、これと異る伝説もある。

(その1)徳川家康が関東に移動した後の浜松城城主であった堀尾忠氏の弟、

高階晴久が三方原古戦場跡で霊に出会い、その霊に小豆餅を差し出された。

(その2)三方原合戦の後、戦死者を弔うため古戦場跡に小豆餅を供えた。

銭取に関しては、かつては辺鄙な所で追い剥ぎが出没したから、という説もある。

 

昭和初期に小豆餅から戦国時代の刀の鍔が出土しており、

ここが三方原合戦地の一部である可能性もある。

 

追記

銭取と小豆餅は軽便鉄道時代とは異なり、並行する別路線のバス停になっている。

小豆餅が公式地名となる際に、旧来の通称地名小豆餅からやや北東の場所まで

小豆餅という地名としたからだろう。(新旧地図対比による私の推測)

明治時代の小豆餅〜銭取で計測すると1.5kmくらいか。

 

←前へ  次へ→

地名!?に戻る

トップページに戻る