40.広場になった小学校
〜浜岡北小学校のルーツを訪ねる〜
(静岡県小笠郡浜岡町)
浜岡町内には3つの町立小学校がある。いずれも創立30年くらいと比較的新しい。
6町村合併による浜岡町発足22年後、明治以来この地にあった旧村立小学校を統合したためだという。
統合以前の小学校は現在どうなっているのか、浜岡北小に統合された2校の跡地を訪ねてみた。
実際に訪ねてみると田舎ではあるが過疎地ではなく、開けた明るい廃校といった印象を持った。
ここは旧朝比奈小学校跡地。旧朝比奈村が設立。旧朝比奈村のほぼ中央に位置する。
現在は「朝比奈中央広場」になっている。地域スポーツやイベントに使われているようだ。
二宮金次郎像は1937年建立。その右に校歌の碑。廃校は1977年。
現役時から建っていたと思われる建物「老人憩いの家」がある。
瓦には「学」の文字が刻まれている。
変わってこちらは旧新野小学校跡地。旧新野村が設立。
大正時代以来の校門が残る。校門には少なくとも2回書き換えた跡がある。
おそらく「新野尋常小学校」→「新野村立新野小学校」→「新野小学校」としたのでは?
厳密にいえば現存しない校名掲示は間違いだが、あえて残したことに地元の想いを感ずる。
学校跡は現在「柏木広場」となっている。ここも地域スポーツなどに利用されているのだろう。
左写真右側奥に写っている新野幼稚園のグランドでもある。幼稚園のグラウンドとしてはかなり広い。
左写真左側の山は記録に残っていない謎の城跡(通称・天ヶ谷の城平)。
在地領主の城と推定されているが、武田氏が改修したらしい部分もあるという。
その直下のここに何らかの城関連施設(館など)があったのなら学校跡兼城跡。
城跡側の急斜面に何かの古い保管庫跡。入口が固められている。
1977年に旧朝比奈・新野小学校を統合して創立したのが現在の浜岡北小学校。
朝比奈・新野両地区の間にある、尾根を越える道の峠付近にある。
合併によって誕生した浜岡町としては、両地区の融和を重視した位置なのでしょう。
地区間にあるので周囲に人家はない。眺望がよく、茶畑とともに明るい日差しに包まれている。
写真左方向が新野地区、右方向が朝比奈地区。
おそらく朝比奈・新野小学校卒業生の多くは消えた母校を懐かしみ学校跡を訪れたでしょう。
もしかすると廃校にならなかったら、逆に訪ねにくかったかもしれません。
地区中央部の便利な位置にあるから、学校跡は今後も地域のための場所であり続けるはずです。
参考文献:「わたしたちの浜岡町」(浜岡町教育委員会)
追記:小笠郡浜岡町は2004年に隣の榛原郡御前崎町と合併して御前崎市になりました。
旧浜岡町の方が規模は大きいのですが、地名の歴史と知名度の観点で「御前崎」としたのは順当だと思います。