2.遺跡の上に遺跡あり

〜兜塚古墳と陸軍部隊跡〜

(静岡県磐田市)

「あの街この街・・・」で紹介した磐田市にちょっと気になる遺跡がある。

複合遺跡というべきか?

 

磐田市西部、磐田原台地の西端にかぶと塚公園がある。

公園内に磐田市総合体育館やテニスコートなどもあり、休日は市民憩いの場となっている。

中央には公園の名前の由来となった「兜塚古墳」。円墳としては東海地方一の大きさとのこと。

兜塚古墳

今から約1550年前に造られたというこの古墳の学術的価値はよく知らないのだが、

気になるのはその頂上にあるコンクリートの基礎らしきもの。

 

兜塚古墳頂上

ちょっとわかりにくいかな。コの字型の基礎が見えますか。

古墳が作られた時代には、当然コンクリートはないですね・・・。

 

調べた結果、これは太平洋戦争中の対空陣地の跡(銃座の基礎)とのこと。

この地にかつて陸軍の基地があり、それを防衛するためのものだったらしい。

つまり、遺跡を利用した遺跡なのである。

基地整備中に古墳の形状が改変され、その際に鏡などが出土している。

 

部隊跡の碑

この地より、若者が戦地に赴き、その多くは再び生きて日本に帰ることはなかったという。

空襲情報を分析伝達する基地でもあったが、戦時中は資材食糧不足のためあまり活動できず、

隊員は敷地内で畑を耕し、「じゃがいも部隊」と呼ばれることもあったという。

 

じゃがいもの縁なのか、戦後この陸軍基地跡は、静岡大学農学部となり、

農学部の静岡大谷キャンパスへの移転後は農林短期大学およびかぶと塚公園となっている。

なお、「兜塚」の名は戦国時代の一言坂の戦いにて、本多忠勝が兜をかけたとの伝承による。

一言坂古戦場至近の小高い丘であり、この戦いで要衝(陣地・物見台)となったのかもしれない。

兜の形に似ているから、という説もある。

この古墳は当地(旧・一言村)で最高所となることから、一言山と呼ぶこともあるという。

 

古墳を後世に別の目的に利用する例はいくつかあります。

大阪冬の陣で徳川家康が陣地として利用した茶臼山は、実は古墳です。

大阪平野では、貴重な「山」なので、このとき以外にも何度か陣地として使われた。

豊臣秀吉の水攻めで有名な備中高松城(岡山市)も、元は古墳ではないかという説があります。

型破り大名の松永久秀に至っては、天皇陵を利用して築城したということです。(多聞山城・・奈良市)

生きるか死ぬかの戦国時代には、遺跡の保存という発想はないでしょうね。

 

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