34.新しい遺跡になってしまうのか

〜老舗デパート、あっけない最期〜

(静岡県浜松市)

 

この世は栄枯盛衰、企業活動も永遠ではありません。

名門大企業も倒産する昨今、それはわかっているけれど。

 

2001年、それは激動の一年であった。東京から、そして世界から大企業の倒産のニュースが入る。

身近なところでは店舗の閉店、そして跡地に新たな出店、と思ったらまた閉店とめまぐるしい。

 

松菱・・・ではなく松菱跡

そんな2001年11月、浜松に衝撃のニュースが流れた。老舗百貨店「松菱」が自己破産。

即日廃業、店舗閉鎖、従業員全員解雇。

全国的にはほとんど無名のこの百貨店だが、静岡県内最大の売場面積を持ち、

長く浜松の商業をリードしてきた。70年代までは浜松唯一の百貨店。

近年は不振が伝えられてはいたが、閉店セールも蛍の光もない、あっけない最期であった。

従業員は前日夜まで翌日からの年末セールの準備に追われていた。

 

上写真左側の旧館は1937年(昭和12年)開業。

戦時中3F6Fは臨時航空機部品工場となった。(3F=中島飛行機、6F=福島航空)

迷彩塗装も施されたという。浜松中心街を焼き尽くした大空襲と艦砲射撃後も

一部破壊(艦砲2発命中)されながらもその姿をとどめた。昭和の浜松の象徴的存在であった。

浜松の郷土史関連の資料を見ると、「1945年:太平洋戦争終戦」の項には

一面の焼け野原の中に立つ松菱の写真が添えられるのが定番となっている。

戦争を体験した世代の、松菱に対する思い入れの深さが理解できる。

頑丈な造りで、「地震の時は旧館に逃げ込め」と従業員に伝わっていたという。

 

 

浜松地域の商業は郊外化している。今までも、中心部ではいくつもの店が撤退している。

ニチイ、長崎屋、丸井、西武、・・・。しかし、この松菱の破産は市民に与えた衝撃が違うようだ。

浜松では山一証券や拓銀、長銀の破綻よりも衝撃度が高い。自己破産を示す掲示を見ていく人が多い。

「あの松菱が倒産か、・・・そういえば最近は行っていないな。」そんな声が聞こえてくる。

 

だが、撤退ばかりではない。丸井跡にはコンプマート、西武跡にはザザシティ浜松西館ができた。

県内最大の売上げを誇る遠鉄百貨店と駅ビル「メイワン」は1988年の開業。

 

使われたことがない連絡通路

破産した松菱(右)とその隣に開店したザザシティ浜松中央館(左)との間には空中連絡通路ができている。

しかし松菱破産は11月14日、ザザシティ浜松中央館開店は11月22日。連絡通路は一度も使われていない。

 

とにかく、松菱の建物は今も建っている。これはいったいどうなるのか。

西隣のザザシティの名称が「中央館」「西館」となっているだけに

ここは「ザザシティ東館」となるのか?

 

1992年に増築された新館部分は、おそらく何らかの形で再利用されると思うが、

戦前から続く旧館部分の行方も注目されるところである。

浜松市中心部には戦前からの建物が、ここともう2〜3しかない(らしい)。

静岡銀行浜松支店(=旧遠州銀行本店)と、旧浜松銀行協会が該当。

 

なお「松菱」の名前と紋は、ローカル食品スーパーチェーンの松菱マートと、

かつて暖簾分けした津松菱(三重県津市)に残っている。

 

この松菱跡、どうなるのでしょうか。新たな商業施設が開店したとき、いつまでも「松菱の跡のアレ」としか呼ばれない

などという後ろ向きなことのないよう、出店者のさらなる企業努力が必要でしょう。

とにかく浜松は変化の激しい街です。最後まで変わらなかったところもついに変わった。という見方もできます。

私の個人的な松菱の思い出としては、旧館エレベータは完全停止しないうちに扉が開くのでちょっと恐かった。

あのエレベータにも、たぶんもう乗れない。

 

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