11.航空機産業、その技術は死なず

〜旧中島飛行機の技術は今・・〜

(群馬県太田市、大泉町)

 

太平洋戦争の敗戦とともに、日本の航空機産業はGHQによる制限で大きく縮小されました。

しかし、その技術は今も生きています。

 

群馬県太田市一帯に、かつて日本の航空機産業の一大拠点、中島飛行機の本拠地があった。

中島飛行機は戦前の日本を代表する軍用機メーカー。(下の資料1参照)

一時は太田をはじめ全国各地に巨大工場があり、最盛期には従業員が25万人(!)もいたというが

戦時中の空襲と地震(東海地区)で被害を受け、その後敗戦とともに企業解体。(最下段の資料2参照)

その後、解体された企業群が再結集したのが現在の富士重工(スバル)グループである。

富士重工群馬製作所 スバル公園

富士重工の本社は東京にあるが、自動車開発生産本拠の群馬製作所は旧中島飛行機の跡地にある(左写真)。

一部はスバル公園となり市民に開放(右写真)。公園駐車場ではやはりスバル車を多く見かけたが他社の車もある。

 

独創的な水平対向エンジンや駆動メカニズムなど技術指向のスバル。航空機の開発からスタートした会社ならでは。

航空宇宙部門も健在。ボーイング社の旅客機の一部分やヘリコプター・練習機などを生産している。

 

また、旧中島飛行機技術陣の一部は同じく飛行機メーカーだった旧立川飛行機技術陣と合流。

(細かい経緯は省略)プリンス自動車を設立しスカイラインや数々のレーシングカーを開発。

プリンス自動車はその後日産自動車に吸収合併されるがその技術指向は今も日産車に生きている。

日産の看板車種のスカイライン(稜線)の「スカイ」には航空機会社の末裔の思いが込められているのかも?

 

ところで先日、日産自動車はリストラのため航空宇宙事業部門を売却すると発表した。

日産自動車は日本で2社しかないロケットエンジン固体燃料システムの事業者だった。

自動車会社でロケットエンジンとはこれいかにと思うが、

これは太平洋戦争末期、中島飛行機で日本初のジェット飛行機「橘花」を開発した技術が

中島飛行機荻窪製作所→富士精密工業→プリンス自動車→日産自動車と流れたものだそうだ。

橘花は液体燃料だと思うが・・・?

橘花は終戦直前に、千葉県木更津で試験飛行を行った。

厳しい状況の中、短期間で初飛行までこぎつけたのはさすが。

中島(日産)荻窪事業所跡地に、「日本のロケット発祥之地」の碑があるらしい。

 

旧中島飛行機の技術者・技能者の多くが戦後設立のホンダや関東自動車(トヨタ系)などにも移ったという。

 

戦時中、全国各地にあった軍需工場。戦後、これらの工場の技術が民需にすばやく転換できたからこそ

戦後復興が可能になったとも言えるでしょう。情勢に対応するのがうまいのは日本人の特徴かも。

 

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付録資料1:中島飛行機の生産した名機たち

 

真珠湾攻撃、ミッドウェイ海戦などを戦った海軍「九七艦攻」(九七式艦上攻撃機)

九七艦攻の後継機で世界屈指の名機ながら熟練パイロット不足に泣いた艦攻「天山

5751機も生産された陸軍の主力戦闘機「

戦争末期に日本本土でB-29を迎え撃った陸軍二式戦「鐘馗」(しょうき)

旧日本軍の十数種類に及ぶ戦闘機中、ベストと評価される陸軍四式戦「疾風」(はやて)

数々の新技術を導入し超高速を実現、「我に追いつくグラマンなし」の電文を発した艦上偵察機「彩雲

中島飛行機の本拠、太田の呑龍さま(大光院新田寺)にちなんだ重爆撃機「呑龍」(どんりゅう)などを生産。

そして、有名な零式艦上戦闘機(零戦)は機体開発は三菱だがエンジンは中島飛行機の「」。

そして機体の生産も請け負うことになり、零戦の過半数は中島飛行機で生産された。

 

付録資料2:全国の中島飛行機工場跡地の変遷(の、一部)

 

太田製作所(群馬県太田市)→富士重工群馬製作所本工場(本文参照)

飛行場(群馬県大泉町、太田市)→富士重工群馬製作所大泉工場、太田大泉工業団地など(本文参照)

小泉製作所(群馬県大泉町)→米軍修理工場・病院→東京三洋電機→三洋電機東京製作所

尾島製作所?(群馬県尾島町)→三菱電機群馬製作所?

伊勢崎製作所(群馬県伊勢崎市)→富士重工伊勢崎製作所
※戦後ここでスクーターや「スバル360」を生産。NHK「プロジェクトX」に登場。
初期のスクーターのタイヤは飛行機の尾輪を利用したという。

宇都宮製作所(栃木県宇都宮市)→富士重工宇都宮製作所(航空部門など)

宇都宮飛行場?(栃木県宇都宮市)→陸上自衛隊北宇都宮駐屯地

栃木工場(栃木県栃木市)→栃木富士産業(自動車・航空部品)

大宮製作所(埼玉県さいたま市)→富士重工大宮事業所
→ステラタウン(埼玉県最大級のSC)、さいたま市北区役所など

前橋第一工場(群馬県前橋市)→?→ダイハツ車体本社工場→アピタなど(予定)

前橋第二工場(群馬県前橋市)→富士機械本社工場

武蔵製作所(東京都武蔵野市)→武蔵野競技場(野球場)、進駐軍宿舎→    
          武蔵野中央公園、武蔵野住宅、NTT開発センター、武蔵野北高校、富士重工社宅
(※エンジン製造工場で、戦時中は米軍の最重要爆撃対象だった)

荻窪製作所(東京都杉並区)→富士精密工業→プリンス自動車→
日産自動車荻窪事業所(宇宙航空事業部)→住宅、公園など(予定)

三鷹研究所(東京都三鷹市)→国際基督教大学、富士重工東京事業所

中島航空金属(東京都田無市)→住友重機田無製造所(航空機用部品などを製造)

沼津製作所?(静岡県沼津市)→富士ロビン本社工場?

浜松製作所(静岡県浜松市)→東棉紡績浜松工場(後にサティ浜松宮竹店→浜松プラザウエスト、
浜松プラザイースト<イトーヨーカドー浜松宮竹店など>、ヤマハ宮竹工場→住宅団地、マンション、他)

食肉卸売市場、染色など各種工場、店舗、自動車学校、他
(もしかすると一部は別の軍需工場跡地かも?)
浜松プラザなど一帯を長方形に取り囲む堀のような川は中島飛行機工場建設時に開削。
現在の自動車学校付近が発動機試験所で、大きなエンジン音が響いていたという。

中島航空金属浜松工場(静岡県浜松市)→富士産業浜松製作所→(中略)→
リズム(プリンス自動車系→日産自動車系→外資系)→スーパー銭湯、食品スーパー


戦時中、航空機部品を作っていた中島航空金属浜松工場跡地。
右側のスーパー銭湯は中島浜松製作所の後身のリズム(自動車部品メーカー)が経営している。
中島となる前は遠州板紙(株)で、当時からのレンガ建物がこの写真手前付近に1996年頃まであった。
追記:スーパー銭湯は2006年解体→マンション

 

工場名不詳(静岡県浜松市、松菱百貨店3Fを臨時借受)→松菱へ返却→閉店(2001)

原谷地下工場(静岡県掛川市)→未完成のまま一部現存

新居製作所(静岡県新居町)<旧浜名紡績>→新日本紡績→カネボウ繊維浜松工場→閉鎖

鷲津分工場(静岡県湖西市)→富士機工?FDK(富士電気化学)?

半田製作所(愛知県半田市)→輸送機工業→豊田自動織機(予定)、名古屋スバル半田営業所

半田製作所付属飛行場(同)→富士重工半田工場(航空機工場)、など

黒沢尻製作所(岩手県北上市)→岩手富士産業?

八戸製作所→?

田沼製作所→?

四日市製作所→住宅地?

※あちこちの郷土資料等より抜粋。新旧地図の対比による私の推測を含みます

事業所名は一部推定。他にも未完成や臨時疎開を含めいくつか工場があったようです

戦後に工場として再出発したところが多いですが、近年になり他用途転用しているところも増えました。