30.城跡に廃線

〜小田駅跡は小田城跡〜

(茨城県つくば市)

 

全国各地に城跡と廃線跡があります。

で、こんな場所はいかがでしょうか。

 

小田駅舎跡 小田駅線路・ホーム跡

ここは、かつての筑波鉄道小田駅跡。駅舎があった場所は更地になっている。(左写真)

相対式のホームが残っている。すれ違いができる構造のようだ。(右写真)

その右側には貨物ホームらしき跡もある。

訪れたときは丁度線路跡を自転車専用道にするための工事の真っ最中だった。

 

小田駅跡から小田城址一曲輪跡へ

この小田駅跡は、鎌倉〜安土桃山時代の小田城二、三曲輪跡にある。

駅跡南東(土浦方面)の線路跡は一曲輪(本丸・写真奥のやや高い部分)跡を真っ二つに貫く。

 

案内看板にあった航空写真

本丸跡には旧・筑波町(現・つくば市)が設置した案内板がある。

掲示の航空写真から、線路が正方形の本丸跡を斜めに貫いていた様子がわかる。

最盛期(戦国〜安土桃山時代)にはこの写真範囲の大部分が小田城内だった。

当地の主要拠点だったこの城は何度も争奪戦があり、落城したこともある。

 

一曲輪土塁跡と堀跡と線路跡

本丸隅の高台に登ってみる。右が本丸土塁、左の低地が掘跡。

そしてその奥、線路跡が左右に伸びる。駅跡は右後方。

平地の城であり、掘や土塁で強化されているものの難攻不落といった感じはしない。

ただし、現在直接目にすることのできる城の痕跡はごく一部。

この風景から、城があった頃の様子を想像してみる。

そして、城が少しずつ自然に帰っていく様子と列車が走っている様子をしばし想像した。

 

線路跡と二曲輪跡と筑波山

本丸跡から駅跡方面を見る。未舗装の道路は線路跡。

町ができ、城ができ、戦いがあり、落城があった。

そして城は消え、時が流れ、線路が引かれ、列車が走る。

その列車は消え、線路も消えた。やがてここも自転車専用道路として整備される。

しかし、当地のシンボル筑波山は変わらぬ山容を見せてくれる。

 

ホーム跡に看板の残骸

再び駅跡に戻ってみる。ホーム跡には字の消えた駅名標らしきものと

名所案内板らしきものが残る。名所案内には「小田城跡」と書かれていたのだろうか。

今となっては「城跡」とともに「駅跡」も名所かもしれないが、駅跡を示す看板は付近にない。

 

静かなブームの城址巡りと廃線巡り。そのふたつを兼任されている方には特にお得な場所。

すぐそばにある日本最大級の計画都市・筑波研究学園都市とは全く違った雰囲気です。

 

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