36.新城という名の古城がふたつ
〜新城城跡と新城古城跡〜
(愛知県新城市)
新しい城だから「新城」、「新城」だけど古いから「新城古城」?
愛知県東部、奥三河地方玄関口に位置する新城(しんしろ)市には新城城(しんしろじょう)があった。
市名の由来にもなった城跡を訪ねてみた。
新城城の主要部分は現在は新城小学校になっている。確かに、お城のような雰囲気。
この城は長篠の戦いで長篠城を守りきった奥平信昌(徳川家康娘婿)が築城、
後に水野氏などが城主となり、1645年以降は地元出身の菅沼氏代々の陣屋(7000石)。明治2年廃城。
城の建物はもちろん、土木遺構も小学校建設のためほとんど残っていないが
わずかに小学校の倉庫裏に土塁の一部が残っている。(上左写真)
土塁跡の上には石碑が建つ。かなり古く字を読み取るのが困難だが設置者は「愛知懸」。
この向こう側(城外)は深い谷で天然の要害、左側にも少し切れ込んでいる部分はおそらく空掘跡。
土塁跡から本丸跡(新城小学校運動場)を望む。その向こう側が武家屋敷跡(小学校校舎)。
さて、新城城跡の西300m程のところに、「新城(しんじょう)」と呼ばれた別の城跡がある。
近所の同名の城より時代が古く、区別するために現在は「新城古城」と呼ぶらしい。
この城は後世に子孫が新城城(新しい方)の城主となる菅沼氏の城だったが
1562年に今川勢に攻められ落城(石田合戦)、そのまま放棄された。
新城古城跡付近は宅地と畑で、それらしきものはわからなかった。
かなり古い車が放棄されていた。かなり古いと言っても当然ながら城跡よりかなり新しい。
なぜ、新城市内に「新城」がふたつ近接してあるのか?
古い方の「新城」は菅沼氏が当時の本拠の大谷城に加えて新たに城を造ったからという。
新しい方の「新城」は長篠の戦いで有名な長篠城に代えて新しい城を造ったからとか。
ということは偶然同じような理由で、近所に同じ名の城ができたことになる。
ただ、新しい方の「新城」(しんしろ)は「新城城」(しんしろじょう)となっているから、
「新城」という地名が既にあって、その地名から「新城城」と名付けたとも考えられそうだ。
地名の方の「新城」は古い方の「新城」(しんじょう)から来ている可能性もあるのでは??
ただし、新城市のサイトでは「新城」(しんじょう)と区別するため「新城城」(しんしろじょう)となった、とある。
ふたつの新城のお話ですが、現代に暮らす我々にはふたつとも古城ということですかね。
ところでこの城跡、近くに図書館があるので実地調査しながら文献調査するのに都合がよい。
参考文献
新城歴史ばなし(新城市歴史研究会)
東海の城(小学館)、他