20.これぞ戦国の城
〜復元・東条城〜
(愛知県吉良町)
城と言えば「天守閣」「戦い」と連想される。しかし、戦いのあったのは主に戦国時代の城。
その時代には天守(天守閣)は一般的ではなかった。今回紹介する東条城も天守のない城である。
西三河の城下町・西尾から競艇と温泉の街・蒲郡に抜ける県道を走ると、
吉良町内の小高い丘になにやら柵に囲まれた矢倉のようなものが見えてくる。
これが、戦国時代の城址・東条城址だ。
江戸時代の城址は各地で町のシンボルとして整備されているが戦国時代の城の復元は珍しい。
推定復元された本丸の城門。城の守備の要でいろいろ工夫してあるが、
ここまで攻め込まれたらその時点でほぼ勝負あり。
本丸跡に菜の花。ここにはどんな建物が建っていたのだろう?
物見櫓が建ててあるが位置と形は推定復元。推定であることを説明板で明記してあるのが気に入った。
物見櫓から眼下眺めると、戦国武将気分?
いまは静かに時が過ぎるこの場所は、かつての戦いの場。
若き日の徳川家康が、今川氏から独立して早々の戦いがこの城の攻防戦。
この城を攻め落とした家康は、まもなく三河全域を制圧。その後の大躍進の基礎となった。
なお、この城は鎌倉時代から代々吉良(東条)氏の本拠地であった。
吉良氏は源氏の名門足利氏の分家に当たる。家康の東条城攻めで吉良家直系は滅ぶが、
のちに家康が分家の吉良義定を旗本に取りたて、吉良家を再興する。吉良上野介義央はその子孫。
この城は戦国時代の城で、1590年に廃城になったため天守はなかった。戦国の城の構造がよくわかる城址ですね。