浜松市区名投票希望

〜地名の歴史は未来へ続く(2)〜

【まずは親ページから見てください(一部重複)】

2005年7月1日、12市町村合併(形式は編入合併)で新・浜松市が誕生しました。

当市は2007年の政令指定都市化を目指しており、その行政区の区名を審議中です。

2005年11月30日の審議会にて、各区区名候補はそれぞれ5つに絞りこまれした。

2006年1月に市民による区名投票が行われ、この結果を参考に決定されるとのことです。

審議選考方法や候補区名に関して申し上げたきことも多数ありますが、ともかく

現時点では現候補内で、後世に伝えるべき名になるべく近いものを選ぶしかありません。

公式地名は長く続き記録されるもの。過去から未来への長い流れを意識しながら考えてみます。

 

2006年5月以降更新を休止しています

 


A区(浜松市中央・北・東・駅南・江西・江東・県居・西・佐鳴台・富塚・城北・曳馬・萩丘・花川地区)

引馬(曳馬)城址 曳馬坂、写真左(南)に浜松県庁跡、右(北)に浜松城跡

引馬城跡。江戸時代から漢字が引馬→曳馬と替わった。旧引馬宿はこの東側一帯。(左写真:元城町)

旧姫街道曳馬坂の名は現代に続いている。南側は明治時代の浜松県庁跡。(右写真:高町・紺屋町)

 

審議会選定5候補・・・「中央区」「中区」「浜中区」「浜松区」「曳馬区」

うち、私の希望候補「曳馬区」

 

この中で地名と呼べるのは、「浜松」と浜松の旧称・別称に由来する「曳馬」しかない。

A区は昭和の大合併以前から浜松市だった地域が多く、「浜松区」でも悪くははないが、

市名と区名が同じでは、県名と市名が同じでややこしい「静岡」などの二の舞のようなものではないか。

古代中世の「浜松荘」内に「引馬宿」があった歴史を考えると、「浜松市」の中に「曳馬区」があるのは自然。

「曳馬」が現曳馬地区だけでなく、本来はA区域の多くを含む地名である件などは親ページ参照。

A区内多数の小・中・高の校歌などにも「曳馬」は登場し、出身者ならばさらに親近感があるだろう。

さらに「曳馬」は浜松にしかない点で秀逸。

 

「中央区」は東京特別区の他、札幌市・千葉市・さいたま市・大阪市・神戸市・福岡市にもある。

「中区」は横浜市・名古屋市・広島市・堺市(予定)と「中央区」よりは少なく、訓読みなので若干マシか。

中区中央区は今後の政令市増加に伴い、増殖していくのだろう。

福岡市博多区・神戸市須磨区・京都市伏見区・名古屋市熱田区・横浜市戸塚区・仙台市太白区などのように、

区名だけでも特定でき、存在を示すことができる名が長い目で見て良いと思います。


B区(浜松市可美・新津・白脇・五島・河輪・芳川・飯田地区)

 

審議会選定5候補・・・「遠州区」「遠州灘区」「遠州浜区」「灘区」「南区」

うち、私の希望候補なし

という訳にもいかないので「遠州浜区」または「南区」

 

ここの区名が難しいことは区割り時点で定められていた。

それでも、ちょっと調べればそれなりの候補名は出てくるのだがちっとも調べていないようだ。

いまさら仕方がない、5候補内で究極の選択ということで、それでも理性を失わないように考えれば、

遠州のごく一部で「遠州区」、遠州灘のごく一部で「遠州灘区」は僭称なので避けるのは固有名詞の基本。

基本なのになぜこれが候補になっているか、これこそが一般得票数上位優先主義の限界。

「灘区」の方がまだ許容できるのかもしれないが、これは神戸市でしょう。

「遠州浜」は昭和地名で歴史が40年くらいしかないが、一応当地オリジナルか。

「南区」のような、あちこちの市に既にある相対方角名を使おうというのは浜松らしくないが

当地より南(海)に市域が伸びることはないので、この5候補から選べとなればやむを得ないのか。

「南区」とすれば、いかにも仮称のようで将来の区割・区名変更に期待を持てると考えるとしよう。


C区(浜松市蒲・和田・中ノ町・長上・積志・笠井地区)

浜松アリーナの地下に、長田(長上)の痕跡が 長田・長上の郡家(役所)推定地

邑勢神社にある由緒掲示

浜松アリーナ建設中に「長田」と書かれた古代墨書土器が発見された。(上左写真:和田町)

昨年宅地開発中に旧長田・長上郡衙の痕跡らしき木簡などが発見された。(上右写真:大蒲町)

延喜式(平安時代)にも名がある邑勢神社の由緒書に、「長上」の字が見える。(下写真:大島町)

↑上記三地点とも、現在の長上地区外のC区↑

 

審議会選定5候補・・・「笠井区」「積志区」「長上区」「東区」「竜西区」

うち、私の希望候補「長上区」

 

事情を知らなければ「笠井」「積志」「長上」は地区名で競っているように見えるのかもしれないが、

「長上」は本来はC区全域(+α)を示す地名(旧郡名)であり、709年(平城遷都前年)以来という、長い歴史がある。

現長上地区(市野町など)の地区名は昭和初期の長上村に由来するが、この村名は旧郡名を復活採用したもの。

「長上(長田上)」発祥の地(和田町)や旧長上郡衙推定地(和田・大蒲町)もC区に含まれている。詳細は親ページ

古代より何度か区域変遷した長上郡だが、C区の全区域は1896年まで1200年間ほぼ一貫して長上であった。

「笠井」も歴史があり良い候補とは思う(「積志」は明治以降)が、広域地名由来の「長上区」が最適。

「長上」は漢字は平易ながら全国に同一地名がなく、これ以上望めないほどベストな区名となり得る。

問題は区名投票の際に「長上」の根拠を紹介するか?、である。この歴史を認識している市民は少ないと思う。

8世紀初頭・和同開珎の時代からの名が21世紀の我々を経て、子孫たちが受け継ぎ30世紀にも使われて欲しい。


D区(浜北市)

麁玉の名を伝える中学校 万葉集に詠まれた地

万葉集にも登場する「麁玉」は律令時代以前から存在した当地最古の地名。(宮口、平口)

 

審議会選定5候補・・・「麁玉区」「北区」「浜北区」「緑区」「みどり区」

うち、私の希望候補「麁玉区」

 

7月の合併まで50年間市名であった「浜北」は歴史は短いものの、公式地名だった。

現代を生きる市民には馴染んでいる名であり、固有名である。投票となれば最多得票だろう。

が、ここは藤原宮時代より1300年以上に渡り続いてきた「麁玉」の名を活用してみてはどうだろうか。

江戸時代以降に麁玉郡は縮小され、現麁玉地区(旧麁玉村)がその名残だが、

室町時代以前の麁玉郡はD区+αの広さがあった(正確には不明)。麁玉は天竜川の古称でもある。

万葉集にも二首読まれた「麁玉」は旧浜北市が力を入れてきた「万葉の里」にふさわしい。

パソコンで「麁」の字が一発で出ないが、区名になればすぐにIMEに登録される。

麁玉はもちろん他市にない地名。「浜北」の経緯などは親ページ参照。

万葉歌碑

万葉仮名の万葉歌碑「あらたまの伎倍の林に汝を立てて行きかつましじ寝を先立たね」(貴布祢)

「伎倍(貴布祢周辺と推定)」が「麁玉」の一部であったことがわかる。

掲示

「なゆた浜北・ふるさと情報コーナー」の掲示での古代・中世のD区。細かい境界線は不詳。


E区(浜松市篠原・入野・神久呂・伊佐見・和地・庄内地区、浜名郡雄踏町・舞阪町)

浜名湖と庄内半島

浜松・雄踏旧境付近より浜名湖庄内湾を望む。対岸は庄内半島。遠方は県境の湖西連峰。

 

審議会選定5候補・・・「湖東区」「西区」「浜名区」「浜名湖区」「浜西区」

うち、私の希望候補「浜名区」

-------------文書編集中、とりあえず親ページ記事抜粋-------------

ここは浜名区でしょう。全域旧浜名郡であり、浜名湖と縁の深い地区。

弁天島温泉・舘山寺温泉・浜名湖たきや漁・浜名湖ガーデンパークなど観光的要素もある場所。

漁港や観光港もある。休日には浜名湖上に多くのレジャーボートやウィンドサーフィンが浮かぶ。

近年数は減っているが、浜名湖名産うなぎ養殖の場所。浜名なら対外的にも良い。

旧東海道を旅した先人も、東海道新幹線で行きかう現代人もここで浜名湖を見る。

狭義の浜名郡は浜名湖の西岸(東岸は時代によっては敷知郡)になるので、もし湖西市+新居町で

新市を作るなら、「浜名市」を名乗るにふさわしいが、その動きは今のところ弱いようだ。

浜名区とすれば、近い将来(?)の浜名郡新居町の合流にも違和感はない。

というか、新居町(または新居町+湖西市)が合流してこそ本来の「浜名」である。

新居町は浜松市に編入する方向で、町長が動いているが未だ流動的。

町長は「将来の浜松市との合併が前提であれば、湖西市との合併を考えても良い」とも。(04/10/16)

そもそも新居町長は浜松市との合併を公約として当選したのだが。

問題点は新居町の動向が未定の件と、「浜松市浜名区」は「浜」が重なることか。

 

なお、浜名は天平年間(8世紀前半・奈良時代)以来の郡名で、敷知郡から分立。

範囲は時代により何度か変遷し、平成の大合併直前の浜名郡は浜名湖南岸付近のみだが、

浜松市(都田除く)・浜北市(麁玉除く)なども市制施行前は浜名郡であった。

各種資料から、郡名の浜名は湖名より古く浜名湖は「浜名(という場所の)湖」となる。


F区(引佐郡三ヶ日町・引佐町・細江町、浜松市都田・新都田・三方原地区)

引佐細江

浜名湖北東の入り江は、古代から引佐細江と呼ばれ歌枕となっている。(細江町気賀)

 

審議会選定5候補・・・「引佐区」「北区」「湖北区」「西区」「緑区」

うち、私の希望候補「引佐区」

-------------文書編集中、とりあえず親ページ記事抜粋-------------

引佐(いなさ)は和名抄にも登場する、奈良時代から続く郡名

今回の合併で、1200年以上の歴史がある「引佐郡」は終了した。

万葉集に、「遠江引佐細江の澪つくし・・・」とあり、これにちなんだ「澪(みお)つくし橋」が細江町にある。

近年、浜名湖へ注ぐ都田川河口(細江町)付近で古代引佐郡衙(地方役所)らしき痕跡が発見された。

「引佐」と墨書された奈良〜平安時代の土器が多数出土している。

 

都田地区(旧都田村)も浜松市に編入(1955年)するまでは引佐郡だった。

三方原地区(旧三方原村)は浜松市への編入(1954年)時点では引佐郡ではなく、※

D区麁玉地区(旧麁玉村)が引佐郡所属期があるが、ほぼ旧郡域≒区域となる。

江戸時代の三方原

※上図「伊能忠敬大図第百十一遠江三河」(1803年測量)では三方ヶ原は引佐郡になっている。

また、明治24(1891)年「郡分合ニ関スル府県地図静岡」(重文)で三方原付近は引佐郡である。

そもそも「三方原」の名は三地域の入会地であったことに由来し、うち現在の三方原地区は

都田と祝田の入会地であった地域であり、引佐郡域であったと考えられる。

 

引佐郡引佐町は昭和の合併時に郡名を新町名としている。

もちろん引佐区は、引佐町ではなく歴史の長い引佐郡を由来とすることを明記したい。

難読ではあるが、漢字は簡単。全国に同名地名が無い点で秀逸


G区(天竜市、磐田郡佐久間町・水窪町・龍山村、周智郡春野町)

秋葉神社上社入口

秋葉神社上社入口。ここから林道を上り、秋葉山山頂にある。下社は山の向こう側。(雲名)

 

審議会選定5候補・・・「秋葉区」「天竜区」「天竜川区」「北遠区」「緑区」

うち、私の希望候補「秋葉区」

-------------文書編集中、とりあえず親ページ記事抜粋-------------

ここの区域中央部に秋葉山秋葉神社・秋葉寺がある。

火防の神様として全国約800もの分社がある秋葉神社の総本宮。創建不詳だが、飛鳥時代あたりか。

全国、さらに一部海外でも有名な東京の秋葉原も、秋葉神社にちなんだ地名である。

遠州地方には、秋葉山に向かうための道路(=秋葉道)が走り、秋葉神社常夜灯が各所にある。

秋葉神社上社(秋葉山山頂)は龍山村・春野町境。秋葉神社下社はその麓の春野町犬居にある。

当区の大半は山林であり、秋には紅葉の名所に多くの人々が紅葉狩りに訪れる。最適な区名と思う。

秋葉山西方(龍山村)には、秋葉ダムと秋葉湖(ダム湖)があり水源・観光スポットになっている。

国道152号線秋葉街道(信州街道)天竜市・龍山村境に2002年秋葉トンネルが開通した。

区域内に秋葉橋が2つ、新秋葉橋も1つある

秋葉山は天竜市外なのにもかかわらず、「秋葉」は天竜市が市制施行のとき市名候補にもなった。

全国に秋葉神社分社にちなんだ小地名(町名字名)「秋葉」があるが、当区が本家本元。

 

「天竜」、長大天竜川の一部流域でこの名前を使うのは控えたい。

「天竜」はやはり川の名前。諏訪湖まで流域の。

しかも天竜の名は上流部(長野県伊那・諏訪地方)にその由来がある説が有力。

当地にとって天竜川は重要だが、それはここだけではないという視点が天竜市市制施行当時欠けていた。

静岡県地図ではなく、日本地図を見てください。

残念ながら一部に、旧天竜市〜佐久間町あたりを「天竜川上流」と言ってしまうのを見かける。

某社の「静岡産煎茶・天竜茶」では産地を「天竜川上流」と誤記されている。

流域のごく一部ながら既成事実化しているこの地名(市名)は、合併を機会に役割を終えられるか。

今度こそ、固有地名(地域内由来名)となって欲しい。至極当たり前な話ではありますが。

過去の決定に今更ながらの異議をちょっと唱えてみたが、

今時の流行で「みどり区」「緑区」などとなるよりは遥かに良い、とも考えざるを得ないことが空しい。

「みどり」など他の多くの場所でも新たに付けることが可能な地名は、実のところ地名ではないと思う。


区名地名コラム(1)

区名は地名となる。行政区域や住所を示すだけでなく、一定地域を指す基準名となる。

そもそも地名はどうあるべきなのかを考えると、不変のものであることは言うまでもない。

言葉の定義が立場や時代によって大きく変わっては、言語・文章にならない。

ゆえに地名は初めて発見・開拓した者が名付け、不変であるのが原則。

新発見の星や元素や動植物は発見者が名付け、勝手に変えることはできない。

行政上の都合である区域に名を付ける場合も同じ。新発見の土地ではないから、

かつてその区域に初めて付けられた名を文献から探し出し、再利用する。

現代人の恣意・趣向・利害とは無関係に、自動的に決まり論理的だと思います。

もちろんその根拠と経緯を、正確に詳細に公開することが前提です。

 

区名地名コラム(2)

地名は不変なものである、と書いたが地名以外の世の中はどんどん変わってゆく。

もしかしてもしかすると将来、世界の言語は統一され(そうなって欲しくはないが)

日本語は古語となる日が来るのかもしれない。

または少子化と移民増加で日本人は少数民族となり(そうなって欲しくはないが)

日本語が日本列島内の公用語でなくなる日が来る可能性はゼロではない。

そんな時代にも、日本語由来の地名だけは残る可能性はある。

そのとき東西南北中とかみどりとか安易な名は、訳されて消滅するだろう。

我々日本人がこの日本で生きてきた証は何千年何万年も残って欲しいのです。

同時に、アイヌ語由来の北海道の地名も残って欲しいと思います。

 

区名地名コラム(3)

新市名や新区名を決める場合、最終的に住民投票結果により決める場合があります。

民主主義の時代だから、ということでしょうが、地名に関して一般市民の感覚では、

自分の短い(個人レベルでは長い)一生での関わりだけで考えるのが普通でしょう。

ならば投票結果はあくまで参考とし、審議会の「見識」に期待したい。

浜松市の場合、小和田教授(中世史)が審議委員となっていることで期待を持てる。

他市の審議内容を見ると、見識はいろいろ。見識はなかったけれど結果的には良、というのも。

 

区名地名コラム(4)

区名投票用紙が市内全戸配布されたが、なんと区名候補の根拠や由来が全く書かれていない。

同時配布の広報はままつにも、浜松市ウェブサイトにすらない。(サイトには議事録はある)

何と言うことでしょう。地域の歴史や地名について知識関心が深い人が少数なのは当たり前。

でも名前を選べとなれば、その基礎資料を少しは見てから決めたいと思うでしょう。

普段政治に関心がない人でも、国政選挙や地方選挙に行く場合は、

選挙公報や新聞記事などで候補者の履歴・実績も確認するでしょう。(するべきでしょう)

 

区名地名コラム(5)

地名に限らず、文化伝統を維持させる理由は「守り続けてきた祖先たちに敬意を示すため」

と、よく言われます。全くその通りですが、さらに重要なのが「子孫たちのため」

だと思います。永く続いてきたものが、我々の世代の一瞬の出来事で断絶してしまっては

祖先だけでなく、子孫たちに申し訳ない。

文化伝統の部分に関わるのは、今現在生きている人だけではないのです。

 

区名地名コラム(6)

「歴史的地名より、東西南北中を区名とすべし」という意見では、その理由として

「現在なじみのない名前では、どこを示すかわからない」というのがあります。

例えば浜松市C区ならば、由緒はあるが知名度が低い「長上」より、方角の「東」だという。

「長上」は1960年代以降はあまり使われていませんから、現時点ではそうでしょう。

でもそれは、区名設定直後の数年間の話。設定されればいつの間にか定着します。

(定着、という要素ではどんな名でも時とともに定着してしまうのが名前設定の怖いところでもあります)

数年以上経過した時点で両者を比較すれば(実際にはどれかに決定しているので比較できないが)

汎用的な「東」より、当地オリジナルの「長上」の定着度が高いでしょう。

もし区名がわずか数年の命ならば、方角でも良いでしょうが。仮称レベルで。

 

区名地名コラム(7)

<(6)の続き>とは言っても浜松の場合「東」と設定できるのがC,D,G区と複数あり、

やはりC区を「東」とする必然性には欠けるのです。


浜名湖庄内湾

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