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天国に涙はいらない(3) --あだ討ちヶ原の鬼女--

佐藤ケイ著、電撃文庫刊


一般的な常識人の霊能者の主人公「賀茂是雄」と、「萌え」を追求する守護天使「アブデル」が、次々と登場する様々なタイプの美少女を巻き込んでドタバタを繰り返すという小説で、各巻違うタイプの美少女が登場しています。シリーズ中、第3巻では巫女さん少女にスポットライトが当てられていて、「勘解由小路みき」という巫女キャラが登場し、彼女の復讐にまつわる顛末が描かれています。

なお、平成14年8月28日現在の既刊は6巻で、それぞれ、ろりぃな悪魔っ子、猫耳娘、巫女さん、眼鏡っ子、病弱娘、幼馴染兼狐娘、という属性にスポットライトを当てています。なんだか、これだけ別タイプの美少女を出されるとそろそろネタ切れになりそうなものなのですが、いかがなものなのでしょうか?

そろそろ、メイドさんあたりが出てくるのかな?


巫女少女・勘解由小路みき

ストレートの長い黒髪が美しい、古風なたたずまいの巫女さんです。

しかし、おっとりとした見た目の印象とは裏腹に、 という、なかなかに素敵な性格をしています。

また、彼女は重度のブラザーコンプレックスです。第3巻のストーリーの発端からして、理想の男性として慕っていた兄が何者かによって殺されたことへの、復讐の旅に出た彼女が・・・、というものです。

私自身、勘解由小路みきにたいしては巫女さん的な魅力を感じませんでした。確かに、「思い込みの強さ」とか「古風な物腰」とか、巫女さんのお約束は守っていますが、それ以外の大事な要素がかけてます。というか、これって、どう考えても、確信犯ですよね? お約束の範囲内で、いかにしてうがった性格のキャラクターを描くかということに全力投球されているように感じます。

「お約束だけは押さえているぞ!どうだ、こんな巫女さんでも萌えられるか!」

という、高笑いが聴こえてきそうです。(笑)


「出来合いの物ではデザインが今一つだからと、わざわざ手作りで・・・」

突然ですが、巫女装束についての復習です。巫女装束の形には様々ありますが、特に袴の形に限ると以下の二つのタイプがあります。
この袴の形については、巫女属性の間でも好みが分かれるところでありまして、

「まち付きの袴をはいている時点で、この巫女さんのイラストは間違っている!」
「いや、むしろまち付きの方が普通だ。」
「そもそも神社の巫女さんの実情を反映していないぞ!」
「近代以前の巫女さんを考えてみろ!古式ゆかしい巫女さんならばまち付きだ!」
「動きづらい形の袴でパタパタと仕事をしている姿こそ、萌えるのだ!」
「俺は、彼女たちにはファッショナブルな格好をして欲しいだけだ。」

何ぞと論争になったりしていて、人によっては、

巫女装束の緋袴は、まち付きが良い。というか、まち付きじゃなければ嫌だ。だいたい、彼女たちにはファッショナブルで動きやすい格好をしていて欲しい。とはいえ、現在の神社の巫女さんの巫女装束はまち無し全盛であることも事実だ。この状況で、まち付きを主張するというのは、「巫女さんのありのままを愛する」という信条に反することではないのか。だが、しかし・・・。

という葛藤と、日々戦っていると思われます。(笑)

ここで、上に引用した「出来合いの物ではデザインが今一つだからと、わざわざ手作りで・・・」という台詞です。これは、兄からもらった巫女装束についてみきが説明したせりふなのです。そして、「みきの巫女装束」と「一般的な神社の巫女さんの巫女装束」で一番異なっている点は、袴の形がまち付きであるという点です。

これって、巫女属性特有の巫女装束に対する葛藤を理解したうえでの台詞ですよね。なんか、我々の気持ちを見透かされているような気がします。ここらへんの感覚って、巫女属性の人でないとなかなか知らないと思うのですけれども、 もしもこの仮説が正しくて、(特に作者が巫女さんに思い入れがなく)調べた上で書いているのだとしたら、この作者の洞察力を本気で尊敬しちゃいます♪


詭弁あれこれ、

この作品の本当の見所は、主人公 賀茂の守護天使にして、天使の最上位の位階(熾天使)につくアブデルの、萌え的な意味でのダメっぷりです。彼は、美少女を見ると常にちょっかいをかけています。ここで、「天使がそんなことをしていても良いのか?」と思われる方もいらっしゃると思いますが、アブデル曰く、

「神とは『完全者』かつ『無限者』であり、全てを包含した存在である。ゆえに、神は『父なる神』であると同時に、全ての属性を兼ね備えた『完全なる美少女』なのだ。であるから、美少女を愛でることは、その美少女の中の神を愛することであり、全天の中で最も神に忠実である熾天使たる自分は、美少女にも忠実でなければならない!」

ということですので、まさに神の摂理にかなった行動であるみたいです。

なんか、ここまで強く言い切られると、すがすがしい素敵さを感じてしまいます♪


他にも、プラトン哲学の文言を借用して、次のようなことも言っています。

「何故我々には二次元キャラをも出来るのか。それは美少女である以上、『美少女としての本質』すなわち『美少女のイデア』を共有しているという点では二次元だろうが三次元だろうが同一だからだ!そして、真のプラトニック・ラブとは、まさにこのイデアを愛することに他ならず・・・。」

これって、妙な説得力がありますよね。まさに、

何故我々は、様々な巫女さんを愛することが出来るのか。それは巫女さんである以上、『巫女さんとしての本質』すなわち『巫女さんのイデア』を共有しているという点では、全てが同一だからだ!そして・・・、

ということです。


それ以外にもアブデルは各巻で、「幼馴染には時間が必要ない!」とか、「病弱少女のお約束」についてとか、独特の説得力があり、妙な可笑しさを感じさせてくれる時節を展開しています。ここらへんのバイタリティは、私も見習いたいものです。


最後に・・・

というわけで、巫女属性的には「ど〜でもいい」観が漂っている作品ですが、アブデルの言動がとにかく楽しく、作品全体に流れる、(いわゆるおたく文化に対する)醒めた視線のユーモアが秀逸です。

詭弁を詭弁として楽しめる方にはすごくお勧めですので、ぜひとも一巻から通して読んでください♪


追伸:
同人系の世界にいる人って、妙なコンプレックスを持っている人がいますが、そういう人たちには、ぜひともこのアブデルの「萌え」人としての、力強さと信念を見習って欲しいものです。(笑)