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式神の城

発売元:アルファシステム


概要・・・
2005年、7月の夏
灼熱都市と化した東京で、連続猟奇殺人事件が発生した。
被害者は全員女性。死因は外傷性ショック死。
いずれも時間をかけて身体の一部を鋭利な刃物で抉られており、
検死の結果から20時間前後をかけて生きながら殺されたことが判明する。

7月21日
31番目の被害者を発見。
事態を重く見た警視庁はこの事件を特定犯罪第568号に認定、
オカルトとの関連性を求めてオカルト界の有力者をオブザーバーとして調査を開始する。

そして、7月23日。
32番目の事件現場から、物語が始まる。


いかにもなシリアスかつオカルトなストーリーですよね。私なんかは、こういう不気味なストーリーを見ると、身震いしてしまいます。やっぱり、明るく楽しくが・・・って、その話はおいておきまして・・・。

以上の事件をきっかけとして、6人のプレイヤーキャラクター
  • 短ランが似合う少年探偵 玖珂光太郎
  • 凛々しき神狩りの巫女 結城小夜
  • くわえタバコの人浪探偵 日向玄乃丈
  • 眼鏡の独逸人魔女 ふみこ・オゼット・ヴァンシュタイン
  • トレンチコートの儒教道志 金 大正
  • 謎の存在 ???
が怪異と戦います。見てわかるとおり、狙ったキャラクターが満載です(笑)。キャラクターとしての人気は結城小夜よりも、魔女のふみこの方が上みたいです。彼女の人気の秘密は、魔女っ子(というには、年を取ってますが)、ミリタリー系で、眼鏡で、黒いところなのかな?

裏側では、第七世界がどうのとか、せぷてんとりおん云々とか、ばーみあん何とかゲートがあれこれと、色々と設定があるみたいです。そしてなんと、プレステのゲーム「ガンパレードマーチ」とも世界観を共有しているらしいです。いや、細かい話は知らない・・・、知る気にならないんですけど・・・。(笑)

だって、このゲームの設定って、設定マニアの匂いがぷんぷんと漂って来るんですよね。ほら、オリジナルの小説とかでよくあるじゃないですか、裏設定が本文の10倍ぐらいあったりするあれです。

確かにコミックとかアニメとかの媒体ならば、それも良いかと思います。そのような媒体の場合、画面の端っこなど、本筋を邪魔にしないような範囲に沢山の情報を詰め込むことが出来ますので、本筋は裏設定を知らなくても理解できるようにしながら、画面の後ろの方で「設定を知っているとニヤリとできる」ような情景を描くことが出来るからです。実際、Five Star Storyなんかで後ろの方でちょこまかしているキャラを見るのは、間違い探しのような楽しさがあります。

しかし、「文章媒体」でそれをやられると、ちょっと興ざめです。文章中に訳のわからない部分がやたらと増えるのは勘弁して欲しいです。理解できる部分が半分ぐらいになったりして・・・。裏設定を勉強する根性(と時間)がない人をおいてかないで下さいよぉ。

作品自体は、X-Box、プレステ2、ウィンドウズと移植されてます。

ちなみにプレイステーション2版のセールスポイントは「サイドストーリーモード」だそうです。このモードを見れば、式神使いそれぞれの戦う理由やら、背景やらがわかるのだそうです。私のような一介のゲーマーとしては「もっと他に売りにするべき場所があるのでは?」と言いたいのですが、きっとこのゲームのファンには「こういう人しかいない」というようにマーケティングが判断したのでしょう。私がファンになっているぐらいですから、「間違った判断」だとは思いませんけど・・・。さすがに・・・、ねえ?


神狩りの巫女 結城小夜

戦国時代からの神道の家系の四羽女体神社の巫女。清楚な大和撫子で、肩にかかるぐらいの美しい黒髪と赤いリボンが印象的です。

世俗と関わらない生活を送ってきたそうで、かなり世間離れをしています。なんと、学校には行ったことがないんだそうです。その関係では、小説版では、缶コーラの開け方がわからない、携帯を知らないなど、その浮世離れっぷりを遺憾なく発揮してます。

しかし、その実態は壬生谷に住む神狩りであり、1000年に一度訪れるか訪れないかわからない危機に対する人類最後の備え「人類の決戦存在」として、神を殺し自分も死んでいくという過酷な運命を背負っています。ゲーム中でも、その使命感から、気丈に振舞います。
  • 私は希望。私の戦いが、私の死が、人が忘れたものを思い出させる。
  • 今の私は、ただのシステム。人類の外敵を排除する人類の免疫機構。
  • 夜が暗ければ暗いほど、闇が深ければ深いほど、燦然と輝く一条の光。
    私の命を薪にして、希望という炎は蘇るのよ。
とかとか・・・。

はい。もうお気づきかと思いますが、彼女は悲劇のヒロインです。バーミアンワールドタイムゲートは「強すぎる存在(ラスボス)」がいると開いてしまいます。そこで、小夜は「強すぎる存在」を自分の手で倒します。しかし、「強すぎる存在」を倒せるということは、小夜自身も「強すぎる存在」であるということで、小夜がいるとバーミアンワールドタイムゲートが開いてしまいます。

それを防ぐために、小夜が取りうる手段というのが・・・、



私の命を薪にして、希望という炎は蘇るのよ

エンディングで儚くなってしまうキャラクターとしては、ナコルルが印象深いです。魔神の復活は何とかして阻止できたものの、自然の興廃は停まらない・・・。そこでナコルルは、自然を復活させるために、一陣の風になってしまうんですね。 いや、ちょっと違ったかもしれませんけど、確かそんな感じでした。

このナコルルのいかにも美しく描かれた儚くなりっぷりに比べると、小夜のそれは趣が異なってます。

「・・・やはり・・・私の・・・勝ちね・・・」
「・・・あなたという強すぎる存在が、ゲートを・・・開く・・・」
「いいえ、開かないわ。」
「貴方が死に、私が死ねばゲートは閉じる。」
「私は希望。私の戦いが、私の死が、人が忘れたものを思いださせる。」
「私は死んで希望の種を蒔くのよ。」
「この国は、この世界は、きっとそれで蘇る。」
小夜は優しく微笑んで喉元に短刀をつけた。
「私の勝ちよ。」

自己犠牲がどうのという野暮ったい議論はとりあえずおいておいて・・・、

格好よすぎです〜。

こういう、
「敵の足を引っ張るためならば、命だって捨てます。」
という根性は、なかなか真似が出来ないです。
漢ですよね。

無条件に尊敬しちゃいます。

しかし・・・、


めでぃあみっくす・・・

まずはナコルルのことから書きます。

ナコルルは、そのエンディングの儚さのために、やたらと人気が高まりました。今でこそ、悲劇のヒロインなんて石を投げたら当たるほど存在してます。しかし、真サムスピ当事はそういうヒロインはあまりいませんでした。それゆえに、新鮮だったという事情もあるでしょう。

しかし、続く斬九郎無双剣でも、その次の天草降臨でも、更にポリゴンサムスピでも、更に更に時代が下っても、ナコルルはしつこく登場します。もちろん、私はナコルルのファンですので、彼女が出るのは単純にうれしいです。しかし、真サムのナコルルエンディングを見て泣いた、私の気持ちはどこに行けばいいのでしょうか?

まあ、そもそも格闘ゲームなんてそんなものだといわれればそのとおりですしね。それに、マーケティング上の都合というものがあったのでしょうし・・・。


で、式神の城のノベライズです。

結果だけ書くと、小夜は生き延びます。

そりゃあ、見目麗しいお嬢様が、戦いのために命を散らす姿なんて見たくないですから、こっちの方が嬉しいです。しかし、このままでは、ゲーム版では命を散らせる必要がなかったというわけで、ゲーム版の小夜が無駄死にになってしまうんですよね。

確かに、ゲーム版が「一人で戦った場合の結末」であるのに対して、「小説版ではプレイヤーキャラクターが力をあわせて戦った場合の結末」と考えれば、矛盾はしていないのかもしれませんが・・・、

若い命を散らしたゲーム版の小夜の立場って一体・・・。

よいんだか、悪いんだか・・・。
(嬉しいのは、確かなんですけど・・・。)

あ、アンソロジーというのも存在してます。こちらは「小説版のストーリー」を基にしている作品が多いです。そりゃあ、ハッピーなストーリーの方が書いていて楽しいのでしょうし・・・。

結論としてゲーム版の感想としては、
シリアス★★★★★★★★★
儚げ★★★★★★★★★
孤高度★★★★★★★★☆
凛々しさ★★★★★★★★☆

逆に、小説版・コミックアンソロジーの感想としては、
お気楽★★★★★☆☆☆☆
儚げ★★★★★☆☆☆☆
恋愛度★★★★★★★☆☆
まったり★★★★★☆☆☆☆

というわけで、全然違うキャラクターになってますね・・・。(笑)

何回も書きましたけれども、星の数が多ければ良いというものではありませんよ。