あれから20

 10年ひと昔。というのですから、もうふた昔前の人間になって
しまったのに兄の存在は今も皆さまの中に語り継がれているようで、
本当に感謝しております。
先日も兄の没後20年ということで取材を受けたのですが、今思えば、
兄のことを振り返るのは私自身の生い立ち・北村家の生活を振り返るのと
同じほど兄を中心に私の生活は回っていたような気がいたします。

 兄が何かをするときはいつもお供をさせられ、ある時は子分であり、またある時は雑用係、またある時はお抱え運転手… 昔はそれが嫌で『自分だけで行けばいいじゃない。』『自分ですればいいじゃない。』と小言を言うと、優しい母はいつも兄の味方で『意地悪なこと言わないで助けてあげなさい』と私をたしなめ、兄の手伝いをさせられました。

 でもそうしながら過ごした日々は私たち家族にとってはごくごく普通の日常生活なのですが、兄が亡くなった今は貴重な体験談として皆さんに受け入れられているのが、ちょっと複雑な思いがいたします。

 もし兄のような生き方をする人間が兄でなかったら、私の人生も違ったかもしれません。そんなことを言ってはきりがないのですが()

兄が時々言っていた言葉で『物事には偶然なんかない。偶然に思えることでもそのことには意味があり、それが自分にとって良いことでも悪いことでも自分の魂を鍛えるための神様の試練であり教えなんだ。

だからこそしっかり受け止め乗り越えていくことが大事なんだ。そうでないと天に帰った時、魂の成長のない自分に後悔してしまう』と言っていたのを思い出します。兄の妹として生まれ、共に家族として生きてきたのにも意味があるのかもしれません。

 今日、10月6日は兄の誕生日です。現在生きていれば還暦になります。もし今いたらどんな生活をしていたでしょうか。そしてどんな夢に向かって全身全霊で生きているのでしょうか。創造の枠を超えて何かに夢中になっているんでしょうね。ハッピーバースデー、お兄ちゃん!


  2020年10月6日