第三十七回
今日8月3日は兄の11回目の命日です。毎年一週間前の7月27日になると、私の心のどこかでカウントダウンが始まるのです。というのはちょうど一週間前の27日が病院に運ばれた最初の日だったからです。あの日、兄の友人から自宅に電話があり、兄が借りている家の前で倒れて救急車が到着しているのだけど、救急隊員の方たちの手を愛犬が噛み付き、吠えまくって兄に触れることも、タンカーに乗せて病院に運ぶことも出来ないから、早く行って犬を退けてほしいというのです。
どうやら兄は愛犬(チビとブラッキー)の散歩から帰ってきたとたん家に入る直前に家の前で倒れたようなのです。私があわてて車を飛ばして兄の家に行くと家の前にご近所の方々と救急隊員が私の到着を待っており、兄のほうを見ると兄はまだ気を失った状態で倒れており、その前に兄を守るため必死に牙をむき出しながら吠えまくるチビがいました。私は急いでチビを家の中に入れ、兄は無事に病院に搬送されました。
兄は一ヵ月後にある世界大会に向け減量の最中でしたが、摂取カロリーより消費カロリーが上回り倒れたのでした。病院で点滴を始めると5分もたたないうちにすぐさま意識が戻り、元の元気な兄に戻ってくれました。担当の先生は兄にくれぐれも無理をしないようにと注意をしておりました。兄は頭をかきながら先生にお礼を言いながらどうしても今回世界大会で去年以上の体に仕上げ優勝したいのだと熱く語っておりました。
今回の騒動でさぞかし無理をしないようにしてくれるのではと思っていたのですが、兄の情熱は冷めることなく、試合に向けて全身全霊で取り組んでいきました。せめて倒れないように飴玉でもポケットにいれて、めまいがしたらすぐさま飴でもなめたらと兄に提案したのですが、兄は「飴なんかでカロリーを取るぐらいなら、自然の食べ物でカロリーを摂りたいんだよ。」と言って答えるだけでした。
それから亡くなるまでの一週間、いろいろなことがありましたが、また別の機会にでもお話させていただきたいと思います。
そして8月3日のあの日、たまたま兄に用事があり何度か電話をしたのですが、つながらず、まあ、トレーニングに行っているか寝ているか犬の散歩にでも行っているのだろうとさほど気にしなかったのですが、自宅のほうに兄宛の荷物が届き、それを届けに行ってはじめて、兄が部屋で倒れているのがわかりました。
でも、そのときでもまさか兄が帰らぬ人になるとは夢にも思いませんでした。またいつものように意識が戻り、「いや〜参ったなぁまた倒れちゃったよ」と苦笑しながら言う兄の姿を想像していました。救急隊員が兄を病院に運ぼうとしたとき、心肺停止状態になり病院に搬送された後も懸命の蘇生をしていただいたのですが、残念ながら兄は戻ってきませんでした。
人の運命とは本当にわからないものです。特に今年は自然災害で命を落とされる方が多く、本当に悲しいです。2月22日のニュージーランド地震のときも兄がボディビルの試合で何度か訪れていた国でもあるためか、何か他人事に思えず、一人でも多く無事でいてくれたらと思いながらTVのニュースを見ておりました。その心の痛みも消えない3月11日、あの悪夢のような東北の大震災が起きたのです。私の住んでいる東京でも大きく揺れ、部屋にいた猫たちも逃げ惑っていました。(一匹は3日間家に帰ってきませんでした。)その地震直後震度を知るためTVをつけて唖然としてしまいました。東北で巨大地震が起きていたからです。
そしてまもなく起きた大津波。大阪に住んでいた叔母が私によく津波の恐ろしさを語っていましたが、その予想をはるかに超える悪夢のような波が今まさに平和な町や田んぼや人々を飲み込もうとしている映像が流れていました。「早く逃げて!」と何度もTVの画面を見ながら叫んでいました。そして原子力発電所の事故。本当に恐ろしく悲しいことばかりです。
今でもまだ犠牲者の多くの方々が見つかっていないのもご家族の方のお気持ちを考えるといたたまれなくなります。私も三年前の火事で愛猫が四匹犠牲になってしまい、うち一匹は子猫であった事もあり必死に探したのですが見つけてあげることが出来ませんでした。
猫ですら胸が痛いのにこれが家族や身内・友人のことだと思うとやりきれない気持ちでいっぱいになります。兄が生きていてこの大災害を見たらなんて言うのでしょうか。私にはわかりません。でも一つだけわかっているのは兄のあの口癖『肉体は滅んでも魂は永遠に生き続ける』この言葉です。
兄が亡くなって今日まで何度も兄がいればと思ったことがあります。そんな時、兄を思い出しながら直面した問題や悩みを考えていると不思議なことにふと答えが頭の中に浮かんでくることがあるのです。それはまるで私自身で思いついたかのように答えが思いつくのですが、もしかしたら私の見えないところで兄が答えをささやいているのかもしれません。亡くなった方を思い出し、共に強く生きることでその方の魂を感じることが出来るのかもしれません。肉体はなくなってしまったけど、その人の魂はいつでも側にいて残された人たちを暖かく見守ってくれていると信じています。みなさんもどうかそう信じて大切な方の魂を感じながらその人の分も一緒に力強く生きていっていただけたらと心から願っております。