第三十八回


 皆様お元気でいらっしゃいますでしょうか?すっかり更新をサボってしまい誠に申し訳ございません。

近頃は何かと身の回りのことに時間をとられてしまい、自分でも反省はしているのですが、なかなか実行できないでいる次第です。

今年は兄の十三回忌にあたり、月日の流れの速さに驚いております。
 十二年というのは本当にあっという間なのですが、この十二年間に起きた出来事はとてつもないほど様々な事がありました。日本各地で起きている天災・人災それにIT技術の発達… 本当に驚くことばかりです。

 兄が亡くなった十二年前の八月三日、兄の部屋を訪ねるとキッチンの床に兄が倒れており、隣の居間のテーブルの上には兄が愛用していた2GBの小さなノートパソコンと何かしら大切にプリントした印刷物が並べておいてありました。今の時代2GBといえばメモリーカードでもある小さなサイズなのですが、当時はそれで十分PCとして通用していたのですから時代の変化を感じらずにはいられません。

 さて、前置きが長くなってしまいましたが、兄のボディービルを始めた当初はまさにアナログの時代。ボディービル自体そんなにメジャーなスポーツではなかったので、ボディービルに関する雑誌も少なく、体の作り方も自分で考え自分で試し、失敗を重ねてはまたイロイロやってみるといった本当に試行錯誤の日々でした。

 二浪して東京大学に入った兄は東大のボディービル部に入りました。「ボクねボディービル部に入ったんだよ。結構東大のボディービル部って強くってね、先輩たちも皆格好いいんだよ。」なんて嬉しそうに語っていました。そうかじゃあ、兄の体もさぞムキムキになるのかと思いきや日を追って兄の体はどんどん丸くなり、筋肉なんてどこについているのかしらと内心呆れるぐらいでした。でもどうやらそう思ったのは私だけではなく兄の体を見た人は同じことを考えたようです。「今日ね学校行ったら声かけられてさ、何かと思ったら相撲部なんだよ。君いい体してるねぇ。どお、うちの部に入らないか?」って入部誘われちゃったよ。ハハハハハ…」なんて笑いながら言っていました。

 ボディービルを始める前の兄は漫画の『あしたのジョー』に憧れ、親に内緒でジムに通っていたぐらいですから、体はどちらかといえば細く余計な脂肪がなく、腹筋もしっかりと割れており、それなりに様になっていたのですが、その腹筋も分厚い脂肪に覆い尽くされ、歩くときも股ずれするらしく、足を開き気味に左右に体を少し揺らすように歩くようになってきました。

 服もどんどん着られなくなり、母と私はバーゲンに行っては兄に合うサイズの服を探すのですが、当時は2Lまでは結構あるのですが、L4Lそれ以上となるとなかなか無く、あったとしてもウエスト部分は大きいのですが、腕回り、足回りまで大きいのが無く、またデザインも20歳の若者が着るようなものではなく、地味で伸縮性もないようなものでした。普段兄の洋服のことなぞ気にも留めない父までが「こうなったら相撲部屋がある浅草近辺の店ならちょうどいいのが売ってるんじゃないか?」と言い出すほどでした。まあ、ボディービルをおやりの方でしたらきっとお心当たりがあるのではないでしょうか。

 当の本人は家族はそんな心配や苦労をしていることも知らず、ひたすら体を作ることばかり考えておりました。その頃の兄は体を作るため手軽に摂取できるうえ、動物性より魚のほうが良いと人に聞いたのか、サバの水煮の缶詰をどこに行くのも持って歩き、人目を気にせずどこでも食べていたようです。缶詰も最近のように缶きりなしで開くような便利な仕様なぞなく、キコキコと音を立てながら缶きりで蓋を開けて食べるので周囲の人は唖然としていたようです。

 兄の体はみるみるうちに大きく、いえ丸くなっていきました「ねね、そんなに太らせて大丈夫なの?」思わず何度も兄に尋ねました。「大丈夫だよ。体の細胞にね、これからどんどん大きくなることを教えてるんだよ。」『細胞に教える…』なんか理由にならないような答えを聞いて返す言葉も無く、ただ兄の信念の強さに押され、母と私はサバ缶をケース(ダンボール詰め)ごと買いに週に何度も走るのでした。

 勿論、兄が食べていたのはサバ缶だけではありません。家族と同じ食事も摂り、それプラス大鍋一杯作ったおじやを皆が食べ終わった後、鍋を抱えるようにして食べるのです。おじやにした理由は消化・吸収が良いと考えたからのようです。我が北村家の食事は家族全員大食家で、それでなくても良く食べるほうなのですが、それに付け加えるのですからまるで毎食大食い選手権をしているような食べっぷりでした。さすがの兄も鍋の半分を過ぎた頃から「うえっ…」と何度も戻しそうになっていました。それでも食べ続けている兄の姿を見ていると何か強い執念と言いますか、体を作ることへの強い思いがひしひしと伝わってきました。その思いこそあの体の栄養源だったんですね。