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2010/09/25 職能等級制度と派遣労働
以下は、話をわかりやすくするために、基本的に「職能(資格)等級制度」を念頭においてお話します。また、多分に私なりの見解(理解)が入っていると思いますので、その分は割引いて読んでください。

「職務遂行能力」を評価する基本的な視点(要素)には、大きく「課題対応力(テクニカルスキル=理解力・判断力・計画力・企画力等の総称)」と「対人対応力(ヒューマンスキル=表現力・コミュニケーション能力・調整力・指導力等の総称)」とがありますが、「職能(資格)等級」とは、これらを「縦に{ライン組織の編成(職階・職位)に対応させて}グレード分け」したものと考えておくと、職能等級制度全体を有機的に理解することができます。

すなわち、「職能等級」は、下から、「担当職(一般職)(J職)」、「監督職(指導職)(S職)」、「管理職(M職)」に対応させた資格区分であり、これをさらに2〜3段階に細分化したものです(従って全体で6〜9段階程度になります)が、「担当職」相当で必要になる能力が主として「課題対応力」であり、「監督職」相当になると主として「対人対応力」が要求されるようになり、「管理職」相当になると、この2つの能力を統合して発展させた能力(これを「マネジメント力(管理能力)」といいます)が要求されるようになるということです。

注1)「マネジメント力」とは、「組織を動かす(管理統率する)能力(これも例えば、成果マネジメント力→組織マネジメント力→全社マネジメント力といった具合に3段階程度に区分します)」ですが、その本質は「洞察力(物事の本質を見抜く力=コンセプチュアルスキル)」であり、これは「課題対応力」と「対人対応力」を高次元で統合した能力です。すなわち、組織を統率したり動かすことができるためには、その前提として、物事の本質が見抜けなければならず、そのためには、事象を客観的に捉えることができるだけでは不十分で、前回お話した「人間模様(人の考えや感情等の動き)」を読み取ることができなければならないということです(人事だけでなく経営や経済や政治も結局は「人間がやっていること」ですので、例えば「経営判断力(全社マネジメント力)」も、より次元が高くなるだけで、本質的には同じ能力です。政治学的な表現をすると、監督職の判断が法的判断であるとすれば、管理職の判断は政治的判断に該当すると考えておいてもよいでしょう)。

注2)人事評価の3本柱は、「能力、態度、成績(業績)」で、イメージ的に算式で示すと「能力×態度(×環境等)=成績{役割(職位)×成績=業績}」という関係にありますので、能力と並んで(能力に次いで)基本的な評価要素は、「態度(情意)」なのですが、これについては、「規律性、協調性、責任性、積極性」が4大要素といわれています。これも同様に分類することができ、「課題対応力」を保持するための基盤となる態度が「責任性」で、「課題対応力」を高めるための基盤となる態度(主体的・理解的・能動的段階へと発展した責任性)が「積極性」、「対人対応力」を保持するための基盤となる態度が「規律性」で、「対人対応力」を高めるための基盤となる態度(主体的・理解的・能動的段階へと発展した規律性)が「協調性」という具合に捉えておくとよいでしょう。

以上は「概要」で、その詳細の話や職務(役割)等級制度との関係の話などもあるのですが、今回は「担当職」を細分化した場合についてのみ触れますと、それは通常、「補助職」、「定型(担当)職」、「判断(担当)職」に対応させた、3区分になります。

このうち、「担当職(定型職・判断職)」とは、「何らかの仕事を担当する職」ということですが、これは「一人前に(まともに)仕事をすること」を意味しますし、より具体的にいうと「自分が担当する範囲の仕事に係る事案を自力で処理したり、発生した問題を自己解決すること(これらには、「上司や関係者に必要・適切な報告や連絡を行うこと」や「状況によっては上司の指導・援助を求めることや、その必要・適切性の判断をすること」も含まれます。)」を意味します(当然、これらができるだけの「職務遂行能力」や「態度」が要求されます)。そして、「職務自体」は通常は、主として「職務の難易度(困難度・レベル)」に応じてランク分け{職務全体の縦の系列でにいうと、一般職(担当職相当の一般的な仕事が普通にこなせるレベル)、専任職(豊富な経験や高度の技能(熟練)が要求されるレベル)、専門職(高度の専門的知識や最先端の技術が要求されるレベル)に大別}されますので、担当職レベルでは、「定型職(判断や熟練や経験や知識がさほど要求されない職)」と「判断職(一定の判断や熟練や経験や知識が要求される職)」にグレード分けするのが普通です。

そして、この下に位置する「補助職」とは、「担当を任せられないレベル=一人前の仕事ができないレベル」のことであり、総合職(正社員)の系列でいうと、「見習い期間」に相当するものです。従って、通常の運用においては、一定期間の経過をもって「担当職(定型職)」に「自動昇格」させたり、人によっては(そのレベルはすでに卒業していると判断されれば)いきなり「担当職」から出発させることもある程度のレベルの仕事です。

このような理解をしている者からすると、「補助職」とは、まだ「まともに仕事をするに至っていない段階」という捉え方なのですが、どうも最近の「派遣労働」というのは、このレベル(これは、時系列的又は発展段階別的に捉えないとしたら、「臨時的・応援的仕事」ということになると思います)に止まっているような気がします(いわば、花嫁修行と社会見学を兼ねてコピーやお茶くみの「仕事」をしていた遠い昔のOLと同じレベル)。さらにまずいことには、本人はそれが「まともな=一人前の=一般の=普通の=平社員の=労働者が行っている仕事」である(一般労働者も同じような仕事をしている=仕事というのはこういうものだ)と「錯覚」しているフシがあることです。

これまで、「フリーター(パート・アルバイト)には、職務遂行能力が身につかない(キャリアアップしない)」ということが問題になっていましたが、そのフリーターとて「担当職」相当の仕事はしていた(一定範囲の仕事は任されていた)ように思います。派遣労働の自由化業務への解禁は、「補助職」しか知らない(その分、仕事が楽といえば楽なのでしょうが)「新たな階層」を作り出してしまったような気がしてなりません(このことについては、私より「現場」をよく知っている小磯代表もほぼ同意見だと思います)。その意味では、派遣労働に規制を加え、元に戻して「専門的業種」に絞ること(派遣先としてもあくまで「臨時的な場合」にしか用いないようにすること)も、必要なのではないかと思うこの頃です。

<参考資料−興味のある方は下記もご参照ください>
・コラム「派遣労働でキャリアを培うには」
・労働政策研究報告書「人材派遣会社におけるキャリア管理」

2010/09/14 一般労働力の価値の低下と労働福祉の向上
資本主義は歴史的に「左寄り(福祉国家主義)」に流れてきたと思いますが、近年の動きとしては、小泉政権で、一度、社会全体がぐっと「右寄り」になった後、その反動もあってかその後はぐっと「左寄り」に進んできているように思います。

人事・賃金制度においては、成果主義は行き過ぎとして見直され、終身雇用制や若年期の年功賃金制などが強調されるようになりました。社会保険制度においては、雇用保険において加入要件や受給要件の緩和が進められました(最近では、受給要件を満たさない場合でも、訓練受講を条件として生活給付を受けることができるようになっています。また、パートへの社会保険の適用拡大はその後そんなに話が進んでいないようですか、これもいずれまた議論されるようになるでしょう)。最低賃金は過去最大の引上げで、さらに1000円以上を目指すとされています。派遣や請負については、派遣先の責任(雇用義務等)が強化され、ヘタをするといつのまにか「雇用関係が成立したこと(黙示の労働契約の成立)」になっていて、さらに改正法が成立すれば自動的に「みなし雇用」となってしまう場合も発生します。有期雇用においては、基本的に3年以上経過すると期間の定めのない契約と同様に扱われるようになってきており、有期労働契約研究会の報告書では、有期労働契約の締結事由や更新回数に制限を設けることを検討すべきだとか、さらには、「無期みなし」論も出てきています。また、パート労働については、均衡待遇が強化されてきているだけでなく、「時間差別」の禁止という方向性(正社員並パートの差別禁止)も打ち出されてきています。さらに「年齢」については入口と出口に規制が加えられ、採用における年齢制限、65歳までの雇用義務が法定化されました(この「65歳」はさらに「70歳」に延長する方向で議論が進められています)。

労働条件が向上したり、労働者の福祉が増大したり、雇用が安定したりすること自体が悪いという人もいないでしょうが、そのことばかりに考えが集中し、社会全体としてどうなのか、歴史はどのような方向性に動いているのか、その結果どうなるかといった、全体的な視点が不足しているように感じるのは私だけでしょうか?

少し、長期的なスパンで考えてみましょう。かつて、資本主義の初期、労働者は「搾取の対象」といわれました。使用者にとって労働者は「付加価値(利益)を生み出す源泉(搾取の対象)」であり、従って、「何とかして足止めしたい存在」でもありました。だからこそ、労働基準法は冒頭においてそのような行為(強制労働・違約金等)を禁止していますし、長い間、労働契約期間の「上限は1年(それ以上足止めしてはいけない)」と規定してきたわけです。そして、このようなことは、戦後初期から高度成長期にかけての日本においても同様だったわけで、当時、中卒は「金の卵」と呼ばれていたのです。

ところが、製造業において機械化等が進み、経済全体がサービス業化していくにつれ、一般労働者(単純労働者・1企業以外の外の企業での勤務経験を有しない人・社会的に通用する専門能力を有しない人等)の価値(相対的能力や競争力)は低下していったように思います。これに、社会主義諸国の崩壊や発展途上国の新規参入などにより安価な労働力が大量供給されることが加わりました(これが決定的だったのかもしれません)ので、すでに労働力の価格が高くなっていた先進国ではその影響が大きいでしょうし、これに高齢化が加わると影響はもっと大きくなります(この状況を見て、ある経済学者が「今や労働者は搾取の対象にもならなくなった」と述べたのは、印象的でした)。

現在、見受けられるのは、「一般労働力の価値の低下」が進む一方で、今だ「一般労働力の価格上昇」が政策的に(市場原理に逆行して)進められているという「矛盾(ギャップ)」が引き起こしている現象のように思われます。平たくいうと、企業にとっては、「稼いでくれる労働者」であれば、賃金や社会保険料や福利厚生費が高くついてもかまわないし、いつまでいてもらってもかまわないのです。しかし、「稼いでくれない労働者(出費に見合うだけの付加価値を創造してくれない労働者)」については、そんなに賃金も社会保険料も出せなくなってきているし、いつまでもいてほしいなどとはいえなくなってきているのです。

企業にとって「利益を出すこと(少なくとも赤字にならないこと)」は、存続するための最低条件ですので、この状況に対し、さらなる「防衛策」を取るようになるでしょう。そして、その結果は、今の政策を進めている人たちが「想定していたもの」とは違う結果(むしろ「逆の結果」)になるような気がします。

注)ちなみに、日産は、派遣を期間雇用(直接雇用)に切り替えるにあたって、契約期間の上限を「2年11か月」とするという方針を打ち出してきました。おそらくOURSとしても、もっときめ細かい配慮を入れたものになるでしょうが、当然そのあたりのことも考慮したコンサルティングをしていくことになるでしょう。

ついでに言ってしまうと、「年功序列」だけでなく「終身雇用」も時代錯誤になりつつあるのではないでしょうか? 社会福祉は、まずは「自助」、次いで「共助」、最後に「公助」となるのですが、今は前2者が抜けていきなり「公助」になりすぎているようにも見受けられます。企業はなるほど「ゴーイングコンサーン」で永続性を前提とするものですが、これだけヒットサイクルやプロダクトサイクルが短くなってきている時代において、半世紀先も同じような繁栄を続けることができると豪語できる経営者がどの程度いるのか疑問です。そんな会社に「半世紀も生活を保障しろ(終身雇用)」というのは、「自助」の精神に不足しているようにも思えます。加えて、今後はむしろ、いくつかの企業を渡り歩いて、幅広い職業経験を積み、社会的競争能力を有する人の方が、会社の永続性も保障できるようになる気もするのです。

<参考資料−興味のある方はこちらもご参照ください>
・労働政策研究報告書「有期契約労働者の契約・雇用管理に関するヒアリング調査結果」

2009/04/10 障害者雇用義務制度における「除外率」
1.除外率制度
常用労働者数56人以上の民間企業では、1.8%以上の障害者を雇用しなければならないことになっていますが、昭和51年のこの障害者雇用義務制度の導入に当たっては、「除外率制度」が設けられました。

この除外率制度は、障害者の雇用が困難であると認められる業種(例えば、建設業・鉄鋼業・幼稚園・一定の運送業や製造業など)について認められた制度で、「常用労働者数から、除外対象労働者数に一定の除外率を乗じた人数を控除する」ことにより、常用労働者数を少なく計算し、もって雇用しなければならない障害者数を少なく計算することができる制度(雇用義務の軽減制度)です。


2.その後の動向
この除外率制度については、その後は、障害者雇用促進の観点から廃止する方向で検討されるようになり、平成14年改正においては、「原則廃止(当分の間の措置として残す)」することとされ、併せて、除外率を一律10%引き下げる改正が行われました。
そして、平成 21年改正においては、さらにこれを一律10%引き下げる(平成22年7月から実施)こととされました。

2009/02/08 失業者の定義
「失業者」とは、どんな人をいうのでしょう? そこで文字通り「職を失った人」とか「仕事に就けない人」と答えるとすると、(素人としてはともかく)社労士(人事労務に専門的に携わっている人)としては、イマイチかもしれません。何故なら、例えば雇用保険法第4条第3項には、「この法律において『失業』とは、被保険者が離職し、労働の意思及び能力を有するにもかかわらず、職業に就くことができない状態にあることをいう。」と規定されているからです。つまり、「失業者」とされるためには、単に「職を失っている」だけではなく、「労働の意思と能力」がなければならないのです。

さて、失業者の定義は、ILOによって国際基準が定められていて、次の3つの要件を満たした場合に「失業者」とされます。
1.仕事に就いていないこと
2.仕事があれば、すぐ就くことができること
3.仕事を探す活動をしていたこと

注)総務省の統計で、単に「失業者」と表現せずに、わざわざ「完全失業者」と表現しているのは、「上記3の意味合いを含めた失業者」であることを確認するためです。

この定義からして、職を失った人であっても、「職探し」をしていないのであれば(そういう人は、統計上は「就業希望者(=就業を希望していながら仕事を探す活動をしなかった人)」といいます。)、「失業者」にはカウントされないことになります。

では、何にカウントされるのかというと、そういう人は「非労働力人口」としてカウントされるのです(「完全失業者」とはいわば「元気な失業者」のことであって、「元気のない失業者{いわゆるディスカレッジド(打ちのめされた)ワーカー}」は「非労働力人口」にカウントされてしまうのです)。

従って、「労働統計」をより深く見るためには、実は「非労働力人口」の推移にも注目しておく必要があるといえるでしょう。ちなみに、「非労働力人口」は17年連続で増加してきており、平成20年には4,395万人に達しています。そして、この1割強が「就業希望者」であろう(450万人程度)と見られているわけですので、実は、「元気のある失業者(完全失業者)」より、「元気のない失業者(就業希望者)」の方が多いのが実態なのです。


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