黒猫の三角/森博嗣
森博嗣のミステリィ工作室/森博嗣
朽ちる散る落ちる/森博嗣
クビシメロマンチスト/西尾維新
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またまた森博嗣氏の作品になってしまいました。 Vシリーズの第1巻、「森ミステリィの華麗なる新展開」らしいです。 読み返したものを書くのは、はじめてじゃないかな? 今読むと、最初の頃はキャラの性格やしゃべり方が微妙に違っていて、なかなか面白いです。 |
| 「それだけは、本当に、僕が保証します」保呂草は微笑んだ。自分が保証したところで何の保証にもならない、と思いながら。 |
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「私が保証します」というのは、実際のところ、あまり意味のない言葉かもしれませんね。 言う人にもよりますが、その保証は補償にも保障にもなりませんので。(笑) |
| 長髪といってもいろいろだが、練無の髪はかなり長い。具体的にどれくらいかというと、平均して一本が四十センチ。十万本の髪の毛があると仮定すると、全部繋ぎ合わせて四十キロメートル。ただし、繋ぎ目を無視した場合の計算だ。 |
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計算するだけならまだしも、「繋ぎ目を無視した場合の計算だ」とまで断りをいれるあたりが、理系人間の証。 もちろん、理系⊃文系であり、(理系∩文系)の補集合のことですよ? |
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「ええ、考えておきます」紫子はようやく返答の言葉を思いついて答えた。 それは関西では「あきまへんな」と同義語だ。 |
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関西人と話してても、「あきまへんな」と言われたことはないですけどね。(笑) 一般的に、妙に丁寧なときは、拒絶を表している場合が多いような気がします。 |
| サングラスも髭もスーツも黒い。鬼のように黒い、という表現が頭に浮かんだが、しかし、鬼は黒くない。馬鹿みたいに黒い。しかし、馬鹿は黒くない。 |
| 「それが羊羹であるための最も重要な条件は、貴女がそれを羊羹だと言い張っている時間に、それが貴女のごく近くに実在することです」 |
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「そうやって正義の心をめらめらと燃やすわけですか? そうしないと仕事に意義が見出せないの?」 「違うよ」林は首をふった。「しかし、少なくとも、しばらくの間は眠気は覚める」 「正義って、煙草と同じね」 |
| 「お願い」首を約二十五度傾けて、紅子は澄ました顔で答えた。 |
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どういうわけか、女の人のこういう仕草って、男にとってのツボですよね? 私だけではないはず……と、信じたい。(笑) お辞儀をするときに、なぜかこっちを見たまま頭を下げようとして、顔だけが斜めになるときとか。 微妙に上目遣いになるあたりがなんとも……。(ぉ って、こんなところで萌え論を展開してどうする>自分。 |
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「どうして、非自由じゃないんだろう」練無は考えながら、言った。「名詞なら、不、じゃなくて、非、がつくはずでしょう? 自由って、最初は動詞だったのかな」 |
| わかる人、教えてください。(笑) |
| 「確かに、社会の理解を得て、刑が軽くなるような殺人が存在するみたいだね。けれど、それは、逆に見れば、つまり、死刑と同じで、人が人を裁いていることになるのだよ。そういった殺人を認めることは、正義のためなら戦争を許容し、正義のためなら死刑を許容することへ進む可能性がある。正義という名前の理由さえあれば、人を殺しても良いことになる。その理由がないものは駄目だ、という理屈になる。では、正義って何だい? 理由とは何だい? たとえば……、そう、正当防衛は許されているよね? 自分が殺されそうになったら、相手を排除できる。抵抗しても良いことになっている。ところが、それは物理的に不可避な場合だけで、精神的な攻撃には適用されない。精神的にどんなに痛めつけられても、相手を殺してはいけないことになっている。これ、どうしてだと思う? 人によっては、精神的な攻撃の方が耐えられない、という人格だってあるんじゃない? その答は簡単。つまり、精神的なダメージが測れないから。定量的に観察できないから。すなわち、躰なら怪我が見えるのに、精神の怪我は見えない。ただそれだけの理由です。そもそも、人間の作り出したルールなんて、まだその程度のレベルなんだ」 |
| 「私は、自分が殺されたくないからです。それ以外に理由はないわ。私は、もう少しやりたいことがあって、もう少し生きていたい、という極めて個人的な希望を持っているの。勝手で我儘だけど、そうなんだからしかたがないわ。つまり、それだけ。それだけなのよ。だから、その、美しいかもしれない殺人を、私は認めるわけにはいかないの。それは、私のエゴです。私が殺されたくないから、みんなも殺さないで、という自分に都合の良いことを主張しているわけ。そのエゴが集まって、社会のルールを作っているだけのことなんだ。これは、正義でもなんでもないわ」 |
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「行列よ。線形代数」 「セン・ケーとダイ・スー」紫子は口を尖らせる。「香港の男優と女優さんの名前?」 |
| 「理屈を求めることが、あるときは、思考を狭めるのよ」紅子は優しい口調で言った。「最先端の自由な発想とは、理由も、言葉も、理論も、まだないところへ飛ぶことなの。そこへ飛躍できた人だけが、そのインスピレーションを掴むことができる。それを凡人が、あとから丁寧に理屈をつけて、そこまで行ける道を作るわけ」 |
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これは小説ではありません。 森博嗣氏の作品解説とか、影響を受けたものとか、対談とか、いろいろです。(笑) ちなみに、「森博嗣の「浮遊研究室」」も最高ですので、ぜひどうぞ。 |
| そもそもトリックというのは、料理でいうと、お皿みたいなもので、それがないとテーブルに置けないから必ず付いてくるけれども、食べるのは文章とか、もっとほかの部分なんです。食べているときは、美味しい美味しいと食べるんですが、食べ終わって気がつくとお皿しか目の前にないので、あとで人に印象を話すときには、お皿の話ばかりになる。肝腎の料理はどういう具合だったか、なかなか人に伝えられない。 |
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ミステリファンには、こういう考えの人は少ないかもしれないですね。(^^; 私は、トリックよりも、話のおもしろさ(キャラとか比喩とか)重視なので、この考え方は素直に納得できるのですが。 |
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小説の切れ味というのはオチにあるのではなくて、読んでいるうちにフッと息が止まってしまう、という一瞬の風圧みたいなものです。最後に、ああ、なるほどね、って納得するものとは明らかに違います。 短編を一つ読んだあと、次のページになかなかいけない。一度本を閉じて、ため息をつく。それが切れ味のある作品なのではないでしょうか。 |
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これも納得。 私は、こういう、余韻に浸れる作品が大好きです。 なかなかそんな作品には、巡り会えませんけど……。 |
| 人間は順番を踏んで進まない。必ずやりたいものから始めるのです。 |
| いいことなのかどうかはおいといて、少なくとも私にはこの傾向があります。(笑) |
| 子供には、たとえわからなくても、最初から一流のものを見せるべきで、子供がそこから何か一つでも感じ、理解できたものを拾って、自分で可能性を広めていけば良いのです。それだけの能力を人間の子供は持っていると思います。 |
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子供は、大人が考えているほど、何も考えていないわけではないですからねぇ。 「大人達は、自分が子供の頃、どれだけ頭がよかったのか忘れている」という台詞を聞いたことがありましたが、誰の言葉だったかな……? |
| プログラムを書くという行為は、ときとして思考能力の限界をさまよう恍惚が味わえる。集中力の持続は、まるで水中で息を止めているように苦しく、しかし甘い。このまま帰ってこれなくなるのではないか、という領域に足を踏み入れる感覚。人はここまで考えられるのか。これは、空を飛ぶよりも素敵なことだ、と思ったりもする。 |
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これは、プログラムに限りませんが、体感したことのある人じゃないと、わからない心理でしょう。 私が初めてこの感覚を味わったのは、確か、中学の頃だったと思います。 当時はBASICが流行りで、私が初めてプログラムというものに触れた時でした。 |
| 役に立たない、ということは、すなわち、芸術の必要条件である。 |
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この文章の前に、森博嗣氏の、文系と理系の定義が書いてあります。 理系の人は納得するかもしれません。(笑) 文系の人も、必読。 |
| 頷かない人は、何事にも動じない人か、鞭打ち症か、あるいは、そのどちらでもない人だろう。 |
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この3つを全部あわせると、「頷かない人」の全体集合になるのですが、こういう言い方をするあたりがかっこいいです。(笑) |
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描かないことが、描くことになるのがミステリィだ。このバランスはとても難しく、実にスリリングである。 ミステリィとは、皮膚から1センチくらいの深さにあって、骨ほど深くはない、ちょうど血管の辺りに流れているもののようだ。 |
| 携帯電話が当たり前の現代の子供たちは、幾つもの夢を見ずに大人になることだろう。彼らを不幸せだとは決して思わない。いつの世にも、夢はあるし、幸せはある。問題は、そのスピリットに気づくかどうかだ。 |
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年をとるにつれて、懐古主義的になり、それを子供におしつける親もいるでしょう。 懐古主義が悪いと言っているのではありません。 むしろ、懐古主義は大人だけの特権として、こっそり楽しみましょう。(笑) |
| どうも、面白過ぎると、客観性を失って、記憶が使い物にならなくなるようだ。酔ったら酔っぱらいが書けないのと同じだろう。 |
| 仕事のストレスは、仕事で解消する以外にない。ゴルフでストレス解消しているなら、ゴルフは仕事である。趣味のストレスは趣味で、家庭の不満は家庭以外で解消できない。人間はモビールのような階層のやじろべえを持っているが、個々のバランスは独立している。下層のやじろべえのバランスをとるための行為が、上層のやじろべえのバランスを崩すことがあるだけだ。 |
| どんなことでも、できることはロボットやコンピュータにやってもらえば良い。人間の仕事を奪うなんて発想は、人間の本質を見誤っている。人間は仕事をするために生きているのではない。仕事をしないために生きている。それが、人間だけの目的、幻想だと思う。「働かざる者食うべからず」は低級で危険な現実だ。 |
| 子供に「友達は財産だよ」と教えると、「財産って何?」と応える。そのとおり、財産なんて大したものではない。なんと下品な教訓だろう。大人は恥ずかしい。 |
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読み返すとか言っておいて、新刊だし(爆) これを書くからには、そのうち森博嗣作品を全部読み返さないとならないんだろうな……。 茅田砂胡作品も、全部読み返したいんだけど、膨大な量だなぁ。 |
| 客観というのはね、つまり主観の裏返しなんです。客観だけで存在するものではありません。主観があって、初めて体現できる感覚なの。したがって、思いっきり主観的な情報入力を通してこそ、私たちの視点は高く駆け上ることができる、というわけ。 |
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なるほど、こんな考え方もあるわけだ、と思った一言。 普段から、できるだけ客観的に物事を見るようにはしているのですが、たまには思いっきり主観的になってみるのもいいかも。 というか、主観を通して、それをふまえた上で、客観的に見ろということなんでしょうね。 |
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お気をつけて、という言葉があるが、正直なところ、私は思う。 人間がどんなに気をつけていても、歴史はこれっぽっちも変わらなかっただろう。 |
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すなわち、新しくものを構築することに比較して、一度成り立ったものを再建することは、はるかに容易なのだ。 それはつまり、ものを作るプロセスのほとんどが、何をどう作るべきなのかを考え、判断する作業に割かれるからである。 |
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クリエーターなら、誰しも同じ事を思うことでしょう。 プログラマーなんか、特にこの傾向が顕著ですよね? 一度作ってしまえば流用が利くけど、その一度目が大変なんですよねぇ……。 |
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「混沌とした話をしているね。もっと抽象的にいいなさい」 「はい」紅子はくすっと笑った。「ようするに、つながっているのに、つながらない」 「良い表現だ」 |
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これは、本の表紙にも書かれている言葉です。 この掛け合いは、最高に格好いいと思います。 萌えます(爆) |
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「日本語通じるのか? この店」保呂草は蓬田に顔を近づけて囁いた。 「日本程度には」蓬田はグラスを口につける。 |
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これはやはり、森博嗣氏お得意の皮肉でしょうか。 最近、日本語が通じない日本人が多いですからね。(笑) |
| 「ご恩はけっして忘れません、などといった具体性のない約束は無意味かもしれませんけれど、万が一、将来、私にできることが巡ってきたときには、そちらにお知らせもせず、こっそりと借りを返させていただきたいと思います」 |
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はい、これも新刊(爆) 前作の「クビキリサイクル」についても、そのうち書けるといいな。 人に貸しっぱなしで忘れてました。 |
| 人生がゲームでないのはリセットボタンがないからではなく、そこにゲームオーバーがないからだ。とっくの昔に《終わっている》のに、それでも明日はやってくる。 |
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「……なんか、数一さんって格好よかったら松田優作に似てますね」 「……格好よくなかったら松田優作じゃねえだろ」 |
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「アインシュタインも言ってたよ。可愛い女の子と話してる一分とストーブの上に手を置いた一分とは天地ほどの差異があるってさ」 |
| 今のワカモノ達には言葉が圧倒的に欠けている、だっけ。確かに、その通りだと思う。言葉が足りないから、俺達は自分が何に対して怒っているのかすらも分からなくなっちまう。本当は悲しんでるだけなのに、それをムカつくって言葉に置き換えたりな。 |
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確かに、言葉が足りないですよねぇ。 主語が欠けているうえに話がとぶ人と話すのは、とても骨が折れます。 どこで話が変わったのか、さっぱりわからないんです……。 でも、自分の考えていることを、言葉で正しく相手に伝えるのって、難しいですよね。 せめて、自分に対する自分自身の言葉くらいは、ちゃんとしたいものです。 「本当は悲しんでるだけなのに、それをムカつくって言葉に置き換えたり」っていうのも、経験があるだけに、よくわかります。 寂しい言い方ですけどね……。 |
| 人間不信っていうのかな? どこか致命傷的に他人を信用できないってこと。一度でも他人から迫害を受けたことのある人間は、残りの一生絶対に他人を信じられなくなるんだよ。 |
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これは、重い言葉ですねぇ。 迫害をする側の人間は、このことには絶対に気付かないか、気付いても見ないふりをしますからね。 想像力の問題かもしれませんが。 |
| 「友達よ。好きだった。だけど、何があっても首を絞めないほどに好きだったわけじゃない」 |
| 「自分のために何かをすることのできる人間って、いつの間にいなくなっちゃったんだろうね」 |
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本当に何か自分がやりたいことがあって、そのために何かをしているという人は、一体どれくらいいるのでしょう? それ以前に、自分がやりたいことを持っている人は、一体どれくらいいるのでしょう? |
| 「そんな馬鹿らしいもん信じてんじゃねーよ。十万回に一回しか起きないことは一回目に起きるのさ。一番最初に会った相手は百万人に一人の逸材なのさ。確率は低いほどに起きやすい。《統計》? くだらないくだらない……奇跡なんて一山いくらの二級品だってのにさ」 |