上橋 菜穂子
 

 

狐笛のかなた (株)理論社  発刊:2003.11
小夜:人の気持ちを悟ってしまう能力をもつ。 野火:使い魔となってしまった霊狐、人間名は遠太

あらすじ
術師が命じるままに初めて人を殺めた野火は、その場から立ち去る時に深手を負ったがために、猟犬をまけずにいた。いつものように俊敏に山を駆け抜けることが出来ずにいた野火は、あともう少しで猟犬に食い殺されかけたところを一人の少女に助けられたのだ。
合わさっていた襟を広げ、少女はその胸に野火を抱きとめた。
野火を助けるために、今度は少女が猟犬からなんとか逃れようと疾走しはじめたのだ。

有事ノ一族と湯来ノ一族は、近い親戚(父親が兄弟)でありながら、互いに憎しみ合い、相手を殺さなければ気持ちが静まらないまでに仲がこじれてしまってます。
現在、術師の力が強いことで湯来ノ一族の方が優勢に立ってます。
湯来ノ一族の使い魔である野火と、有事ノ一族に縁が連なる小夜。敵同士の立場にある2人ですが、不思議なことに全く、2人はいがみ合わないんですよね。ひたすらお互いを大事に思う仲。
最初に命を助けてもらったあの日から、野火は、小夜のことを心の奥底から大切に思っていて、彼女を守るためなら逆らうことの許されない術師の命令も違えてしまってます。
「狐は情が濃いから、人にほれたら、人にばけて、すぐにそいとげようとするもの」
でも野火は、ただ小夜が安全に暮らせるよう見守って、その姿をみることだけを心の安らぎにするんですよね。
健気すぎるじゃないか、野火。
覇気の薄い野火が、小夜のためにはがむしゃらになって、でもそういう時でさえ諦観を帯びた静謐な空気が漂ってます。
だからといってすっごい枯れているわけでもなく、瀕死の重傷を負いながらも、小夜の前では人間の姿であろうとする見栄があったりして、そこに男の色気を感じたっっ。
野火、素敵だわー。
メモ:有事ノ春望(小春丸の父親)、湯来ノ盛惟(春望の従兄)、久那(湯来ノ一族の術者)、玉藻・影矢(霊狐、野火とは、使い魔仲間)、小春丸(元服後は春信、春望の次子)、大朗・鈴兄妹(有事ノ一族の術者)、一太(鈴の子、父親は不明)




獣の奏者(1闘蛇篇/2王獣篇) (株)講談社  発刊:2006.11.21
主人公:エリン 王獣:リラン、エク、アル
ソヨン:エリンの母
ハルミヤ:真王
ダミヤ:真王ハルミヤの弟の息子
セィミヤ: 真王ハルミヤの孫、王女
イアル:真王の護衛士・堅き盾・異名「神速のイアル」
ジョウン:養蜂家
シュナン:大公の嫡男
ヌガン:大公の次男

あらすじ
エリンの父親は闘蛇衆の頭領の息子であったが、早くにこの世を去っていた。頭領の直系でありながら、母ソヨンが流浪の一族、霧の民であったことから、村の中では微妙な立場にあった。しかしながら、闘蛇を世話するソヨンの腕前は、一族の中でも抜きんでいたがために、大公が馭す「牙」の世話を任されている。
自分も又、大きくなれば母のように闘蛇の世話をしたいと思っていたエリンの平和な日々は、ある日、もろくも崩れ去った。
ソヨンが世話をしていた「牙」が全滅したのだ。
母ソヨンを、頭領である祖父は庇おうともせず、やってきた役人に引き渡したのだった……。

リョザ神王国には、国民の精神のよりどころとなる象徴としての「真王」と実質的に国を護り動かしている「大公」という二重の支配体制によって成り立ってます。
大公は「闘蛇」を使役し、真王はその「闘蛇」を屠る「王獣」を飼育することで、頂点に座してます。現在、リョザ神王国の二重の支配構造は、少しずつ歪みが生じていて、根本から瓦解しそうなところを辛うじて保っているような状態。武を掌握する大公を推す一派が、真王を亡き者にしようと暗殺を何度も企てるために、真王の周囲には「堅き盾」と呼ばれる護衛士が張り付いてなんとかその野望を防いでます。
大型獣を使役して、国を治める支配者。
「闘蛇」と「王獣」を誇りをもって世話する人たち。政治が介入していく様は人間の身勝手さが語られるがために、醜いです。過去の悲惨な出来事を盾に、獣たちに苦痛を与えることを是とする一族の凝り固まった思想も、やり切れなさ全開だし。
話かわって、何気に美しい男性が多く登場してます。
真王の甥ダミヤは熟れ切った甘い香りが漂う感じ。この人の闇は甘いが故に周囲を惑乱させてます。
真王の護衛士イアルは峻烈で清廉。
大公の嫡男シュナンは公明正大で、瑞々しい。
大公の次男ヌガンは忠義一途の猪突猛進。
色んなタイプの男性が目白押しなんですよ。でも、王獣リランが一番、格好いい。エリンの相手はリランしか考えられない……えっと、雌なんですけどね。可愛くて格好のいいリランは最強です。
何よりもリランの、エリンを慕う姿が胸を打ちます。リランとエリンの間で積み重なっていく確かな絆が、最後の場面で高く飛翔して、更なる相互理解の道へと歩んでいけたらいいのにと、願って止まない結末を読ませてくれます。

 

獣の奏者(3探求篇/4完結編) (株)講談社  発刊:2009.08.10
主人公:エリン(教導師・30歳過ぎ) 王獣:リラン、エク、アル、ウカル、ノラ、カセ、トゥバ、カル、レッセ、オッセ、フセ、ミナ
ジェシ:エリンとイアルの息子(8歳→)
イアル:真王の護衛士・堅き盾・異名「神速のイアル」・指物師 ・蒼鎧
ソヨン:エリンの母・没
ハルミヤ:真王、没
ダミヤ:真王ハルミヤの弟の息子、イアルに殺害される
セィミヤ:真王・ 先代真王ハルミヤの孫
シュナン:大公、真王セィミヤの夫
ヨハル:アマスル伯、闘蛇乗り最高位、黒鎧

あらすじ
リョザ神王国の内乱の決着がついた先の戦いから11年。エリンは、カザルム王獣保護場で、リラン達の世話に明け暮れていた。
結婚したイアルとの間に、ジェシという息子も授かった。真王の楯として武人の頂点にあったイアルは、現在、引退して指物師として市井にある。
王獣について知りたい、学びたい事柄は次々とエリンの前に現れた。
今一番、気掛かりなのは、リランが産んだ王獣達が成獣となっているにもかかわらず、性交に全く興味を示さないことだった。何か、理由があるに違いないのだが、エリンはそれを掴むことが出来ずにいた。
そんな中、闘蛇村で「牙」の大量死が発生した。原因を究明するために、大公はエリンの知識と観察に望みをかけるのだった。

リョザ神王国は「真王セィミヤ」と「大公シュナン」の婚姻で傾いていた国勢をなんとか立て直そうとしているのですが、凶作にあい苦しいかじ取りを強いられてます。国がうまく立ち行かないのは、「大公」に「真王」が穢されたのが理由だと真王領の貴族は本気で思っているから始末に負えない状況。そして、リョザ神王国に戦を仕掛けてくるラーザという国の存在。国を守るため、厳しい掟の元に封印されていた闘蛇と王獣の繁殖の技術が明らかになっていきます。その両方をこじ開けていくエリン。エリンの知りたいという欲の強さが怖い。歪められた闘蛇と王獣の成長を正したいという気持ちが強いのは分かるんですが……。
敵国ラーザが、リョザ神王国に攻め入ってくる理由の余りのくだらなさに、くらくら。宗教の求心力と暗愚な行動力。
人間は同じ過ちを繰り返して、世界は少しはましになっていくのだろうか。
やり切れない気持ちを抱かせられる物語。


獣の奏者 外伝 刹那 (株)講談社  発刊:2010.09.03
主人公:イアル(真王の護衛士・堅き盾・異名「神速のイアル」・指物師) エリン:カザルム学舎の教導師・王獣の使い手
エサル:エリンの上司・カザルム王獣保護場の最高責任者
カイル:真王の護衛士・堅き盾・イアルの友人
ヤントク:イアルの幼馴染み・指物師
キィノ:イアルの妹・8年差・大店の材木店の跡取り
主人公:エサル・コルマ(タムユアン学舎薬草学科・14歳→) ユアン・ルキン:タムユアン学舎医術科・17歳→
ジョウン・トーサナ:タムユアン学舎普通科・18、9歳→

あらすじ:中編2つと短編1つ所収
『刹那』エリンとイアルのなれ初め。イアルの過去とか悔いが、彼視点で語られます。
『秘め事』エサル師の学生時代の物語。王獣を診る獣ノ医術師の道へ、どう歩んできたかが語られてます。
『初めての……』ジェシの断乳をめぐるあれこれ。エリンとイアルのささやかながらも、ふうわりとした生活が語られてます。

『刹那』
地震で夫を失った後、8歳のイアルを「堅き盾」に売った母(と乳飲み子だった妹キィノ)に対するどうしようもない恨みが、静かに流れ出してます。
イアルは、本編では達観している人物だと感じていたのですが、家族に対して忸怩たる感情を抱いてます。そのいじましさに、ますますいい男や、と思えて仕方がない。
『秘め事』
エサル師の学生時代の物語。知識を得ようとする欲の強さがエリンと同じ。
エサルに一生分の恋情を抱かせるユアンの底知れなさが、ちょっと怖い。安定した道を歩んでいくことと、周囲を不幸に陥れても全然構わない道、どちらを選んでも、彼はその暗い感情を抱き続けるんだろうなーと。
『初めての……』
2歳児のジェシが本当に、大事に育てられています。