コラム 指輪物語と私

全ては指輪物語から始まった...。(らしい...。)


(私の場合はドラクエ、ドルアーガの塔、ガントレットあたりから始まった。)

10数年ほど前、日本でロールプレイングゲーム(RPG)という言葉が一般的になりつつあったとき、 以下のような話題ががあった。 日本のRPGは欧米の様にファンタジー世界の土台が無いのに、「ウィザードりー」や「ウルティマ」 などのコンピューターRPGから、普及してしまった。これは日本のRPGにとって、 大きな不幸だった。なぜなら、それは正当な手順をふんだ進化では無く、不自然な世界観が日本の ファンタジーファンに持たれてしまったから...。

ここでいう正当な進化とは、ファンタジーの世界を再現するには、もともとコンピューターと いう、貧弱な表現手段では無く、無限の空想の世界というのがもっとも適しているはずであったという ことらしい。
つまり、欧米ではコンピューターゲームの前に、より自然な「D&D」などのテーブルトークの RPGが生まれ、その、効率的なプレイの方法の一つとして、コンピューターゲームが開発されたに すぎなかったのだ。つまり、日本では逆転した取り入れ方をしていたというのが、日本のファンタジ ーの不幸だったらしい。 それはさておき、「D&D」などの更に先をたどると、突き当たるのが「指輪物語」の存在である。
「指輪物語」などのファンタジー世界を楽しむために、この種のゲームが開発されたといえる。
これが表題にある「全ては指輪物語から始まった。」の結論である。
そして、このページを読まれる人に対して、今さら書くのも何だが、「指輪物語」は、それ以降の ファンタジー、SFに対して少なからず影響を与えたというのは周知の事実である。

当時(今も?)はやっていた「ロードス島戦記」の設定における、エルフは美しく、長命であること、 などは、際だった例であろう。また、本編におけるウッド・チャックの大いなる力に対する挑戦と 堕落はサルーマン、ボロミアのそれと酷似しているし、火の山での場面でも、滅びの山のシーンと 共通点がある。
また、映画「ドラゴンスレイヤー」における大魔法使いの犠牲や、「D&D」におけるファイナル ストライクも、(杖が折れたり、石が壊れたり)ガンダルフのバルログとの対決を彷彿とさせる。 (これは違うかなぁ...。)

そして、一昔前まではファンタジーファンならば「指輪物語」に一度は目を通しておかねばならぬ 本だったのである。
指輪物語を知らぬものファンタジーを語る無かれ...。

当時、いつかは「指輪物語」に挑戦してみたいとは思いつつ、本屋さんで「指輪物語」を発見する 機会は何度かあったのものの、本の持つ、重厚な独特の雰囲気のためになかなか手が出せなかったが、 幸運な事に当時絶版であった「ホビットの冒険」を友人の母親の紹介でかりることができた。 彼のお母さんは小学校の教員だということで、そのほかにも、「ナルニア国物語」「ゲド戦記」 「はてしない物語」などを紹介していただく。 これは本当にラッキーであった。 「ホビットの冒険」「指輪物語」「シルマリル」という順番で読むことが出来たし、 子供用の本を子供の時に読む事ができたのはラッキーである。 (でも、今思い出してみると、相変わらず、ガンダルフの話は回りくどいし、解りにくかったな...。)

そして、その後「指輪物語」に挑戦したのだが...。
3巻で挫折しました...。「ゴンドールでは千年でも十分とは言えぬ...。」
俺には、まだちょっと早いか...。

指輪を読み終えるのはもっとずっと後の事になります。

今、すべて読み終えてみて、
当時の事を思い返してみると、ほとんど内容を理解できていなかったなと、思う。
たとえば、「え、レゴラスとスランドゥイルって親子だったの?」
とか、気づいたり、「二つの塔」って、ミナス・ティリスとミナス・イシルの事じゃ
無かったの?とか、気づいたりした。
それに、人間とドゥナダンの違いって始め読んだ人にはわかりにくいよなぁ・・・。
何で人間なのに100歳以上も生きてんのかなぁ・・・とか思ったりした。
それから、始めて読む人には「馳夫」って名前も違和感があるような気がする。
(あとから考えてみるとこれ以上適切な訳は無いと思うのだが、)

作成中(続く)

《戻る》