2、「かたす」って言わないの?
これは、京都に来て結構経ってからのことだと思う。ひょっとしたら、2回生になってからの話かも知れない。
この「かたす」なる言葉についてのカルチャーショックは、ある意味では京都にきて以来最大のショックと言っていいかも知れない。
何となれば、私は、指摘されるまで、この言葉は全国標準語であると固く信じていたのだから。というか、私の中では、「歩く」「座る」などの言葉と同様、普段は標準語であるという意識すら持っていない、そういう言葉の部類に属していたのである。
ここまで読んで、「かたす」という言葉に普段接しておられない方は、この言葉の品詞は何で、一体どういう意味なのかがさっぱり分からず、イライラされたことと思う。そこで、とりあえず、その点だけ説明し、それから本題に入りたいと思う。
「かたす[片す]」…サ行五段活用動詞。標準語の「片付ける」にほぼ同じ意味。
では、本題に入ろう。
多分、当時所属していた大学のオーケストラのBOXで、同回生の子としゃべっていたときのことだと思う。普段友達と会ってしゃべるような、記憶に残しておくほどのこともない普通の話をしていたのだろう。そして、どんな文脈でだったのか、私が
「早くかたさなきゃいけないしね」
とか何とかいった。
その途端、その子が驚いたような感心したような顔付きになった。
私は、えっ、と思った。そんな驚かれるような変なことは何も言ってないはずだし、また、変な関西弁でも使ったかな…。
私が一瞬、きょとんとした顔付きになったのを読み取ったのか、その子はこう言った。
「へえ、かたすって言うんやな」
そう言われた私は、何を言われているのか、さっぱり分からなかった。
もちろん、彼女の言った言葉、それ自体ははっきり聞き取れた。それは分かったのだけど、彼女が一体何を言わんとしているのか、どういう意味でその言葉を発したのか、さっぱり理解できなかったのである。
私は、それを彼女に対しどう伝えればいいのか困って、とりあえず、「えっ」と短く聞き返した。
「いやさあ、かたすって言うんやなあと思って」
彼女の方は私の混乱状態をすっかり分かっているような口振りで、「かたす」の部分をを少し強調して先程の言葉を繰り返した。
私は、三秒ほど考えてようやく分かった。
「かたす」という言葉は、こっち(関西方面)では使わない言葉なんだ!
それは、私にとって、非常な、大変な、とにかく修飾語をいくつつけても足りないくらいの驚きであった。
「かたす」って標準語じゃなかったの? 日本全国で使われる言葉じゃないの?
「えっ、かたすって言わないの?」
と非常な驚きを込めて彼女に問うと、たちまち笑い返された。
「そんな言葉、こっちの方では使わへんで」
「ほんまに?」
「ほんまやって。何か『かたす』って言われると、違和感あるわー」
そこまで言われると、なんだかこの「かたす」という言葉の市民権を少しでも強く主張したくなってしまった。
「えっ、でもさ、片付けるっていう意味で使わない?
例えばさ、『早くかたしちゃいなさい』とか、『かたそうよ』とかさ。
よく使うじゃん」
しかし、この必死の主張も、彼女にはまったく通用しなかった。
「『片付ける』の意味っていうのは分かるねん。
でも、そんな言い方、ほんませえへんて。
それってさ、関東の方だけの言い方なんじゃない」
とあっさり言い返されてしまった(言い忘れていたが、この彼女は関西出身である)。
ああ、そうなのか。今の今まで標準語として市民権を得ているものと信じきっていたこの「かたす」という言葉は、実は関東地方でしか使われない、一方言にすぎなかったのか。
その後、少なくとも3回は全く同様のことを、しかもその度に違う人から指摘された。
そして、その度に、分かっていることとはいえ、(ああ、そうだったんだ)と、軽いショックを覚えた。
それほど、この「かたす」という言葉は、私の中では極自然な存在だったと言えよう。
さて、このようなカルチャーショックを受けると、それをさらに確かめたくなるのが私の癖である。
それから、この話を思い出す度に周囲の人に、「かたす」という言葉を使うか、と聞いてみた。
その結果、「使いますよ」と心強く答えてくれたのは、東京出身の後輩ただ一人だった。
残りの人間は、ことごとく、その言葉の意味は分からなくはないけど、自分は使わないし周りの人も使わない、と答えたのであった。
かくして、どうやらこの言葉はやはり関東、それもその一部でしか流通していない言葉なのだということが確認された(というのは、同じ関東でも、高崎出身の子、平塚出身の子には強く否定されてしまったのである)。
しかし、それでもまだ、かすかに納得のいっていない私は、国語辞典で調べることにした。私はどういう訳か一般的な国語辞典を二冊も持っているのだが、その二冊とも調べてみた。
ない。載っていないのである。そんな! と叫びたくなったが、これで私も標準語でないということについては納得せざるをえなかった。
しかし、少なくとも正しい言葉としての市民権は得ていてほしい、全くの俗語であったとしたら、今まで正しい標準語と信じてきたことがまったくむなしくなってしまうではないか。
そんな気持ちで、今度は権威ある大辞典、広辞苑で調べることにした。
少し胸をどきどきさせながらひくと、あった、あった、やっぱり正しい言葉ではあったんだ。
そこには、きちんと
「かたす[片す]@移し変える。片寄せる。A片付ける。」
と載っていた。私は、少しほっとした。
しかし、そこにはそれしか書いていなかったので、本当に関東地方の一部でしか流通していない言葉なのかどうか、それは今もって完全には確認しきれていない。でも、多分そうじゃないかと思っている。
そう言えば、この話に関連する体験として「なおす」という言葉にまつわる話がある。
皆さん、特に関東地方出身の皆さん、「なおす」と言われたら、どういう意味だと思います?
私は、京都に来て指摘されるまで「なおす」は、(壊れた物を)修理する、良くない所を改める、けが・病気を「治す」などの意味にしか使っていなかった。それ以外の意味で使われるなどとは思ってもみなかった(そういう人、多いですよね)。
だから、オーケストラのBOXで、友達に「そろそろ行こうよ」と呼び掛けた時に、
「すぐ楽器なおしちゃうから待ってて」
と言われて、思わず、
「えっ、楽器どこか調子悪いの?」
と聞き返し、不思議そうな顔をされ、後に大笑いされ、かつ、
「そうか、じゃあ『なおしといて』って言ったら、修理しちゃうんだね」
と、逆に変に感心される、そういう体験をしてしまうのである。
そう、関西では、「なおす」とは「しまう」「片付ける」の意味でも使われるのであった。
(と言うことは、「かたす」=「片付ける」=「なおす」になるのであろうか。ふーん、それは結構おもしろいな)
後に思ったのだけど、この「かたす」という言葉が関東地方の一部でしか流通していない言葉であるという仮定が正しいとして、この言葉は、まさに江戸っ子気質を反映している言葉の一つではないだろうか。
江戸っ子の言葉には、気短な性格を反映してか、手短に縮めてしまった言葉がかなり見られるように思う。例えば、「やっておく」が「やっとく」に、「この間」が「こないだ」になるとか。
そう考えると、この「かたす」だって、「片付ける」なんて言うよりも短く端的な表現であり、まさに、気短だけどさっぱりという江戸っ子気質が反映している言葉の典型例のような気がするのである。
これはまったくの勝手な仮定にすぎないけれど、このようなことを専門に研究している方にお会いする機会があったら、是非この点について確かめてみたい。でも、そんな機会は果たしてめぐってくるのであろうか。