短歌 二〇〇一年掲載分



二〇〇七年一月分

未来あることすでに罪かもしれなくて殺人事件の調書を繰りぬ

殺されても仕方のない理由などあるはずがない 栗の毬落つ

雨空は無限に広がる心地して学校帰りの子どもになりたし

この我と寸分違わぬレプリカが向かいの電車で去っていった

こわごわと唇に触れるその指が触角のように痛かったこと

金色に縁取られし雲ゆっくりと進水式のごとくに進みぬ

誰からも好かれようなどと思うまい日暮れの林にカナカナ鳴きぬ


二〇〇七年二月分

温室に入ればすなわちむんとしてカトレアの香に囲まれており

タビビトノキに水もらいし旅人はいずこの国へ歩いてゆきしか

いいえ私は自分で立っていますからとタコノキは上を向いてばかりだ

片隅に黒い雲よぎるこんな日はウツボカズラに吸いこまれたし

びょうびょうと風に吹かれて歩むとき我はアナナスの語感を愛す

茜色はとぎれとぎれに跳ねている雲多き日の夕暮れどきに


二〇〇七年三月分

少年は傷つきやすし 一枚の鳥の羽もて心臓撫でる

死刑を願う男の顔が映りたり振り向いて見る街のテレビに

刑罰は要らぬと思う 散りぎわのコスモスの上に秋雨が降る

午後八時天王寺署に電話して留置管理を呼び出せば 雪

十八歳でも被疑者には変わりなく我ら留置場で会いたり

透明な牢獄の中にいるような夕べと思う 後れ毛が垂る

   
ゲートキーパー法案
密告者になりたくはなし守秘義務は我らにとりて命なれば


二〇〇七年四月分

明朝体の右端にある三角を愛しく思い日は暮れてゆく

フセインの首曝される青空に今日も誰かが息をしている

今里の五叉路交差点に立ちしころ季節はいつも冬だった気がする

真っ先に吹かれる(アー)を思いつつ今宵静かにリードを削る 

撫でるように紙やすり当つ真夜中の冷気が少しずつ温くなる

漆黒の闇を静かに切り開くオーボエの音 我には依るな

「詐害行為取消請求」の要件事実調べておれば啼き止まぬ蝉

友からの相談にわかに増えだした夫は今日も電話をしている



二〇〇七年五月分

落ち葉踏むとう時間は我にもうなくて通りすぎたる風を嗅いだり

飲み込んだ言葉一人で反芻す青空今日も我より高し

始発電車待つホームでは一人にてダッフルコートの紐をつまみぬ

為にする否認、と夫はつぶやきぬ 卓の上には昨日の夕刊

辻褄が合わないんだよ 携帯を片手に夫の視線は左

かつて我に椅子振り上げし青年の、いや少年の能面の怒り

「極刑を求める署名運動」に大蛇の横たわる心地する




二〇〇七年六月分

菜の花の朧な曇り仰ぎ見る仰ぎ見れども朧な曇り

誰も罪に問われぬような死に方をしたい 暖冬ほのぼの明けゆく

少年の背中に翼たたまれてそのまま退化してゆく あわれ

どこからか少年の歌聞こえきて海に夕陽は沈んでゆきぬ

カルピスのブドウに染まる空がある本当のことは書かない日記



二〇〇七年七月分

我が指に赤きケチャップつきたれば舐めてしまいぬ 寂しいと言いて

調弦のヴァイオリニストの眼差しに人恋いしころ夕暮れだった

一面が雨に濡れゆく壁画かな遠くの人を思い出したり

ガラスペンを緑のインクに浸したり未来の日記を書いてみようか

セカンドのバックトスこそ美しけれ4ー6ー3のゲッツー決まる



二〇〇七年八月分

言葉にはならぬ思いと言いたれば琥珀の空に驟雨が走る

ごめんとは免責を請う言葉にてなめこのごときぬるき食感

区切られた四角い部屋で食べている晩春の午後の韮玉雑炊

雨粒をつけたまま走る窓の向こう切片のごとき青空が見ゆ

原爆忌と原爆忌の(あい)ちひろ忌はあり いつまでも透明な眼差し




二〇〇七年九月分

薄オレンジに輝く空に雲流れ戦争前夜の匂いがしている

窓ガラス割れたままある学生寮に夏の光は鋭角に射す

雨に拷たれて強くなるほど人間は賢くなくて この昼も伏す

目の時間と耳の時間は違うなりシフォンのスカーフゆうるりと巻く

    
少年法改正
これからは十一歳の子がくぐる扉だろうか 黒く乾いて




二〇〇七年一〇月分

弁護人の職責は理解されなくて 赤いワインを飲み干せずにいる

知らなければ我も憎んでいただろうひとりぼっちのあの被告人を

どうか誰かの死を願わずに済みますように 六月の夜に梔子匂う

夏の光あふれる土手を眺めたりどこか季節とずれていて我

男には待婚期間なきことを誰も怪しまず夏の昼過ぐ

歯医者、内科と巡り終われば坂道にコールアングレのごとき夕暮れ




二〇〇七年一一月分

口笛を吹けない我の唇が鱗のように乾いてゆきぬ

体育倉庫の中の跳び箱冷え冷えと石灰の粉にまみれておりし

水たまりの中に隠れた我がいて誰も振り返らずに行き過ぐ

長女気質というものが確かにあるとやはり長女の友と語りぬ

恋愛も不法行為になりうるを思えば夏のカンナは赤し