第1回 ラテン語発音の基本
     <母音>



<ローマ式発音>
 教会音楽で使われるラテン語は,グレゴリオ聖歌が整備されていった時代(7〜11世紀頃)に話されていたラテン語が元になっています.民衆ラテン語と言っています.それに対してもっと古く多くのラテン語文学作品が残された時代(B.C.250年ころからA.D.600年ころ)のラテン語を古典ラテン語といい,単語のつづりも発音も民衆ラテン語とは違いが多々あります.また,ヨーロッパ各国・各地方では方言とも言うべき発音の変化が見られます.したがって教会合唱曲を歌う場合,それらいろいろな時代いろいろな地方の異なった発音をごっちゃにしないように気をつけなければいけません.カトリック教会では標準となるべきラテン語を定めていますので,それをしっかり覚えておく必要があります.この標準の発音を<ローマ式発音>と言っています.
 ラテン語は原則として表音文字ですので,多くはつづりの通り発音することになります.そして一部古典ラテン語から発音が変化してきている部分がありますので,そうした特殊な発音に注意を払うようにしましょう.特殊な発音といってもそれには簡単な規則がありますので,それほど難しいものではありません.
 また,発音自体は母音をはじめ日本語と似ている部分が多いのですが,似て非なるものです.日本語とどう違うのかをはっきり自覚して発音しなければなりません.

<母音の種類>
 ラテン語の母音は  A,E,I,O,U  の5種類です.発音もほぼ日本語の「ア,エ,イ,オ,ウ」と同じです.なお,小泉功氏は長母音・短母音の解説をなさっていますが,ローマ式発音では長母音・短母音の別はありません.短母音のみですので,ドイツ語などに通じていらっしゃる方などは混同しないように注意が必要と思われます.
 さて発音ですが,先に書いた「ほぼ同じ」というのが曲者です.まるきり違えば,きっと注意を払って練習するのでしょうが,似ているためにどうしてもカタカナを発音しているように聞えてしまうのです.日本語とラテン語の決定的な違いは,あごの開きの大きさです.一般に日本語はあまり口を動かさなくても構音できるため,私たちは発音器官(唇,舌など)を動かして(調整して)言葉の音(おん)を作るという意識がありません.したがって発音器官を動かす筋肉はそれほど鍛えられていませんから,自分ではかなり開いて発音しているつもりでも不充分なことが多いのです.自分のあごや口がどこまで開くのか限界を試してみたり,鏡を見ながら発音したりなど,確認しながら発音練習することが大切でしょう.
 では,各母音について詳しく確認していきましょう.以後の解説で,ローマ字大文字で書かれたものはラテン語の母音( "A" "E" など),カタカナで書かれたものは日本語の母音(「ア」「エ」など)とします. [ ] でくくったものは発音記号です.

‥‥口を最も開いて舌をリラックスさせ明るく前よりの響きで発音された音 []
 日本語の「ア」より,はるかに広くあごも唇も開きます.舌はリラックスして平らに下顎にはりついた形になります.響きは前よりの明るい感じになります.日本語ではここまで開いて発音する音が無いため,私たちはかなり意識的に口を動かしてはっきりと発音する必要があります.前歯の間が指2本分,唇が指3本分位の開きが必要であり,口先だけでなく顎全体を落として開くようにするとよいでしょう.さらに言えば,あごを思い切り開いてから "A" の口形に持っていくようにしましょう.前にも書いたとおり,私たち日本人は日本語の癖から口を開いたつもりでも充分開いていないので,閉じた口から "A" の口形を作っても充分な開きを得られません.
 英語の発音と比較してみましょう.英語の"Japan"の"Ja"は,発音記号で [] です.あいまい母音とも言われ,口の開きからいえば日本語の「ア」はこれに最も近い発音です.ラテン語の "A" とはまるで別種の発音です. "pan" は,発音記号で書くと [] です.これは英語特有の発音で,ややつぶれた感じの響きの印象があります.これもラテン語の "A" とは違います.英語の "heart" は [] で表わされます.これは口の開きなどからいえば最もラテン語の "A" に近い発音ですが,ラテン語に比べやや奥まったくらい響きです.ラテン語の "A" はこの"heart"からさらに唇を開いて前よりに明るく発音することによってつかめると思います.

‥‥ "A" よりやや狭く「エ」よりかなり広い.唇を横に開いて明るさと緊張を失わないように. []
  "A" を発音しながら次第にあごを狭めていくと,次第に[エ]系の音になり,さらに[イ]系の音になり,最後舌が上あごにくっついて母音としての響きを失います.つまり,あごの開きによっていろいろな「聞え」の[エ]があるわけです.広い[エ]は英語の"air"などに見られます.中間の開きの[エ]は日本語の「エ」です.狭い[エ]は英語の "head" などに見られます.ラテン語の "E" は広い[エ]です.
  (狭い) イ [] [] エ [] ア [] (広い)
 以上のようにあごの開きはかなり広めです.歌の中ではほとんど "A" と同じ場合もありえます.さらに唇は弛緩してやや閉じ気味の状態ではなく,また "O" などのように丸型(円唇)でもありません.唇の両側を軽く引いた形になります(ただし過度に力が入らないこと).また,舌は弛緩した状態( "A" の状態)からやや持ち上げた形になり,その両側は上の奥歯につき,舌の表と裏の境目が正面から見える形になります. "E" 母音は基本的には舌の運動に関係する母音ですので,特に舌の状態はきびしくチェックしましょう.よけいな力が抜けて,舌が自由にいろいろな形をとれるまで,何回も練習しましょう.日本人は特に舌の動きが不得手です.
  "E" の響きは,前よりで明るいものです.したがって,前母音とか明母音といわれます.

‥‥「イ」より広く,特に唇の開きが狭くならないように. []
 先ほどの狭い[エ]をもう少し狭めてやると,[イ]系の音になります.ラテン語の "I" はこの[イ]系の音の中で最も広い状態であり,最も狭い状態が日本語の「イ」です.したがって, "E" と同様の仕方であごの開き,唇の状態,舌の状態を作りましょう.
  "I" も "E" と同様に舌の運動に関係する母音であり,前母音・明母音といわれます.

‥‥口の開きは "E" と同じ.唇は丸型で. []
 口の開きは "E" と同じで,日本語の「オ」よりも広く明るく発音します.[オ]系の音も広い[オ],中間の[オ],狭い[オ]があります.広い[オ]がラテン語の "O" で,中間の[オ]が日本語の「オ」です.米語ではなく英語の発音の"God"がこれにあたります.(米 [] ,英 [])
  "O" は唇の運動に関係ある母音で,円唇母音といわれます.また,後ろよりの響きで暗めの音色になるので,後母音・暗母音ともいいます.

‥‥5母音中最も日本語と違う発音.唇を前に突き出して発音しよう. []
  "O" から次第にあごを狭めていくと[ウ]系の音に変化します.その[ウ]と[オ]の境界に最も近いところの[ウ]がラテン語の "U" です.
 口の開きは "I" と同じで,唇を丸めやや突き出した形で発音します.日本語の「ウ」はほとんど口を開かず,唇も舌も弛緩した状態で発音されるため,響きも乏しく非常につまった感じに聞えます.したがって, "U" は「ウ」と同じ系統の発音と考えずに,まるきり違う発音と考えて練習するべきだと思われます.
  "U" も "O" と同じ円唇母音であり,後母音・暗母音です.


 いずれの母音も日本語と明らかに違うことを意識して,自然に発音できるまで繰り返し練習したいものです.ラテン語の母音は日本語に比べて歌うのに適した明るく響きのある発音ですので,これを習得できれば発声にもよい影響を及ぼします.また,発音には発声が大きく影響しますので,歌うのと同じ息で,喉をつめずに,軟口蓋を充分引き上げて響きを持って発音しましょう.さらに,慣れるまでは発音器官(唇,舌,あご,軟口蓋など)のどこを使って発音しているのかを強く意識して練習しましょう.いずれにしても,日本語と似ているけれどまるきり違う発音を学ぶのですから,無意識に正しい発音ができるようになるまでは,妥協せず強い意志を持って習得しましょう.





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