第6回 お口の体操


 普段我々はいろいろに身体を使って生活しています.身体の動きが,普段の生活の範囲内にある時は,ほとんど無意識のうちに身体が動きます.歩こうと思えば,左右の足が交互に出ますし,後ろに残った足は地面を蹴って体重は前に出した足に移動しています.さらに,前に出した足と反対の手が前にふられます.こうした一連の動きは,見事にわれわれの身体の中でシステムが出来あがっています.ところが,ダンスのステップのように常に前に踏み出すとは限らず,横にステップを踏んだり,時には出した足に体重が移動しなかったりすると,途端に混乱してしまうのです.ダンスの基本的なステップはそう難しいものではないと思います.図解を見たり,先生の示してくれるステップを見れば,少なくとも頭では理解できますが,身体はなかなか正確に動けません.特にテンポのあるステップは難しくなります.
 我々が普段無意識に歩く動作ができるように,無意識に動けるまでに運動能力を高めないと始まらない,というものはたくさんありますよね.そのために野球やテニスや卓球などの選手は素振りを繰り返します.ボクサーはシャドーボクシングやミット打ちを繰り返します.そうしてはじめて身体が(頭でなくて)動きを覚えてくれるわけです.身体が覚えているから,刻々と展開の変わるゲームの中で,身体が的確な動作をしてくれるのです.
 では我々が外国語の歌を歌う時はどうでしょうか.日本語であっても早口を要求されるようなテンポの速い曲を歌う時もそうです.口がなかなかついていかない,という体験があると思います.われわれの口(唇・舌・顎などの発音器官)は,会話で日本語を使うには不自由を感じないまでに動きが慣らされています.しかし,それが早口になったり,日本語の発音にはないような口の動きが要求されると,発音器官がパニックを起こしてしまうのです.言葉に限らず,発声にしたって,歌っている時の顔の表情にしたって,身体を使うことに関してはすべて同じですね.身体が状況に応じて無意識に反応するようになって,はじめて表現の領域に入っていけるのではないでしょうか.
 曲を歌っていて,身体がうまく反応してくれない部分を取り出して,繰り返しその部分だけを練習するのには意味があるのです.よく曲を通して歌わないと感じがつかめない,という意見を聞きます.確かに,曲の全体像をつかむためには必要なことではあります.しかし,身体が正しく反応しない状態(つまり,その曲の本来の姿ではない状態)で繰り返して歌って,それで本当の全体像がつかめるでしょうか.疑問です.正しい発音で歌ってみて初めてわかる曲の響きというものが確かにあります.正しい発声で歌ってみて初めてわかるメロディーの動きというものが,やはりあります.どこかで身体に正しい動き方を覚え込ませなければならないのです.しかし,曲のごく一部を何10分も繰り返し歌うような練習も,たとえその必要性がわかっていてもやはり気分的には苦痛ですね.
 だから,ラケットやバットの素振り,球技のパス練習,シュート練習にあたるものが,歌を歌う我々にも必要だと思うのです.スポーツでゲームは楽しいですが,ゲームだけではうまくなりません.ゲームをしながらいろいろなテクニックを身につけるという方法もあるでしょうが,やはりゲームとは切り離して基礎練習をきちんとやる方が,結果良いものがきちんと身に付くと思います.
 そこで,発音器官を自由に動かすことができるようになるために,体操を含めた発音練習を考えてみました.下の説明の中で,[ ]でくくられた部分は発音記号で,文字が並んでいる場合は連続して発音すること,スペースで区切られている場合は1つずつ区切りながら発音することを表わしています.

1.母音のための練習
1)唇を頬の筋肉で動かす体操
・頬の筋肉を使って,唇を丸く突き出す(uの唇の状態),唇を横に広げる(iの唇の状態).これを交互に繰り返す.
・声は出さずに,動きに神経を集中して行う.
・始めはゆっくり,確実に動きを確認すること.
・次第に動きを速くし,どんなに速くなっても唇が硬直しないで,確実に頬の筋肉で動かすことができるように練習する.
2)a,o,uの発音練習
・[aaaaoooouuuu]と,安定した息で繰り返し発音練習する.
・舌が奥に引っ込まないように気をつけ(舌先は下前歯の裏に触れていること),前よりの明るい発音になるように気をつける.
・aは,唇を広げも丸めもせず楽な状態で,顎を充分に下げて発音する.
・oとuは,頬の筋肉を使い唇をしっかり丸める.
3)a,e,iの発音練習
・[aaaaeeeeiiii]と,安定した息で繰り返し発音練習する.
・舌先は下前歯の裏に触れてるようにし,前よりの明るい発音になるように.
・eとiは,頬の筋肉を使い唇を横に広げる.
2.破裂音(p,t,k,b,d,g)のための練習
1)唇を脱力する体操
・唇の力を抜き柔らかく合わせ,息を吹き出して唇をぶるぶると震わせる.
・無声で行った後,有声で行う.
・唇,顎,喉に力が入らないように気をつけて有声にしよう.

・息の吹き出しをやめた直後の脱力した唇の状態が,pやbを発音する時の唇の状態である.
2)p,t,kの発音練習
・[p t k p t k]と,繰り返し発音練習する.
・破裂音の3つの段階,発声器官が接触して呼気の通路を閉じる・息がせき止められる・器官が離れて息が吐き出される,を意識しながら練習すること.
・pは唇に力が入らないように気をつけ,tは舌先を上前歯の裏にしっかりあてて,kは舌先を下前歯に触れたまま舌の中間を軟口蓋と硬口蓋の境あたりにあてて発音する.
・3者が,同じ強さで行えるように気をつける.特にp,tが弱くならないように.
・p,t,kは気音を含まないので,それぞれを発音した直後に[ph th kh]というように,息が流れ出ないように注意する.
3)b,d,gの発音練習
・[b d g b d g]と,繰り返し発音練習する.
・有声になること以外は,p,t,kの発音練習における注意に準ずる.
・有声の場合は,発声器官が接触して呼気の通路を閉じる時点から声帯が振動しているように.
4)破裂音と母音の結合
・[paaaapaaaapaaaa][taaaataaaataaa][kaaaakaaaakaaaa][baaaabaaaabaaaa][daaaadaaaadaaaa][gaaaagaaaagaaaa]と練習する.
・他の母音でも同様の練習をする.
・子音と母音の間に気音が入らないようにする.
・有声子音の時は,母音と同じ響きで子音がいえるように気をつける.母音より硬くなったり,つぶれたりなどしないように.
3.l,d,nによる舌先の練習
1)舌の力みを取り舌の先端を動かす体操
・顎を楽にして開き,舌先で上唇に触れる.5〜6回続けて行うが,1回ごと舌は口の中に戻し脱力する.
・次いで,舌を充分口の外へ伸ばし出してから,舌先を上に曲げて上唇に触れる.これも1回ごと脱力しながら5〜6回行う.
・舌先を動かそうとして,舌が力み,舌全体が厚くならないようにする.
2)l,d,nの発音練習
・l,d,nは息の流れが違うだけで,発声器官の動きはほとんど同じであるので,この3つの子音を関連づけて練習する.
・lは側音といわれ息は舌の両側から出て行く.dは破裂音で「2.破裂音」で練習したとおりである.nは鼻音といわれ,息は口から出ず鼻を通って流れ出る.顎は楽に開き,舌先は上の前歯の裏にしっかりつけて発音する.
・以上の特徴を意識しながら,[l d n l d n]と繰り返し発音練習する.
・舌先を歯の裏にあてる動作,l,dでは発音と同時に舌先をはじく動作に意識を集中する.
・nでは舌先に声の響を集中させるような感覚で,鼻に息を抜くようにする.
4.m,nによる鼻音の練習
1)l,nで鼻に響かす感覚をつかむ
・[llnnllnnllnnllnn]と発音練習をする.
・llは舌を歯裏に付けたまま舌側から息を流して発音する.息の流れを舌側から鼻腔に変えるとnnになる.
・両者の響きが同じになるようにする.
・舌先全体がべちゃっと歯茎につかないように気をつける.
2)n,mの発音練習
・[nn mm nn mm][nnmmnnmm]と発音練習をする.
・はじめはnとmを区切ってそれぞれ発音器官をきちんと構えてから発音練習し,舌や唇の動きによって発音が乱れることがないようにする.両者とも同じに鼻に響くようにする.
・慣れてきたらnとmを連続して発音練習すれば,舌と唇の動きの練習もできる.舌や唇が素早く動いてそれぞれの形にならないと,間に変な発音がはさまることになるので,注意する.
3)語尾のn,mの発音練習
・[aann aamm][eenn eemm][iinn iimm][oonn oomm][uunn uumm]と発音練習する.
・母音とn,mが同じ強さで発音できるようにする.
5.sの練習
・sの発語法.舌の両側は上の歯につき,舌の中央に溝を作って舌先を上の前歯のまん中に向け近づけた上で,息をしっかりと上の前歯に向けて吹き出す.
・舌の位置に気をつけながら[ssss ssss ssss ssss]と発音練習する.
・母音にはさまれて有声化したsは,以上の形を意識して有声化する.[zzzz zzzz zzzz zzzz]と発音練習する.
6.f,vの練習
1)f,vの発音練習
・上前歯の先端を下唇の中側(口紅を塗る部分より内側の部分)にあて,[vvvv vvvv vvvv vvvv]と発音練習する.
・1回ごとに顎を開いて脱力し,新たに発音の形を作って練習する.
・ブーブーいう音がしっかり出て唇がくすぐったくなるくらいに,唇を震わせて発音し,一定時間持続させて正しい形を覚える.
・同様の形で[ffff ffff ffff ffff]と発音練習する.
2)母音との連結の練習
・[ffaaaaffaaaaffaaaaffaaaa][vvaaaavvaaaavvaaaavvaaaa]等各母音について練習する.
・[aaaaff aaaaff aaaaff aaaaff][aaaavv aaaavv aaaavv aaaavv]等各母音について練習する.
・母音に比べて子音が弱くならないように気をつける.
7.巻き舌rの練習
・[daaaadaaaadaaaa][daaaadaaaaraaaa][daaaaraaaaraaaa][raaaaraaaaraaaa]
・[traaaa][draaaa][praaaa][braaaa]
・舌先を上歯の付け根の方に向けておいて急に息を強くはいてみる.何回かやってみると舌がぶるっと震えることがあるので,その感覚を覚えていく.
・ある程度できるようになったら,舌先で発音しているかをチェックする.舌を口の中の方に引き込んで巻き舌をするとやや暗目のこもった感じの発音になるので,自分の耳でよくきいて確かめながら,舌先で口の前の方で発音し明るく軽快な感じの発音になるようにしていく.








目次

前の文章

次の文章