キリスト教豆知識 3
<三位一体>
キリスト教の信仰については,なかなか理解するのが難しいのですが,
特にこの三位一体の教理は解り辛いことの一つです.
キリスト教の神は唯ひとりです.日本の神道やギリシャ神話などの様に多くの神が出てくることはありません.
しかし,父なる神,子なる神,聖霊なる神というような言い方を聞いたことがあると思います.
これは,三人の神がいるということではなく,ひとりの神の中に三つの人格(位格)があるのだと
解釈されています.そうすると,多重人格のことか,と考えられる方もいらっしゃるかもしれませんが,
多重人格は,それぞれの人格が全く別物で関連がなく,同時に現れることは決してありません.しかし,
神の中の三つの人格はそれぞれ別で全く分離しており,かつ相互に関係を持っています.
父なる神は人間を救うために子なる神をこの世に遣わし,聖霊なる神は,
救いのみ業を人間の霊魂に適用するのです.そして,三つの人格は神性という性質で一つに結合されています.
さらに,三人格中の誰が他より重要であるとか,劣っているとかということはなく,権能と栄光は同等なのです.
三位一体の第一人格は,父です.イエス・キリストの父として示され,また神の創造たるアダムを通して
すべての人間の父とされています.父なる神は創造と統治の主役として働きます.
第二人格は,子,つまりイエス・キリストです.子なる神は,他の人格と異なる面があります.父なる神,
聖霊なる神は決して人とはなりませんでしたが,子なる神は,マリヤのからだを通して人となり,
神としての性質と同時に人としての性質も併せ持つこととなりました.この神と人との結合,
あるいは神性と人性をまとうことを「受肉」といいます.人間としてのキリストは,人間のために苦しみ,
人間の誘惑と悲しみとを充分に理解し,また神として彼は十字架にかかることによって人間の罪を償い,
かつ人間の救いを獲得したのです.
『この大祭司(イエス・キリストのこと)は,私たちの弱さを
思いやることのできないようなかたではない.罪は犯されなかったが,すべてのことについて,
私たちと同じように試練に会われたのである.だから,わたしたちは,あわれみを受け,また,
恵にあずかって時機を得た助けを受けるために,はばかることなく恵の御座に近づこうではないか.』(ヘブル4・15-16)
第三人格は,聖霊です.聖霊は信仰生活において人々を助けます.聖霊は,人々に罪を認めさせ,再生させ,
救われたことの確証を与えてくれる神です.しばしば聖霊は「助け主」と呼ばれ,教会形成の主役として,
教える働きをします.
三位一体の教理は,理解するものではなく信仰するものですから,なかなか納得できるものではありませんが,
ミサの各章の詩句をよく読みながら,キリスト教徒がどの様に感じどの様に信じどの様に神に思いを馳せているかを
想像していっていただければと思います.
ついでながら,三位一体を象徴する“3”という数字は,キリスト教ではとても重要です.ミサ曲の中で,
3がいたるところに出てきます.例えばグレゴリオ聖歌などで
“Kyrie” の各節を3回ずつ歌う,などです.ほかに,天を象徴する“3”と地を象徴する“4”
(東西南北四方の4)を足した“7”も完全数として重要視されます.逆に,完全数7に1足りない“6”
は不完全なものの象徴です.また,3×3の“9”とか,3×7の“21”など,その意味合いを
さらに強調する数として用いられることがあります.これらの数は,音楽作品の中では繰り返しの回数であったり,
フレーズを構成する音符の数であったり,3つの部分で構成されるなどの形で,生かされていきます.