キリスト教豆知識 5
<公会議のこと>
ミサのことなどを調べていると,よく「○○公会議以後〜」とか「△△公会議の結果」などという記述に出くわします.この公会議とはなんでしょう.
使徒やその後継者に導かれ発展していった初代教会は,次第にヨーロッパ世界に広く勢力を持つようになってくると同時に,聖書の解釈や教義の受け止め方などについて,いろいろな立場をとる人たちが出てきます.始めのうちは教会会議を開くことで,それらの対立を解決してきました.しかしついに4世紀始め,三位一体の教理についての重大な対立が起こりました.この問題に対して,ついに全教会会議の開催が要請されました.これが第1ニケア公会議です.これ以後ローマ・カトリック教会では,教義や道徳に関すること,教会の規律や統治に関することなどについて,現代までに21回の公会議が開催されています.
では,現在までに開かれた公会議について簡単にその内容をみてみましょう.(「現代カトリック辞典(エンデルレ書店)」の記述に多少加筆しました.)
1.第1ニケア公会議(325)
・キリストの神性を否定したアリウス主義の排斥.
・神の子は父と同実体であることの定義.
・ニケア信経作成.
2.第1コンスタンティノープル公会議(381)
・聖霊の神性を否定したマケドニウス派の排斥.
・ニケア信経の確認と拡大.(ミサ通常文の「クレド」のこと)
3.エフェソ公会議(431)
・受肉したキリストには明確に区別される人としての位格と神としての位格があると主張したネストリオス派の排斥.
・マリアが神の母と呼ばれる権利のあることを弁護.
4.カルケドン公会議(451)
・キリスト単性説をとなえたエウテュケス主義の排斥.
つまり
・キリストに二つの別個の本性,即ち人性と神性があること,したがってキリストはまことの神でありまことの人であると定義.
5.第2コンスタンティノープル公会議(553)
・一部の人物,とくにモプスエスティアのテオドロス,キュロスのテオドレトス,エデッサのイバスをネストリオス主義の影響を受けている者として非難した.
6.第3コンスタンティノープル公会議(680-681)
・キリスト単意論反対の決議.
つまり
・キリストに二つの意志,すなわち人としての意志と神としての意志があったことを決議.
7.第2ニケア公会議(787)
・聖像破壊論者を排斥し,聖画像の崇敬は偶像崇拝でないと定義.
8.第4コンスタンティノープル公会議(869-870)
・コンスタンティノープル総大司教フォティオスの排斥.
9.第1ラテラノ公会議(1123)
・西方における最初の全教会会議.
・聖職叙任に関するヴォルムス協約を是認した.
10.第2ラテラノ公会議(1139)
・対立教皇アナクレトゥス2世の離教に対する処置を講ずる.
・規律に関する決定を公布.
11.第3ラテラノ公会議(1179)
・ヴァルドゥス派とアルビ派に対する決定.
・教皇選出は選挙会における枢機卿の3分の2の多数決によるものと決定.
12.第4ラテラノ公会議(1215)
・改革に関する教令作成.
・年に1度の告白と復活祭の聖体拝領を命じ,はじめて「全実体変化」という語を正式に使用.
(全実体変化とは,ミサの中で,有効な叙階を受けた司祭によって,パンとぶどう酒が完全にキリストの体と血に変えられることをいいます.)
13.第1リヨン公会議(1245)
・教会を迫害したという理由によって,フリードリヒ2世皇帝を排斥.
14.第2リヨン公会議(1274)
・東方諸教会とローマの一時的一致の実現.
・教皇死去後10日以内に新教皇選挙を開始すべきことを決定.
15.ヴィエンヌ公会議(1311-12)
・聖殿修道騎士団の廃止.
・聖地援助の決定.
・霊魂と身体との関係を定義.
・フラティチェリ,ドゥルチノ派,ベガルド会,ベギン会の誤った神秘思想を排斥.
16.コンスタンツ公会議(1414-18)
・教会の「頭と成員」における教会改革案を決定.
・ウィクリフとフスを排斥.
・西方離教に終止符をうった.
17.フィレンツェ公会議(1438-45)
・公会議が教皇より上位にあると主張する公会議首位説に対して教皇の首位を確立.
・ローマから分離している東方諸教会との一致実現に努めた.
18.第5ラテラノ公会議(1512-17)
・教皇と公会議との関係を定義.
・人間の霊魂は死すべきものであり,全人類のために一つであると教えた哲学者を排斥.
・トルコ人に対する十字軍編成を呼びかけた.
19.トレント公会議(1545-63)
・プロテスタント宗教改革の危機に対決するために召集された.
・聖書と伝承を信仰の規範と宣言.
・ミサ,秘跡,義化,免償,聖人の代祷,聖画像の尊崇についての教理決定.
・結婚と聖職者の刷新についての教令公布.
☆教会暦,聖務日課書,ミサ典書,聖歌の改革.その成果が,「ローマ聖務日課書」「ローマ・ミサ典書」として出版された.このローマ式典礼は第2バチカン公会議までローマ・カトリック教会全体で使われ続けた.
20.第1バチカン公会議(1869-70)
・啓示と信仰の性質,信仰と理性の関係,教皇の不謬性の決議.
・汎神論,唯物主義,理神論,自然主義,信仰主義を排斥.
21.第2バチカン公会議(1962-65)
・ヨハネス23世教皇によって「おもにキリスト教教理の聖なる遺産を守り,示すために」召集された.
・公布された16の文書はカトリックの信仰と道徳の諸原則を再確認した.
・聖体祭儀,秘跡の儀式書,教会行政組織面での多くの進展を認可した.
☆礼拝において自国語を用いることなどを記した「典礼について」,ほかに「神の啓司について」「教会について」「現代世界における教会について」の4つの憲章を含む16の文書が発表された.
教会音楽の面から特に重要な公会議は,トレント公会議と第2バチカン公会議でしょう.どちらもカトリック教会の典礼を改革・統一した会議です.したがって,16世紀のトレント公会議以前(中世)とそれ以後(ルネサンス時代以後)の礼拝の形式,また1960年代以降の礼拝の形式は変化していますので,教会音楽の作曲者がどの時代に属する人かを確認しないと,その音楽が使われた礼拝の形式をくわしく考察することは出来ません.