O Salutaris

 <歌詞と訳>
 <概要>


<歌詞と訳>
1O 2Salutaris 3hostia,
1おお 2救いの 3犠牲・生贄,

1quae 2coeli 3pandis 4ostium:
2天国の 4門を 3開く 1者:

1Bella 2premunt 3hostilia,
2迫ってくる・圧迫する 3敵との 1戦いで,

1da 2robur, 3fer 4auxilium.
2力を 1与え, 4援助を 3もたらして下さい.


1Uni 2trinoque 3Domino
2三位一体の 1唯一の 3主よ

1sit 2sempiterna 3gloria:
2永遠・不変の 3栄光が 1あるように

1Qui 2vitam 3sine 4termino,
4終わりの 3ない 2生命 1

1nobis 2donet 3in 4patria.
4故郷 31われらに 2与えてください.

(逐語訳:和田)


ああ,救いのいけにえ,
天国の門を開きたもうおん方よ,
われらの敵は四方から押し寄せる,
われらに力と助けを与えたまえ.

三位一体の不滅の神よ
あなたの偉大なみ名が常にたたえられんことを.
終りなき生命の日々をわれらに,
天のふるさとにて与えたまえ.

(訳:「現代カトリック辞典」より)



<概要>
 聖体降福式(聖体賛美式)という儀式の中で歌われる聖体賛歌です.
 聖体降福式は,1264年に全教会の祝日とされた「聖体の祝日」の晩課の終りに顕示台に置かれた聖体を祝福する慣行が儀式化され,独立した典礼式として整えられたもので,主要祝日・日曜日・四旬節中・40時間の聖体礼拝中に行われるようになりました.伝統的な形式は,司祭が聖別された聖体を聖体顕示台に入れて祭壇の上に安置し香を献じます.その際「オー・サルターリス・ホスティア」などの賛歌を歌い,司祭と会衆による黙想と賛美と礼拝が続きます.儀式の終りには賛歌「タントゥム・エルゴ」が歌われ,2回目の献香のあと,顕示台を高くかかげて十字の形に会衆を祝福します.その後司祭と会衆によって聖体賛美が歌われます.
聖体の祝日:この祝日はリェージュのモン・コルニヨン修道院の聖ユリアナ(1192-1258)の幻視を機縁として,リェージュのローベル・ド・トロテ司教によって1246年に制定され,1264年にウルバヌス4世教皇によって全教会の祝日にされた.現在では,三位一体の祝日(聖霊降臨後第1の主日)のあとの最初の木曜日(または日曜日)にキリストの御体と御血の大祝日として祝われている.
40時間の聖体礼拝:40時間にわたる聖体の荘厳な顕示.キリストの身体は40時間墓に横たわっていたと信じられているが,この信心はそれを記念するためである.この信心は聖アントニウス・マリア・ザカリアによってミラノとベニスで1527年に取り入れられ,聖イグナティウスの時代にイエズス会員によって広められた.パウルス3世教皇によって1539年に,クレメンス8世教皇によって1592年に,クレメンス11世の教皇制定法「グラヴェス・エト・ディウトゥルネ」と指針によって認可され,それが1731年にクレメンス12世によって再度公布されて,この信心の正しい形式が認定された.18世紀の終りにはこの習慣は多くの国に広がっていた.
聖体降福式の時の賛美:神を賛美する一連の短い祈りで,一般に聖体降福式のあとでとなえる.
(「現代カトリック辞典」より)

 グノーやロッシーニ作曲のミサ曲の中には,通常ミサ曲として作曲される5章のテキスト以外に,この聖体賛歌の前半が,サンクトゥスとアニュス・デイの間に挿入されている場合があります.「音楽史の中のミサ曲(相良憲昭,音楽之友社)」によれば,「フランスのミサ曲の伝統ともいえる」聖体賛歌だそうです.フォーレやデュリュフレのレクイエムに「ピエ・イエズ」が挿入されているように,ミサ曲にこの「オー・サルターリス・ホスティア」を挿入して作曲することが,フランスの伝統として行われていたのだと思われます.

《追加事項》
 その後わかったことです.
 フランスの教会によって支持されてきた教理で「ガリア主義(ガリカニズム)」というものがあります.これはフランスにおいて,教会司教に対するローマ教皇の権利の制限,国王の教皇に対しての独立,フランス国内の慣習や権利の尊重,教皇は公会議に従うこと,などが主張されたものです.15世紀ごろからこの傾向が始まり,18世紀にはフランス国教会設立への動きにまで発展しましたが,フランス革命により停滞し,第1ヴァチカン公会議により1870年に正式に排斥されました.
 この結果ミサの様式などについてもフランスの独自性が重視され,ローマ典礼にはない聖歌の挿入などもあったものと思われます.





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